星を蝕む呪いの祈り
ねえお母さん。
「なあに?」
どうして、お父さんは帰ってこないの?
これが確か、産みの親と交わした最後の言葉だった。
………
はじめてその人を見た時、星が爆ぜているようだと感じた。
揺らめき、瞬く、天に輝く星々と同じ煌めきが彼を形作っているのだ、きっとそうだ、そうに違いないのだ。
遠くから一瞬だけ、それだけで十分だった。
この人と同じ血が、私の身体の何処かにちょびっとだけ流れている。
いつか、いつかこの、空から落ちてきてしまったお星様みたいな人の役に立つために頑張るんだ、そのために呪術師になるんだ。そう本気で思っていた。
でも、どうやら私の役目は違ったみたいだった。
私が求められた役目は、五条家のために他の役に立つ家と仲良くするための使い捨ての道具になることだった。
それでもいいと思った。
直接の縁は無くなっても、私は私の星を追い掛ける。あの蒼天の輝きを忘れることは無いのだと、そう、言い聞かせて………一年後、私は身も心もメチャクチャにされてしまった。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
ずっと痛い、痛くて苦しくて怖くて眠ることも出来ない。
でも眠らなければまた叩かれて、吊るされる。
裸にされて、石造りの部屋でお祈りしながら背中を鞭で、何度も、何度も、何度も。
新しい母はそれは厳しい人だった。
何かあれば、いや、何も無くとも理由を作り私に躾と称した罰を与える。
義母は美しく魅力的で、女として強く、聡明な人だった。
だから皆義母が好きで、皆義母の支配に相応しい人間であろうとしていた。
この家で可笑しいのは私なのだ。
私は特別頭が良いわけじゃない、運動だって人並みで、術式だって開花したばかりであまりよく分かっていない。
そして何より、私の星は貴女じゃない、貴女では無いのだと…そう思う心を捨てられなかったから、私は心と体がボロボロになるまで毎日叩かれ続けた。
最初の一年にして理解する。
私はあの一族の中で一番いらない子だったから、だからこの地獄に堕とされたのだと。
それに気付いた時、私は寒い寒い石造りの部屋で背中から血を流しながら小さく笑った。
不思議と、もう涙は流れなかった。
それから少しして、さらに理解する。
あの星の輝きが私に届くことは、きっと永遠に無いのだと。
最早果て遠くなったあの輝きを思い出そうとするも、痛みと屈辱しか脳にはこびりついていなかった。
あの人は、どんな色をしていたっけ。
あの星は、どんな形をしていたっけ。
その日の祈りの時間、私は何にも祈らなかった。形だけの礼拝をして顔を上げると、目の前の義母達がもう呪いなのか人間なのか何なのか分からなくなってしまった。
そして半年後、私はその日も義母に叩かれた。
バチッとよくしなった鞭が私の背を叩いた瞬間、「もういいや」と思えたのだ。
それは痛みからの逃避でも、諦めでも無かった。
むしろ逆である。
その瞬間私の身を襲った激しい感情は、熱情と快楽であった。
快楽、悦楽、極楽、愉楽………楽欲に身体と心が逆上せあがる心地がした。
とろりとろりと心と記憶が溶けていく。
快感、恍惚。
オルガムズのような甘い痺れが爪先から脳の裏まで神経を焼き尽くす。
腐った果実のような、膿んだ吐息を吐き出した。
今なら出来る。
何の根拠も無い自信が身を満たし、私は己の心を感情に任せるがままに解いてみせた。
するりするり、糸がほどけていくように、私を縛り苦しめる根元的苦痛が取り払われていく。
次第にその気持ちの良い感覚は息を吸う度に強くなる。
そうして耳に何処からか、ひっちゃかめっちゃかに打ち鳴らすような鈴の音が聴こえてくる。
カチカチ シャンシャン カチ シャンシャン。
カチカチ シャンシャン カチ シャンシャン 。
見える、見えるわ、星が見える。
赤い星、青い星、白い星、黒い星、瞼の裏に広がるは、あまりに広大で壮大な星々が輝く景色であった。
赤い星の歌が聞こえる。
狂ったように喉をかきむしり、喉が潰れんばかりの勢いで絶叫を挙げる星を笑いながらつつけば、悦びから涙を流して自身の首を絞め出した。
「たのしいね、すごいねぇ」
青い星が踊っている。
両手脚を失った星は地面を這うように悶え苦しみ助けを請うている。楽しそうな様子に嬉しくなって微笑めば、彼はひきった笑い声しか出さなくなった。
「素敵だね、たのしいねぇ」
白い星が祈っている。
のたうち回りながら、天に向かって怒りの声で吠えている。祈るために組む指も無いのに、神よ、神よ、と祈りの叫びを訴えた。私はそれがどうにも可笑しくって、足先で蹴れば星は何処かへ消えてしまった。
「たのしい、たのしい、」
黒い星が鞭を奮った。
でももう、何も意味を成さなかった。
鞭を奮った腕が溶けて消え、彼女は叫び散らかした。痛い痛いと泣いている、可哀想に、痛いのは嫌だよね、私もよく知ってるよ。
可哀想な星を見ていたら哀れに思えて、私は同情して助けてあげることにした。
大丈夫、大丈夫、私の船にお乗りなさい。
私の海に溶けなさい、私の命になりなさい。
全て、全て、私の寿命となりなさい。
母を伝い、母の支配下に置かれた者をさらに伝い、彼等の血を伝い、血を伝って彼等の糧となった全ての生命に行き着き、生命を育む土壌を過ぎて、地を、海を、星の根底へと意識は辿り着く。
私はこの日、星を呪った。
いつか見て憧れた唯一輝く蒼天の光を持つ彼の星ではなく、我らが住まうこの星を呪ったのだ。
星を、星に住まう全ての生命を、全ての呪いを、全ての寿命ある者を。
私は少しずつ飲んで、小さな星となった。
私の中には海がある。
招き謳う楽欲の海を進む船には選ばれた命が乗っている。
これは贄だ、来たるべき日に備えた贄だ。
船は進む、何処までも。
私と共に進んでいく。
地獄に向けて、進んでいく。
「なあに?」
どうして、お父さんは帰ってこないの?
これが確か、産みの親と交わした最後の言葉だった。
………
はじめてその人を見た時、星が爆ぜているようだと感じた。
揺らめき、瞬く、天に輝く星々と同じ煌めきが彼を形作っているのだ、きっとそうだ、そうに違いないのだ。
遠くから一瞬だけ、それだけで十分だった。
この人と同じ血が、私の身体の何処かにちょびっとだけ流れている。
いつか、いつかこの、空から落ちてきてしまったお星様みたいな人の役に立つために頑張るんだ、そのために呪術師になるんだ。そう本気で思っていた。
でも、どうやら私の役目は違ったみたいだった。
私が求められた役目は、五条家のために他の役に立つ家と仲良くするための使い捨ての道具になることだった。
それでもいいと思った。
直接の縁は無くなっても、私は私の星を追い掛ける。あの蒼天の輝きを忘れることは無いのだと、そう、言い聞かせて………一年後、私は身も心もメチャクチャにされてしまった。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
ずっと痛い、痛くて苦しくて怖くて眠ることも出来ない。
でも眠らなければまた叩かれて、吊るされる。
裸にされて、石造りの部屋でお祈りしながら背中を鞭で、何度も、何度も、何度も。
新しい母はそれは厳しい人だった。
何かあれば、いや、何も無くとも理由を作り私に躾と称した罰を与える。
義母は美しく魅力的で、女として強く、聡明な人だった。
だから皆義母が好きで、皆義母の支配に相応しい人間であろうとしていた。
この家で可笑しいのは私なのだ。
私は特別頭が良いわけじゃない、運動だって人並みで、術式だって開花したばかりであまりよく分かっていない。
そして何より、私の星は貴女じゃない、貴女では無いのだと…そう思う心を捨てられなかったから、私は心と体がボロボロになるまで毎日叩かれ続けた。
最初の一年にして理解する。
私はあの一族の中で一番いらない子だったから、だからこの地獄に堕とされたのだと。
それに気付いた時、私は寒い寒い石造りの部屋で背中から血を流しながら小さく笑った。
不思議と、もう涙は流れなかった。
それから少しして、さらに理解する。
あの星の輝きが私に届くことは、きっと永遠に無いのだと。
最早果て遠くなったあの輝きを思い出そうとするも、痛みと屈辱しか脳にはこびりついていなかった。
あの人は、どんな色をしていたっけ。
あの星は、どんな形をしていたっけ。
その日の祈りの時間、私は何にも祈らなかった。形だけの礼拝をして顔を上げると、目の前の義母達がもう呪いなのか人間なのか何なのか分からなくなってしまった。
そして半年後、私はその日も義母に叩かれた。
バチッとよくしなった鞭が私の背を叩いた瞬間、「もういいや」と思えたのだ。
それは痛みからの逃避でも、諦めでも無かった。
むしろ逆である。
その瞬間私の身を襲った激しい感情は、熱情と快楽であった。
快楽、悦楽、極楽、愉楽………楽欲に身体と心が逆上せあがる心地がした。
とろりとろりと心と記憶が溶けていく。
快感、恍惚。
オルガムズのような甘い痺れが爪先から脳の裏まで神経を焼き尽くす。
腐った果実のような、膿んだ吐息を吐き出した。
今なら出来る。
何の根拠も無い自信が身を満たし、私は己の心を感情に任せるがままに解いてみせた。
するりするり、糸がほどけていくように、私を縛り苦しめる根元的苦痛が取り払われていく。
次第にその気持ちの良い感覚は息を吸う度に強くなる。
そうして耳に何処からか、ひっちゃかめっちゃかに打ち鳴らすような鈴の音が聴こえてくる。
カチカチ シャンシャン カチ シャンシャン。
カチカチ シャンシャン カチ シャンシャン 。
見える、見えるわ、星が見える。
赤い星、青い星、白い星、黒い星、瞼の裏に広がるは、あまりに広大で壮大な星々が輝く景色であった。
赤い星の歌が聞こえる。
狂ったように喉をかきむしり、喉が潰れんばかりの勢いで絶叫を挙げる星を笑いながらつつけば、悦びから涙を流して自身の首を絞め出した。
「たのしいね、すごいねぇ」
青い星が踊っている。
両手脚を失った星は地面を這うように悶え苦しみ助けを請うている。楽しそうな様子に嬉しくなって微笑めば、彼はひきった笑い声しか出さなくなった。
「素敵だね、たのしいねぇ」
白い星が祈っている。
のたうち回りながら、天に向かって怒りの声で吠えている。祈るために組む指も無いのに、神よ、神よ、と祈りの叫びを訴えた。私はそれがどうにも可笑しくって、足先で蹴れば星は何処かへ消えてしまった。
「たのしい、たのしい、」
黒い星が鞭を奮った。
でももう、何も意味を成さなかった。
鞭を奮った腕が溶けて消え、彼女は叫び散らかした。痛い痛いと泣いている、可哀想に、痛いのは嫌だよね、私もよく知ってるよ。
可哀想な星を見ていたら哀れに思えて、私は同情して助けてあげることにした。
大丈夫、大丈夫、私の船にお乗りなさい。
私の海に溶けなさい、私の命になりなさい。
全て、全て、私の寿命となりなさい。
母を伝い、母の支配下に置かれた者をさらに伝い、彼等の血を伝い、血を伝って彼等の糧となった全ての生命に行き着き、生命を育む土壌を過ぎて、地を、海を、星の根底へと意識は辿り着く。
私はこの日、星を呪った。
いつか見て憧れた唯一輝く蒼天の光を持つ彼の星ではなく、我らが住まうこの星を呪ったのだ。
星を、星に住まう全ての生命を、全ての呪いを、全ての寿命ある者を。
私は少しずつ飲んで、小さな星となった。
私の中には海がある。
招き謳う楽欲の海を進む船には選ばれた命が乗っている。
これは贄だ、来たるべき日に備えた贄だ。
船は進む、何処までも。
私と共に進んでいく。
地獄に向けて、進んでいく。