弟によって神格化されそうになっているのだが…
新しい金蔓…もとい、新しい友人である年下の呪術師をしてる女…いや、女と呼べるような年齢でも体型でも中身でも無いのだが、ソイツは今まで出会って来た人間達と比べてもかなりの変わり者で、言ってることもやってることも可笑しく、いつも妙なことをしていた。
金と飯に困った時に呼び出しているのだが、今どこかと問えば「山」「木の上」「屋根」「藪」「川」などと返ってくる。多分、アイツは人間の姿を真似ている野生生物なのだろう、本人も「おい、タヌキ」と呼んだ時「ポンポコ」と返事していたし。きっと八割当たっているはずだ。
そんな人間だかタヌキだか分からない奴ではあったが、最近になって少し生態が判明してきた。
アイツについて分かったことは、実は子供好き、それなりに料理が出来る、掃除や洗濯も普通に出来る、金のかからない趣味を楽しんでいるから金がある、全く面倒臭くない、月についてやたら詳しい…といったことだ。
少し放っておいたり、雑に扱ったりするだけで喧しくなる事が無くて助かるが、逆に不安にもなる。
アイツは俺を男として見ているわけじゃない、俺に跨がったことも無ければ、甘えることも無い、なのに何もかもを許し、金を与えてさらには月への片道切符までくれた。
最初は何か目的があるのかとも勘ぐっていたが、本当に何も無いらしい。
ただ俺を友人として気に入っているだけのようだった。
何もかもを許され、何も求められない。
欲していた自由そのものであるはずなのに、妙に背筋が薄ら寒くなるのは何故なのか。
俺はこの感情の名前を知らない。
そんな淡白かつボンヤリとした謎多き友人には、とんでもなく面倒で厄介な弟が居た。
その名も夏油傑、特級呪術師様だとか。
数回顔を合わせたことがあるが、正反対と言っても過言では無いくらいには中身は似ていなかった。やや似ているなと思えるのは、髪の感じと口調くらいのもので、それ以外は本当に似ていない。
俺も別に会いたくない相手であるので、弟が居ると聞いた日は大人しく引き下がるようにしている。あれに巻き込まれるのは災害みたいなものだ。
弟が任務で不在の日の休日、「暇だから」と昼の10時くらいからわざわざ家まで来たソイツは、持参して来た掃除道具を使って部屋の片付けをし始めた。
マスクをし、髪を一つにまとめ、ハタキで上から下に埃を払い落とし、転がる空き缶や食べ散らかしたままのパンが入っていた空袋を鷲掴んではゴミ袋に入れていく。
いつ洗ったか思い出せない敷布団のカバーを引っ剥がし、いつ脱いだか分からない衣服と一緒に洗濯機に放り込めば、俺に敷布団の中身と布団と小銭の入ったがま口財布を押し付けて来た。
「コインランドリーに行って来て」
「お前な…」
「私、台所磨いてくるね」
言うだけ言って掃除に戻って行ったヤツは、側をウロチョロする恵から雑巾を回収し、バケツで雑巾を洗って絞って再度手渡していた。
「台所が綺麗になったらお昼ご飯にしようね」
「…ん」
「お手伝いありがとうね」
着用していたゴム手袋を取り、恵の頭を数回撫でたアイツは台所磨きへと戻っていく。
その後ろ姿を暫く見つめてから、仕方無く荷物を抱えて家を後にした。
俺は別に掃除をやらせたくて呼び出した訳じゃ無かった。ただ、気まぐれにいつも通り呼び出したらアイツが勝手に掃除し出したのだ。家主の許可も無く。
箒の刺さった妙にデカいリュックサックを背負い、両手にスーパーのビニール袋を引っ提げてやって来たかと思えば、「天気が良いから掃除しよう、ピカピカになったらスッキリするよ」と言って掃除し出した。
ハタキ、箒、チリトリ、雑巾、洗剤類、タワシ、スポンジ、新聞紙、洗濯バサミ、ハンガーなどがリュックサックから次々に取り出され、あれよあれよと言う間にいつの間にか俺も恵も掃除に加わっていた。
そうして現在コインランドリーにて、布団を洗っているわけだ。
歩いて行ける距離にあるコインランドリーには、俺と同じように洗い終わるのを待つ男が居た。多分あっちも女に押し付けられたんだろうと察する。
置かれていた雑誌を手に取り捲ってみるも、大したことも書かれておらず、すぐに暇になった。
仕方無く、大人しく目を瞑る。
瞼の裏に広がるのは、先程の光景だった。
アイツの側をウロチョロするガキと、そのガキを逐一褒めながら一緒に掃除する女。休憩にと茶と菓子を出され、ガキを膝の上に座らせていた。
昼飯にはあんかけ焼きそばを作るとか言って、買ってきたビニール袋に入った材料を見せてきた。
「君も手伝ってくれるかな?」と、しゃがんで恵の頭を撫でる姿。
窓を拭く背中、パタパタ動き回る足音、久々に開いたカーテンが揺れて風の通った部屋の中で見た景色の全て。
いつか見た夢の続きがまだあったのかと錯覚しそうになった。
俺もまだ、この世界で生きていて良いのだと肯定されたかと思った。
開かれた窓から入る日差しと風に目が眩み、自分のしてきたことや人格を忘れそうになる。
踏み締めた足場が簡単に揺らいで、絡まった糸が解けてしまいそうになった。
だからコインランドリーに行かされて良かったと思う。
あのままあそこに居たらと考えると、乾いた笑いが出そうになる。
全部ただの安くてつまらない妄想だ、アイツに言わせれば「根拠の無い希望」というやつ。
願いや祈りなどとは違う、起こりうるはずも、手に入るわけも無い妄想に過ぎない思い。
そもそもアイツが求めているのは月だ。
月へ帰り、そこで一人静かに地球を眺めて暮らすのだとか。
アイツは俺のことなんか求めちゃいないし、誰とも生きるつもりが端から無い。
夢物語のような願いに同乗したのは俺だ。
アイツがここで生きるつもりが無いように、俺もここで幸せに暮らすつもりは無い。
こんな世界にもう用など無い。
俺はアイツと月へ行く。
あの部屋にどれだけ光が差そうと、捨てて行かなければならないのだ。
だから別に、本当はゴミ屋敷だって良かった。
それなのに、風の通った部屋に満ちた光が瞼の裏で鬱陶しく張り付いて離れない。
金と飯に困った時に呼び出しているのだが、今どこかと問えば「山」「木の上」「屋根」「藪」「川」などと返ってくる。多分、アイツは人間の姿を真似ている野生生物なのだろう、本人も「おい、タヌキ」と呼んだ時「ポンポコ」と返事していたし。きっと八割当たっているはずだ。
そんな人間だかタヌキだか分からない奴ではあったが、最近になって少し生態が判明してきた。
アイツについて分かったことは、実は子供好き、それなりに料理が出来る、掃除や洗濯も普通に出来る、金のかからない趣味を楽しんでいるから金がある、全く面倒臭くない、月についてやたら詳しい…といったことだ。
少し放っておいたり、雑に扱ったりするだけで喧しくなる事が無くて助かるが、逆に不安にもなる。
アイツは俺を男として見ているわけじゃない、俺に跨がったことも無ければ、甘えることも無い、なのに何もかもを許し、金を与えてさらには月への片道切符までくれた。
最初は何か目的があるのかとも勘ぐっていたが、本当に何も無いらしい。
ただ俺を友人として気に入っているだけのようだった。
何もかもを許され、何も求められない。
欲していた自由そのものであるはずなのに、妙に背筋が薄ら寒くなるのは何故なのか。
俺はこの感情の名前を知らない。
そんな淡白かつボンヤリとした謎多き友人には、とんでもなく面倒で厄介な弟が居た。
その名も夏油傑、特級呪術師様だとか。
数回顔を合わせたことがあるが、正反対と言っても過言では無いくらいには中身は似ていなかった。やや似ているなと思えるのは、髪の感じと口調くらいのもので、それ以外は本当に似ていない。
俺も別に会いたくない相手であるので、弟が居ると聞いた日は大人しく引き下がるようにしている。あれに巻き込まれるのは災害みたいなものだ。
弟が任務で不在の日の休日、「暇だから」と昼の10時くらいからわざわざ家まで来たソイツは、持参して来た掃除道具を使って部屋の片付けをし始めた。
マスクをし、髪を一つにまとめ、ハタキで上から下に埃を払い落とし、転がる空き缶や食べ散らかしたままのパンが入っていた空袋を鷲掴んではゴミ袋に入れていく。
いつ洗ったか思い出せない敷布団のカバーを引っ剥がし、いつ脱いだか分からない衣服と一緒に洗濯機に放り込めば、俺に敷布団の中身と布団と小銭の入ったがま口財布を押し付けて来た。
「コインランドリーに行って来て」
「お前な…」
「私、台所磨いてくるね」
言うだけ言って掃除に戻って行ったヤツは、側をウロチョロする恵から雑巾を回収し、バケツで雑巾を洗って絞って再度手渡していた。
「台所が綺麗になったらお昼ご飯にしようね」
「…ん」
「お手伝いありがとうね」
着用していたゴム手袋を取り、恵の頭を数回撫でたアイツは台所磨きへと戻っていく。
その後ろ姿を暫く見つめてから、仕方無く荷物を抱えて家を後にした。
俺は別に掃除をやらせたくて呼び出した訳じゃ無かった。ただ、気まぐれにいつも通り呼び出したらアイツが勝手に掃除し出したのだ。家主の許可も無く。
箒の刺さった妙にデカいリュックサックを背負い、両手にスーパーのビニール袋を引っ提げてやって来たかと思えば、「天気が良いから掃除しよう、ピカピカになったらスッキリするよ」と言って掃除し出した。
ハタキ、箒、チリトリ、雑巾、洗剤類、タワシ、スポンジ、新聞紙、洗濯バサミ、ハンガーなどがリュックサックから次々に取り出され、あれよあれよと言う間にいつの間にか俺も恵も掃除に加わっていた。
そうして現在コインランドリーにて、布団を洗っているわけだ。
歩いて行ける距離にあるコインランドリーには、俺と同じように洗い終わるのを待つ男が居た。多分あっちも女に押し付けられたんだろうと察する。
置かれていた雑誌を手に取り捲ってみるも、大したことも書かれておらず、すぐに暇になった。
仕方無く、大人しく目を瞑る。
瞼の裏に広がるのは、先程の光景だった。
アイツの側をウロチョロするガキと、そのガキを逐一褒めながら一緒に掃除する女。休憩にと茶と菓子を出され、ガキを膝の上に座らせていた。
昼飯にはあんかけ焼きそばを作るとか言って、買ってきたビニール袋に入った材料を見せてきた。
「君も手伝ってくれるかな?」と、しゃがんで恵の頭を撫でる姿。
窓を拭く背中、パタパタ動き回る足音、久々に開いたカーテンが揺れて風の通った部屋の中で見た景色の全て。
いつか見た夢の続きがまだあったのかと錯覚しそうになった。
俺もまだ、この世界で生きていて良いのだと肯定されたかと思った。
開かれた窓から入る日差しと風に目が眩み、自分のしてきたことや人格を忘れそうになる。
踏み締めた足場が簡単に揺らいで、絡まった糸が解けてしまいそうになった。
だからコインランドリーに行かされて良かったと思う。
あのままあそこに居たらと考えると、乾いた笑いが出そうになる。
全部ただの安くてつまらない妄想だ、アイツに言わせれば「根拠の無い希望」というやつ。
願いや祈りなどとは違う、起こりうるはずも、手に入るわけも無い妄想に過ぎない思い。
そもそもアイツが求めているのは月だ。
月へ帰り、そこで一人静かに地球を眺めて暮らすのだとか。
アイツは俺のことなんか求めちゃいないし、誰とも生きるつもりが端から無い。
夢物語のような願いに同乗したのは俺だ。
アイツがここで生きるつもりが無いように、俺もここで幸せに暮らすつもりは無い。
こんな世界にもう用など無い。
俺はアイツと月へ行く。
あの部屋にどれだけ光が差そうと、捨てて行かなければならないのだ。
だから別に、本当はゴミ屋敷だって良かった。
それなのに、風の通った部屋に満ちた光が瞼の裏で鬱陶しく張り付いて離れない。