このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

二.五グラムの約束

夏油くんから就職のことで話があるということで聞くことにした。

いらないと言ったのに笑顔で熱いお茶を煎れる彼に平べったい目を向けながら、話し出すのを待っていれば、煎れたお茶で唇を一度湿らせてから口を開いたのだった。

「一つ仕事を思いついてね」
「ほう」

それはそれは…良かったじゃないか。
めでたい報告に表情を綻ばせれば、彼もニッコリと人好きする笑みを浮かべた。

何だかよく分からんが、やりたいことが見つかったならば良かった。
じゃあ私の五条くんから押し付けられ…こほんっ、任された役目もこれで無事終了と……

「君の第二夫人なんでどうかな?」
「…頭の調節をミスった…?この私が…?」
「側室、欲しくないかい?」
「一旦脳波を…MRIも一応撮るべきだろうか…」

何が原因でこんなことを言い出してしまったんだ…夏油くんが頓痴気になってしまった。

ここ、ドバイじゃないから一夫多妻制では無いんですよね。
あと私、戸籍上女なので夫じゃないんですよね。
それから、別に結婚もしていないんですがね…どうしよう、何処から突っ込めばいいか分からなくなってきたぞ。

眉間を揉み、呼吸を整える。
これはあれだな、恐らく私が研究と実験以外には本当に使い物にならないという所を見せ過ぎたせいだろうな。

最近、やることが無い夏油くんには研究所のちょっとしたことをやってもらっていた。
機材の簡単な掃除とか、ゴミ出しとか、あとは私の身のまわりのことを少々…。
最初は「君、本当に研究以外のこと出来ないんだね」「流石に灰原が可哀想になってきた」「カップ麺と冷凍チャーハンしか食べて無いじゃないか」とかなんとか、あれこれ鬱陶しく口出しをしてきた夏油くんであったが、近頃は「私が居ないと駄目なんだから」「ほら、こっちも食べて」と何らかの扉を開いたらしく、あれやこれやと言いながらも世話を焼いていてくれた。
それが結構便利で有り難かったので、あ〜環境が良くなってよかったな〜と楽観視していたらこれだ。

まずったな…彼の「私がなんとかしてあげないと」精神に火を着けてしまったようだ。
しかしだな…しかし…私はあまり干渉され過ぎるのもあまり嬉しくないと言いますか…ぶっちゃけ灰原くん一人居れば十分事足りている。

なので、丁寧にお断りすることにした。

「悪いけどね、私には既に可愛い妻が…」
「その通りです!!!」


バンッ!!!


突如、遠慮を知らぬ力加減で扉が勢い良く開く。
そこから現れたのは、黒い髪をした丸い瞳の男…自他共に認める私の正妻、灰原雄であった。
彼は可愛らしい黄緑色のお弁当袋片手にこちらまで歩いてくると、バンッと音を立てて私と夏油くんの間に手を付き、真剣な表情で「先輩!」と私を呼んだ。


「僕だけじゃ…駄目なの?」

きゅるるん。
黒い瞳に困惑を乗せた所が注目ポイント。
可愛さポイントに5兆点を加点。
今シーズン最もキュートなヒューマン賞受賞。


少しだけ首を傾げ、黒くツヤツヤとした丸い瞳でこちらを見つめてくる灰原くんに、私は僅か0.5秒で屈した。

ゴチンッ!
勢い良く額を机にぶつけ、「ソンナコトナイヨ…」と何とか絞り出した声で言う。
何も悪いことはしていないはずなのに、罪悪感を感じずにはいられない。

本当にごめんなさい、夏油くん便利だからちょっといいかもなとか一瞬でも思ってごめんなさい…違うんです、私が欲しいと思って死後の縛りまで交わしたのは君だけであって、そんなあの…本当に違うんです…だからその「悲しいけど、先輩の意思は尊重したい…だから我儘も飲み込みます」的な表情は今すぐやめてくれ。
こんな表情させたと七海くんにバレた日には粉々にされて海に撒かれる、私が。

スゥー…鼻から大きく息を吸い込み、口から吐き出す。
一度瞑った目を開いてゆっくり起き上がると、灰原くんはまだジッとこちらを見ていた。

「灰原くん、私の心臓は後にも先にも君の物だよ」
「先輩…」
「君以外と、100年後の未来で一緒に居るつもりは無いから安心してくれ」
「先輩〜!」

ムギュッ、ハグッ。
座る私に抱き着いてきた灰原くんを受け止め、よしよしワシャワシャと犬のように両手で頭を雑に撫でていれば、灰原くん越しの夏油くんが何故かこちらに携帯を向けていた。
何してんだ?え、もしかして撮ってる?

「夏油くん、なにしてんの?」
「あとで皆に見せてあげようと思ってね…」
「七海くんには…」
「勿論見せるよ」

それはやめろ!!!
絶対今後私が他に現を抜かしたりしたら、この動画を証拠材料として脅してくることになるじゃん!!
クソ…何とかして拡散される前に後でデータを消さなければ…

「それ消し、」
「もう皆に送ったよ、灰原にも送ったからね」
「夏油さんありがとうございます!」

終わりだ終わりだ終わりだ!!!

なんでだよ、さっきまで側室にして下さいとか言ってたじゃん、変わり身早すぎじゃない?もしかして、私、単純にからかわれていたんじゃ…。
その事実に気付きハッとした瞬間、夏油くんはニコニコとした笑みを止め、ニチャァ…と邪悪な笑みを浮かべた。

あ、これは何か…嵌められてますね、確実に。

「怖いよ…なに……?」

夏油くんの笑みに怯えていれば、夏油くんはスッと表情を戻し、灰原くんを呼んで何やら話し出した。
コソコソと会話を交わし終えた二人はこちらを向くと、まず灰原くんが喋りだす。

「先輩、夏油さんが営業の仕事受けてくれるそうですよ!」
「え、そうなの…?」
「その変わり、研究がしてみたいそうです!」
「…研究?」

研究って、私が普段やってるみたいなこと?またいきなり唐突な…というか、何故私に直接言わない?
何か嫌な予感がするんだけど、気のせい?
そうこう気にしているうちに、灰原くんは私に「これ、今日のお昼ご飯です」と弁当袋を渡すと、席を外してしまった。

またもや二人きりになった私達は、休息室で沈黙を抱えることとなる。
冷えたお茶に手を伸ばし、一口啜る。
生温い液体が喉を通って空洞の腹の中に満ちていき、エネルギーとして吸収されていくのを感じ取っていれば、夏油くんは喋りだした。

「やはり私は非術師を好きにはなれそうにない」
「…………」
「どうしたってあの猿共は呪いを産み出す、感情がある限り」
「…………」
「だから、非術師の感情をどうにか出来る実験がしたい」

感情の制御…いや、夏油くんが言いたいのはそれじゃないな。
湧き出た感情を消去、もしくは別の形に変換する…そういうアプローチがしたいということか。
呪いになる前の感情への干渉…ふむ…面白いではないか。
中々良い着眼点をしている、感情を呪いではない別エネルギーへ変換、からの媒体への吸収…などが一番実現性が高いのではないだろうか?
うむ、実に面白そうな実験じゃないの。

「良かろう、許可する」
「全面的に協力してくれないか?」
「良いだろう」
「…良かった、君ならそう言ってくれると信じてた」

まあね、私はロマンの分かる女ですから。
だが、研究をするとなると場所や設備…それから研究費をどうするかが問題で…。

それについては何か考えがあるのかと尋ねれば、待っていましたとばかりに夏油くんは私の手を取った。

「営業で稼いで来るから金を幾らか研究資金として回してくれないかな?あとそれから私のために設備も貸して欲しい、それと肩書もやっぱり必要だからね、役職もくれるかな?」
「いや、ちょ…」
「実はさっきの動画はまだ灰原にしか送っていなくてね、あの灰原への誓いを立てた動画を七海に送られたく無かったら初期費用も工面してくれないか?」
「ま、待て待て待て…」
「実はずっと君の白衣を羨ましく思っていたんだよね、私に似合うかな?どうだろう?」

待ってってゆってるじゃん!!口を挟む余地の無い一方的会話やめろ!!!私相手に営業の才能を見せつけるな!!!

手を離せとブンブン振るも、ニコニコとしながらガッチリ掴んで離さない夏油くんは、何故か私の手をスリスリモミモミと揉み込み始めた。
やだもう、本当この人意味分かんない!最初から意味分かんない、理解出来ない奴だなって苦手に思ってたけど…やっぱり意味分からないよ!怖いよ!!
最近ちょっと仲良くなれるかもしれないとか思ったりもしたけど、無理だよ、怖すぎる、やっぱり苦手だ…。

「ワイシャツにネクタイ、それから白衣…格好良いなってずっと思ってたんだ」
「手離して!手!」
「あ、ちなみにどんな役職が空いてるのかな?」
「一般研究員からに決まってるでしょ!」
「営業担当大臣とかどう?」

そんなもん無いよ!!!
本当にコイツ五条くんの言う通り目立ちたがりだな…。

振っても振っても振り解けない手に苦戦しながら、私はハァハァと息を切らす。
この男…野放しにしておいたら絶対非術師相手にヤバい実験する…そんでその責任を私に押し付けられるんだ…そしたら五条くんに絶交されて、灰原くんに泣かれて、お兄ちゃんに苦労を掛けるハメに…。

最悪の展開を想像し、首を垂れて俯く。気分は最低、撃沈だ。

仕方無い、こうなりゃ私が研究者の先輩として研究のいろはを叩き込みながら、研究意欲を上手くコントロールして、何かこう…上手い具合にやるしかない。
そうしなけりゃ私も滅することになる。

ああ、本当…こういう関係って何て言うんだっけ…。

「いいよ、とりあえずその方向性で雇うよ…」
「ありがとう、本当に君は頼もしい友人だよ」
「友達じゃないよ!私の友達は五条くんだけだから!!」

私のことを理解してないのに友達面してんじゃねえぞ!!という気持ちを込めて睨み付ければ、何が可笑しいのか、夏油くんは口を開けてハハハッと軽快に笑った。

そうして、手を離し、未だ笑いの収まらぬ状態で彼は言う。


「そうだね、私達は友達じゃない。運命共同体だ」


運命、とは。
この言葉は単に幸福や色良い未来を指し示した物では無い。
吉凶禍福、禍福得喪、幸不幸を共にする間柄。
転じて、将来。
私達が成功するならば同じ時に。
そして、破滅する時も一緒に。


面倒で重たい荷を背負ってしまったという感情の反面、これもまた一つの関係だと、案外すんなり受け入れる自分が居た。
共倒れだけは絶対ごめんだが、一緒に研究成功を祝して騒ぐくらいは良しとしよう。

ハァと溜め息をついて温くなったお茶を飲み干し、椅子を引いて立ち上がる。

「まあ、よろしく頼むよ、夏油研究員」
「こちらこそ、所長」

マグカップを洗って、白衣のポケットに手を突っ込んで部屋を後にする。
夏油くんのデスクと白衣、諸々を用意しなければ。

私から贈るのも癪だし、ネクタイは灰原くんから贈って貰うとしようか。
6/11ページ
スキ