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ナマコ一匹分の癲狂

……そして、時は流れ数年後の出来事である。



気持ちの良い眠りから目覚めるように、徐々に徐々に意識を取り戻した私はゆっくりと瞼を開いて瞳に景色を写し取った。

白い天井、蛍光灯の光。
ゆっくりと穏やかに繰り返される呼吸は生きていることの何よりの証であった。

私は、生きているのか…?
辺りを確認しようとするも、身体が重くて動かない。唯一動かせる眼球だけをキョロキョロと左右に動かせば、こちらに向かって何かが近付いてくるのが確認出来た。
それは側まで来ると、私の顔を覗きこんで優しく笑って「ようやく意識が戻ったか……おはよう、夏油くん」と名を呼んだ。

その姿は疑う余地無く、あの日私を仕留めて来た少女そのものであった。

制服では無くただの白いワイシャツを着て、髪を束ねてこちらを見下ろす彼女は私にペタペタと触れながら何やら色々と確認作業をしている様子である。
触れられることが擽ったくて身を捩ろうとするも、上手く動かない身体に疑問を抱けば私に触れている手を退けた彼女が喋り出す。

「筋力を落としてあるんだ、調節するから暫く待ってね」

そのまま淡々と、平坦な声で私は自分に起きたことを聞かされた。

「仮死状態にした君を実家に連れて行って治療しようとしたんだが、ガス壊疽…細菌によって筋肉組織に起こる生命を脅かす感染症だ、治療中にそれが酷くなってしまってね、君の大脳と記憶を優先して治療をし直したんだよ」

治療というか、最早再生だね。

正直私に出来ることは大脳と胸線を守ることくらいだった、何せ正常な蛋白質を狂わす細胞が大増殖してしまってね、こんなのはじめてだったからそれの対処でまず一年終わっちゃったよ。

でもそこからは概ね私を再生させた時と手段は同じだ、君の遺伝暗号に従って調節を繰り返して新しい肉体へと脳や胸線などの無事な器官を移してね、そしたら後は意識の回復を待つだけ。

いやあ、流石天才じゃない?

「なんてね、そもそもの原因は…あの日私がトチ狂って君を内側から破壊したのが発端なんだけどさ」

ほら、もう身体動かせるよ、指先から少しずつ動かしてみて。


言われるがままに手を握り締めるように指を動かしていく。
酸素マスクを外すために近づけられた白い手に向けて自身の手を伸ばし、何とか触れれば、私と視線を交わらせた彼女は苦い表情で笑った。

「君を大丈夫にするために一緒に居たのに…こんなことになってごめんね、許さなくていいよ、君には私を粉々にする権利だってある」
「………、……しない、よ…」

喉を震わせ、掠れた声でそう呟いた。
触れた手に指を這わせ、柔く握り締める。そうすれば、答えるように彼女も握り返した。
酷く冷たい手だった、人間の手と呼ぶにはあまりに美しく、冷め切った紛い物のような手であった。

「なんでも言って、なんでも聞いて?」
「……うん、…悟は…?」
「元気だよ、みんな元気」
「………そっか…」

それを聞いて酷く安心する自分が居た。
捨てる予定であった物の安否を確認するなんて、やはりまだ何処か不安定なのかもしれない。

そうこう考えているうちに再び瞼が落ち始める。握り締めた手を離さぬままでいれば、もう片方の彼女の手が私の髪を撫でた。

「おやすみ、」

まるで名前を呼ぶことを躊躇うように、不自然に途切れた声を耳にしながら睡魔に抗うことなく眠りの底へと意識を沈めたのだった。


………
……




「じゃあとくに結婚とかはまだしてないんだ?」
「してないよ、忙しくってそんな暇ないもーん」

ベッドの上で身体を起こしながら、私の様子をカルテに書き込む彼女と話をしていた。

意識を取り戻してから3日、彼女に殺されてから3年と少し、私は現在高専の一角に存在する彼女の研究所にてリハビリを行っていた。
この3日で既に会話に支障が無い程度に意識はハッキリし、自力でトイレに行けるくらいにはなっている。
今日から面会もいいだろうと言われたため、先程学生時代の恩師である夜蛾先生や硝子などが私の顔を見に来ていた。

今後のことなどは後々考えよう、今は体力の回復に専念するように……などと、私が失踪したことなどは一切咎めずに夜蛾先生は言葉を少し交わして帰って行き、硝子に至っては私とは挨拶とそこそこの会話で済ませたかと思えば、女二人で仲良く肩を寄せ合い何やら「寝てる間に改造手術を……」「前の身体で実験……」「せっかくだから遠隔操作機能……」「多腕はロマン……」「ゲトウゲリオン……」などと呟いている物だから自分の身に危険を感じずにはいられなかった。

悟は任務が終わってから来るらしく、私は彼にどんな顔をして会えばいいかと悩みながら会話を続ける。

「子供達は結局どうなったんだい?」
「私の養子にしたよ、未婚の母ってやつだね」
「君…子育てとか出来たんだね」
「ま、まあそこは、ほら~あのぉ……」

こちらの返答に狼狽えた彼女は、言葉を詰まらせながら「私はこんなんだけど、灰原くんは超優秀なお兄さんだからさ…」と目線を外して言った。
つまり、養子にはしたけれど親の役目はあまり出来ていないと…それはあの、何というか……相変わらずと言えばいいのか何と言うか。

「親になったなら親らしくした方がいい、子供には親が必要だ」
「ごもっとも…」
「何なら私が父親になろうか?」
「……それは…ぶっちゃけ私は別にいいんだけど~…」

……え、いいのかい?
そこは否定する所では?

まさかの返答に思わず何も言えなくなる。
ソワソワと指を組み替えたりし出した彼女の様子に首を傾げた。

こ、この反応はおかしくないか?いや、この子がおかしくない時は大体において無いんだが、それにしたっていきなりどうしたと言うんだ。
まさか本当に私がその立ち位置になってしまっても良いと言いたいのか?そんな馬鹿な、これは絶対何かあるだろう。

それとも、まさか……私が眠っていた3年半の間に君の気持ちが私に傾いて………。

「………」
「………」

思わず不自然に無言となってしまった。

待ってくれ、あまりに急展開過ぎないか?流石にこれは予想していなかったというか、私…君のこと化物って罵ったと記憶してるんだが。
でも何か言わなければ、こういうことはやはり男から言うべき………と、そこまで考えて口を開いた時であった、眉間にシワをグッと寄せた彼女が「来たな…」と小さく呟くのを聞き取った。

「あのね、結婚の話題をすると………すんごい面倒臭いのが来るんだよ…」
「……面倒って…」

誰のこと? と聞こうとした瞬間、ノックも無くガラリと開かれたドアの開閉音と共に「おまたせ~~」と軽快な声がした。

思わず振り向けば、そこにはあの日対話を拒絶した親友の姿があった。

無意識のうちに名前を呼ぼうと開かれた口が「さと……」まで音にしたが、それを無視してこちらにツカツカと近寄ってきた相手は「あのさ…」と私達を見下ろしながら言った。

「今、コイツの結婚の話してた?」
「……え、いや…」
「してたよね?してたろ、絶対」
「……悟…」
「なあ、してたよな?」

グッと長身を折り畳むように顔を近付けて来た悟に対し、無言で席から離れようとした彼女であったが、悟の片腕で簡単に取り押さえられてしまった。
ジタバタと腕の中で暴れて足掻く彼女は、「この話おしまい!二人で積もる話もあるでしょ!あるよね!!仲良く話てくれていいよ!!」と声を荒げるも、悟は離す様子を見せずに大きな声を出した。

「結婚ダメ、ゼッタイ!!」
「うるさっ」
「お前は一生独身!一生寡婦!一生処女!!一生ズッ友!!!」
「…何を言ってるんだ?」
「結婚反対!!コイツと結婚するなら僕を倒してからにしろ!!!」

めちゃくちゃなことを言い始めた親友に度肝を抜かれ驚いていれば、その親友の腕に拘束されている彼女はげんなりしながら「しないよ…しないから静かにして…」と萎れながら言っていた。

私が眠っていた間に悟はどうしてしまったんだ…?確かに昔からこと彼女の方向性については絶対に譲らない所があったが、ここまで酷くは無かったはず。
まあ、ずっと「アイツは俺だけが理解してれば~」とか言ってはいたからな、それの延長線なのかもしれない。

抵抗を諦めた彼女を腕に抱えながら、悟はこちらを見下ろしたまま私の名前を呼んだ。

「傑、調子は?」
「あ、ああ…問題無いよ」
「ん、何か聞きたいことある?」

先程とは打って変わって落ち着いた様子に時の流れを感じながら、一つ疑問が浮かび上がってきた。

そういえば目が覚めてからの数日間、彼女の口から「兄」について全く何も聞いていない。口を開けばお兄ちゃんお兄ちゃん言っていたことを記憶しているため、その違和感に気付けばどんどんと会話にすら一度足りとも兄の姿形が見えないことに対して不自然さを覚えた。

「彼女のお兄さんは?」

私は聞きたいことを躊躇うこと無く口にした。
だがしかし、この疑問を言ったことを数秒後に後悔することとなる。


…部屋の中に静寂が広がった。


悟は何も言わずに感情の無い瞳でサングラス越しに彼女を見下ろす。
それに釣られて私も彼女を見つめた。

すると、一つ、自身の薄い腹を撫でた未だ少女の形から何も変わることの無い狂気を携えた生命体は、ツヤツヤした瞳をドロリと溶かすように色を変え、ヘラリと口元に薄気味悪い笑みを浮かべて嬉しそうな声を出す。

「お兄ちゃんなら私のお腹の中だよ、もうずっと一緒なの」

まるで、赤子を孕んだ女の如く…ぺったんこの腹を擦りながら「ねー?お兄ちゃん」と語りかける姿に私は何も言うことはおろか、瞬きすら出来なくなった。


3年、3年の間に私を置いて色々なことが変わっていた。
親友は一人称を変え、後輩は身長が伸び逞しくなった。
あの日助けた子供達はランドセルを背負うようになり、私は寝ている間に髪が腰程まで伸びていた。

その中で、彼女だけが唯一変わらないで居たのだと思っていた。

何一つ変わらぬ姿、話し方も考え方も、何もかも。
相変わらず何処か可笑しくて、危うくて、脆くて。

けれどそんな彼女も私が眠りついていた間に変わっていたらしい。

誰も望まぬ方向へと。

変わってしまっていたらしい。
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