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二.五グラムの約束

薄くストライプの入った白いワイシャツ、シルバーカラーのネクタイ、黒いスラックスにシンプルなスニーカー、そして、やや薄汚れた白衣。

今の先輩は、身に着けている物だけ見れば立派な大人だ。
しかし、容姿は学生時代からあまり変わっていないし、性格も多少は落ち着いたような気もするけれど、やっぱり今日もマッドにイカれている。

今日は朝から、昨日産出したという鉱物(名前は忘れちゃった)を朝からずっとガリガリと削りながら、「コイツでバンダースナッチをつくる!」と息巻いていた。
なんでも、お兄さんと戦った時に砕けてしまったとっておきの一体、ハートのジャックの進化バージョンらしい。
先輩の布教によって僕も不思議の国のアリスを一度読んだけれど、ハートのジャックとバンダースナッチに関わりは薄いような…。
そもそも、バンダースナッチは鏡の国のアリスにちょっとだけ出てくるやつじゃ…。


まあ、先輩が楽しそうだからいっか!


それよりも僕は、夏油さんが呪生研に配属になるらしいので、お祝いに渡してくれと先輩から頼まれているネクタイについて考えなければ。

カタログをペラペラと捲りながらあれこれ思いを馳せる。
先輩は大体銀か黒っぽい色のネクタイをしているけれど、夏油さんはどんな物が似合うだろう。
紫のペイズリー柄、緑のストライプ、思い切ってピンクのドットとか?うーん、なんでも似合いそうで決められない。

必死に鉱物を削る先輩の側に近寄り、スッとカタログを差し出してみる。

「先輩はどう思いますか?」
「私?私はね、次回作はトーヴのようにタヌキとトカゲと栓抜きを掛けあわせたようなユーモラス溢れる生き物をだね…」
「鉱物生命じゃなくて、ネクタイについてです!」
「あ?ああ、ネクタイ…ネクタイか…」

意気揚々と語り始めようとした先輩の話を中断させ、カタログをズイッと押し出して見せれば、研磨の手を止めチラリとこちらを見てくれた。

ザッとページの上から下までを眺めた先輩は、紙面から目線を外し、少し考えた後にまた研磨作業に戻りながら口を動かす。

「赤にしておけ、赤に」
「赤ですか?どうして?」

僕の質問に一つ頷くと、よくぞ聞いてくれたといった態度で、何処で見たのか知らない知識を披露し始めた。

「ファミリータイズでも言ってたよ、青いネクタイを着けている男は出世するって」
「じゃあ、青いネクタイの方が…」

いいんじゃないですか?という質問は、突然顔をガバリとあげた先輩の勢いによって、最後まで言うことは叶わなかった。

「あんなんが出世したら困るよ!私の研究所が夏油傑によるゲトゲトランドになっちゃうかもしれないじゃん!」
「そしたら新しい研究所を作りましょう!僕も手伝います!」
「やだ、ここが気に入ってるの!」

先輩、なんだか夏油さんには厳しいような気がするのは気のせいかな…。
仲良しですねって言うと「仲良くない!」って怒るけど、これは絶対照れ隠しだと僕は思っている。
何故なら、先輩は何だかんだで自分の世話を焼いてくれる人が好きだからだ。
先輩曰く、一番上のお兄さんが一番好みらしい。そのお兄さんは先輩の「飼育員」らしく、つまりは物凄く世話を焼いてくれていたそうだ。
そして、夏油さんは結構な世話焼きだ。とくに先輩に対しては何かと口も出すし手も出している。"仕方のない子"扱いをしながら、あれやこれやと世話を焼く姿からは少し母性的な何かを感じた。
あ、もしかして…先輩、反抗期なのかも?

なるほど、それなら辻褄が合う。
親に直接プレゼントが渡せない子供の気分なのかもしれない、だから僕に頼んで…そう思うと、何だか途端に一連のことが微笑ましく感じてきた。

「灰原くん、なに笑ってんの」
「先輩も成長してるんだなって!」
「してるわけないでしょ…」

研磨作業をまたしても止め、嫌そうな顔をして溜息をついた先輩は、「私は既に個で完結した完璧な生命だぞ」と言いながら肩を回す。

「まあ、でも…不死は不死で欠陥があることは認めるが…」

ボソリと呟かれた内容に、首を傾げる。

欠陥?先輩に?
結構脆い所とかだろうか、でも簡単に修復出来ちゃうし、そもそも戦闘スタイル的に肉弾戦にはなることをあまり想定していないから、そこは別に問題じゃないような…。
じゃあ、性格?でも性格は不死に直接関わる要因ではないか…あとはなんだろ、将来的な孤独?でもそれだって僕がいるから、解決しているはずだし…。
どういうことだろう?

「先輩は完璧な単一生命体なんじゃ…」
「そうだよ、よく知ってるね」

えらいえらいと言って頷く先輩は、「しかし、」と続ける。

「進化に重要なのは遺伝子を残して増殖する事であって、個体としての死を免れることじゃないのだよ」

遺伝子を残して、増殖…えっと、つまり、子供を作って次の世代に命を繋げる…という意味合いだろうか?

「ヒトは繁殖を繰り返しながら、何万年も生存している群衆体だ、多くの生物が生殖と死を経てより新しい状態になり、変わり続ける環境に変化して適応し、多様化していく…」

それは何故だと思う?

足を組み、指を組んでこちらを見上げて尋ねる先輩の言っていることは、僕には少し難しかった。

けれど一つ分かることは、先輩の「欠陥のある完成した完璧」に僕は組み込まれてしまっているから、その繁殖を繰り返す進化と多様化のシステムに、既に僕は必要とされていない。

けれどそれの何が間違いで、危うくて、欠陥なのか僕には分からなかった。
分からないけれど、賢いこの人が言うのだから、やはり正しい在り方は今の人類の方なのだろう。

黙ってしまった僕に少し笑った先輩は、「不死になると、色々鈍くなるんだよね」と言った。

「愛も恋も必要無くなり、恐怖も薄れて、人間性を手放そうとしてしまうんだ」
「でも先輩は、全然…」
「だから何が言いたいかっていうとさ」

よいしょ、と先輩が立ち上がる。
濡れた布巾で手を拭いて、白衣に付着した破片や粉を払ってから背筋を伸ばし、こちらに向かってビシッと指を差した。

「私は成長しないけど、君はまだ成長の見込みがあるから!私のために成長しなさい!」
「なるほど!」
「ということで成長の第一歩に、私に頼らずプレゼント選びをするように!」
「分かりました、頑張ります!」
「うむ。以上、今日の講義は終わり!」

そうか、先輩が成長を手放してしまっても、その分僕が成長すれば釣り合いが取れるんだ!
そうと分かればしっかり成長して、もっと頼ってもらえるようにならなければ、妻として。

決意を新たにしていれば、先輩は「じゃ、頼んだよ」と、白衣を揺らしながら何処かへ行こうとした。
その背中に向かって、一度呼吸をしてから声を掛ける。

「でもやっぱり、赤以外にしますね!」

僕の声に立ち止まり振り返った先輩は、無言で「どうして?」と瞳で語り掛ける。

右手を自分の胸の上、心臓のあった場所へと置き、僕は言う。

「胸に赤を贈られるのは、僕だけがいいなって思うのは…我儘過ぎますか?」
「…………」

先輩は目を見開き、硬直する。

この胸の奥にあるのは偽物の赤だ。
けれど、僕にとっては宝物の赤だ。
先輩が人間に戻るために製造した、先輩の心臓。
けれど、僕と交わした冗談のつもりだった約束を果たすために、自分の身体の中から引き抜いて僕に移し与えてくれた、この世でたった一つの奇跡の宝石。

僕だって焼きもちの一つや二つ、たまにはするんだって伝わっているかな?
先輩が僕を特別大切にしてくれているのは分かっているけど、それでも時々ヒヤヒヤすることだってある。
だから、この赤を曇らせることをしたくないって我儘くらいは聞いて欲しかった。

そして、どうやら僕のそんな気持ちは伝わったらしく、先輩は「は、灰原くん〜!きみって奴は〜!!」と名前を呼びながら両手を広げ、走り寄ってギュ厶ッと抱き着いてきた。

「はい、みんな聞いてー!!この可愛い奴、私の妻なんですーー!!!」
「先輩、ポヨポヨが当たって…」
「おい全員今すぐ仕事やめろ!!見て!今すぐこの可愛い私の妻を見て!!」

ポヨンポヨヨ〜〜ン

二つのポヨポヨが押し当てられて、恥ずかしくなってきてしまい片手で顔を覆った。
しかしもう片手は受け止めた時のまま、先輩の背中を支えていた。転んだりして割れたら大変だからね。

「この可愛い灰原くんって生き物はね、心臓部に私の最高傑作が埋め込まれてるんですよ!天才と可愛いの合わせ技!!つまり最強!!」

ヒートアップする先輩の話は悲しきかな、数人しか居ない研究員の誰もが聞いていなかった。
でも、いつものことだからなぁ…。

落ち着くようにと、小さな頃妹にやってあげたように背中をよしよしと擦れば、徐々にテンションが通常冗談へと戻ってくる。
しかし、暫くの間はそのままくっついていた。
多分理由は無い、これもいつものことなので問題は無い。しいて言えば僕が嬉しいだけ。

落ち着きを取り戻した先輩が離れていく。
あ、ネクタイ曲がっちゃってる。直してあげよう。

「ネクタイさぁ…」
「今、直しますね!」
「ありがとう…いやさ、私のじゃなくて夏油くんのさ、黄色にでもしておいたら?」
「黄色ですか?」
「営業担当だからね、金運アップ」

ネクタイを直し終えれば、先輩は今度こそ背中を向けて研究室を後にした。

とりあえず、赤いネクタイは阻止出来たらしい、良かった。


僕の大切な先輩は、今日も健やかにいつも通り何処か可笑しい。
けど、僕はそんな先輩が今日も明日も百年先も好きなんだと思う。

だから百年向こうまでは色々我慢する。

そして、百年経ったら伝えるんだ。
僕のお嫁さんになって下さいと。

百年後の未来、先輩の側に居るのがぼくでるならば、今はそれでいい。
そう思えるくらいには、僕は今の関係も好きだったりする。

でもやっぱり、たまには二人っきりになりたいけどね!
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