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弟によって神格化されそうになっているのだが…

まだ自我も未成熟な幼少期、私は姉さんのことを何とも思っていなかった。

もうかなり薄っすらとした記憶だが、家族として確かに認識はしていたけれど、特別仲が良いわけでは無かった気がする。
数えで言えば2個上の姉は、母に言われて私の相手を渋々することもあったが、眼中に無い私のことに自分から関わってくるようなことは、殆ど無かった。

そもそも、姉さんが呪霊を見える側の人間だと知らなかったのだ。
だから心を開けなかった。

だが、曖昧な記憶を掘り返してみると、姉さんは何だかんだで結構私を気にしていてくれた気がする。
保育所で遊具の影から、ケタケタと歪な笑い声をあげながら手招く呪いに怖がって動けないでいる私に、周りの子供が「よわむしー!」「おままごとしてろよ」と言って来たことがあった。
まだそういう体質であることを隠す術を知らなかった私が、必死にそっちには行けない、駄目なんだと涙混じりに言っていれば、いきなり後ろから姉の声がしたのだ。

「すぐうくん」
「………おねえ、ちゃん」
「どんぐりひろった、あげる」
「え、あ、うん…」

唐突に渡されたドングリを受け取れば、姉は一つ頷いて何処かへ行ってしまう。
何だったのだとその時は思っていたが、あれはあの人なりの目眩ましだったらしい。
再度遊具に視線を向ければ、奇妙な笑い声も手招く異形の手も消えていた。
今になって分かることだが、あの時から既に姉さんは術式が使えていたらしい。


そうしてあの月がいっとう綺麗に輝いていた夜、私は姉さんと初めて向き合った。


丸く、白く、淡く、神秘的な月明かりの下に昂然とした態度で堂々と立ち、夜の風に髪をゆるく靡かせながらこちらを見下ろす姉さんの視界に私が映る。
同じ血の通う人間とは思えぬ程に美しく、威厳と澆薄(ぎょうはく)さを携えたその人は、瞳に月を飼い慣らし、安寧に満ちた手をそっと差し伸べてくれたのだった。

あの日から私はあの人にとって、唯一この星に居る意味になったのだ。
ずっとずっと、遠い空に浮かぶ月に焦がれ、いつか帰りたいと願うあの人を引き留められる者になれた。
親も、親戚も、姉の友人を名乗る者達も、誰も真の意味であの人の目には映っていない。

だが、私は違う。

私だけは、姉さんを引き留め、居場所と存在意義を与えてやれる。
私が弟である限り、あの人は月の欠片ではなく、私の姉だ。
私が信じ、敬い、崇拝する限り、あの人は私の神だ。

独占、束縛、醜い嫉妬心。
恋し、愛するあの人をあの手この手で囲い込み、何処にも行けなくしてきた。
貴女は私に管理されている時が一番幸福なのだと訴え続けて来た。
そのかいあって、姉さんは私を誰よりも何よりも信じてくれている。あの人なりにだが、愛してくれている。

いや、くれていた。

私達の間に他の人間が挟まる余地なんて無かったはずなのに、その平穏が崩れ掛けて来たことに私が気づいたその時には既に、姉さんは私のためだけの物ではなくなっていたのだった。




___




最近また姉さんの元気が無い。
青菜に塩を振り掛けたみたいにシオシオヘニョヘニョしている。
朝は登校を渋る時もあるし、重たい溜め息が絶えず口から吐き出され、挙句の果てには食事量が減った。
食事量が減るのは困る、だって痩せてしまったら姉さんが減ってしまう。むしろ増えてくれていいのに…なんなら倍くらいになってくれ。私はどんな姉さんだって愛せるんだから、是非もっと食べて肥えて欲しい。

「ほら、姉さん食べて」
「んー………」

ぷいッ。

私がスプーンに掬って差し出したプリンを、顔を背けて拒否する。
クソ、ちょっと可愛いと思ってしまったじゃないか、なんだその子供みたいな仕草は……もしかして、姉さんは私の子だった?
ならば、余計にママとして私がしっかり責任を持って食べさせなければ。食育は親の務めだからね。
「ほら、姉さんアーン、上手にアーン出来るかな〜?」と、調子に乗って笑顔でそんなことを言えば、振り向いた姉さんの顔にはありありと「なんだコイツ…」と書かれていた。冷え切った視線が私の心に突き刺さる。

その顔はやめてくれ、一気に己のしたことが恥ずかしくなるだろう。
姉さんの冷ややかな視線は本当に寒さを覚える。
背筋がブルッとし、月ではなく冬の神だったかもしれないと錯覚する程に極寒を味わう羽目になった。

「ハァ……作業に行きたくない…フナムシや流木を探しに行きたい……」
「姉さん…」
「もう嫌だ…地球むり……」

これは相当だ、可哀想に…。

今の姉さんは実質内勤状態だ。
そうなったのは他でもない自分自身の行いのせいであり、内勤が決まった時私は大袈裟なくらい喜んだのだったが、今となってはあまりに酷だと思ってしまう。
毎日朝から夕方まで研究室で缶詰作業。4月から、かれこれ数ヶ月そんな日々を過ごしている。
流石にそろそろ限界らしく、ここ最近はずっとこんな感じだ。

「地球むり」を聞くのは今日が初めてだが、このまま本当に地球が嫌になって私を捨てて地球の外へ行ってしまったらどうしたら良いのか。
地球上であれば、何処へ行こうとも探し出して取っ捕まえる自信はあるが、流石に宇宙はどうにもならない。
今より文明が発達すれば行ける手段も出て来るかもしれないが、今はどうにもならない。
本当に困る、そうなったらいよいよ月を撃ち落とさなければならなくなってしまう。まあ、最悪するけれど。全然するけれど。
何なら今すぐあの憎い恋敵を粉々にして来てしまえば、姉さんは帰りたい場所を失うわけだから、そうすればもう姉さんは何処へも……

「よし、今日はサボろう」
「あ、ちょっと!」

どうやって月を撃ち落とすか考えを巡らせている内に、姉さんが部屋の窓から出て行ってしまった。
やられた、先生からも姉さんを朝、教室に連れて来るように言われているのに。

慌てて窓を開け、右に左に視線を配るも既に姿は見えなかった。
ああ…どうしよう……また姉さんの内申点が下がる…。本人は進学するつもりが無いらしいからいいのかもしれないが、だが業務は業務で…いやでも、ストレス不可で謎に発光し出してもあれだしな……。

とりあえず、先生に伝えてから任務に行くまでの時間に探しに行くなり何なりするか。

姉さんが一口も食べなかった朝食のプリンを飲むように食べ、食器を洗って窓の鍵と部屋の鍵を閉めて出る。
そういえば、結局姉さんは私から合鍵を取らなかったな。先生に言われていたらしいが、大丈夫だったのだろうか。あとでそれも聞いておきたい。


学生寮から出て、教室へと向かう道すがら悟と出会う。
挨拶を交わすと彼はチラッと私の背後に目をやり、「脱走された?」と聞いてきた。
大分姉さんについて理解して来たらしい親友に「一瞬目を離した隙きにね」と返す。
もう、そろそろGPSでも仕込もうかな…姉さんは連絡をマメにしてくれるタイプじゃない、だから本当に普段何してるか分からなくて時々不安になる。
今も何処で何をしているやら。でもGPSを付けても脱走されてしまえば意味は無いわけだし、だったら…………監禁、拘束、鎖で繋いで……

「なあ、あれ姉ちゃんじゃね?」
「え、あ!本当だ!?」
「何してんのあれ」
「分からない…とりあえず捕まえて来るから先に行っててくれ、ついでに荷物を頼む」

悟の視線の先に居た姉さんは、ちんまりと丸まるようにして地面にしゃがみこんでいた。
荷物を悟に渡し、ゆっくり、静かに足音を立てずに近付いていく。
どうやらこちらには気付いていないようで、姉さんはじっ……と動かず地面を眺めていた。
何をしているのだろうか、また干からびたミミズでも見ているのか、それとも珍しい草でも生えていたか。

背後に立ち、腰を屈めながら「姉さん?何してるんだい?」と尋ねる。
すると、ビクッと大袈裟なくらい肩を跳ねさせながら振り返り私を見上げた。

「あ、傑くん……」
「それは…セミ?」
「うん、落ちてたから…」

仰向けで足を開いて転がっているセミを眺めながら、死んでいるのかと思い顔を近づけた瞬間だった。

ジジッ。

羽音が鳴り出したと思えば、死にかけのセミがこちら目掛けて突っ込んでくる。
思わず「うぉッ」と情け無い声をあげ、身体を仰け反らせる。
そのまま季節外れのセミは、最後の力を振り絞って何処かへ飛んで行ってしまった。

いきなりのセミによる突撃に驚いた心臓を落ち着かせるため、深く息を吸って吐く。
セミが飛んで行った方向を眺めながら、姉さんは「クマゼミだったね」と言った。

「さっき向こうの木の方でさ、クマゼミとアブラゼミが交尾してたよ」
「交尾……」
「同じセミでも先祖が遠いから、子供は出来ないんだけどね」
「子供……」

な、なんだか朝から結構濃いワードを聞いている気がする…交尾…子供……交尾…子供…。姉さんの口から聞くには少しだけ衝撃が強すぎる言葉だ。

頭から離れない言葉を振り払うため、私は姉さんに話し掛ける。

「少し驚いた、あれは死んだフリをしているだけだったんだね」
「死んだフリではないよ」
「…そうなのかい?」

飛び立ったセミの行方を探すように何処かを眺めていた姉さんだったが、それをやめて私の方をチラリと見てから歩き出す。

「あれは起き上がる力も無いほど、死期が近かっただけさ」
「………そっか」

淡々と事実を語っているが、姉さんの目には一体あの死にかけのセミがどう写っていたのだろう。
憐れんでいたのか、救ってやりたかったのか。私にはその心が分からなかった、何故なら姉さんは私が思い考えるよりずっと、はるかに、難解なお人だからだ。

今この瞬間だって何を考えているわ分からない………いや、分かる。

「姉さん、そっちは教室じゃないよ」
「ぇ………」

しんみりとした気分に浸っている私を置いて方向転換しようとした姉さんの両肩を後ろから掴む。
今、思いっきり何処かへ行こうとしたな。絶対「よし、今がチャンスだ」と思ったんだろうな、残念だが同じ過ちは繰り返さない。何故なら私は姉さん自慢の可愛くて強くて優秀な弟だからね。

「さあ、教室に行こうか」
「アェ…」
「また休みの日に何処かへ行こうね」
「そんな…」

散歩から帰りたく無い犬のように足を止めて踏ん張りだした姉さんをよいしょと抱き上げ、強制連行する。
私の首元に顔を埋めながら唸り声をあげる姉さんは本当に犬になったみたいだった。
宥めるように背中を擦れば、ゴンッと肩に頭突きをされる。全く痛くない、むしろ姉さんの方が痛いんじゃないか。

「痛い…硬すぎる……」
「鍛えているからね」
「柔らかいほうが好き…」
「え"」

やわ、え?今、なんて?柔らかい方が好きだって?
待ってくれ、私今硬いって言われたよね?で、姉さんは柔らかい方が好きって……じゃあつまり、私は姉さんのタイプじゃないってこと?

どうしよう、しかし筋肉量を落としたら戦いに不利だし、そもそも男ってのは硬いもので……これはもう、この世から「柔らかい」という概念を消すしか無いんじゃないだろうか。

「柔らかい物を…根絶やしに……」

極端な方へと思考を傾ければ、姉さんに「こら、やめなさい」と鼻を摘まれながら言われる。はいと返事をしたつもりが、出て来たのは「ふぁい」というマヌケな返事だった。
鼻を摘むのは格好付かないからやめてくれと言いたいが、触れられるのは素直に嬉しいので何とも言えない。

鼻を摘んでいた指先が離れ、頬をムイムイと引っ張る。
引っ張られ歪になった私の顔を見た姉さんが初夏の空よりも爽やかに笑った。

「ハハッ、可愛い顔」

至近距離で浮かべられたその晴天の如き笑みに目を奪われ、何も言えず頭の中が一気に真っ白になる。
そのせいで、腕からはいつの間にか力が抜けてしまっていた。

ドサッ。

「ミ"ッ」

姉さんが腕の中から地面に落下して尻もちをつく。
それにすら対応出来ず、腹の底から昇って来た熱によってブワリッと顔から火が吹いた。暑い、熱い、どうしよう、胸が痛い。キュンキュンなんて表現じゃ生温い、ギュインギュインいっている、壊れても可笑しく無い勢いでドクドク脈打っているのが分かった。

セミのように地面に背中をつけて驚いたままひっくり返る姉さん。
天を仰ぎ先程の笑顔を脳内で反復し、喜びを噛み締める私。
遠くで鳴るチャイムの音。

梅雨明け、夏の始まり。
私は今日も、姉さんを健やかに愛している。
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