夏油傑による姉神信仰について.2
肉の焼ける匂いと炎の揺らぎ、手にしたトングで取ったタレの滴る肉を網の上に乗せれば、ジュウジュウと煙を上げながら香ばしい匂いを漂わせ、唾液を過剰に分泌させる。
甚爾さんと落ち合った先で適当に入った焼肉屋は、狭くてテーブルの間に仕切りも無く、照明は薄暗く、何だかディープな雰囲気のお店だった。
メニューはクリアファイルに入った物で、価格設定はまあ普通、野菜がやや高いくらい。
酒類が充実しているわけでも無く、店員の愛想が良いわけでも無いが、時間帯が時間帯だからか客が大量に居るわけでもないのが何となく落ち着いた。
「とりあえずカルビタレ10人前」
「そんなに食べれるの?」
「余裕だろ」
「私、オレンジジュース飲みたい」
「はいよ」
こういう時は大体甚爾さんが注文してくれる。
私はその間黙ってメニューを見ている。
他人と話すのはどんな内容であれ疲れるし面倒臭いし億劫だ。
「で、今日は何で脱走したんだ?」
私が眺めていたメニューを勝手に取っていった甚爾さんが質問する。
「生き辛くて嫌になったから…」
「弟は?」
「任務」
「じゃあ仕方ねえな」
仕方無い、か…そうか、仕方の無いことなのか。
弟が居たらきっと何とかなっていただろう、我慢も出来たし助けてと言うことも出来た。でも居ないから仕方無い、私はあの場では誰にも頼れなかったのだ。
「まあ、深く考えんな」
「うん…」
「そのお陰で俺は飯食えてんだし」
「そっか、ならいいか」
友達の役に立てているのならいいや、お肉も美味しそうだし。
暫くして届いた肉をセカセカとトングで網の上に並べていく。
本当に肉しか頼まなかったがこれで良いのか、栄誉バランス大丈夫か。
もう一度メニューを眺める。
肉、高い野菜、白米、飲み物、冷麺、クッパ、キムチ盛り合わせ、海苔………あ、アイスがある。
「アイス食べたい」
「ここで食べなくてもいいだろ」
「じゃあ後でアイス買いに行って…」
「分かったから肉焼け」
自分で焼けばいいじゃん…とも言えず、渋火が通り色の変わった肉をひっくり返しては端に寄せ、新しい肉を焼く。
甚爾さんは大分私の扱いに慣れて来たらしく、私に肉を焼かせながら自分は優雅に次々肉を食いながらも、合間合間に私の皿にも肉を乗せてくれていた。
この人、女の子の扱いが上手い。
多分、こういう所にこの人にメロメロな女の人達は優しさを見出すのだろうけど、私は普段もっと優しく甲斐甲斐しくされているのでこれくらいじゃ何とも思わん。
じゃあ何で黙って肉を焼いているかと言えば、楽しいからだ。
普段やらない事をするのは楽しい。
そして、私が楽しんでいるのを知っているから甚爾さんは手を出さない。
とりあえず一皿焼き終えた私は、携帯を取り出しカメラ機能で写真を撮った。
テロリンと軽快な音が薄暗い照明の下で、肉の焼ける音に掻き消されながらも鳴る。
「写真なんて撮ってどうすんだ」
「寝る前に見て、美味しかったことを思い出して…幸せな気持ちで寝る」
「…いいなそれ」
「甚爾さんも携帯持てば?」
「考えとく」
携帯を仕舞い、箸を持って肉を口に運ぶ。
若干冷めているがまあ美味い、タレの染み込んだ脂の乗った味わい深い肉だ。
一枚、また一枚と口に入れて噛み締める。
美味い、美味いが…しかし、重い。
濃い味付けと脂っこい感じがすぐに胸や胃に来そうだ。
これは多分、すぐに私はギブアップしてしまうだろう。
食べながらも肉を焼く。
上がる煙と炎の赤み、徐々に焦げていく網を眺める。
ふと、毎日こうしていたいなと思った。
毎日自由に、何に縛られるでもなく、窮屈な気持ちにならずに生きられたならどんなに良いか。
気付いた時には口から、「甚爾さんが羨ましい」という言葉が出ていた。
彼は焼けた肉を箸で取りながら、平べったい瞳をして「は?」と言った。
「自由になりたい」
「お前、人間として生きるの下手くそだもんな」
「毎日苦しい、どうしてだろ」
「向いてないだけだろ、今の生活が」
今の、生活。
今日あったこと、昨日あったこと、一昨日あったことを思い出そうとして、全然思い出せないことを理解する。
その瞬間は確かに頑張っていたのに、誰かに会って何かを話していたのに、朧気な輪郭を撫でるような、曖昧な記憶しか思い出すことが出来なかった。
一週間前、何をしていたっけ。
記憶にある出来事は全て、傑くんのことや気に入った風景をスケッチしたことなど。
咄嗟にスケッチブックを取り出して過去を振り返る。
高専の小道にエンドウの花が咲いていた、夕食に食べたアサリの酒蒸しの貝殻の中で可愛い模様の貝殻があった、ネコジャラシに止まるテントウムシ、水溜りに浮かぶ鉄バクテリアの皮膜、明け方に見た月、甚爾さんと行ったファミレスのドリンクバー、傑くんがくれたお土産のハンカチ。
好きなもの、気に入ったもの、大切な人のことは思い出せるのに、他の全てがハッキリとしない。
あれ、私…今日までどうやって生きて来たんだろう。
突然足元に穴が空いたような気持ちになった。
真っ暗な底には何も見えず、何も聞こえず、ただじっとそこに闇があるだけだった。
大切なものは大切だと、確かに思えるのに、それ以外の全てを上手く、正しく、捉えられない。
所謂、感想というものが湧かない。
……ど、どうしよう……私、もしかして記憶力が低い…?
思い返せば確かに、暗記問題が苦手な気が…いやでも蝶々の名前もカマキリの名前も長くても全然覚えられるし、食べられる草の見た目も覚えてて…な、なんでだ…。
そういえば人の顔もまともに思い出せない、両親ってどんな顔してたっけ?新入生の灰原くんってどんな声だったっけ…?
ヤバい、私…めちゃくちゃアホかもしれん。
あ、そうか分かったぞ。
アホだから呪術師の生活に適応出来ないんだ、なるほど、これだ。
「私、呪術師向いてないかもしれない」
「やめちまえば?」
「誰かに養われながら自由に生きたい」
「ヒモじゃねぇか」
ヒモにヒモって言われた、終わりだ。
無理大根、ブリ大根。
トングで肉を弄りながら、行き着いた答えに「あぁ〜〜〜」と意味のない母音を垂れ流す。
「ままならん、お助け…」
「俺と来るか?」
「逆に甚爾さんがこっち来て…」
息苦しい生活がこの先も続いたとして、そこに友達が側に居るという安心感があれば何とかやって行ける気がした。
こんなもの、根拠の無い自信に過ぎない。
けれど、今はその根拠無き自信にも縋りたい気分なのであった。
全部投げ捨てるのは月に帰る時だけだと決めている。
傑くんを置いて、お気に入りの物を抱えて、あの何も無い、暗くて寒いだけの夜に帰る日を私は夢見ている。
あそこにならば居場所がある気がしているが、これだって謂わば根拠の無い自信だ。
私は不確定で未知数で、机上の空論にしがみついて夢を見て、それで何とかこの星で生きている。
惨めで愚かでままならない、星から捨てられたゴミクズだ。
「私はゴミだ…」
「俺とお揃いだな、良かったじゃねぇか」
「同族として月に帰る時は甚爾さんを拐ってやる…道連れじゃ…」
「楽しみにしといてやるよ」
珍しく、喉をクツクツと鳴らしながら甚爾さんは可笑しそうに笑った。
絶対覚えておいてよ、忘れるなよ。そんな意味を込めてジットリとした視線を送りながら肉を裏返した。芳ばしいしょっぱい香りが鼻の奥まで届いて、抗い難い魅力を感じた。
脂が滴り炎に落ちていくのを見ながら思う。
可愛い弟、だいすきな傑くん。
彼にはこの星で生きる価値がある。だから連れては行けない。
けれど友達は別だ、君は既に私のコレクションの一つだ。
この世の何処にも居場所が無いならば、二人で一緒に月にでも行ってしまおうじゃないか。
そうして楽しく地球を見ながら並んでアイスを食べましょうね。
甚爾さんと落ち合った先で適当に入った焼肉屋は、狭くてテーブルの間に仕切りも無く、照明は薄暗く、何だかディープな雰囲気のお店だった。
メニューはクリアファイルに入った物で、価格設定はまあ普通、野菜がやや高いくらい。
酒類が充実しているわけでも無く、店員の愛想が良いわけでも無いが、時間帯が時間帯だからか客が大量に居るわけでもないのが何となく落ち着いた。
「とりあえずカルビタレ10人前」
「そんなに食べれるの?」
「余裕だろ」
「私、オレンジジュース飲みたい」
「はいよ」
こういう時は大体甚爾さんが注文してくれる。
私はその間黙ってメニューを見ている。
他人と話すのはどんな内容であれ疲れるし面倒臭いし億劫だ。
「で、今日は何で脱走したんだ?」
私が眺めていたメニューを勝手に取っていった甚爾さんが質問する。
「生き辛くて嫌になったから…」
「弟は?」
「任務」
「じゃあ仕方ねえな」
仕方無い、か…そうか、仕方の無いことなのか。
弟が居たらきっと何とかなっていただろう、我慢も出来たし助けてと言うことも出来た。でも居ないから仕方無い、私はあの場では誰にも頼れなかったのだ。
「まあ、深く考えんな」
「うん…」
「そのお陰で俺は飯食えてんだし」
「そっか、ならいいか」
友達の役に立てているのならいいや、お肉も美味しそうだし。
暫くして届いた肉をセカセカとトングで網の上に並べていく。
本当に肉しか頼まなかったがこれで良いのか、栄誉バランス大丈夫か。
もう一度メニューを眺める。
肉、高い野菜、白米、飲み物、冷麺、クッパ、キムチ盛り合わせ、海苔………あ、アイスがある。
「アイス食べたい」
「ここで食べなくてもいいだろ」
「じゃあ後でアイス買いに行って…」
「分かったから肉焼け」
自分で焼けばいいじゃん…とも言えず、渋火が通り色の変わった肉をひっくり返しては端に寄せ、新しい肉を焼く。
甚爾さんは大分私の扱いに慣れて来たらしく、私に肉を焼かせながら自分は優雅に次々肉を食いながらも、合間合間に私の皿にも肉を乗せてくれていた。
この人、女の子の扱いが上手い。
多分、こういう所にこの人にメロメロな女の人達は優しさを見出すのだろうけど、私は普段もっと優しく甲斐甲斐しくされているのでこれくらいじゃ何とも思わん。
じゃあ何で黙って肉を焼いているかと言えば、楽しいからだ。
普段やらない事をするのは楽しい。
そして、私が楽しんでいるのを知っているから甚爾さんは手を出さない。
とりあえず一皿焼き終えた私は、携帯を取り出しカメラ機能で写真を撮った。
テロリンと軽快な音が薄暗い照明の下で、肉の焼ける音に掻き消されながらも鳴る。
「写真なんて撮ってどうすんだ」
「寝る前に見て、美味しかったことを思い出して…幸せな気持ちで寝る」
「…いいなそれ」
「甚爾さんも携帯持てば?」
「考えとく」
携帯を仕舞い、箸を持って肉を口に運ぶ。
若干冷めているがまあ美味い、タレの染み込んだ脂の乗った味わい深い肉だ。
一枚、また一枚と口に入れて噛み締める。
美味い、美味いが…しかし、重い。
濃い味付けと脂っこい感じがすぐに胸や胃に来そうだ。
これは多分、すぐに私はギブアップしてしまうだろう。
食べながらも肉を焼く。
上がる煙と炎の赤み、徐々に焦げていく網を眺める。
ふと、毎日こうしていたいなと思った。
毎日自由に、何に縛られるでもなく、窮屈な気持ちにならずに生きられたならどんなに良いか。
気付いた時には口から、「甚爾さんが羨ましい」という言葉が出ていた。
彼は焼けた肉を箸で取りながら、平べったい瞳をして「は?」と言った。
「自由になりたい」
「お前、人間として生きるの下手くそだもんな」
「毎日苦しい、どうしてだろ」
「向いてないだけだろ、今の生活が」
今の、生活。
今日あったこと、昨日あったこと、一昨日あったことを思い出そうとして、全然思い出せないことを理解する。
その瞬間は確かに頑張っていたのに、誰かに会って何かを話していたのに、朧気な輪郭を撫でるような、曖昧な記憶しか思い出すことが出来なかった。
一週間前、何をしていたっけ。
記憶にある出来事は全て、傑くんのことや気に入った風景をスケッチしたことなど。
咄嗟にスケッチブックを取り出して過去を振り返る。
高専の小道にエンドウの花が咲いていた、夕食に食べたアサリの酒蒸しの貝殻の中で可愛い模様の貝殻があった、ネコジャラシに止まるテントウムシ、水溜りに浮かぶ鉄バクテリアの皮膜、明け方に見た月、甚爾さんと行ったファミレスのドリンクバー、傑くんがくれたお土産のハンカチ。
好きなもの、気に入ったもの、大切な人のことは思い出せるのに、他の全てがハッキリとしない。
あれ、私…今日までどうやって生きて来たんだろう。
突然足元に穴が空いたような気持ちになった。
真っ暗な底には何も見えず、何も聞こえず、ただじっとそこに闇があるだけだった。
大切なものは大切だと、確かに思えるのに、それ以外の全てを上手く、正しく、捉えられない。
所謂、感想というものが湧かない。
……ど、どうしよう……私、もしかして記憶力が低い…?
思い返せば確かに、暗記問題が苦手な気が…いやでも蝶々の名前もカマキリの名前も長くても全然覚えられるし、食べられる草の見た目も覚えてて…な、なんでだ…。
そういえば人の顔もまともに思い出せない、両親ってどんな顔してたっけ?新入生の灰原くんってどんな声だったっけ…?
ヤバい、私…めちゃくちゃアホかもしれん。
あ、そうか分かったぞ。
アホだから呪術師の生活に適応出来ないんだ、なるほど、これだ。
「私、呪術師向いてないかもしれない」
「やめちまえば?」
「誰かに養われながら自由に生きたい」
「ヒモじゃねぇか」
ヒモにヒモって言われた、終わりだ。
無理大根、ブリ大根。
トングで肉を弄りながら、行き着いた答えに「あぁ〜〜〜」と意味のない母音を垂れ流す。
「ままならん、お助け…」
「俺と来るか?」
「逆に甚爾さんがこっち来て…」
息苦しい生活がこの先も続いたとして、そこに友達が側に居るという安心感があれば何とかやって行ける気がした。
こんなもの、根拠の無い自信に過ぎない。
けれど、今はその根拠無き自信にも縋りたい気分なのであった。
全部投げ捨てるのは月に帰る時だけだと決めている。
傑くんを置いて、お気に入りの物を抱えて、あの何も無い、暗くて寒いだけの夜に帰る日を私は夢見ている。
あそこにならば居場所がある気がしているが、これだって謂わば根拠の無い自信だ。
私は不確定で未知数で、机上の空論にしがみついて夢を見て、それで何とかこの星で生きている。
惨めで愚かでままならない、星から捨てられたゴミクズだ。
「私はゴミだ…」
「俺とお揃いだな、良かったじゃねぇか」
「同族として月に帰る時は甚爾さんを拐ってやる…道連れじゃ…」
「楽しみにしといてやるよ」
珍しく、喉をクツクツと鳴らしながら甚爾さんは可笑しそうに笑った。
絶対覚えておいてよ、忘れるなよ。そんな意味を込めてジットリとした視線を送りながら肉を裏返した。芳ばしいしょっぱい香りが鼻の奥まで届いて、抗い難い魅力を感じた。
脂が滴り炎に落ちていくのを見ながら思う。
可愛い弟、だいすきな傑くん。
彼にはこの星で生きる価値がある。だから連れては行けない。
けれど友達は別だ、君は既に私のコレクションの一つだ。
この世の何処にも居場所が無いならば、二人で一緒に月にでも行ってしまおうじゃないか。
そうして楽しく地球を見ながら並んでアイスを食べましょうね。