弟によって神格化されそうになっているのだが…
食堂に行くと珍しい光景が広がっていた。
灰原の横に希少動物……いや間違えた、夏油さんのお姉さんが座っている。
パスタとサラダの乗ったトレーを持って二人の姿を眺めていれば、こちらに気付いた灰原が大きく手を振った。
灰原の「七海ー!」という呼び声と振り上げた手にビクッと肩を震わした夏油さんのお姉さんは、ピルピルと震えながら青褪めた顔でこちらを振り返った。
その目にはアリアリと「たすけろ」と書かれていたのだった。
また…なんでこんなことに……。
溜息を堪えた代わりに眉間にシワが寄る。
一歩、また一歩と足を前に出して二人の元に近寄って行けば、私を見上げるお姉さんが「コン……コン…ニチ…ワ」と絞り出すような声で挨拶をしてきたので、それに「こんにちは」と返した。
「お姉さんすごい!自分から挨拶出来たじゃないですか!」
「ハ、ハヒ……」
「その調子です、次は会話してみましょう!」
「カイワ…レ…ダイコン……」
あからさまに困っているお姉さんと、張り切って世話を焼いている灰原に気が遠くなりかけた。
灰原は妹の居る兄だ、だからわりと面倒見が良い。コミュニケーション能力に恵まれており、後輩力も高く、誰にでも積極的に話し掛けることの出来る奴だ。
一方なって夏油さんのお姉さん(私は未だに下の名前を知らない)は、超が付く程の人見知りだ。
用があって呼び止めれば、いきなりキュウリを見た猫のようにギョッとされるし、夏油さんが居る場合はすぐに背中に隠れてモゴモゴ言っている。この呪術高専において彼女とまともに会話が出来るのは弟である夏油さんと、夏油さんの友達として色々関わりがあるらしい五条さんくらいだ。
言い切れるくらいには、彼女は本当に人と関わることをとにかく避けている節が見て取れた。
灰原は持ち前のコミュニケーションスキルを活かし、お姉さんに話し掛けながら世話を焼いている。
「美味しいですよ」と定食の唐揚げを一つ渡し、代わりに卵焼きを交換していた。お姉さんはされるがままだった。
正直巻き込まれたく無いのだが、しかし避けて通ることも出来ない。
諦めた私は、空いていた席に座る。
席順は、私、お姉さん、灰原の順となった。なんでこのプルプル震えて必死に身を小さくしている人を端の席にしてやらなかったんだ灰原。
「僕も明日はお弁当持って来ようかな、おにぎり食べたくなっちゃった」
「たまには良いんじゃないですか」
「お姉さんのおにぎり大きいですよね、自分で用意したんですか?」
「モゴゴ………」
思いっきり口に含んだ時に話し掛けられてしまったせいで、お姉さんは狼狽えた。どうして良いか分からずおにぎりを手に持ち固まってしまったため、「飲み込んでからでいいので」と口を挟む。
この人…よくこれで今日までやってこれたな…。夏油さんが居ないとまともに会話にならない。流石に少し心配になってくる、色んな意味で。
モグモグと咀嚼を繰り返し飲み込んだお姉さんは、言葉に悩みながらも口を開く。
「弟…ぇっと、傑くんが…………おにぎり、つくって……くれて…」
「えっ!これ夏油さんの手作りなんですか?いいな〜」
「ァ、エ………うん…」
「僕も食べてみたいな〜」
夏油さんを慕う灰原はなんの気無しにそう言った。
多分、彼からしてみればとくに深い意味も無く、会話の足掛かり的な意味合いの言葉だったのだろうが、どうやら相手にしてみれば違ったらしい。
お姉さんは吃りながらも、小さな声で「だ、だめ………」と言った。
俯きながら、おにぎりを自分の胸元へ隠すように寄せる姿を見て、野生動物の貯食行動を思い出す。
「これは、傑くんが私に作ってくれたやつだからダメ……あげない…」
「お姉さん…」
「こ、こっちのレンコンと卵焼きで…勘弁して下さい……」
スッ…とおかずの入った小さな容器が灰原の方に押し出される。
思わず灰原と目を合わせる。
何だかよく分からないが、酷いことをしてしまった気分になった。灰原が視線で「(こんなつもりじゃ…)」と語るのに対し、私も「(カツアゲみたいになってしまった…)」と視線で訴える。
自分より大きな男二人に囲まれ、勘弁して下さいと頭を下げながら、若干泣きそうな顔で弁当を差し出す女子生徒の姿を、遠巻きに食堂に居る他の人々が心配そうに見てくる。
違うんだ、これは別にそういうことでは無いんだ。
ただちょっとコミュニケーションが上手く噛み合わなかっただけで…。
頭の中で必死に言い訳を並べる。
「お姉さん!誰もおにぎり取りませんから、大丈夫ですから!」
「ほ、本当…?」
「はい、約束します。僕も七海もお姉さんの大事なおにぎり取りません」
「ええ、取りません」
というか要らない。全然要らない。
だが、我々の言葉に安心出来たのか、お姉さんはホッとした様子で肩の力を抜き、おにぎりを食べることを再開した。
夏油さんがお姉さんを大事に思うように、お姉さんもまた弟のことを大切に思っているのだろう。少し引きたくなるくらいに。
そもそもの話、何故灰原や家入さんが彼女を「お姉さん」と呼んでいるかと言うと、そこにもまた引きたくなる事情があった。
曰く、夏油さんの許し無くお姉さんを名前で呼ぶと制裁を受けるらしい。
私も噂でしか聞いていない事だが、お姉さんの名前を呼ぶとその晩腹を壊したり、悪夢を見たり、脛をぶつけたりするらしい。
地味な嫌がらせだが、積もり積もれば嫌なもの。
というわけで、術師の間ではお姉さんの名前を呼ぶことはタブーとなっているそうだ。名前を呼んではいけないあの姉…とも言われているらしい。
そんな名前を呼んではいけないあの姉こと、夏油さんのお姉さんは現在縮こまりながら私と灰原に挟まれて昼食を取っている訳であるが、もしかしてこれもまた制裁を受けるのでは無いのだろうか。
「あの」
未来に迫る、身の危険を感じ取り思わず話掛ける。
おにぎりをモグモグと食べながらこちらを見たお姉さんは、口の端に米粒を付けていた。
考えるより先に手が伸び、口の端を撫でるようにして米粒を取る。
いきなりの接触にキョトンと固まるお姉さんに、やってしまったと思った。
不味い、これは絶対バレたら悪夢どころじゃなくなる。
しかして、固まる私に対して先に動いたのはお姉さんの方だった。
指先についた米粒を見て、私を見て、また指先を見る。そして、
パクっ。
食った。
私の指先を。
正しく言うと、私の指先についた米粒を。
「は?」
何が起きたのかよく分からない、脳が処理しきれない。
その間にも相手は食べることに戻り、私の指を食べるのと同じ顔をしておにぎりを食べていた。
この人、何考えて生きてるんだ。
あまりの事態に混乱した頭は、そんな疑問に行き着いた。
未だ身体は動き出さず、停止を続ける。
「お姉さん、人の指は食べちゃ駄目です!」
「ェ、ゴ、ごめんなさぃ…」
「ご飯足りなかったんですか?僕、何か買って来ましょうか?」
「ダイジョブデス…」
謝るなら私に謝ってくれないだろうか。
何考えてるんだ本当、一体どういう教育を受けたら…………あ、もしや、夏油さん…あの人、そういう……。
いや駄目だ、これ以上考えるのはよそう。私は何も気付かなかった、そうしておこう。
横からクイクイっと袖を引かれ、衝撃的事実により遠くなっていた意識を戻す。
「七海くん、ごめんなさい…」
「次から気を付けて下さい」
まあ、反省しているのならばこれ以上言う必要は無い。
いつの間にか冷めてしまっていたパスタにフォークを伸ばす。
夏油さん、貴方少しやり過ぎでは。
灰原の横に希少動物……いや間違えた、夏油さんのお姉さんが座っている。
パスタとサラダの乗ったトレーを持って二人の姿を眺めていれば、こちらに気付いた灰原が大きく手を振った。
灰原の「七海ー!」という呼び声と振り上げた手にビクッと肩を震わした夏油さんのお姉さんは、ピルピルと震えながら青褪めた顔でこちらを振り返った。
その目にはアリアリと「たすけろ」と書かれていたのだった。
また…なんでこんなことに……。
溜息を堪えた代わりに眉間にシワが寄る。
一歩、また一歩と足を前に出して二人の元に近寄って行けば、私を見上げるお姉さんが「コン……コン…ニチ…ワ」と絞り出すような声で挨拶をしてきたので、それに「こんにちは」と返した。
「お姉さんすごい!自分から挨拶出来たじゃないですか!」
「ハ、ハヒ……」
「その調子です、次は会話してみましょう!」
「カイワ…レ…ダイコン……」
あからさまに困っているお姉さんと、張り切って世話を焼いている灰原に気が遠くなりかけた。
灰原は妹の居る兄だ、だからわりと面倒見が良い。コミュニケーション能力に恵まれており、後輩力も高く、誰にでも積極的に話し掛けることの出来る奴だ。
一方なって夏油さんのお姉さん(私は未だに下の名前を知らない)は、超が付く程の人見知りだ。
用があって呼び止めれば、いきなりキュウリを見た猫のようにギョッとされるし、夏油さんが居る場合はすぐに背中に隠れてモゴモゴ言っている。この呪術高専において彼女とまともに会話が出来るのは弟である夏油さんと、夏油さんの友達として色々関わりがあるらしい五条さんくらいだ。
言い切れるくらいには、彼女は本当に人と関わることをとにかく避けている節が見て取れた。
灰原は持ち前のコミュニケーションスキルを活かし、お姉さんに話し掛けながら世話を焼いている。
「美味しいですよ」と定食の唐揚げを一つ渡し、代わりに卵焼きを交換していた。お姉さんはされるがままだった。
正直巻き込まれたく無いのだが、しかし避けて通ることも出来ない。
諦めた私は、空いていた席に座る。
席順は、私、お姉さん、灰原の順となった。なんでこのプルプル震えて必死に身を小さくしている人を端の席にしてやらなかったんだ灰原。
「僕も明日はお弁当持って来ようかな、おにぎり食べたくなっちゃった」
「たまには良いんじゃないですか」
「お姉さんのおにぎり大きいですよね、自分で用意したんですか?」
「モゴゴ………」
思いっきり口に含んだ時に話し掛けられてしまったせいで、お姉さんは狼狽えた。どうして良いか分からずおにぎりを手に持ち固まってしまったため、「飲み込んでからでいいので」と口を挟む。
この人…よくこれで今日までやってこれたな…。夏油さんが居ないとまともに会話にならない。流石に少し心配になってくる、色んな意味で。
モグモグと咀嚼を繰り返し飲み込んだお姉さんは、言葉に悩みながらも口を開く。
「弟…ぇっと、傑くんが…………おにぎり、つくって……くれて…」
「えっ!これ夏油さんの手作りなんですか?いいな〜」
「ァ、エ………うん…」
「僕も食べてみたいな〜」
夏油さんを慕う灰原はなんの気無しにそう言った。
多分、彼からしてみればとくに深い意味も無く、会話の足掛かり的な意味合いの言葉だったのだろうが、どうやら相手にしてみれば違ったらしい。
お姉さんは吃りながらも、小さな声で「だ、だめ………」と言った。
俯きながら、おにぎりを自分の胸元へ隠すように寄せる姿を見て、野生動物の貯食行動を思い出す。
「これは、傑くんが私に作ってくれたやつだからダメ……あげない…」
「お姉さん…」
「こ、こっちのレンコンと卵焼きで…勘弁して下さい……」
スッ…とおかずの入った小さな容器が灰原の方に押し出される。
思わず灰原と目を合わせる。
何だかよく分からないが、酷いことをしてしまった気分になった。灰原が視線で「(こんなつもりじゃ…)」と語るのに対し、私も「(カツアゲみたいになってしまった…)」と視線で訴える。
自分より大きな男二人に囲まれ、勘弁して下さいと頭を下げながら、若干泣きそうな顔で弁当を差し出す女子生徒の姿を、遠巻きに食堂に居る他の人々が心配そうに見てくる。
違うんだ、これは別にそういうことでは無いんだ。
ただちょっとコミュニケーションが上手く噛み合わなかっただけで…。
頭の中で必死に言い訳を並べる。
「お姉さん!誰もおにぎり取りませんから、大丈夫ですから!」
「ほ、本当…?」
「はい、約束します。僕も七海もお姉さんの大事なおにぎり取りません」
「ええ、取りません」
というか要らない。全然要らない。
だが、我々の言葉に安心出来たのか、お姉さんはホッとした様子で肩の力を抜き、おにぎりを食べることを再開した。
夏油さんがお姉さんを大事に思うように、お姉さんもまた弟のことを大切に思っているのだろう。少し引きたくなるくらいに。
そもそもの話、何故灰原や家入さんが彼女を「お姉さん」と呼んでいるかと言うと、そこにもまた引きたくなる事情があった。
曰く、夏油さんの許し無くお姉さんを名前で呼ぶと制裁を受けるらしい。
私も噂でしか聞いていない事だが、お姉さんの名前を呼ぶとその晩腹を壊したり、悪夢を見たり、脛をぶつけたりするらしい。
地味な嫌がらせだが、積もり積もれば嫌なもの。
というわけで、術師の間ではお姉さんの名前を呼ぶことはタブーとなっているそうだ。名前を呼んではいけないあの姉…とも言われているらしい。
そんな名前を呼んではいけないあの姉こと、夏油さんのお姉さんは現在縮こまりながら私と灰原に挟まれて昼食を取っている訳であるが、もしかしてこれもまた制裁を受けるのでは無いのだろうか。
「あの」
未来に迫る、身の危険を感じ取り思わず話掛ける。
おにぎりをモグモグと食べながらこちらを見たお姉さんは、口の端に米粒を付けていた。
考えるより先に手が伸び、口の端を撫でるようにして米粒を取る。
いきなりの接触にキョトンと固まるお姉さんに、やってしまったと思った。
不味い、これは絶対バレたら悪夢どころじゃなくなる。
しかして、固まる私に対して先に動いたのはお姉さんの方だった。
指先についた米粒を見て、私を見て、また指先を見る。そして、
パクっ。
食った。
私の指先を。
正しく言うと、私の指先についた米粒を。
「は?」
何が起きたのかよく分からない、脳が処理しきれない。
その間にも相手は食べることに戻り、私の指を食べるのと同じ顔をしておにぎりを食べていた。
この人、何考えて生きてるんだ。
あまりの事態に混乱した頭は、そんな疑問に行き着いた。
未だ身体は動き出さず、停止を続ける。
「お姉さん、人の指は食べちゃ駄目です!」
「ェ、ゴ、ごめんなさぃ…」
「ご飯足りなかったんですか?僕、何か買って来ましょうか?」
「ダイジョブデス…」
謝るなら私に謝ってくれないだろうか。
何考えてるんだ本当、一体どういう教育を受けたら…………あ、もしや、夏油さん…あの人、そういう……。
いや駄目だ、これ以上考えるのはよそう。私は何も気付かなかった、そうしておこう。
横からクイクイっと袖を引かれ、衝撃的事実により遠くなっていた意識を戻す。
「七海くん、ごめんなさい…」
「次から気を付けて下さい」
まあ、反省しているのならばこれ以上言う必要は無い。
いつの間にか冷めてしまっていたパスタにフォークを伸ばす。
夏油さん、貴方少しやり過ぎでは。