星を蝕む呪いの祈り
腕を伸ばして背を反らすようにググっと伸びをすれば、勝手に喉奥から何とも言えない声が出てしまった。
誰に聞かれたわけでも無いのに咄嗟に口に手を当て、キョロキョロ周りを見渡すも、そもそも周辺には何も無い。
私は現在、思い立ったが吉日と立ち入り禁止区域となっているとある屋敷跡に来ていた。
お察しの通り、昔私が養子に貰われた家である。
こんな所に今更何をしに来たかと言えば、まあ何となくだ。私は大体において「何となく」で生きている。行動理由の殆どは気分によるものだし、深く物事を考えたことも無い。
だから今日、夏油傑の頼みを請け負った癖に依頼内容と関係の無いことをしたのも、その後彼等を放置して単独行動しているのにも特別な理由は無い。強いて言えば、そうしたかったから。である。
草木の一つも生えることの出来ない土を踏みしめて、屋敷に土足で上がっていく。
長らく放置されているせいかやたら埃っぽく、床や壁が薄汚く見えるのはきっと気のせいでは無いだろう。壁に染み着いた赤い跡を横目に廊下を進み、広間や客室などを通りすぎて奥へ奥へと突き進む。
やがて見えて来た重厚な扉を開けば、そこには空っぽの本棚が並ぶ書斎が現れた。
さらにその奥、本棚の間に存在する鍵のついた扉へ向かって行きドアノブを捻る。鍵は掛かっていなかったため、すんなり扉は開かれた。
ガチャリ。
内側に向けて開け放たれた扉の先には、冷たい雰囲気の石造りの小さな部屋が広がっていた。
私は扉を開いたまま、その懐かしい部屋の中へと踏み入る。
部屋の天井部から垂れる鎖と、部屋の奥に置かれた祭壇を順番に見て、からっぽの祭壇に近寄って行く。
そうそう、あー、ちょっと思い出した。
「確か、えっと……ここで…」
私が祭壇に触れようとした時、突如後ろから声が掛かる。
「こんなとこで何してんの?」
その声に、思わずピタリと動きを止めた。
止めざる負えなかった。
脳内にピリッとした痺れが走る、拒絶と熱情が同時に沸き上がる。
……私、この声の持ち主を知ってる。
最近聞いたから…れで色々思い出したのだ。
だから、だから、今日ここへ来たのだ。
振り返らず、喋ることもせず、ただ動きを止めて私は沈黙を返した。
何を言えばいいか分からない、分からないが、ふつふつと心の底から楽欲が溢れてくる。
耳鳴りのように、鈴の音が聞こえてくる。
淡々とした足音が近付いて来た。
それは私の真後ろで止まり、もう一度その人は「こんな埃臭いとこで何してんの?」と聞いてきた。
………五条悟がいる。
私の背後に、いつかの過去で焦がれた人がいる。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
よく分からないが、妙に心臓が痛くて、何だか泣きたいようなそうでも無いような心地がして、口を開けば叫んでしまいそうだったから下唇を巻き込むようにギュッと噛んだ。
「ねぇ、なんか言ってくんない?」
「…………」
「あのさ、捕まえに来たとかじゃ無いのよ本当。なんとなーく、今日来れば会えそうって直感が言ったからさ」
「…………」
「まあ、僕直感も最強だから」
ポンッと、軽い声と共に軽い力で私の肩に五条悟は手を置いた。
そのまま、ごく僅かな力で私の身体の向きを変えようとする。不思議と力の入らない身体は、私の意思関係無くゆっくりと彼の方へと向きを変えた。
咄嗟に俯けば、大きな両手を頬に添えられて顔を上げさせられた。
顔を見たくなくて、視線を背後でぶら下がる鎖へと向ける。
私、なにやってんだろ。
ああ、身長差がありすぎて首が痛い。
この痛みって本当に現実なのだろうか、もしかして全部、夢だったりして。
「今日は謝ろうと思って、ごめんね、間に合わなくて」
何に対する謝罪か分からない謝罪をされ、私は咄嗟に首を横に振る。
「許してくれる?」
その問いに首は勝手に縦に一度動いた。
「ありがとう、優しいね」
「……優しくは、無いですね…」
気付くと私は天井をボンヤリ見上げながら、意味も分からずポロポロと涙を流していた。
口から出た否定の言葉は思いの外小さく、彼に届いたか心配になったが、別に私の声などこの人に届いてなくて構わないと思った。
そうだ、そうだった。
思い出した、私…………この人が、いつか助けに来てくれるんじゃないかって、この部屋で思っていたんだっけ。
でも、そうか……私は間に合わなかったのか。彼からしたら、間に合わなかった人間なのか、そりゃそうか。
だってもう人間じゃないもんな。呪霊にも仲間扱いされない、人間として生きるにはあまりに情が薄い、自然の一部に溶け込むには人に近すぎる。
星の命すら吸い上げて、腹の中で数多の命を飼い慣らし、地獄以外に行き先の無い生だ。
もう、この世の何処にも居場所は無いけれど、それでも一つ、やり残したことがあったから、それを思い出したから今日ここへやって来た。
私もなんとなく、今日貴方に会える気がしたんだ。
やっぱり従ってみるもんだな、心には。
視線を移し、瞬きを一回すれば憧れた蒼天の星と視線が交わった。
私が涙を流しながら彼を見つめれば、彼は何が嬉しいのか分からないが微笑みを優しく浮かべたので、私は幼い日に感じた自分の思いに間違いは無かったのだと実感する。
私、私は………
「泣かせちゃったね、ごめん……とりあえず、」
「私、貴方の役に立ちたくて」
「ん?」
零れ出した思いは止まらない。
これは使命だ、私が産まれてきた唯一の意味だ。
ずっとこの日が来た時のために、私………
命が熱く燃えている。
零れ出した思いは止まらない。
わたし、ずっとずっと、貴方の役に立ちたくて、貴方の役に立てるならこの部屋で傷付き続けるのも耐えられたんです。
痛いのも、怖いのも、眠れないのも、お母さんに会えないのも、貴方を忘れてしまうことも。
全て、全て、全て。
全ては、この時のために。
「私の命が貴方の役に立つのなら、」
「ちょっと、まっ、」
「それ以上に嬉しいことなど」
「やめ、」
「ありません」
パキリ。
パキリ、パキリ、パキリ。
私が真に心から笑みを浮かべ、彼の手を取った時であった。
その瞬間、世界にヒビが入った。
まるでセットされたスタジオ風景が意図して壊されていくかのように、スタンドグラスに亀裂が入るように、端から端から、世界が割れて壊れていくのを私は泣いて笑いながら喜んだ。
そして、彼の手を離す。
刹那、無数の手がヒビの隙間から私へ伸ばされ身体を飲み込んだ。
「さよなら、悟様!」
唖然と美しい瞳をただひたすらに見開いて壊れ逝く世界で立ち尽くす彼に向かって別れの挨拶を投げ掛ける。
ああ、そうだった。
私、貴方の役に立ちたかった。
ただそれだけだった、ずっとずっとその日が来た時のために準備していたの。
好きでも無い人間と一緒に人を殺した。それが一番効率が良いからってだけで殺した生命を吸って吸って吸い続けて。
記憶に蓋をして貴方から離れた、流されて生きるフリして、いつか会えるだろうと予測した場所に留まって。
そうして今日、私は、貴方に全てを捧げるのだ。
神様見てる?
小さい頃、この部屋でずっとお祈りしていた神様。
きっとこの部屋の神様は、私を地獄に連れて行ってくれる神様だ。
だってこの部屋はいつだって地獄だったから。
幼き日、この屋敷で行った最上の宴の瞬間、あの時私の願いは聞き届けられたのだろう。祈りが届いたのだろう。
どうか私に全てを変えられる力を下さい。
この命に価値を与えて下さい。
そのために最高の贄を用意しておきます、だからその時が来たら、どうか、どうか。
どうか五条悟を救って下さい。
彼だけが幸せであれば、それでいい。
あの美しい人が幸福であれば何だっていい。
それを成すことが私が産まれてきた意味なんだ。
さあ、祝福をここに。
「極ノ番」
手足の自由を奪われ、喉に手をかけられ、視界を奪われ、何もかもを奪い浚われる。
お船に乗せた選りすぐりの寿命達と、命で満たされた海を腹から掻き出され、私の中はがらんどうになっていく。
それでいい、これでいい。
他でも無い、この結末を望んだのは私なのだから。
彼が、五条悟が、後悔無く生きてくれるのならば、私は私の全てを差し出して世界だって変えてやる。
貴方だけが私の希望。
貴方だけが私の意味。
「因果巡壊船」
パタン。
戸棚を閉じるように、世界に蓋が閉じた。
私はそれを蓋の外から見送って、何処とも分からぬ場所へと、延々と堕ちていく。
行き着く先は、誰も知らない。
そう、誰も知らない。
誰に聞かれたわけでも無いのに咄嗟に口に手を当て、キョロキョロ周りを見渡すも、そもそも周辺には何も無い。
私は現在、思い立ったが吉日と立ち入り禁止区域となっているとある屋敷跡に来ていた。
お察しの通り、昔私が養子に貰われた家である。
こんな所に今更何をしに来たかと言えば、まあ何となくだ。私は大体において「何となく」で生きている。行動理由の殆どは気分によるものだし、深く物事を考えたことも無い。
だから今日、夏油傑の頼みを請け負った癖に依頼内容と関係の無いことをしたのも、その後彼等を放置して単独行動しているのにも特別な理由は無い。強いて言えば、そうしたかったから。である。
草木の一つも生えることの出来ない土を踏みしめて、屋敷に土足で上がっていく。
長らく放置されているせいかやたら埃っぽく、床や壁が薄汚く見えるのはきっと気のせいでは無いだろう。壁に染み着いた赤い跡を横目に廊下を進み、広間や客室などを通りすぎて奥へ奥へと突き進む。
やがて見えて来た重厚な扉を開けば、そこには空っぽの本棚が並ぶ書斎が現れた。
さらにその奥、本棚の間に存在する鍵のついた扉へ向かって行きドアノブを捻る。鍵は掛かっていなかったため、すんなり扉は開かれた。
ガチャリ。
内側に向けて開け放たれた扉の先には、冷たい雰囲気の石造りの小さな部屋が広がっていた。
私は扉を開いたまま、その懐かしい部屋の中へと踏み入る。
部屋の天井部から垂れる鎖と、部屋の奥に置かれた祭壇を順番に見て、からっぽの祭壇に近寄って行く。
そうそう、あー、ちょっと思い出した。
「確か、えっと……ここで…」
私が祭壇に触れようとした時、突如後ろから声が掛かる。
「こんなとこで何してんの?」
その声に、思わずピタリと動きを止めた。
止めざる負えなかった。
脳内にピリッとした痺れが走る、拒絶と熱情が同時に沸き上がる。
……私、この声の持ち主を知ってる。
最近聞いたから…れで色々思い出したのだ。
だから、だから、今日ここへ来たのだ。
振り返らず、喋ることもせず、ただ動きを止めて私は沈黙を返した。
何を言えばいいか分からない、分からないが、ふつふつと心の底から楽欲が溢れてくる。
耳鳴りのように、鈴の音が聞こえてくる。
淡々とした足音が近付いて来た。
それは私の真後ろで止まり、もう一度その人は「こんな埃臭いとこで何してんの?」と聞いてきた。
………五条悟がいる。
私の背後に、いつかの過去で焦がれた人がいる。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
よく分からないが、妙に心臓が痛くて、何だか泣きたいようなそうでも無いような心地がして、口を開けば叫んでしまいそうだったから下唇を巻き込むようにギュッと噛んだ。
「ねぇ、なんか言ってくんない?」
「…………」
「あのさ、捕まえに来たとかじゃ無いのよ本当。なんとなーく、今日来れば会えそうって直感が言ったからさ」
「…………」
「まあ、僕直感も最強だから」
ポンッと、軽い声と共に軽い力で私の肩に五条悟は手を置いた。
そのまま、ごく僅かな力で私の身体の向きを変えようとする。不思議と力の入らない身体は、私の意思関係無くゆっくりと彼の方へと向きを変えた。
咄嗟に俯けば、大きな両手を頬に添えられて顔を上げさせられた。
顔を見たくなくて、視線を背後でぶら下がる鎖へと向ける。
私、なにやってんだろ。
ああ、身長差がありすぎて首が痛い。
この痛みって本当に現実なのだろうか、もしかして全部、夢だったりして。
「今日は謝ろうと思って、ごめんね、間に合わなくて」
何に対する謝罪か分からない謝罪をされ、私は咄嗟に首を横に振る。
「許してくれる?」
その問いに首は勝手に縦に一度動いた。
「ありがとう、優しいね」
「……優しくは、無いですね…」
気付くと私は天井をボンヤリ見上げながら、意味も分からずポロポロと涙を流していた。
口から出た否定の言葉は思いの外小さく、彼に届いたか心配になったが、別に私の声などこの人に届いてなくて構わないと思った。
そうだ、そうだった。
思い出した、私…………この人が、いつか助けに来てくれるんじゃないかって、この部屋で思っていたんだっけ。
でも、そうか……私は間に合わなかったのか。彼からしたら、間に合わなかった人間なのか、そりゃそうか。
だってもう人間じゃないもんな。呪霊にも仲間扱いされない、人間として生きるにはあまりに情が薄い、自然の一部に溶け込むには人に近すぎる。
星の命すら吸い上げて、腹の中で数多の命を飼い慣らし、地獄以外に行き先の無い生だ。
もう、この世の何処にも居場所は無いけれど、それでも一つ、やり残したことがあったから、それを思い出したから今日ここへやって来た。
私もなんとなく、今日貴方に会える気がしたんだ。
やっぱり従ってみるもんだな、心には。
視線を移し、瞬きを一回すれば憧れた蒼天の星と視線が交わった。
私が涙を流しながら彼を見つめれば、彼は何が嬉しいのか分からないが微笑みを優しく浮かべたので、私は幼い日に感じた自分の思いに間違いは無かったのだと実感する。
私、私は………
「泣かせちゃったね、ごめん……とりあえず、」
「私、貴方の役に立ちたくて」
「ん?」
零れ出した思いは止まらない。
これは使命だ、私が産まれてきた唯一の意味だ。
ずっとこの日が来た時のために、私………
命が熱く燃えている。
零れ出した思いは止まらない。
わたし、ずっとずっと、貴方の役に立ちたくて、貴方の役に立てるならこの部屋で傷付き続けるのも耐えられたんです。
痛いのも、怖いのも、眠れないのも、お母さんに会えないのも、貴方を忘れてしまうことも。
全て、全て、全て。
全ては、この時のために。
「私の命が貴方の役に立つのなら、」
「ちょっと、まっ、」
「それ以上に嬉しいことなど」
「やめ、」
「ありません」
パキリ。
パキリ、パキリ、パキリ。
私が真に心から笑みを浮かべ、彼の手を取った時であった。
その瞬間、世界にヒビが入った。
まるでセットされたスタジオ風景が意図して壊されていくかのように、スタンドグラスに亀裂が入るように、端から端から、世界が割れて壊れていくのを私は泣いて笑いながら喜んだ。
そして、彼の手を離す。
刹那、無数の手がヒビの隙間から私へ伸ばされ身体を飲み込んだ。
「さよなら、悟様!」
唖然と美しい瞳をただひたすらに見開いて壊れ逝く世界で立ち尽くす彼に向かって別れの挨拶を投げ掛ける。
ああ、そうだった。
私、貴方の役に立ちたかった。
ただそれだけだった、ずっとずっとその日が来た時のために準備していたの。
好きでも無い人間と一緒に人を殺した。それが一番効率が良いからってだけで殺した生命を吸って吸って吸い続けて。
記憶に蓋をして貴方から離れた、流されて生きるフリして、いつか会えるだろうと予測した場所に留まって。
そうして今日、私は、貴方に全てを捧げるのだ。
神様見てる?
小さい頃、この部屋でずっとお祈りしていた神様。
きっとこの部屋の神様は、私を地獄に連れて行ってくれる神様だ。
だってこの部屋はいつだって地獄だったから。
幼き日、この屋敷で行った最上の宴の瞬間、あの時私の願いは聞き届けられたのだろう。祈りが届いたのだろう。
どうか私に全てを変えられる力を下さい。
この命に価値を与えて下さい。
そのために最高の贄を用意しておきます、だからその時が来たら、どうか、どうか。
どうか五条悟を救って下さい。
彼だけが幸せであれば、それでいい。
あの美しい人が幸福であれば何だっていい。
それを成すことが私が産まれてきた意味なんだ。
さあ、祝福をここに。
「極ノ番」
手足の自由を奪われ、喉に手をかけられ、視界を奪われ、何もかもを奪い浚われる。
お船に乗せた選りすぐりの寿命達と、命で満たされた海を腹から掻き出され、私の中はがらんどうになっていく。
それでいい、これでいい。
他でも無い、この結末を望んだのは私なのだから。
彼が、五条悟が、後悔無く生きてくれるのならば、私は私の全てを差し出して世界だって変えてやる。
貴方だけが私の希望。
貴方だけが私の意味。
「因果巡壊船」
パタン。
戸棚を閉じるように、世界に蓋が閉じた。
私はそれを蓋の外から見送って、何処とも分からぬ場所へと、延々と堕ちていく。
行き着く先は、誰も知らない。
そう、誰も知らない。