二.五グラムの約束
我が家には、宝石で出来たお姫様が住んでいた。
そのお姫様はツヤツヤした眩しい白い髪をしていたから、何処に居ても目立っていた。
よくは知らなかったが、物凄く怖い人なのか、皆怯えて近寄ろうとしなかったし、子供は絶対に近付いてはいけないと言われていたので、いつも遠くから少しだけ見ていたのだ。
伸びた背筋と、美しい顔立ち。
宝石のように煌めく瞳は、まるでこの世の物では無いかのように瞬きの度に色彩を変えて輝いていた。
そんな、美しくて怖いお姫様が、今……目の前に居る。
姉である真希と私を見下ろす彼女は、その美しい顔に笑みの一つも浮かべることなく、冷たそうなツルリとした瞳でこちらを無感動に見下ろしている。
そうして、一つ瞬きをした後には、側にいた私達を虐めていた家の男に「きみさぁ〜」と詰め寄って行った。
「子供にちょっかい出す暇があるんなら、私の研究材料になった方が絶対人としての価値が上がるよ?ね、どうかね?ん?」
「いや、あの…か、勘弁…」
「壁?ああ、肉盾希望?いいね!」
「ち、ちが…!」
私は、どうやら勘違いをしていたらしい。
宝石のお姫様は、宝石のお姫様ではなく怖い魔女だった。
緑の入り交じる金色の瞳にギラギラと狂気を滾らせ、男の胸ぐらを掴み上げたのとは反対の手でスカートのポケットを弄り、取り出した何かを男の首元に容赦無くブスリッと突き刺した。
「カハッ」と息を吐き出す音と、バタバタと藻掻く事で起きた足音が廊下に響く。
私は真希と手をギュッと繋ぎながら、自分達を虐めていた人間が愉快に甚振られる様子を、ひたすら声も出さずに見ていることしか出来なかった。
やがて、お姫様は男から手を離すと、その場に座り込んだ男はそのままズリズリと身体を引き摺りながら逃げて行った。
お姫様の左手に握られている何かからは、ポタポタと血が何滴か滴り落ち、廊下を赤く汚したのだった。
「あーん…もっと色々試したかったのになぁ…逃げられちゃったや…」
男が逃げて行った方を残念そうに眺めながらそう口にしたお姫様は、数秒後に突然こちらを振り返ると、ニコッと綺麗な笑みを浮かべた。
咄嗟に真希が庇うように前に出る。
得体の知れない物と向き合うような、妙な感覚に背筋がゾワゾワと震えた。
なに、なんなのこの人。
いや、人なの?こんなに綺麗な人間が居ていいの?
恐ろしく研ぎ澄まされた美しさだ。
しかし、何処か気味が悪く、生命(いのち)の所在が分からない。瞳を見ていると不安が過ぎる。
まるで、一から十まで作り物のような…。
そんな相手に、足の先から頭のテッペンまでをジットリと見られる。
本当に石みたいな目だ、人間の目では無い。動きが少なすぎる。
「扇おじさまんとこの子でしょ?私ね、一応君達の従姉なんだよ?」
よっこいしょ、と言いながらその場にしゃがみこんだお姫様は、「大丈夫、ただの子供に研究的興味無いから」と訳のわからないことを言った。
一体何が大丈夫なのか、何も大丈夫じゃない、少なくとも今一人でないことがどれだけ心強いか。
「知ってる、直哉のおきにいりだろ」
「ま、真希…!」
「わたしたちは、おひぃさんって呼んでる」
私を庇いながら、相手を睨み付けて言う真希を止めようとしたが、手を強く握られて動きを制された。
真希の言葉に「ふむふむ」と何度か頷いたお姫様がチラリと、石の瞳で私を見る。
目が合ってしまい、思わず真希の背中に隠れれば、お姫様は苦笑交じりにスッと立ち上がってしまった。
スカートが揺れて、細い脚がピンと伸びる。それを目で追いながら見上げれば、彼女は先程と同じ、何処か人間らしさの伴わない瞳で微笑んだ。
「今度は君達用の差し入れも用意しておくよ、生憎今は手持ちが飴玉くらいしか無くてね」
そう言ってガサゴソとポケットを漁り、はいどうぞと棒付きのキャンディをバラバラ渡される。
反射的に二人揃って受け取れば、見たことも無いカラフルで外国の包み紙のような、丸い棒付きの飴だった。
「あとは何かあったかな」と、自分のポケットを弄る彼女に真希が「も、もういいって」と止めるも、話を聞かない人なのか、「ああ、そうだ」と、今度は上着のポケットから小さな四角い何かを幾つも取り出し、またしてもバラバラと手の中に落としてくる。
「いやぁ、チロルチョコ買いすぎてさ、良かった良かった」
渡すだけ渡して満足したのか、スカートを揺らしながら彼女はお姫様のように優雅な足取りで去って行く。
いっぱいになった手のひらを真希と見合って、「はやく隠さねぇと」「うん」と言い合った。
遠くから見ていただけのお姫様は、よく分からない、不思議な人だった。
いや、人と呼んで良いかも分からないが、とにかく謎な存在だった。
確かに気味は悪いけど、でも、案外そこまで悪い人なのでは無いのかもしれないと思った。
だって翌日、いつもは私達を見掛けたら絶対に嫌味を言ってくる人が目を逸らして何も言って来なかったのは、絶対にあの人が何かしたせいだった。
あの人はどうやって、この家で生きて来たのだろう。
どうやったら誰かに飴を渡せる人になれるのだろう。
どうやったら、あんなに強くて怖い女の人になれるのだろう…。
そのお姫様はツヤツヤした眩しい白い髪をしていたから、何処に居ても目立っていた。
よくは知らなかったが、物凄く怖い人なのか、皆怯えて近寄ろうとしなかったし、子供は絶対に近付いてはいけないと言われていたので、いつも遠くから少しだけ見ていたのだ。
伸びた背筋と、美しい顔立ち。
宝石のように煌めく瞳は、まるでこの世の物では無いかのように瞬きの度に色彩を変えて輝いていた。
そんな、美しくて怖いお姫様が、今……目の前に居る。
姉である真希と私を見下ろす彼女は、その美しい顔に笑みの一つも浮かべることなく、冷たそうなツルリとした瞳でこちらを無感動に見下ろしている。
そうして、一つ瞬きをした後には、側にいた私達を虐めていた家の男に「きみさぁ〜」と詰め寄って行った。
「子供にちょっかい出す暇があるんなら、私の研究材料になった方が絶対人としての価値が上がるよ?ね、どうかね?ん?」
「いや、あの…か、勘弁…」
「壁?ああ、肉盾希望?いいね!」
「ち、ちが…!」
私は、どうやら勘違いをしていたらしい。
宝石のお姫様は、宝石のお姫様ではなく怖い魔女だった。
緑の入り交じる金色の瞳にギラギラと狂気を滾らせ、男の胸ぐらを掴み上げたのとは反対の手でスカートのポケットを弄り、取り出した何かを男の首元に容赦無くブスリッと突き刺した。
「カハッ」と息を吐き出す音と、バタバタと藻掻く事で起きた足音が廊下に響く。
私は真希と手をギュッと繋ぎながら、自分達を虐めていた人間が愉快に甚振られる様子を、ひたすら声も出さずに見ていることしか出来なかった。
やがて、お姫様は男から手を離すと、その場に座り込んだ男はそのままズリズリと身体を引き摺りながら逃げて行った。
お姫様の左手に握られている何かからは、ポタポタと血が何滴か滴り落ち、廊下を赤く汚したのだった。
「あーん…もっと色々試したかったのになぁ…逃げられちゃったや…」
男が逃げて行った方を残念そうに眺めながらそう口にしたお姫様は、数秒後に突然こちらを振り返ると、ニコッと綺麗な笑みを浮かべた。
咄嗟に真希が庇うように前に出る。
得体の知れない物と向き合うような、妙な感覚に背筋がゾワゾワと震えた。
なに、なんなのこの人。
いや、人なの?こんなに綺麗な人間が居ていいの?
恐ろしく研ぎ澄まされた美しさだ。
しかし、何処か気味が悪く、生命(いのち)の所在が分からない。瞳を見ていると不安が過ぎる。
まるで、一から十まで作り物のような…。
そんな相手に、足の先から頭のテッペンまでをジットリと見られる。
本当に石みたいな目だ、人間の目では無い。動きが少なすぎる。
「扇おじさまんとこの子でしょ?私ね、一応君達の従姉なんだよ?」
よっこいしょ、と言いながらその場にしゃがみこんだお姫様は、「大丈夫、ただの子供に研究的興味無いから」と訳のわからないことを言った。
一体何が大丈夫なのか、何も大丈夫じゃない、少なくとも今一人でないことがどれだけ心強いか。
「知ってる、直哉のおきにいりだろ」
「ま、真希…!」
「わたしたちは、おひぃさんって呼んでる」
私を庇いながら、相手を睨み付けて言う真希を止めようとしたが、手を強く握られて動きを制された。
真希の言葉に「ふむふむ」と何度か頷いたお姫様がチラリと、石の瞳で私を見る。
目が合ってしまい、思わず真希の背中に隠れれば、お姫様は苦笑交じりにスッと立ち上がってしまった。
スカートが揺れて、細い脚がピンと伸びる。それを目で追いながら見上げれば、彼女は先程と同じ、何処か人間らしさの伴わない瞳で微笑んだ。
「今度は君達用の差し入れも用意しておくよ、生憎今は手持ちが飴玉くらいしか無くてね」
そう言ってガサゴソとポケットを漁り、はいどうぞと棒付きのキャンディをバラバラ渡される。
反射的に二人揃って受け取れば、見たことも無いカラフルで外国の包み紙のような、丸い棒付きの飴だった。
「あとは何かあったかな」と、自分のポケットを弄る彼女に真希が「も、もういいって」と止めるも、話を聞かない人なのか、「ああ、そうだ」と、今度は上着のポケットから小さな四角い何かを幾つも取り出し、またしてもバラバラと手の中に落としてくる。
「いやぁ、チロルチョコ買いすぎてさ、良かった良かった」
渡すだけ渡して満足したのか、スカートを揺らしながら彼女はお姫様のように優雅な足取りで去って行く。
いっぱいになった手のひらを真希と見合って、「はやく隠さねぇと」「うん」と言い合った。
遠くから見ていただけのお姫様は、よく分からない、不思議な人だった。
いや、人と呼んで良いかも分からないが、とにかく謎な存在だった。
確かに気味は悪いけど、でも、案外そこまで悪い人なのでは無いのかもしれないと思った。
だって翌日、いつもは私達を見掛けたら絶対に嫌味を言ってくる人が目を逸らして何も言って来なかったのは、絶対にあの人が何かしたせいだった。
あの人はどうやって、この家で生きて来たのだろう。
どうやったら誰かに飴を渡せる人になれるのだろう。
どうやったら、あんなに強くて怖い女の人になれるのだろう…。