夏油傑と思い出の子
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蚕はきらめく宝石のように美しい見た目に寄らず、かなりめちゃくちゃな人間であった。
まず第一に他人に興味が無い。
いや、無いなんてものじゃない、本当に有象無象は視界に入っていないらしい、眼中に無い生き物に対しての対応力がマントルを貫く勢いであった。
翌日、約束通りラジオ体操に行くために「川上」と書かれた表札のある円城蚕が現在寝泊まりしている家のチャイムを押した。
家のようなピンポーン という慣れ親しんだ軽い音ではなく、ビーッというような音であったため夏油はビックリしてすぐに指を離してしまう。すると、音も同じように止むため、これはどうやら押し続けないとダメなタイプであると学んだ。
蚕の祖母が「傑くん迎えに来てくれたのね、ありがとねえ」と嬉しそうに言い、蚕を呼びに行く。
すると数分後にいかにも「寝起きです」と言うような蚕が目をショボショボさせながらヨタヨタとこちらに向かってくるのだ。
大丈夫だろうかこれ…夏油は咄嗟に両手を前に伸ばし受け止めようとしたが、危ういながらも何とかノロノロと自力で靴を履き、祖母に「行ってくるねー」と挨拶をしていた。
朝の蚕は三割増しでトロかった。
そりゃもうハエが止まりそうなほどトロトロノロノロであった。全然真っ直ぐ歩けないし、あーだとかうーだとか謎の言葉を発しながらやっとこという感じで足を前に出している。
うん、このままでは普通に遅刻である。
夏油はここは自分がしっかりしなければと責任感に目覚め、昨日とは逆に今度は自分が蚕の手を取った。
ぬるい温度をした手であった。蚕の手をギュッと握りしめやや強引に手を引くと自分に付いてトテトテと何とかスムーズに歩きはじめる。
夏油は安堵した、このままここで蚕に付き合い歩いていたらきっと付く頃にはラジオ体操は終わっていたであろう。
やはりこの少女心配だ…とグラグラフラフラ歩き、ふにゃふにゃ子猫のように何か言っている蚕を時々振り返りラジオ体操会場までの道を行く。
ラジオ体操会場は近所の公園であった。
そこには既に人が集まっており、夏油と蚕はほとんど最後に来た子であった。
見慣れぬ子供と一緒に現れた夏油に視線が集まる。その視線に居心地悪く思いながら未だにボケら~とする蚕の手を引き会場の隅へ行く、いつもの夏油の定位置であった。
「蚕、ほら 着いたから」
夏油は蚕の握った手を上下に振りながら声を掛ける。
「え、ああ、あー うん おきてまふ…」
いやこれ絶対起きてないじゃん。
夏油はどうすりゃいいんだと頭を抱えそうになった。
その間も視線が突き刺さる、ヒソヒソとこちらを気にする声が聞こえてくる。夏油はせっかく楽しみにしていたラジオ体操が何だか途端に悲しい気持ちで満たされていった。
時間になり、ラジオから歌が流れはじめる。
あーたーらしーいあさがきった、きーぼーの あっさーだ。
それに合わせ歌い出したり出さなかったりする子供達と親や地域住民。ちなみに夏油は一応歌っている、殆ど口パクだが。
蚕は突然の合唱に「んええっ!?」とおかしな奇声を上げると目をカッと開きキョロキョロと周りを見渡す。
蚕、覚醒。
だがしかし興味が無かったのか、はたまた知らない歌だったのだろうか、周囲を見渡した後は堂々と一人だけ完璧に口を閉じて歌を乗り気っていた。凄い勇気である、夏油には出来ないことだった。痺れはしないし憧れもしないが、純粋に凄いなこの子…と思った。
ラジオ体操パートになる。
いちっにっさん。いちっにっさん。腕を大きく振って~~ とラジオから音がする。
子供達の前で小学校高学年の子供達がお手本として立ち、体操をする。
夏油もそれに合わせてしっかりと体操するが、隣が気になりチラリと確認するように蚕を見る。
うん、体操している………が、圧倒的にトロい。
ワンテンポなんてもんじゃない、かなり遅れている。蚕もそれに気づいてるのか、皆が新しい体操をし始めるとしていた体操を途中で中断し 手本に合わせて体操をする。しかしやはりトロいのでまた皆は新しい体操にいってしまう。蚕はそれを追いかける。夏油は新しいタイプのラジオ体操を見た。
普通腕を振るのにあんなにのんびりやるだろうか。屈伸なんてまずしゃがむのにかなりの時間を使っているせいで皆と動きがバラバラである。
蚕…もしかしたら今まで僕よりも苦労して生きて来たんじゃないかな。と、夏油はさらに心配になった。
本人は最後まで…やや途中色々省いたが何とか体操を終わらせると「朝から疲れた…」と疲労困憊な様子を見せる。やっぱ大丈夫じゃないなこれ。
蚕はとくにラジオ体操カードなどは持っていないため、夏油は「ここで待ってるんだよ」と蚕に言い付けラジオ体操カードに判子を押して貰うために列に並ぶ。
蚕は疲れていたため何もしなくていいなら良かったと夏油の後ろ姿を見送りながら自分は息を整えていた。
これ、毎日やるの?と若干初日にしてやめたい気持ちになっていた。
そんなことを考えていると数人の子供が寄ってくる、ねえねえ と物珍しさに声をかけてくる。
円城蚕はこの辺りでは見掛けたことの無い愛らしい容姿をした物珍しい少女だ、しかもどういうわけか、男子に手を引かれてやって来た。それだけで女子の話題の的となる。
蚕は内心「ダルいな…」と思いながらもハイパーキューティースマイルで向かえ打った。何故なら自分は顔が良いので、顔が良い者の当然の義務として笑顔を振り撒く。ギブミーチョコレート?はいはいスマイルスマイル。
女子は元気であった。蚕はラジオ体操一つでヘトヘトヘロヘロなのに女子はキャアキャア言いながら夏油との関係について聞いてくる。
「どうして手を繋いでたの?」「あの男子ずっと見てたよ!」「好きなんじゃない?」キャーーー!!!
女子のヒートアップする甲高い声に夏油はギョッとして判子待ちをしながら振り向くと、蚕の周りにワラワラと人が集まっていた。
埋もれている……。
女子集団の中心に最早頭も見えないくらいになっている蚕、足元の靴でなんとか判別出来るがえらいこっちゃである。
最早女子が何を言ってるか判別出来ないほど色々矢継ぎ早に捲し立てるものだから、状況がイマイチ理解出来ない。
蚕は大体の質問に「来たばかりだから分かんない」で返していた。
「どうして手を繋いでたの?」「来たばかりだから…」 「あの男子ずっと見てたよ!」「分かんない…」 「好きなんじゃない?」「来たばかりだから…」
どうして女子という生き物は他人同士がここまで手を繋いで来たこと一つでこんなに楽しくなれるのだろうか、疲れきったこの身にはちとキツい所業である。早く帰って来てミーシャ…。
しかし、判子が終わった夏油も夏油で困っていた。
ラジオ体操カードを握りしめ、顎を引いて困ったように 嫌そうに女子集団~蚕を沿えて~を見る。あれに…突っ込んでいけと…?
無理である。男とは、女が集団となった時には無力な生き物となるのだ。
夏油を遠巻きに見ていた少年達も女子の夏の暑さに負けないボルテージの上がりように「女子こえ~」と呟いていた、夏油は はじめて見えない人の気持ちに激しく共感出来た。わかる、僕も怖い。
しかし、今から自分はあの中に突っ込んで行き、さらに蚕の手を掴んで急いで帰らねばならない。見捨てるわけにはいかないのだ、何故なら 蚕の活動限界時間が迫っているのだ。昨日もあの後、蚕は「もう今日は疲れた」と夏油を放ってスカーッと机に突っ伏して寝始めたのだ、祖母曰く 「この子はどこでも寝てしまう」らしく、このままではきっと蚕は疲れたと疲労宣言した後にこの公園で堂々と寝始めるかもしれない。そうなると夏油にはどうにも出来ない、困った事態になる。それだけは避けたくて女子の集団から蚕を引き離して連れて帰りたいが、その一歩が中々出ない。ピュアピュア一年生の夏油にはハードルが高すぎた。
だって近付いただけできっと キャーーー!!!! と言う悲鳴か雄叫びか分からない声を挙げられる。
どうしよう……と呆然と立ち尽くしていると、女子集団に近寄る一人の男子が居た。
見覚えがある。
あれは、僕を置いて行った上級生だ。
夏油は途端にサアッと頭から血の気が引いていく心地になった。
昨日の真昼に起きた事件の記憶がいっしゅんにして思い出される、頭をその苦い記憶で満たされる、感情が恐怖と怒りに支配されていく。それだけで嫌なのに、苦しいのに、震えるほどに怖いのに…あの上級生は蚕に近寄るというのか。
嫌だ、やめてほしい、やめてくれ、やめろ!!
そう切実に思うが口には一音だって出せやしなかった、立ち尽くして右目の目尻をヒクヒクと痙攣させることしか出来ない。
そうこうしている内に上級生の男子は女子集団に明るく「何やってんの」と声を掛ける、地域の子供達の中心に居るような人気者の男子に話掛けられてミーハーな女子は顔色を輝かせ男子に蚕を紹介し始める。「困っていたから話かけてあげたの!」「来たばかりなんだって!」「今から仲良くしようと思って~」など、聞かれてもいないことをベラベラと喧しく言い始める。
夏油は最早ことの成り行きを見守るしかなかった。
蚕の珍しいクリームソーダのような艶々した瞳が男子を目に止めた。
起きたばかりで結っていない髪は夏の朝の生ぬるい風にそよそよと流れ、運動後でやや火照った顔には赤みが差している。
今まで見たことの無い少女、昨日自分が他の子供と楽しい気分を優先して置いていった少年が連れて来た 小柄で宝石のような冷たさを持つ女の子。
その瞳が自分に向いている事実に男子は一気に気分が良くなり人好きする笑顔で話掛ける。
「はじめまして、どこから来たのかな?」「分かんない…」
男子はそっか、と苦笑を浮かべる。いきなり親御さんに言われてラジオ体操に来てしまったのかな?それなら分からないよね、と。
「お家どこ?」「来たばかりだから…」
ああ、ここからの帰り道もわからないのかな?それは大変だ、自分が付いて行ってあげなけりゃなるまい。
「名前は?」「分かんない…」
………え?
「えっと、名前だよ?」「来たばかりだから…」
…………は?
「あのさ、」「分かんない…」
……………いや、あの、こっちが分かんないんだけど。
その異様さに上級生の男子は勿論、取り囲んでいた女子達もビシリと固まる。
何だこの少女、さっきから同じことしか言わないぞ。
どうする?どうしよう…とアイコンタクトを取っていると少女は周りのことなど気にせずに視線を上級生男子の後ろへとやり、足を前に動き出す。
「ミーシャ」
そう、「分かんない」でも「来たばかりだから」でも無く ポツリと呟くと足を踏み出し男子の横をするりと通過して夏油の元にポテポテと歩いて行ってしまう。
蚕は夏油を見つめて先ほどの何も考えてないといった表情から一変し、やや不機嫌そうな顔をして、夏油の頬をまたしても両側からムギュギュッと押し潰した。
「遅いわ、一体どこまで判子押しに行ってたの?アラスカ?」
「ふぉふぇん、ふぉふぇんふぇ(ごめん、ごめんね)」
ハァッとこれ見よがしに深くため息をつき、来た時とは反対に夏油の手を蚕がむんずっと掴み引っ張って行く。
手を引かれ、周りの視線を浴びながらも夏油は酷く安堵した、蚕があの上級生達を選ばずに自分の元に来てくれたことに。自分を見つけて表情を変えたことに、そして何よりきっと誰にも興味が無かったということに。
密やかな優越感。
夏油は蚕の背中を見つめる。小さな背中だ、昨日とは違い髪はふわりふわりと下ろしたままで、前を向いて少女は歩いて行く。
この背中が好きだな、と素直に思った。
きっとこうしてこんな距離で一緒のスピードで歩いて、背中を見れるのは自分だけであろうと、夏油はほっぺを内側から噛んで表情を堪えながら蚕のペースに合わせてゆっくりと歩く。
蚕が後ろに向かって話掛ける
「ちょっと食い付きすぎよね」
夏油は「確かにね」と返した。君が可愛いからだよ、なんて口が裂けても恥ずかしくて言えなかった。
だが蚕は「まあ私、顔が良いものね」と自分で恥ずかしげもなく言ってしまった。
それに対して「へ?」と突然の急カーブな切り返しに思わず何も考えずに間抜けな一音を口にすると蚕は振り向きながら言う。
夏の朝の生ぬるい温度なんて全く似合わない、今までで一番キラキラした顔で言った。
「私、可愛いでしょう?」
ミーシャもそう思ってくれるわよね?と口角をきっちり可愛く上げて覗き込むように言う蚕はそれはもう…確かに可愛かった。髪をサラリと垂らし、小首を傾げて見上げてくる睫毛のたっぷり生えた瞳には自分の間抜けな口を開いた顔が映る。
夏油はその瞳から目線を反らし、何とかかんとか「…うん、まあ」と返せば蚕は瞳を弓なりにし、「知ってる、でもありがとう」と機嫌良さげに言って顔を進行方向へと戻した。
夏油傑小学一年生、スーパーキューティースマイルにて無事、陥落。
まず第一に他人に興味が無い。
いや、無いなんてものじゃない、本当に有象無象は視界に入っていないらしい、眼中に無い生き物に対しての対応力がマントルを貫く勢いであった。
翌日、約束通りラジオ体操に行くために「川上」と書かれた表札のある円城蚕が現在寝泊まりしている家のチャイムを押した。
家のようなピンポーン という慣れ親しんだ軽い音ではなく、ビーッというような音であったため夏油はビックリしてすぐに指を離してしまう。すると、音も同じように止むため、これはどうやら押し続けないとダメなタイプであると学んだ。
蚕の祖母が「傑くん迎えに来てくれたのね、ありがとねえ」と嬉しそうに言い、蚕を呼びに行く。
すると数分後にいかにも「寝起きです」と言うような蚕が目をショボショボさせながらヨタヨタとこちらに向かってくるのだ。
大丈夫だろうかこれ…夏油は咄嗟に両手を前に伸ばし受け止めようとしたが、危ういながらも何とかノロノロと自力で靴を履き、祖母に「行ってくるねー」と挨拶をしていた。
朝の蚕は三割増しでトロかった。
そりゃもうハエが止まりそうなほどトロトロノロノロであった。全然真っ直ぐ歩けないし、あーだとかうーだとか謎の言葉を発しながらやっとこという感じで足を前に出している。
うん、このままでは普通に遅刻である。
夏油はここは自分がしっかりしなければと責任感に目覚め、昨日とは逆に今度は自分が蚕の手を取った。
ぬるい温度をした手であった。蚕の手をギュッと握りしめやや強引に手を引くと自分に付いてトテトテと何とかスムーズに歩きはじめる。
夏油は安堵した、このままここで蚕に付き合い歩いていたらきっと付く頃にはラジオ体操は終わっていたであろう。
やはりこの少女心配だ…とグラグラフラフラ歩き、ふにゃふにゃ子猫のように何か言っている蚕を時々振り返りラジオ体操会場までの道を行く。
ラジオ体操会場は近所の公園であった。
そこには既に人が集まっており、夏油と蚕はほとんど最後に来た子であった。
見慣れぬ子供と一緒に現れた夏油に視線が集まる。その視線に居心地悪く思いながら未だにボケら~とする蚕の手を引き会場の隅へ行く、いつもの夏油の定位置であった。
「蚕、ほら 着いたから」
夏油は蚕の握った手を上下に振りながら声を掛ける。
「え、ああ、あー うん おきてまふ…」
いやこれ絶対起きてないじゃん。
夏油はどうすりゃいいんだと頭を抱えそうになった。
その間も視線が突き刺さる、ヒソヒソとこちらを気にする声が聞こえてくる。夏油はせっかく楽しみにしていたラジオ体操が何だか途端に悲しい気持ちで満たされていった。
時間になり、ラジオから歌が流れはじめる。
あーたーらしーいあさがきった、きーぼーの あっさーだ。
それに合わせ歌い出したり出さなかったりする子供達と親や地域住民。ちなみに夏油は一応歌っている、殆ど口パクだが。
蚕は突然の合唱に「んええっ!?」とおかしな奇声を上げると目をカッと開きキョロキョロと周りを見渡す。
蚕、覚醒。
だがしかし興味が無かったのか、はたまた知らない歌だったのだろうか、周囲を見渡した後は堂々と一人だけ完璧に口を閉じて歌を乗り気っていた。凄い勇気である、夏油には出来ないことだった。痺れはしないし憧れもしないが、純粋に凄いなこの子…と思った。
ラジオ体操パートになる。
いちっにっさん。いちっにっさん。腕を大きく振って~~ とラジオから音がする。
子供達の前で小学校高学年の子供達がお手本として立ち、体操をする。
夏油もそれに合わせてしっかりと体操するが、隣が気になりチラリと確認するように蚕を見る。
うん、体操している………が、圧倒的にトロい。
ワンテンポなんてもんじゃない、かなり遅れている。蚕もそれに気づいてるのか、皆が新しい体操をし始めるとしていた体操を途中で中断し 手本に合わせて体操をする。しかしやはりトロいのでまた皆は新しい体操にいってしまう。蚕はそれを追いかける。夏油は新しいタイプのラジオ体操を見た。
普通腕を振るのにあんなにのんびりやるだろうか。屈伸なんてまずしゃがむのにかなりの時間を使っているせいで皆と動きがバラバラである。
蚕…もしかしたら今まで僕よりも苦労して生きて来たんじゃないかな。と、夏油はさらに心配になった。
本人は最後まで…やや途中色々省いたが何とか体操を終わらせると「朝から疲れた…」と疲労困憊な様子を見せる。やっぱ大丈夫じゃないなこれ。
蚕はとくにラジオ体操カードなどは持っていないため、夏油は「ここで待ってるんだよ」と蚕に言い付けラジオ体操カードに判子を押して貰うために列に並ぶ。
蚕は疲れていたため何もしなくていいなら良かったと夏油の後ろ姿を見送りながら自分は息を整えていた。
これ、毎日やるの?と若干初日にしてやめたい気持ちになっていた。
そんなことを考えていると数人の子供が寄ってくる、ねえねえ と物珍しさに声をかけてくる。
円城蚕はこの辺りでは見掛けたことの無い愛らしい容姿をした物珍しい少女だ、しかもどういうわけか、男子に手を引かれてやって来た。それだけで女子の話題の的となる。
蚕は内心「ダルいな…」と思いながらもハイパーキューティースマイルで向かえ打った。何故なら自分は顔が良いので、顔が良い者の当然の義務として笑顔を振り撒く。ギブミーチョコレート?はいはいスマイルスマイル。
女子は元気であった。蚕はラジオ体操一つでヘトヘトヘロヘロなのに女子はキャアキャア言いながら夏油との関係について聞いてくる。
「どうして手を繋いでたの?」「あの男子ずっと見てたよ!」「好きなんじゃない?」キャーーー!!!
女子のヒートアップする甲高い声に夏油はギョッとして判子待ちをしながら振り向くと、蚕の周りにワラワラと人が集まっていた。
埋もれている……。
女子集団の中心に最早頭も見えないくらいになっている蚕、足元の靴でなんとか判別出来るがえらいこっちゃである。
最早女子が何を言ってるか判別出来ないほど色々矢継ぎ早に捲し立てるものだから、状況がイマイチ理解出来ない。
蚕は大体の質問に「来たばかりだから分かんない」で返していた。
「どうして手を繋いでたの?」「来たばかりだから…」 「あの男子ずっと見てたよ!」「分かんない…」 「好きなんじゃない?」「来たばかりだから…」
どうして女子という生き物は他人同士がここまで手を繋いで来たこと一つでこんなに楽しくなれるのだろうか、疲れきったこの身にはちとキツい所業である。早く帰って来てミーシャ…。
しかし、判子が終わった夏油も夏油で困っていた。
ラジオ体操カードを握りしめ、顎を引いて困ったように 嫌そうに女子集団~蚕を沿えて~を見る。あれに…突っ込んでいけと…?
無理である。男とは、女が集団となった時には無力な生き物となるのだ。
夏油を遠巻きに見ていた少年達も女子の夏の暑さに負けないボルテージの上がりように「女子こえ~」と呟いていた、夏油は はじめて見えない人の気持ちに激しく共感出来た。わかる、僕も怖い。
しかし、今から自分はあの中に突っ込んで行き、さらに蚕の手を掴んで急いで帰らねばならない。見捨てるわけにはいかないのだ、何故なら 蚕の活動限界時間が迫っているのだ。昨日もあの後、蚕は「もう今日は疲れた」と夏油を放ってスカーッと机に突っ伏して寝始めたのだ、祖母曰く 「この子はどこでも寝てしまう」らしく、このままではきっと蚕は疲れたと疲労宣言した後にこの公園で堂々と寝始めるかもしれない。そうなると夏油にはどうにも出来ない、困った事態になる。それだけは避けたくて女子の集団から蚕を引き離して連れて帰りたいが、その一歩が中々出ない。ピュアピュア一年生の夏油にはハードルが高すぎた。
だって近付いただけできっと キャーーー!!!! と言う悲鳴か雄叫びか分からない声を挙げられる。
どうしよう……と呆然と立ち尽くしていると、女子集団に近寄る一人の男子が居た。
見覚えがある。
あれは、僕を置いて行った上級生だ。
夏油は途端にサアッと頭から血の気が引いていく心地になった。
昨日の真昼に起きた事件の記憶がいっしゅんにして思い出される、頭をその苦い記憶で満たされる、感情が恐怖と怒りに支配されていく。それだけで嫌なのに、苦しいのに、震えるほどに怖いのに…あの上級生は蚕に近寄るというのか。
嫌だ、やめてほしい、やめてくれ、やめろ!!
そう切実に思うが口には一音だって出せやしなかった、立ち尽くして右目の目尻をヒクヒクと痙攣させることしか出来ない。
そうこうしている内に上級生の男子は女子集団に明るく「何やってんの」と声を掛ける、地域の子供達の中心に居るような人気者の男子に話掛けられてミーハーな女子は顔色を輝かせ男子に蚕を紹介し始める。「困っていたから話かけてあげたの!」「来たばかりなんだって!」「今から仲良くしようと思って~」など、聞かれてもいないことをベラベラと喧しく言い始める。
夏油は最早ことの成り行きを見守るしかなかった。
蚕の珍しいクリームソーダのような艶々した瞳が男子を目に止めた。
起きたばかりで結っていない髪は夏の朝の生ぬるい風にそよそよと流れ、運動後でやや火照った顔には赤みが差している。
今まで見たことの無い少女、昨日自分が他の子供と楽しい気分を優先して置いていった少年が連れて来た 小柄で宝石のような冷たさを持つ女の子。
その瞳が自分に向いている事実に男子は一気に気分が良くなり人好きする笑顔で話掛ける。
「はじめまして、どこから来たのかな?」「分かんない…」
男子はそっか、と苦笑を浮かべる。いきなり親御さんに言われてラジオ体操に来てしまったのかな?それなら分からないよね、と。
「お家どこ?」「来たばかりだから…」
ああ、ここからの帰り道もわからないのかな?それは大変だ、自分が付いて行ってあげなけりゃなるまい。
「名前は?」「分かんない…」
………え?
「えっと、名前だよ?」「来たばかりだから…」
…………は?
「あのさ、」「分かんない…」
……………いや、あの、こっちが分かんないんだけど。
その異様さに上級生の男子は勿論、取り囲んでいた女子達もビシリと固まる。
何だこの少女、さっきから同じことしか言わないぞ。
どうする?どうしよう…とアイコンタクトを取っていると少女は周りのことなど気にせずに視線を上級生男子の後ろへとやり、足を前に動き出す。
「ミーシャ」
そう、「分かんない」でも「来たばかりだから」でも無く ポツリと呟くと足を踏み出し男子の横をするりと通過して夏油の元にポテポテと歩いて行ってしまう。
蚕は夏油を見つめて先ほどの何も考えてないといった表情から一変し、やや不機嫌そうな顔をして、夏油の頬をまたしても両側からムギュギュッと押し潰した。
「遅いわ、一体どこまで判子押しに行ってたの?アラスカ?」
「ふぉふぇん、ふぉふぇんふぇ(ごめん、ごめんね)」
ハァッとこれ見よがしに深くため息をつき、来た時とは反対に夏油の手を蚕がむんずっと掴み引っ張って行く。
手を引かれ、周りの視線を浴びながらも夏油は酷く安堵した、蚕があの上級生達を選ばずに自分の元に来てくれたことに。自分を見つけて表情を変えたことに、そして何よりきっと誰にも興味が無かったということに。
密やかな優越感。
夏油は蚕の背中を見つめる。小さな背中だ、昨日とは違い髪はふわりふわりと下ろしたままで、前を向いて少女は歩いて行く。
この背中が好きだな、と素直に思った。
きっとこうしてこんな距離で一緒のスピードで歩いて、背中を見れるのは自分だけであろうと、夏油はほっぺを内側から噛んで表情を堪えながら蚕のペースに合わせてゆっくりと歩く。
蚕が後ろに向かって話掛ける
「ちょっと食い付きすぎよね」
夏油は「確かにね」と返した。君が可愛いからだよ、なんて口が裂けても恥ずかしくて言えなかった。
だが蚕は「まあ私、顔が良いものね」と自分で恥ずかしげもなく言ってしまった。
それに対して「へ?」と突然の急カーブな切り返しに思わず何も考えずに間抜けな一音を口にすると蚕は振り向きながら言う。
夏の朝の生ぬるい温度なんて全く似合わない、今までで一番キラキラした顔で言った。
「私、可愛いでしょう?」
ミーシャもそう思ってくれるわよね?と口角をきっちり可愛く上げて覗き込むように言う蚕はそれはもう…確かに可愛かった。髪をサラリと垂らし、小首を傾げて見上げてくる睫毛のたっぷり生えた瞳には自分の間抜けな口を開いた顔が映る。
夏油はその瞳から目線を反らし、何とかかんとか「…うん、まあ」と返せば蚕は瞳を弓なりにし、「知ってる、でもありがとう」と機嫌良さげに言って顔を進行方向へと戻した。
夏油傑小学一年生、スーパーキューティースマイルにて無事、陥落。