星を蝕む呪いの祈り
150年の歳月を兄と弟達と共に生きてきた。
小さな狭い瓶の中で。
胎児のままの手足では何も出来なかった。
守ることも、戦うことも、何も、何も。
だから、ガラスの向こうに存在する弟が、一人、二人と消えていくことを感じ取れども、何も出来ないまま時間と憎悪だけを募らせていく日々を過ごす他に無い。
母の腹から産まれる前に取り上げられた自分の、人生とも呼べない長い時間。
それでも目覚めはやって来た。
異形の弟、腐る自分の背中。
はじめて握りしめた兄の手を、私が忘れることは決して無いだろう。
人生は儚い、あまりにも。
目の前で死に逝く弟を救うことも、兄の元へと帰ることも出来ぬままに、私は二人の若い呪術師によって、手足を手に入れた後の、瞬きの間に終わるように短い人生を終えようとしていた。
だが突然、山道に置き去りにされた私の身に流れ込む微かな力を感じ取った。
それは穏やかな日差しのような、はたまた紅玉の煌めきか。
身体の中心、呪術師に貫かれた腹の奥にパチリパチリと灯り始めて爆ぜる小さな火種を感じ取る。
これは何だ、一体私の身に何が起きている?
そもそも、何故、まだ、死んでいない?
呼ばれたことなど勿論無いが、強いて例えるならば母に名前を呼ばれるように、瞑っていた目を覚ます。
視線の先には硬いコンクリートと流れ出した血の海、そして、
「呪術師こわ……対話による問題解決とか知らないのかなぁ」
泥のついた桃色の靴が見えた。
それが血を跳ねさせながらこちらに一人で喋りながら近づいてくる。
「あんな感情的になっちゃって、やだね」
力の入らない身体を無理矢理に動かし、震えながら首だけを声のする方へと向ける。
「でも仕方ないか、怒ったり泣いたり…そうやって人も歴史も成長していくのが人間だもんね」
そう語る人間は、死した弟を両手に抱いて、こちらを見て薄く微笑む。
薄い唇、胡桃色の髪、そして秘色(ひそく)の瞳をしならせ、「おはよう」と柔らかな声で目覚めの挨拶をした。
「声、でる?」
言われるがまま、喉に力を込める。
ゴポリッと喉奥から込み上げてきた血液を咳と共に吐き出し、みっともなく呻き声を数回上げながら、私はその人間にすがり付くように手を伸ばして掠れた声を出した。
「助け……弟、だけ でも…」
「あら~…」
桃色の靴に血だらけの手を伸ばし、触れる。そのまま指を這わせて足首を掴み、重い頭を上げて首を反らし、神秘的な秘色の瞳を見つめて訴える。
「血塗だけ、でも…」
「うんうん」
「……どうか…」
喉から絞り出すように、願いを口にする。
最早この人間が何だって構わなかった、神や悪魔でも、我々よりも呪われた命であったとしても、生きることが出来るのならば。
せめて弟だけでも、兄の元へ。
汚れることも厭わずに、私の頭の側へと膝を折って身を屈めた人間は片手を伸ばして私の手を取った。
温かい手であった、この世に仏が居るならば、きっとこの手に近い存在なのだろうと錯覚する程に、柔く温かな美しい手であった。
「いいよ、その変わりに一個だけ約束して」
指先にそっと力を込めて私の手を握りしめる。
未だ薄く微笑みながら、首を傾げ、その人間はこう言った。
「私の僕(しもべ)になりなさい、過去も未来も永劫その身、その力、私のための物であると、誓いなさい」
言葉の意味を理解する前に、勝手に首が一度縦に動いた。
何も考えてはいなかった。
救われるのならば救われたい、その気持ちしか持ち得なかった。
どうか救ってくれ、助けてくれ、弟だけでも。
どうか、どうか、兄の元へ。
私達の家族の元へ。
私が首をゆっくりと縦に降った次の刹那、視界は突如、明滅を繰り返しながら極彩色に覆われる。
私の手を取る反対の手が、小指と薬指を絡めるように印を結び、しっとりと呪いを唱えた。
「命数解読術、曼荼羅海若」
カチカチ シャンシャン、カチ シャンシャン。
カチカチ シャンシャン、カチ シャンシャン。
何処からか、鼓膜を擽る音がする。
脳をかきむしるような鈴の音、欠けた魂を叩く音。
ひっきりなしに笑い声と悲鳴を交ぜた正気じゃいられない声が、沸き上がるように地の底から聞こえてくる。
地獄の底から耳へと届く。
腹の内から鳴り響く。
カチカチシャンシャン、カチシャンシャン。
どんどんと、感覚が朧気になっていく。
耳を塞ごうにも自分の手が何処にあるかも分からない。
海の上を漂うように、浮いた心地が収まることはない。
視界が歪み、身が滑り、奥歯の一つも噛み合わなくなっていく。
カチカチシャンシャン、カチシャンシャン。
上か下かも分からない、自分の身体の大きさも分からない。
頭があるのかすら分からない、伸ばした指の本数も分からない。
首が何処を向いてるか分からない、首を絞めようにも力がない、声を挙げようにも声もない。
救われようにも仏はいない、助かろうにも糸がない。
最早何もかもがわからない。
狂気、狂気、狂気。
落ちていくのか、昇っていくのか。
歪んでいるのか、正常なのか。
自分は誰か、お前が何か。
カチカチシャンシャン、カチシャンシャン。
路肩に転がる地獄の合唱。
神も仏も目と耳を塞ぎ、気狂い共だけが喜びの涎を垂らして手足を投げ出し悦に浸る。
享楽、歓楽、悦楽、快楽、安楽。
この世のあらゆる楽を享受する。
淫楽の海で絶頂の声を挙げる者、悦楽の海で酒に溺れる者、狂楽の果てで首を括る者。
とても正気じゃいられない、狂気でいられた方がどれだけマシか。
招き、歌う、極彩色の宴。
狂暴な極彩色の曼荼羅の海に魂が溺れていく。
身体の輪郭は既に溶け、あるのは剥き出しの魂一つきり。
その魂に直接響かすように、静かな声を持ってして、一人の女が私にこう言った。
「ようこそ、ようこそ、私の船へ」
極楽の先か奈落の果てか、私の魂は女の手の中に落ちていった。
奇跡はここまで、これより先は
地獄である。
小さな狭い瓶の中で。
胎児のままの手足では何も出来なかった。
守ることも、戦うことも、何も、何も。
だから、ガラスの向こうに存在する弟が、一人、二人と消えていくことを感じ取れども、何も出来ないまま時間と憎悪だけを募らせていく日々を過ごす他に無い。
母の腹から産まれる前に取り上げられた自分の、人生とも呼べない長い時間。
それでも目覚めはやって来た。
異形の弟、腐る自分の背中。
はじめて握りしめた兄の手を、私が忘れることは決して無いだろう。
人生は儚い、あまりにも。
目の前で死に逝く弟を救うことも、兄の元へと帰ることも出来ぬままに、私は二人の若い呪術師によって、手足を手に入れた後の、瞬きの間に終わるように短い人生を終えようとしていた。
だが突然、山道に置き去りにされた私の身に流れ込む微かな力を感じ取った。
それは穏やかな日差しのような、はたまた紅玉の煌めきか。
身体の中心、呪術師に貫かれた腹の奥にパチリパチリと灯り始めて爆ぜる小さな火種を感じ取る。
これは何だ、一体私の身に何が起きている?
そもそも、何故、まだ、死んでいない?
呼ばれたことなど勿論無いが、強いて例えるならば母に名前を呼ばれるように、瞑っていた目を覚ます。
視線の先には硬いコンクリートと流れ出した血の海、そして、
「呪術師こわ……対話による問題解決とか知らないのかなぁ」
泥のついた桃色の靴が見えた。
それが血を跳ねさせながらこちらに一人で喋りながら近づいてくる。
「あんな感情的になっちゃって、やだね」
力の入らない身体を無理矢理に動かし、震えながら首だけを声のする方へと向ける。
「でも仕方ないか、怒ったり泣いたり…そうやって人も歴史も成長していくのが人間だもんね」
そう語る人間は、死した弟を両手に抱いて、こちらを見て薄く微笑む。
薄い唇、胡桃色の髪、そして秘色(ひそく)の瞳をしならせ、「おはよう」と柔らかな声で目覚めの挨拶をした。
「声、でる?」
言われるがまま、喉に力を込める。
ゴポリッと喉奥から込み上げてきた血液を咳と共に吐き出し、みっともなく呻き声を数回上げながら、私はその人間にすがり付くように手を伸ばして掠れた声を出した。
「助け……弟、だけ でも…」
「あら~…」
桃色の靴に血だらけの手を伸ばし、触れる。そのまま指を這わせて足首を掴み、重い頭を上げて首を反らし、神秘的な秘色の瞳を見つめて訴える。
「血塗だけ、でも…」
「うんうん」
「……どうか…」
喉から絞り出すように、願いを口にする。
最早この人間が何だって構わなかった、神や悪魔でも、我々よりも呪われた命であったとしても、生きることが出来るのならば。
せめて弟だけでも、兄の元へ。
汚れることも厭わずに、私の頭の側へと膝を折って身を屈めた人間は片手を伸ばして私の手を取った。
温かい手であった、この世に仏が居るならば、きっとこの手に近い存在なのだろうと錯覚する程に、柔く温かな美しい手であった。
「いいよ、その変わりに一個だけ約束して」
指先にそっと力を込めて私の手を握りしめる。
未だ薄く微笑みながら、首を傾げ、その人間はこう言った。
「私の僕(しもべ)になりなさい、過去も未来も永劫その身、その力、私のための物であると、誓いなさい」
言葉の意味を理解する前に、勝手に首が一度縦に動いた。
何も考えてはいなかった。
救われるのならば救われたい、その気持ちしか持ち得なかった。
どうか救ってくれ、助けてくれ、弟だけでも。
どうか、どうか、兄の元へ。
私達の家族の元へ。
私が首をゆっくりと縦に降った次の刹那、視界は突如、明滅を繰り返しながら極彩色に覆われる。
私の手を取る反対の手が、小指と薬指を絡めるように印を結び、しっとりと呪いを唱えた。
「命数解読術、曼荼羅海若」
カチカチ シャンシャン、カチ シャンシャン。
カチカチ シャンシャン、カチ シャンシャン。
何処からか、鼓膜を擽る音がする。
脳をかきむしるような鈴の音、欠けた魂を叩く音。
ひっきりなしに笑い声と悲鳴を交ぜた正気じゃいられない声が、沸き上がるように地の底から聞こえてくる。
地獄の底から耳へと届く。
腹の内から鳴り響く。
カチカチシャンシャン、カチシャンシャン。
どんどんと、感覚が朧気になっていく。
耳を塞ごうにも自分の手が何処にあるかも分からない。
海の上を漂うように、浮いた心地が収まることはない。
視界が歪み、身が滑り、奥歯の一つも噛み合わなくなっていく。
カチカチシャンシャン、カチシャンシャン。
上か下かも分からない、自分の身体の大きさも分からない。
頭があるのかすら分からない、伸ばした指の本数も分からない。
首が何処を向いてるか分からない、首を絞めようにも力がない、声を挙げようにも声もない。
救われようにも仏はいない、助かろうにも糸がない。
最早何もかもがわからない。
狂気、狂気、狂気。
落ちていくのか、昇っていくのか。
歪んでいるのか、正常なのか。
自分は誰か、お前が何か。
カチカチシャンシャン、カチシャンシャン。
路肩に転がる地獄の合唱。
神も仏も目と耳を塞ぎ、気狂い共だけが喜びの涎を垂らして手足を投げ出し悦に浸る。
享楽、歓楽、悦楽、快楽、安楽。
この世のあらゆる楽を享受する。
淫楽の海で絶頂の声を挙げる者、悦楽の海で酒に溺れる者、狂楽の果てで首を括る者。
とても正気じゃいられない、狂気でいられた方がどれだけマシか。
招き、歌う、極彩色の宴。
狂暴な極彩色の曼荼羅の海に魂が溺れていく。
身体の輪郭は既に溶け、あるのは剥き出しの魂一つきり。
その魂に直接響かすように、静かな声を持ってして、一人の女が私にこう言った。
「ようこそ、ようこそ、私の船へ」
極楽の先か奈落の果てか、私の魂は女の手の中に落ちていった。
奇跡はここまで、これより先は
地獄である。
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