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二.五グラムの約束

「ここで働かせてくれないかな?」
「まーた来た…」

かれこれ本日3度目、夏油くんがまたしても仕事を探しにやって来た。

五条くんから夏油くんの仕事探しを頼まれたのが2日前、大分筋力も戻ってきた夏油くんは、数ヶ月の休養がそろそろ明けるため、もっぱら仕事探しをしていた。
彼はこの世界の現状を受け入れるに適していない人であるので、呪術師をやれとは誰も言わなかった。
多分、ぶっちゃけ、あと半年くらい休んでいても誰も文句は言わないはず。
だが、彼は真面目な人間だ、そして優しい。だから、自分だけ何もせずに生きているのは苦痛なのだろう。
それはとても分かる、分かるのだが…。

チラリと彼を一度見てから、手元に視線を戻す。
私は、現在研究中の不死化細胞についての資料を作成中であった。
不死化細胞とは、その名の通り老化しない細胞のことを指す。
細胞の分裂は本来有限であるのだが、突然変異や何らかの要因で発生する不死化細胞は、癌などの病気に関連する細胞である。
無限に増殖するこの悪性細胞を何とかして食い止める方法に、呪術的技術を用いることが出来ないかの実験中である私は、最近はもっぱらデスクに齧り付いている日々であった。

まあ、なんだ…ここでの仕事は、大体こんな感じの物しかない。
研究をしていないのは、私の秘書兼、家事手伝い兼、妻兼、あと癒やし担当である灰原くんぐらいなものだ。

夏油くんの仕事を探すとは言ったが、正直ここに彼に出来そうな仕事は無い。
お茶汲みとナマコの世話くらいなものであるが、それだって彼にやらせるにはあまりにも…。

正しい価値を与えてやれないことは、また彼にストレスを与えることに通ずると考える私は、彼の言葉に首を横に振った。

「ムリムリ、ここには君が楽しめる作業なんて無いよ」
「本当に何でもいいんだ」
「って言われてもなー」

必要な知識を教えるのは別に構わない。全然教えるし、分からないことは聞いて貰えた方が私も嬉しい。
けれど、経験や情熱は教えてどうにかなるものではない。
彼にこの研究のロマンが一匙でも伝わるだろうか、そう考えて、化け物の思考回路と傷付いた人間の心じゃ仲良くはなれなさそうだと諦める。

「五条くんみたいにさ、先生目指すのは?」
「……可愛い生徒を非術師のために死地へ送り出せると思うか?」
「死なないように、君が鍛えてあげればいいんじゃない?」

私の言葉に黙り込んだ彼は、近くの椅子を引っ張って来て座り、手を組んでそこに額を置いた。
真っ黒い髪が重力に従って垂れるように落ちていくのを見て、黒髪いいなぁと羨ましくなる。

あれで髪が短かったら、絶対お兄ちゃんにダブっていたし、何ならお兄ちゃんより優しくしてくれるから執着していたな。彼の髪が長くて本当に良かった。
というかまた、私ったら夏油くんのこと羨ましくなってる……この癖、本当にやめたいんだけども。

そんなことを考えていれば、夏油くんは悩みを吐き出した。

「今のままじゃ、悟の隣に立てないだろ…」
「それ、遠回しに私のことディスってる?」
「君なら私が隣に居ても、私の方がまだまともだと評価される」
「直接的にディスれとは言ってないんだけど!?」

おもっくそ馬鹿にしてるじゃん!何なんコイツ!いや、この親友コンビ!!
私のこと馬鹿にしすぎでしょ、恩人に向かってなんだその自分勝手な物言いは、少しは私を敬えよな!我、研究所の所長ぞ!?

「ねえ、本当何か仕事無いかい?」
「さっきの台詞言ったうえでよく言えるね…」

この人本当にメンタルやられてる?五条くんの勘違いじゃない?

夏油くんのせいで仕事が全然進まない、どうしてくれるんだ。
仕方なくペンを置き、席から立ち上がって「休憩にしまーす」と声を出す。
まあ、今この研究所で作業をしている人間は、私含め片手の数に足りる人数しか居ないので、ポツリポツリと小さな声が聞こえるくらいだ。

夏油くんの腕を掴み、引っ張りながら部屋を出る。
皆真剣に頑張ってくれているのに、あんなに話されちゃ集中力の邪魔になって可哀想ってもんだ、とにかく人の邪魔にならない場所に行くべし。

給湯室兼休憩室という名のガラクタ置き場に二人でやって来ると、夏油くんは勝手に棚からマグカップを取り出し、お茶を用意し始めた。
誰が持ち込んだかは知らないが、お好きに使って下さいといったようなコップやティーパックを、私は自分で使ったことが無いのだが…何があるんだろう?

気になって近寄って行けば、思ったよりも色々種類があって驚いた。

紅茶のティーパック、カフェインレスの紅茶のティーパック、こっちはココアやカフェラテの粉が入っているスティック…インスタントコーヒーに、緑茶なんかもある。
ははあ…皆こういうのを普段飲んでいるのか、なるほどねぇ。

「君は何にする?」
「私?いらないよ、必要無いもん」
「それ、灰原には言わないんだろう?」
「ウッ…いや、ほらそれは…ほら…」

言わないというか、言えないというか…。
いやでも、それは灰原くん相手だからであって、君は灰原くんでは無いのだから引き合いに出すな!
そ、そもそも、私だって別に好きで断れないんじゃなくて、彼が断ると笑顔で残念がるから…それに、食品を勿体無くするのも良くないし……。

ゴニョゴニョと早口で言い訳をすれば、夏油くんは意味深な表情で「へぇ…」と言った。

そのニチャついた笑みを今すぐやめろ!
さもないと、次倒れた時に魔改造してやるからな!!覚えとけよ!!

「はい、君の分のカフェラテ、勿体無いことは嫌いなんだよね?」
「ウグぅ〜!!」
「私も、段々君の扱い方が分かってきたよ」

分からんでええわ!一生理解するな!
ニコニコしながら私分の椅子を引く夏油くんは、なんというか慣れている。スマートだ、本当は面倒くさい性格してる癖に。

椅子に腰掛け、マグカップに入ったカフェラテにふぅふぅと息を吹きかける。
なんでわざわざこんな熱い物を体内に入れなきゃならんのだ…水でいいのに、水で…。

「で、仕事なんだけどさ…」
「今、考え中なんだってば」
「へぇ、例えば?」

チミっとカフェラテを飲むも、熱くてすぐに唇を離す。
仕方無く机に置いて、手持ち無沙汰になった両手を組んでみた。

こちらを見る夏油くんとは視線を合わさず、私は適当に壁を見やりながら口を開く。

「営業、私の研究を売ったり、私が欲しい物を買ったりしてもらうやつ」
「……それ、非術師は」
「関わってくるだろうね」
「それは困るな…」

苦笑を浮かべた夏油くんに視線を向ければ、彼は首を傾げながら「どうしてそれを私に?」と言ったので、私は説明を始める。

「君が、非術師に対して非道になれると知ったからだよ」

非術師相手から金をぶん取り、逆に安く研究材料を仕入れる。
相手が無一文になるまでがめつく食らいついて、骨までしゃぶって捨てるくらいの勢いじゃないと金は回らない。

金ってのはさ、無いところには全然無い物なんだけど、あるところには不思議なくらいあるんだよね。

私は子供の養育費以外は研究に全財産使う勢いで金を掛けているので、正直常に貯蔵があるわけでは無い。
無い時は本当に無いし、それで周りにはよく迷惑を掛けている。
灰原くんに頼んで、私自身の毎月の給料から一部を彼の管理する銀行口座に、もしもの時のためにと貯金してもらっているくらいには、金の管理が向いていない所があった。
こういう所、兄に似ている。
流石に嬉しくない。

「君はさ、誰よりもナマコのこと大切にしてくれたでしょ?」

初めてナマコ型鉱物生命体を渡したのは、確か夏油くんだったと記憶している。
彼は、自分がどれだけ大変な状況に陥っても手放すことなく、責任を放棄せず、大切にしてくれていた。

作品は全て私の子だ、私は自分の子が例外無く大切だ。
だから、そんな大切な結果に正しい価値を付けて売ってくれる人をずっと探していた。

「夏油くんなら、私の研究成果を正しく扱ってくれそうだなって思ったんだよ」
「…随分、信頼してくれているんだね」
「信頼じゃないよ」

そんな不確かな理由で私が人を選ぶわけが無いだろう。

私が夏油くんを選んだ理由はただ一つ、それは……。


「インチキビジネスマンに向いてる顔してるから!」
「殴っていいかな?」
「やめてよお!!!」


指をビシッと差して自信満々に言ったら、握り拳を作って脅された。

なんで殴ろうとするの!!怖いよ!!ゆるして!でも正直そういうとこやぞ夏油傑!!
守るように頭を抱えてビクビクと震えれば、彼はスッと拳を下ろしてくれた。
良かった…夏油くんに殴られたら普通に割れる…。

「い、今みたいな感じでさ、金持ち共から金を毟って来てよ…」
「…………」
「無言で殴るポーズしないでってばあ!!」

無言の圧力やめろ!笑顔が怖いんだよ!!
あまりにも恐喝に向きすぎている…プロの人みたいだ…。

「ま、まあ…考えておいてよ、私も他にも考えておくから…」
「そうするよ、ありがとうね」
「別に…五条くんの頼みだし…」
「また悟贔屓?灰原にチクろうかな」

だから何でそういうことするの!
最強親友コンビ、なんでこんなに私にたいして厳しいの?酷くない?私が君達に何したって言うんだ、色々して本当にごめんね謝るから許してくれ。

多少ぬるくなったカフェラテに口を付ける。
よくある既製品の味がして、美味くも不味くも無いなと感じた。

まるで私と夏油くんの関係みたいだ、可もなく不可も無し、深まることも捻れることも無い関係。
こういう関係って何て呼ぶのだろうか。

今更、友達と名乗るのは可笑しいだろうか。
ああ、いらない悩みがまた一つ増えてしまった。
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