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夏油傑による姉神信仰について.2

目の前の状況に対し、込み上げてくる怒りや悲しみや嫉妬や愛しさを飲み込んで、かわりに溜息を深く、深く、吐き出した。

「ハァ〜〜〜〜…最悪だ……」
「俺はマジで何も悪くないから」
「でも部屋に入れただろ」
「だって凍えてたし」

だったらせめて硝子の部屋に…とは言えなかった。
きっと姉さんも悩んだ末に悟を尋ねたんだろう、分かっている、分かってはいるが腹立たしい。

見下ろした先に居る姉は、ラグの上で丸まって寝ている。
おそらく悟の物だろう布団を掛けられて、スヤスヤと幸せそうに眠る姿はまるで妖精のように愛らしかったが、その微笑ましさに勝る嫉妬と苛立ちが心の中を蝕んでいく。

私以外の人間に無防備な寝顔を晒すなんて許せない、あってはならなかった事だ。
それも、よりによって悟に見せてしまったなんて…。

「そもそも鍵渡してやらなかったの傑じゃん」
「だからこそだろ」
「は、何が?」
「だから、自室の鍵が無いから、私の部屋の合鍵をさ…」

私は前々から、姉さんには自室の合鍵を渡しておいてあった。
それは姉さんの方も同じで、姉さんの合鍵も私が持っている。
だが、毎回合鍵を使うのは私ばかりであった。それが何となく面白くなくて、今回わざと鍵を返さずにいた。

自室の鍵が無い姉さんの元にある鍵は、私の部屋の鍵だけ。
つまり、私の部屋に入ってそこで私の帰りを待つしかない。
帰りを待つ姉さんはそのうちいつも通りの時間に眠くなり、私のベッドで寝る。

自室に帰った私が見る光景は一つ、私のベッドで眠る姉さんの姿……これが見たくて任務を頑張って早く終わらせたというのに…。

だというのにこの始末。

姉さんを凍えながら悩ませた挙げ句、他の男の部屋に上がらせて、私以外の男の布団で温まらせてしまった。

一周まわって自分が情けなくなってきた。
己が神を困らせ、寒さに肩を震わせ、きっと他人の部屋に居ることで緊張もしたことだろう…ストレスまで与えてしまうとは、不甲斐無い。考えが足りなかった、見通しが甘かった。作戦に不足があり過ぎた。

眠る姉の元に跪く。
瞼を閉じて小さく息をする姿を前に、込み上げてくる自分に対する反省心に項垂れた。

「姉さん、私が悪かった…許してくれ…」
「情緒めちゃくちゃかよ」
「どうしよう、起きて姉さんが怒っていたら、生きていけない…」
「傑、疲れてる?」

疲れて帰って来て、こんなことになっていたら涙くらい出てくるだろう。
でも泣かない、私は姉さんの強くて可愛くて頼りになる傑くんだから。

そうだ、いつまでも姉さんを他の男の部屋の空気に浸らせておいてはいけない、穢れてしまう。
崇高にして偉大なる姉を、煩悩まみれの爛れた男子高校生の側なんかに置いておけるか、これは責任を持って私がなんとかしなければ。

決心が付き、姉さんのリュックサックを肩に掛けてから、布団を剥がして細い身体を抱き上げる。
ふんわりと温かく軽やかな身体から微かに香る親友の匂いに、額にビキリッと血管が浮かんだ。
落ち着け、落ち着け…姉さんは私の物、これはただの事故、私の管理不足……。

そして部屋を出る前に、一つ悟に忠告をしておく。

「姉さんの絵を雑に扱うなよ」
「額縁に入れて飾ってやるよ」
「いつでも買い取るから」
「家宝にするから心配すんな」

それはそれで何か嫌だ、家宝にするな、姉さんを宝物扱いしていいのは私だけだ。

一応礼を言ってから自室に行く。
中に入れば、冷たく暗い室内が待っていた。
電気をつけ、ベッドの上に姉さんを降ろす。

私のベッドに姉さんが居る…この光景が見たかった。
見たかっただけなのに。

「ハァ……」

布団を掛けてあげれば、モゾモゾと動きちょうど良い位置を探している姉さんの髪を撫でる。
ああ、そうか…自室に入れなかったから風呂にも入れていないのか。本当に考えが足りなかった、もっと分かりやすく誘導すれば良かった。

今度から、私の部屋には姉さんの着替えが一通りあって、食べ物や飲み物も完備していることを伝えておかなければ。

同じ黒、しかし姉さんの方がいっとう美しく艶めく髪へと指を通して遊ぶ。

この髪も、肌も、唇も、瞳も。
鍵盤の上で踊る指先も、重力なんて知らない足取りで跳ねるつま先も、私の名を呼ぶ澄んだ声も。
全て、全てが私のためにあるのだと思えば、先程まで燻っていた噴火寸前の怒りは萎えていった。

ああ、やっぱりせめて着替くらいはさせてあげた方が良いかもしれない。
でもこんなに幸せそうに眠っているのに起こすのは…。

……………
…………
………
……

いや、本当に幸せそうに眠っていて可愛いな。
何だろう、見ているだけなのに穏やかで慈しまずにはいられない気持ちになってくる、この気持ちは一体なんだ??

まさか、これが……母性???

「落ち着け、待て、流石に母性に転じるのはおかしい、落ち着け私…」

恋が転じて信仰となり、行き着く所に行き着いたと思ったらまだ先がありそうな雰囲気があって驚いてしまった。
流石に実の姉に母性を抱くのは…いや、でも…産めるものなら私だって姉さんを腹に宿して産みたかったとは…思わないでも無い…けど……。

「いやいやいやいや、流石に…」

落ち着け私、これは疲れているだけだきっと。
そう、下半身が妙に熱いのも、首筋が火照ったような感覚がするのも、今姉さんの唇をふにふにしているのも全て疲れているせいであって、私はいつも通り正常で健全な弟だ。

嘘、ちょっとこの状況が視界の暴力過ぎて若干どうにかなりそう。
ここから着替させるのは、流石に我慢の限界が来てしまうに違い無い。そうなっては可愛い弟では居られなくなってしまう。
私は一向に構わないし、その場合のシミュレーションだって行っているし、準備は万端なんだが、姉さんを傷付けることはしたくないから出来ない。

姉さんは「人間として生きるのは難しすぎる」から、私の「姉」として生きている人だ。
姉さんが求めるから私は弟で在り続けている。

神を神たらしめるのは、いつの時代も人の祈りと献身であった。
それと同じ事、姉さんを姉さんたらしめる理由は弟である私に掛かっている。
もし、万が一、私が弟であることを放棄してしまったら、きっとこの人は今度こそ人間の枠組から外れ、月にでも帰ってしまうのだろう。

そんなことにはさせない、何があっても。
本人が泣こうが喚こうが、姉さんは私の姉さんだ。
私の物で、私のためにこの人の全てはあるのだから、それを手放さないためならば弟で在り続けなくてはならない。
姉さんが私を弟として見続ける限り、関係は崩せない。


そう、だから我慢だ、我慢しなければならない、我慢……。

「……口の中、指…ちょっとだけ…」


ほ、本当にちょっとだけ。
先っちょだけ、本当の本当に少しだけ指先を口の中に突っ込みたい。
それだけにする、本当だ、神…いや姉に誓って。

などと、心の中で愚痴愚痴と言い訳を並べながら、ドキドキと脈打つ心臓を片手で服の上から抑え、ソロリソロリと口元に指先を運んだ。

気付かれていない、寝ている、スヤスヤと健やかな呼吸をしている。
……どうしよう、姉さんいいの?もう入っちゃうよ?姉さんの半開きの口の中に私の指、入っちゃうよ?いいの?

指先が震える。
吐き出した息が重く、熱い。

下唇に触れた指先が、ゆっくり、ゆっくりと、口内へ侵入して行った。


熱い。
指先も、身体も、何もかもが嫌に熱く感じ取れた。

舌をなぞり、上顎へ指の腹を押し付け滑らす。
初めて触れた姉の内側部分、柔らかく水分を纏った口内を探る指先に全神経が集中してしまう。

もう少し奥まで、いや…やっぱり歯茎を…待てよ…舌の裏側は……。

夢中になってニュルニュルムニムニと口内を漁っている時だった。
ふと、先程まで感じていた規則正しい呼吸がしなくなっているのに気付く。

ハッとして視線を姉さんの目へと走らせれば、そこには眉間にシワを寄せてこちらを睨みあげる瞳があった。

いつの間に目を覚ましていたのか、実に不機嫌そうな姉さんは無言でこちらを見上げている。

「あ、いや…これは…」
「…………」
「すまない、その…えっと、」

ガリッ

「イタッ!」
「ペッ」

噛まれてしまった…ついでに吐き出された…。
人差し指にはクッキリハッキリと噛み跡がついている。それすら愛しく思えるのだが、今は浸っている場合ではない。
睡眠を邪魔されて機嫌急降下中の姉さんを何とかしなければ。

「姉さん、これは違くて、ちゃんとした理由が…」
「すぐるくん…寝ぼけてんの?」
「え、あ、うん…そう、かも…」
「…今日はどうしたの?怖い夢?何が心配?」

ほら、おいで。

と、布団を捲って身体を端に寄せた姉さんが手招きする。

「背中トントンしてあげるから」
「………狭くなるけど、いいの?」
「狭いとこすきだからいいよ」
「………ありがとう、姉さん」

寝惚けているのは恐らく姉さんの方だが、それに甘んじて私はベッドに身体を沈める。
制服や靴下が鬱陶しくて、ガサゴソと脱いでベッドの下に落とす。きっと明日シワになってしまっているだろう、それはきっと姉さんも同じだ。
明日は姉弟揃ってシワだらけの制服を着る。良くない事のはずなのに、何故だかそれが凄く幸せなことのように思えた。

背中に回った手のひらが、ポンポンと柔い力で一定のリズムを打つ。
もうこんなことをして貰うような歳でも無いのに、妙な心地良さに身体が包まれていく。
先程まで感じていた怒りや嫉妬、もしくは一種の焦り、抗い難い情欲の一切がスルスルと解かれ、披露と優しさに招かれ睡魔の海へと意識が沈んでいった。

落ちてきた瞼を何とか片眼だけ開き、隣でくっつくようにして眠そうにする姉を見つめる。

「姉さん」
「ん」
「何処にも行かないでくれ」
「行かないよ」

瞼を閉じたまま、姉は欠伸混じりに言う。
その声は何処か無機質でありながら、柔らかく、疑いようの無い愛を感じられる響きをしていた。

「月はね、夜の隣にあるのが正解なんだよ」

背中を叩く手が止まり、ゆるゆると頭の方へのぼる。
小さく薄い手が私の頭を下手くそに撫でた。
互いに寝惚け半分で言葉を交わした。

「傑くん、夜と同じくらい何時も真っ黒」
「姉さんのためにだよ、多分」
「健気だなぁ」
「自慢していいよ」

そうして、私達は同じ頃に眠りについた。

高専に来てから色々な事があり、時間の流れが早く感じていたが、今この瞬間だけは酷く穏やかでゆっくりとした時の流れを感じたのだった。


姉さんには安眠効果もあるということを、私だけが知っている。
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