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二.五グラムの約束

今日は久々に任務に出るという妹の付き添いで俺も一緒に任務に行った。
案の定というか、まあ分かりきっていたことだが、アイツは任務そっちのけで実験をし始めたり、珍しい土質だとかで土をほじくり返し出したりして、結局俺が殆ど働いたようなもんだった。

もう慣れたことだが、アイツは本当に自分の研究のことにしか興味が無いせいで、呪霊による被害だとか仲間の敵討ちだとか、そういうことを気にして仕事をしていなかった。
思い返せば、昔からそうだったような気がする。






 
まだアイツが小さくて、俺に纏わり付いてふにふにしていた頃の話。
俺が家の奴等に適当な理由を付けられて殴られたり何だりしているのを見てしまったアイツは、耳が痛くなるくらいワァワァギャンギャン泣いて叫んだことがあった。

「あああ"ぁ"ーー!!おにい"ち"ゃ"あ"ーーー!!!!」
「うるせぇ…」
「ちぃでてうの"お"ぉ"ーー!!!」

座る俺の膝の上に顔を突っ伏し、顔からあらゆる分泌物を垂れ流して俺の股辺りの着物をグジョグジョにした妹は、ひたすらに気の済むまで泣くと、ゆっくり顔を上げた。
予想していた通りに涙やよだれや鼻水なんかで汚くなった顔は、しかし、目だけは異様に、ギラギラと獣のように気味悪く血走っていたのを覚えている。

適当な布で適当に顔をゴシゴシと拭ってやれば、俺の顔についていたままの血をジッと見てきたので、「どうした」と尋ねる。
そうすればスクッと立ち上がり、何も喋らず部屋を出て行ってしまった。

一人取り残された俺は、何だったんだと思うも、しかしアイツの奇行は今に始まったことじゃなかったなと考え直し、意識を別の場所へやってしまった。


そして、それから数時間後。

普段関わり合いの無い女中が、慌てた様子で俺を呼びに来た。

「お嬢様が、お嬢様が!!」

そう言って俺を連れ、案内した先に待っていたのは地獄と呼ぶに相応しき光景だった。


ドロリ、ドロリ、ドロリ。
どろり、どろり、どろり。

ぐちゃり。


不定形に歪み、蠢く銀色の重たげな流体を男たちの身体に這わせ、首を絞め、口の中や耳の中にまで侵入させ、さらには俺が傷を受けた場所とそっくり同じ場所を刺し穿つ。
くねる銀が夕日に反射し、キラキラと鈍く艶めく様は芸術的とも言えたが、聞こえてくる呻き声と、吐瀉物や血の香りのせいで惨憺たる有様であった。

酷く淀んだ瞳で空中に拘束した男達を見上げ、ゆっくり、ジワジワと息の根を止めにかかった妹の元へ仕方無く近寄る。
ツッカケがグチュリと嫌な音を立てて流体の銀を踏み付ければ、こちらに気が付いたらしい妹は「あ」と俺を認識し、俺の側にあった銀を素早く撤退させた。

「おにぃちゃ」
「お前、何してんだ」
「おにぃちゃー」

小さな足でヨタヨタと不器用にこちらに走り寄って来た妹を受け止めてやる。
スリスリと俺の手のひらに頬を擦り寄せ、機嫌良さそうにフニャフニャと笑いながら甘える様はまるで仔猫のようなのに、その後ろでは今もなお、男達が捕縛され、甚振られ続けていた。

正直いい気味だとは思ったが、しかしこのまま死人が出ると困るのは確かだった。
コイツは術式もあるし良い悪いも曖昧なガキだから、たかが知れた罰で済むだろうが、俺はそうじゃなかった。
別に自分の命など執着する程の価値でも無かったが、俺が死んだときにコイツがどうなるかと考えると、少しだけ考えが変わる。
だから、俺は仕方無くコイツを止めることにした。

「もういいだろ、やめてやれ」
「んー?」
「本でも読んでやるから」
「しろいうささん?」
「何でも読んでやるから、もうやめろ」

軽すぎる身体を抱き上げ、部屋へと戻るために歩き出せば、背後ではべシャリッと何かが力無く落下する音が幾つか聞こえた。
痛みに喘ぐ声、嗚咽、罵声。
そういった物を無視して妹を片腕に抱き、部屋へと戻る。

この時はこれで終わったが、しかし、こういったことは俺に何かが起きる度に続いた。

相手の飲料に毒物を混ぜ、睡眠時を襲い、衣服にまで細工を施す。
まさに悪行三昧、それも笑って許せるような可愛らしい物では無く、徹底的に"分からせる"ための躾に似た行動。
無意識から来る、強者の務めとも言えようか。
アイツは、「自分の方が立場が上であり、そんな自分のお気に入りの物に手を出したらタダでは済まさない」という意思表示を、上手く喋れない変わりに行動で示し続けた。

そして、この行為は俺以外の人間に何が起きようと、することは無かった。

依存と執着。
暇潰しに構ってしまったせいで、とんだ化け物を生み出してしまったが、それでも一連の行動が自分の…自分だけのために行われていると思うと、妙に気分が良かった。
オッサン共があの手この手で何とか手綱を掴もうと模索する程に、優秀な術式と才能を有するこの気狂いな妹は、俺にしか興味が無く、俺としか会話をする気が無いとくれば、飢えて欠けた心も少しはマシになるもんだ。

俺は自分のために、妹の好意と愛情を利用して、自分の心を満たしていたのだった。


そして、そんな妹から与えられる唯一無二の愛情にすら満たされなくなった頃、俺は泣いて縋る妹を置いて家を出た。

倒れ伏した家の連中など目にも止めず俺を呼び、服の裾を掴んで涙を流す妹に、俺は、


「つえてって!!わたしも、つえてってよ"お"!!」
「……………」
「おねがいぃ…いいこにすうからぁ"!」
「……………」


何も言わず、振り返ることすらせず、小さな手を鬱陶しいと言わんばかりに払って置いて行った。


「いやぁぁ!おにいちゃぁ!!」

「おいてかないでぇ!おいて、おいてかないでぇ……」

「いいこに、すぅから……」


絶望に嘆く惨めな鳴き声を鼓膜に張り付け、妹を捨てて家を出る。

その後、妹がどういう人生を歩んで来たかは知らないが、まあ散々だったのだろう。
久しぶりに会った妹は昔の面影なんて消え去った、冷たい彫刻のような容姿をした、石と恨みで出来た人間になっていた。
よく、石には怨念が宿るだとか何とか聞くが、正に読んで字の如くそういう存在になっていたのを見て、少しだけ後悔をした。

あそこから一緒に連れて行ってやれば、普通の人間のように、普通の女のように、ただの妹として、壊れることも無く、憎しみと恨みで満たされ化物として完成すること無く、生きてこれたのかもしれないと。
俺が手を離したから、俺が見捨てたから壊れた。
これは思い違いなんかじゃなく、事実だ。
事実として、妹は俺のことだけを思って、思い続けて、壊れた。

壊れた身体で立ち上がり、俺のために砕け散る。
一体あと何度、壊れるのだろう。
コイツは、俺が死んだらどうなるのだろう。
もし、そうなったら…


「お兄ちゃん、どしたの?」
「あ?」


過去の出来事を思い返していれば、突然声を掛けられて意識がそちらに引っ張られた。

黒いYシャツに黒いズボン、そしてクーラーボックスとショベルを持った妹が、座り込む俺を見下ろしていた。
辺りはすっかり夕陽に染まり、川辺特有の水分を含んだひんやりとした空気が首筋を撫でていく。

どうやら採取作業は終わったらしい。
結局本当に一回も戦闘に参加しなかった妹に呆れた目線を送れば、何を勘違いしているのか知らないが、嬉しそうにニコニコとし始めたので、まあいいかと色々どうでも良くなった。

「お前本当変わんねぇな」
「え、みんな変わったって言ってくれるよ!?」
「俺を好きなとことか」
「そうかなあ…」

立ち上がり、重たそうにしているクーラーボックスを受け取る。
すかさず側に近寄ってくる妹の頭を適当な加減で雑に撫でれば、「ほべべべべ」と謎の擬音を発しながら頭をグワングワン揺らしていた。
手を離せば、「もー!」と怒ったフリをして頬を膨らませる。
ぷくっとした片頬を指先でつつけば、口からブシュッと空気が抜けた。

「私、変わったと思うんだけどな〜」
「何処がだよ」
「昔よりも今の方がずっとずっとお兄ちゃんのこと好きだし」
「…………………」

恥ずかしげもなくそう言って、「早く帰ろう!」と小走りで先を歩いて行く妹の背中を見つめる。
俺とは似ても似つかない、触れれば壊れそうな肩に薄い腹、靡く白い髪は夕陽に透けて神秘的に輝いている。
最早流れる血の一滴すら掠りもしない俺達はそれでも兄妹で家族で、帰る場所が同じな者同士だった。

先を行く妹に昔の自分が重なり、「おい、置いてくな」と口にすれば、滑らかな髪を揺らして振り返り、妹は純真に笑う。

「置いてかないよ、待ちまーす!」

と言いつつ、行った道を走って戻って来た。
小走りでこちらに駆け寄ってくる妹をその場に立って待っていれば、案の定スピードを緩めずにそのまま引っ付いてきたので受け止める。
笑顔で俺の腕の中へと戻ってきた妹は、やはり何も変わらない。
あの日置いて行った、小さくて惨めな俺を大好きな子供と同じだ。
未だに俺よりずっと小さくて、儚くて、俺のことが好きなまま。

きっとこれから先、周りの影響で何かが変わっていったとしても、根底が覆ることは有り得ないだろう。

呪いのように染み付いて離れないこの愛を、それでも喜んで受け入れる。
擦り切れて壊れ果てるまで、ずっと俺を思い続けるだろう妹に、何をしてやれるだろうか。

そう考えられるくらいには、俺もコイツの愛に執着していた。
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