夏油傑と思い出の子
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その年の夏休みはそれはもう毎日が楽しくて仕方のない、一瞬一瞬が宝物のような日々だった。
勿論、蚕を連れて行った一回目のラジオ体操のように苦しくなることは時たまあったりしたし、相変わらずおばけは消えてはくれない。
しかし、蚕と二人 ラジオ体操に通う内に周りの人々は蚕のことを『いきなり現れたキュートでミステリアスな少女!』から『要介護少女』へと認識を改めた、夏油のことを やり手の介護士だとかブリーダーだと思うこととなった。蚕がラジオ体操の途中でゼハゼハと息を切らしてグロッキーになっていれば家で用意してきた水を飲ませ、躓いてよろめけば慌てて支え、周りとまともに会話しようとせず名前も覚えない蚕に「昨日も話したでしょ」と思いだそうとさせたりと大変頑張っていた。周りの小学生は「またやってらあ…」と蚕のすっぽ抜けた靴を走って取りに行く夏油を見て応援する気持ちになっていたし、大人は彼らを見てほっこりと気持ちを癒していた。
蚕の泊まる川上家で共に宿題もした。蚕は鉛筆の上部分に数字を書き、それをコロコロと転がして答えを埋めていくので夏油がそのやり方はやめるように言い、一緒に一生懸命頑張って考えて実力で解答欄を埋めた。絵日記には、蚕はおばあちゃんの煮物が美味しいとか タンスの角に脛を打ったとかあまり楽しそうなことは書いていなかった。
夏油は毎日必死に日常の中からドラマを見付けて書いていると言うのに、それを言えば「毎日が大事件じゃなくたっていいじゃない」と蚕はアッサリと答える。それもそうかと思い夏油は食べたアイスが美味しかったことなども書いたが、割合としては圧倒的に蚕と過ごした日々のことを書いた方が多かった。無自覚である。
夏油の持ち帰った朝顔を観察したりもした。ポツリポツリと小振りに咲く花が増えていく度に蚕は本人なりに喜んでいたし、夏油もとくに今まで何の感情も抱かなかった朝顔のことを大切に世話するようになった。一生懸命お世話して君に綺麗な朝顔を見せたいのだと。
一緒にミッケもした、ずっと探していると疲れるので毎日ここまで と決めて日課のようにやっている。こういう所では妙に鋭い感を発揮する蚕は夏油より先に見付けてしまうことが多い。夏油も負けたくなくてジッと本を見つめくまなく探す、二人で顔を付き合わせて見開き1ページを探しているのでたまにドキッとするくらい顔が近くにあるので実は心臓に悪い絵本なのだ。
蚕は集中すると唇をやや尖らせる癖があるらしく、それを見てしまって別になにもしていないと言うのに、何だかやましい思いをしてしまった。意味も分からずあたふたする夏油を蚕は「集中!」と渇を入れて本に視線を戻させる。だがそうなるともう、ミッケどころじゃ無くなってしまい夏油はあまり顔を近寄らせないように必至に首と頭を動かすしか出来なくなるのであった。
蚕はピアノも弾いた。本人が ちょっと弾ける と自信ありげに言った言葉通り、鍵盤に指を置くと滑らかに白い鍵盤を押し込み 滑るように黒と白の上をリズミカルに指が移動していく。基本、トロい生物であるはずの蚕なのに 何故かピアノ…というか音楽関係だけは普段の のんびりさを捨て去るように丁寧に音を正しく美しく感情を乗せて刻んでいく。
「おばあちゃんちのピアノはちょっと重いわね」と鍵盤をスムーズに叩きながら言う蚕はとても様になっていて、夏油は聞き入るのも勿論だが見入ってもしまうのであった。
きっと特別難しい曲ではないだろうに、それでも 蚕が弾くとどうにも特別な音色に聴こえてくる。一音一音が特別な響きを持つようで、自分の家に帰宅してからも耳の奥でリフレインする。
そしてこの小さな演奏会を誰にも知られたくないという思いから親にも話さずに眠りにつくのだ。
鍵盤の上で踊る指先も、譜面を見つめる真剣な瞳も、ペダルに届かない足先も、全てが特別に美しく思えた。深く深く、心の底に音色が浸透して染め上げていく。僕はこの音を一生忘れはしないだろう。
これからの話もした。
蚕のお父さんとお母さんが仲が悪くなってしまったことを知った。
どちらに付いて行くか分からないということ、おばあちゃんの家に本当はずっと居たいと彼女は言った。
夏油もずっとこの川上家に居て欲しいと願った、はじめて同じ世界を見れた友人、小さなのんびりした可愛い少女。ずっと君の背中を見守りたいと思っているとは伝えられなかったけれど、「ずっと居ればいいのに」とは一度だけ口から出てしまった。
こんなことを言った所で困らせるだけなのに。言った所で自分にはどうしようも無いのに、と。しかし蚕は然程困った様子も見せず、楽々と「ねー」と気の抜けた返事を返した。コイツこういうところがある。
実は、一緒に海に行ってみたかったと蚕は言う。
いつか行こうと答えた。
秋は、美術館をゆっくり見たいと蚕は言う。
君がゆっくり見たら日が暮れるよと苦笑いした。
冬は、星が見たいと蚕は言う。
ココアと毛布が必要だねと笑った。
春は、君に会いたい と 蚕は言う。
…僕も同じだよ と 目と鼻の奥がジワリと痛みながらも言葉を紡いだ。
蚕は僕の瞳を覗き込み、「おんなじね」と嬉しそうに微笑んだ。
それはとても簡単な笑みだった、前に見たような特別可愛い笑顔じゃなかったけれど、夏油はこっちの笑顔の方が好きだなあと 自分も笑みを返しながら答える。同じ気持ちになったことが心臓が痛いくらいに嬉しかった。
蚕が元の家に帰るまであと3日、夏の夕方 夕日を浴びながら僕達は手を繋いで蝉の声を聞いていた。
勿論、蚕を連れて行った一回目のラジオ体操のように苦しくなることは時たまあったりしたし、相変わらずおばけは消えてはくれない。
しかし、蚕と二人 ラジオ体操に通う内に周りの人々は蚕のことを『いきなり現れたキュートでミステリアスな少女!』から『要介護少女』へと認識を改めた、夏油のことを やり手の介護士だとかブリーダーだと思うこととなった。蚕がラジオ体操の途中でゼハゼハと息を切らしてグロッキーになっていれば家で用意してきた水を飲ませ、躓いてよろめけば慌てて支え、周りとまともに会話しようとせず名前も覚えない蚕に「昨日も話したでしょ」と思いだそうとさせたりと大変頑張っていた。周りの小学生は「またやってらあ…」と蚕のすっぽ抜けた靴を走って取りに行く夏油を見て応援する気持ちになっていたし、大人は彼らを見てほっこりと気持ちを癒していた。
蚕の泊まる川上家で共に宿題もした。蚕は鉛筆の上部分に数字を書き、それをコロコロと転がして答えを埋めていくので夏油がそのやり方はやめるように言い、一緒に一生懸命頑張って考えて実力で解答欄を埋めた。絵日記には、蚕はおばあちゃんの煮物が美味しいとか タンスの角に脛を打ったとかあまり楽しそうなことは書いていなかった。
夏油は毎日必死に日常の中からドラマを見付けて書いていると言うのに、それを言えば「毎日が大事件じゃなくたっていいじゃない」と蚕はアッサリと答える。それもそうかと思い夏油は食べたアイスが美味しかったことなども書いたが、割合としては圧倒的に蚕と過ごした日々のことを書いた方が多かった。無自覚である。
夏油の持ち帰った朝顔を観察したりもした。ポツリポツリと小振りに咲く花が増えていく度に蚕は本人なりに喜んでいたし、夏油もとくに今まで何の感情も抱かなかった朝顔のことを大切に世話するようになった。一生懸命お世話して君に綺麗な朝顔を見せたいのだと。
一緒にミッケもした、ずっと探していると疲れるので毎日ここまで と決めて日課のようにやっている。こういう所では妙に鋭い感を発揮する蚕は夏油より先に見付けてしまうことが多い。夏油も負けたくなくてジッと本を見つめくまなく探す、二人で顔を付き合わせて見開き1ページを探しているのでたまにドキッとするくらい顔が近くにあるので実は心臓に悪い絵本なのだ。
蚕は集中すると唇をやや尖らせる癖があるらしく、それを見てしまって別になにもしていないと言うのに、何だかやましい思いをしてしまった。意味も分からずあたふたする夏油を蚕は「集中!」と渇を入れて本に視線を戻させる。だがそうなるともう、ミッケどころじゃ無くなってしまい夏油はあまり顔を近寄らせないように必至に首と頭を動かすしか出来なくなるのであった。
蚕はピアノも弾いた。本人が ちょっと弾ける と自信ありげに言った言葉通り、鍵盤に指を置くと滑らかに白い鍵盤を押し込み 滑るように黒と白の上をリズミカルに指が移動していく。基本、トロい生物であるはずの蚕なのに 何故かピアノ…というか音楽関係だけは普段の のんびりさを捨て去るように丁寧に音を正しく美しく感情を乗せて刻んでいく。
「おばあちゃんちのピアノはちょっと重いわね」と鍵盤をスムーズに叩きながら言う蚕はとても様になっていて、夏油は聞き入るのも勿論だが見入ってもしまうのであった。
きっと特別難しい曲ではないだろうに、それでも 蚕が弾くとどうにも特別な音色に聴こえてくる。一音一音が特別な響きを持つようで、自分の家に帰宅してからも耳の奥でリフレインする。
そしてこの小さな演奏会を誰にも知られたくないという思いから親にも話さずに眠りにつくのだ。
鍵盤の上で踊る指先も、譜面を見つめる真剣な瞳も、ペダルに届かない足先も、全てが特別に美しく思えた。深く深く、心の底に音色が浸透して染め上げていく。僕はこの音を一生忘れはしないだろう。
これからの話もした。
蚕のお父さんとお母さんが仲が悪くなってしまったことを知った。
どちらに付いて行くか分からないということ、おばあちゃんの家に本当はずっと居たいと彼女は言った。
夏油もずっとこの川上家に居て欲しいと願った、はじめて同じ世界を見れた友人、小さなのんびりした可愛い少女。ずっと君の背中を見守りたいと思っているとは伝えられなかったけれど、「ずっと居ればいいのに」とは一度だけ口から出てしまった。
こんなことを言った所で困らせるだけなのに。言った所で自分にはどうしようも無いのに、と。しかし蚕は然程困った様子も見せず、楽々と「ねー」と気の抜けた返事を返した。コイツこういうところがある。
実は、一緒に海に行ってみたかったと蚕は言う。
いつか行こうと答えた。
秋は、美術館をゆっくり見たいと蚕は言う。
君がゆっくり見たら日が暮れるよと苦笑いした。
冬は、星が見たいと蚕は言う。
ココアと毛布が必要だねと笑った。
春は、君に会いたい と 蚕は言う。
…僕も同じだよ と 目と鼻の奥がジワリと痛みながらも言葉を紡いだ。
蚕は僕の瞳を覗き込み、「おんなじね」と嬉しそうに微笑んだ。
それはとても簡単な笑みだった、前に見たような特別可愛い笑顔じゃなかったけれど、夏油はこっちの笑顔の方が好きだなあと 自分も笑みを返しながら答える。同じ気持ちになったことが心臓が痛いくらいに嬉しかった。
蚕が元の家に帰るまであと3日、夏の夕方 夕日を浴びながら僕達は手を繋いで蝉の声を聞いていた。