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六千カラットの揺籠

いきなり戦車が屋敷に突っ込んできたかのような事態となった禪院家であったが、半日後には人々は冷静になり、口々に「まあアレだしな」「アレなら仕方無い」「深く考えたら負けだ」と言って各々の生活に戻って行った。
大変だったのは主に上役のおじいさんおばあさん達で、死んだと思って形だけだが色々したのに生きてたものだから、そちらの対応に追われることとなった。

禪院家当主、禪院直毘人は幾ら本人を呼びつけても「今忙しいの!!」と返されるばかりで、平べったい目をしながら酒を飲み続けることしか出来なかった。


そんなわけで、あれから早二週間。
やや汚れた白衣を着た少女は医療用品が入ったショルダーバッグを肩から掛けてアクビをしながら部屋から出て来ると、書類をペラペラ捲りながら道場の方へと足を向けた。

「うーむ……神経前駆細胞が上手く機能していないのか?脳細胞へのダメージの回復がやや遅いな…」

神経前駆細胞とは、脳細胞がダメージを受けたり失われた時に再生する源となる細胞だ。

「培養に三週間か…それまでに免疫を……」

ブツブツと経過を口に出して確認しながら、治療予定を立てていく。
板張りの廊下を進み、女中に避けられながら着いた先は躯倶留隊の面々が各々訓練している道場、そこにやって来た少女は挨拶もせずに道場内へと白い靴下を滑らせるように歩きながら入っていく。

いきなりやって来た白衣の少女に、場が一気に水を打ったように静まり返る。
次いで、ワッと互いの背や肩を押し合いながら訓練中の者達は騒ぎ出した。
「お前が生け贄になれ」「まだ死にたくない」「弟よ、お前だけでも逃げろ」「狂うなら自害した方がマシ」「四足歩行にされるぞ!」等々、幼い頃から少女の狂逸的行動に振り回されて来た人々は、逃げ場も無く右往左往する。

「えー、採血しに来ただけなんだけど」
「俺達の血で何をする気だ!」
「もしかして…遠隔操作……?」
「頼む!金ならあるんだ!見逃してくれ」

少女が一歩踏み出す度に一歩後退する男達は、我が身惜しさにあれこれと口にする。
それを白けた感情を視線に乗せて「はいはい、ジャンケンして三人差し出してね」と言って歩みを止めた。

言われた通りにしなければ待っている結末は"発狂"の二文字であることを知る彼等は、互いに目配せをし合って萎んだ声でジャンケンをし始める。
そうして決められた三人が血から無く採血準備を整えた少女の元へ行き、嫌々ながらも何事も無く血を抜かれ、針の片付けをし始めた頃、道場に新たに一人やって来た者が居た。

「何してるん?」
「あ、直哉くん」
「なんやそれ、血?」
「うん、ちょっと解析に使うの」

親しげに会話をしに近寄って行く直哉に対して皆は思った「来るのがおせーよ、カス」と。
そんなことを思われていると知らない直哉は、バッグに荷物を片付けた少女の側に近寄って行き、隣にしゃがみこむと喜色の籠もった声色で「なぁ、」と声を掛ける。

「俺、暇やねんけど」
「そうなんだ、私はこれからお風呂に入るから暇じゃないんだよね」
「一緒に入ったろか?」
「え~~~~」

イチャつくな。
躯倶留隊の面々はまた同じ気持ちになった。ここが天下のディ●ニー作品の中だったのなら、次々に恋が芽生えるくらいには気持ちが一致した。

はよどっか行け、訓練の邪魔でしかねぇよコイツら。
そうは思えど口には出せないため、大人しく従兄弟同士の会話を聞きながら見守る他無い。

何故なら、つい数日前まで直哉はそれはもう手が付けられない程荒れに荒れまくっていたのだ。
死んだと思っていた推定初恋の女の子(周囲から見た感想)が生きて帰って来たと思ったら男連れで、その男に付きっきり、部屋には入れて貰えないし、部屋の外で会っても昔に戻ったかのように「眼中にありません」と態度で示される。
これにより、荒れた直哉は周囲にとにかく当たり散らし、それによる被害者は多数に上った。

結局、直哉の横暴さを訴えた一人の女中による働きのお陰で少女は作業を一時中断し、直哉の元に自ら出向いて何やら一悶着あった後に、二人はこうして端から見たら仲睦まじくしているのだった。
ちなみに、本人達にそれを言えば絶対に「仲良くなんてない」と両者からキレ気味で言い返されて面倒なことになるため禁句である。

「お風呂は一人でゆっくり入りたいからなぁ…」
「前に甚壱くんとは一緒に入っとったやん」
「あれは直哉くんが私の腕折ったからじゃん………ああ、思い出したら腹立って来たかも…」
「はあ?そんなん、弱い方が悪いやん」

分かりやすい煽りに対してカチンッと来た少女は、ジトリとした目付きで隣にしゃがむ直哉の頬を両手でむにゅっと挟むように掴み、そっと顔を寄せた。
突然の物理的行動、しかもキスの前段階的なワンシーン、道場内には謎の緊迫感が生まれる。
直哉もこれには動きと言葉を止めた、見開かれた彼の目には同じ目付きをした少女が写っており、対する少女の瞳にも自身の姿が写り込んでいた。

ロマンチックなラブシーン、するのか?ぶちゅっと!しちゃうのか!?

皆が固唾を飲んでその一瞬を待った。
だがしかし、緊張感が高まったその次の瞬間であった。

「…ぁ?」

直哉は唐突に自身の意識に違和感を感じた、しかしその時には既に遅く、足先から力を失っていった身体は重力に負けて床へと突っ伏すように倒れていったのだ。
脳が痺れ、四肢に力が上手く入らない。
止まぬ眩暈と遠退く意識に、見なくても分かるくらいニヤニヤとした声が降り注ぐ。

「そうだよねえ、弱い方が悪いよねえ」

うんうん、本当その通りだよ。ププッ!

あからさまに馬鹿にし切った笑い声は、機嫌良く足音を立てながら遠退いて行く。


あ、あの女………!!俺に術式使いおった!!
しかも多分、この中途半端な感じは試作段階の技だ、アイツ…俺で実験したんか!


直哉は腹立たしい思いと悔しさを噛みしめ、顔を真っ赤にしながらも抗いようの無いふわついた感覚に意識を手放しす。

そして、その場に残された面々は思う。

目を合わせるだけで意識を奪えるようになるとか…もうどうすりゃいいんだと。
謝ろうが何しようがあのファナティック・マッド・お嬢様は待っちゃくれないし、やめてもくれないのだ。その時が来たら覚悟を決めて身を差し出す他無いなんて…頼むから早く治療とやらを終わらせて高専に帰って欲しい、後生だ。

本当、頼むから早く嫁にでも出ていってくれ。


彼等は切実な思いを抱えながら生きていくのであった。
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