三万グラムの憧景
夏油は最早、非術師の言葉など理解出来なかった。
鬱陶しい、人間以下の害獣の囀ずりを煩わしく思う。
羽虫のように邪魔、不快で仕方無い、今すぐ消えて欲しい。
そうは思えど、彼がこの場で事を起こさなかったのは、一重に同行者の存在が理由である。今ここで自分が荒事を起こせば、責任は彼女にもかかる。そう思い、震える拳を納めていた。
だが一つ、耳に入った言葉に最後の理性がガラガラと音を立てて崩壊していくのを実感する。
「子供達の元に居る仲間の女も怪しいだろ!あれは本当に人間か?呪いを連れて来たんじゃ無いだろうな!」
呪い。
誰がだ。
仲間の女、今日ここに私と共に来た仲間と呼べる人は一人しか存在しない。
つまり、コイツらは、彼女を…あの子を、呪いと言ったのか?
ふと、脳裏に過るはあの日の笑顔。
あの子は自らを「最早人間では無い」と評するが、私は一度足りとも彼女を人では無いと思ったことなどない。
彼女はどうしようも無く人間だ。
何を持って人間と定義するかは難しいが、少なくとも、彼女は本人が思うよりずっと人間らしい。
兄が好きで、兄だけが特別で、兄の特別になりたくて、そのために自らの全てを投げ打って生きる姿を知っている。
貪欲で愛情深い、真っ直ぐで意味不明、難解で単純。
矛盾を抱えて生きている、諦めず、頑張っている。
泣いて、怒って、笑って、そして愛を知っている。
彼女は人間だ。
例え他の誰が否定しようと、私だけはあの子を人間だと言い続けたいと思う程に。
だから、許せなかった。
何も知らない非術師の言葉が許せなかった。
あの子を「呪い」と呼んだ口が許せない。
その思考に至った脳が許せない。
何もかもが許せない。
なんで、コイツらは生きているんだ?
どうして、コイツらのために搾取されているんだ?
ふと、過った疑問に思考を奪われ、そのまま心が底の見えない淀みへ堕ちていく。
ふわりと無意識に浮いた手が、真正面の人間へ伸びるのを、私は止めなかった。
だが、私が止めずとも彼女が止める。
「待って待って待って、夏油くんストッププリーズ!」
「………」
彼女の慌てた声に一度、意識をハッと取り戻す。
私は一体何を……声に答えるため、振り返る、
だが、振り返って目にした光景に、私はもう手を伸ばさずにはいられなかった。
傷だらけの子供二人を抱えてこちらへ駆け寄って来る彼女の姿に、私の心はとうとう限界を迎える。
「待って夏油くん、駄目!駄目だよ!君がそんなことする必要なんて無いんだよ!!」
「…………」
「ああ、もう…!」
彼女の声は耳に入るが、もう何もかもが遅い。
私は目の前の猿の首を鷲掴み、遠慮無く力を入れる。
息をするな、何も喋るな、死ね、死ねないのなら、私が殺す。
それ以外に、道は無「おバカ!!」
ペチンッ
音に直すとそんな程度、些細な力で頬が打たれる。
次いで、非術師の首を掴む腕に少女の手がまとわりついて、引き剥がそうとしてくる。
「やめろ、その子供達を連れて君は先に」
「行かないよ、やだよ!てか、子供の面倒とか見れないから!はい、夏油くんお子様のことお願い!」
「…………いや、私はここにいる猿を…」
「知らないよ!夏油くんの優先したいことなんて!それより君は子供連れて行け!!」
「…っ!君は……!!」
力を入れて手を振りほどき、鬱陶しい女を睨み付ける。
だがしかし、その視線に真っ向から対峙し睨み返す彼女は、あまりにも身勝手なことを叫んだ。
「うるさい!!黙れ!!」
「うるさいのはそっちだろう!」
「黙れ馬鹿!夏油くんなんてさっさと子供連れて何処かに逃げちゃえばいいんだ!」
「なっ……」
「呪術師やめちまえ馬鹿!子育て隠居生活でもしてろ!!いいか、よく聞いてろ!!」
スゥ…彼女が息を吸い込む。
胸を張って、強く、迷い無く、私の目を見て荒々しい感情を込めた声を張り上げた。
「この天才様がお前もお前もお前も救ってやる!!!」
私と子供二人を順番に指差す。
「私が全部ぶっ壊して、ぶっ潰して、ぶっ倒してやるからお前等はそこで指でも咥えて見てろ!!!」
高らかに言い切った瞬間、突如目映い煌めきが視界を覆った。
慌てて眩しさに目を瞑る。
そして聞こえる化物の激しい大絶叫。
いつか聞いた、彼女の心の形をした無敵の怪物が天に轟く咆吼を上げる。
「ジャバウォック!!子供を庇っていろ!!!」
視界の外で呪力が暴れて渦を巻く感覚が肌に走った。
一体何が起きた?
いや、何が起きている!?
目を開こうにも、突風と眩しさで何も見えない。
見ろと言った癖に、何も見せてはくれない。
いや、見れないだけでは無い。
聞こえない、強い風の吹き荒れる轟音以外には何も。
鼓膜が痛い、空気が重い、こんなの…非術師にはとてもじゃ無いが耐えられない!
殺す気か、そうなのか、でも何故?
私は怒り、絶望したが故に手を伸ばした。でも彼女は一体どうしてここまで荒れている?
その疑問に答えるように、普段見せない感情を剥き出しにしたあの子が、喉を震わし嵐の中で大声をあげた。
「お前等、夏油くんの健康に悪いんだよ!!!一回死んどけ!!!!」
「夏油くんが人殺したらなあ、私が五条くんに絶交されるんだよ!!!」
そんな冗談みたいな理由で起こした呪いによる嵐の中で、何かに首根っこを掴まれる感覚がした。
何だと思って腕を振るうも、それごとだき抱えられ、次いで何処かへ運ばれていく感覚がする。
嵐の中を無理矢理突っ切る。
目を瞑っているのに目が廻る。
最早何が何だか分からない状況の中、最後に聞こえた声がこう言った。
「ナマコの世話ちゃんとしてねー!!」
……果たしてそれは、今言うことなのだろうか。
当然の疑問が浮かんだが、私は何も答えられないまま彼女の元から強制的に遠ざかって行くことしか出来なかった。
それしか出来なかった。
ふと、いつの間にか手の中に何かが握られていることに気付く。
私はそっと目を開いてそれを確認した。
それを確認した瞬間、私は理解する。
ああきっと、彼女は私がするはずだった過ちの変わりに、犠牲になるのだと。
私を「大丈夫」にするために、悟に頼まれあの場に居たのだ。
もし君に二度と朝が来ないのなら、それはきっと、私のせいだ。
鬱陶しい、人間以下の害獣の囀ずりを煩わしく思う。
羽虫のように邪魔、不快で仕方無い、今すぐ消えて欲しい。
そうは思えど、彼がこの場で事を起こさなかったのは、一重に同行者の存在が理由である。今ここで自分が荒事を起こせば、責任は彼女にもかかる。そう思い、震える拳を納めていた。
だが一つ、耳に入った言葉に最後の理性がガラガラと音を立てて崩壊していくのを実感する。
「子供達の元に居る仲間の女も怪しいだろ!あれは本当に人間か?呪いを連れて来たんじゃ無いだろうな!」
呪い。
誰がだ。
仲間の女、今日ここに私と共に来た仲間と呼べる人は一人しか存在しない。
つまり、コイツらは、彼女を…あの子を、呪いと言ったのか?
ふと、脳裏に過るはあの日の笑顔。
あの子は自らを「最早人間では無い」と評するが、私は一度足りとも彼女を人では無いと思ったことなどない。
彼女はどうしようも無く人間だ。
何を持って人間と定義するかは難しいが、少なくとも、彼女は本人が思うよりずっと人間らしい。
兄が好きで、兄だけが特別で、兄の特別になりたくて、そのために自らの全てを投げ打って生きる姿を知っている。
貪欲で愛情深い、真っ直ぐで意味不明、難解で単純。
矛盾を抱えて生きている、諦めず、頑張っている。
泣いて、怒って、笑って、そして愛を知っている。
彼女は人間だ。
例え他の誰が否定しようと、私だけはあの子を人間だと言い続けたいと思う程に。
だから、許せなかった。
何も知らない非術師の言葉が許せなかった。
あの子を「呪い」と呼んだ口が許せない。
その思考に至った脳が許せない。
何もかもが許せない。
なんで、コイツらは生きているんだ?
どうして、コイツらのために搾取されているんだ?
ふと、過った疑問に思考を奪われ、そのまま心が底の見えない淀みへ堕ちていく。
ふわりと無意識に浮いた手が、真正面の人間へ伸びるのを、私は止めなかった。
だが、私が止めずとも彼女が止める。
「待って待って待って、夏油くんストッププリーズ!」
「………」
彼女の慌てた声に一度、意識をハッと取り戻す。
私は一体何を……声に答えるため、振り返る、
だが、振り返って目にした光景に、私はもう手を伸ばさずにはいられなかった。
傷だらけの子供二人を抱えてこちらへ駆け寄って来る彼女の姿に、私の心はとうとう限界を迎える。
「待って夏油くん、駄目!駄目だよ!君がそんなことする必要なんて無いんだよ!!」
「…………」
「ああ、もう…!」
彼女の声は耳に入るが、もう何もかもが遅い。
私は目の前の猿の首を鷲掴み、遠慮無く力を入れる。
息をするな、何も喋るな、死ね、死ねないのなら、私が殺す。
それ以外に、道は無「おバカ!!」
ペチンッ
音に直すとそんな程度、些細な力で頬が打たれる。
次いで、非術師の首を掴む腕に少女の手がまとわりついて、引き剥がそうとしてくる。
「やめろ、その子供達を連れて君は先に」
「行かないよ、やだよ!てか、子供の面倒とか見れないから!はい、夏油くんお子様のことお願い!」
「…………いや、私はここにいる猿を…」
「知らないよ!夏油くんの優先したいことなんて!それより君は子供連れて行け!!」
「…っ!君は……!!」
力を入れて手を振りほどき、鬱陶しい女を睨み付ける。
だがしかし、その視線に真っ向から対峙し睨み返す彼女は、あまりにも身勝手なことを叫んだ。
「うるさい!!黙れ!!」
「うるさいのはそっちだろう!」
「黙れ馬鹿!夏油くんなんてさっさと子供連れて何処かに逃げちゃえばいいんだ!」
「なっ……」
「呪術師やめちまえ馬鹿!子育て隠居生活でもしてろ!!いいか、よく聞いてろ!!」
スゥ…彼女が息を吸い込む。
胸を張って、強く、迷い無く、私の目を見て荒々しい感情を込めた声を張り上げた。
「この天才様がお前もお前もお前も救ってやる!!!」
私と子供二人を順番に指差す。
「私が全部ぶっ壊して、ぶっ潰して、ぶっ倒してやるからお前等はそこで指でも咥えて見てろ!!!」
高らかに言い切った瞬間、突如目映い煌めきが視界を覆った。
慌てて眩しさに目を瞑る。
そして聞こえる化物の激しい大絶叫。
いつか聞いた、彼女の心の形をした無敵の怪物が天に轟く咆吼を上げる。
「ジャバウォック!!子供を庇っていろ!!!」
視界の外で呪力が暴れて渦を巻く感覚が肌に走った。
一体何が起きた?
いや、何が起きている!?
目を開こうにも、突風と眩しさで何も見えない。
見ろと言った癖に、何も見せてはくれない。
いや、見れないだけでは無い。
聞こえない、強い風の吹き荒れる轟音以外には何も。
鼓膜が痛い、空気が重い、こんなの…非術師にはとてもじゃ無いが耐えられない!
殺す気か、そうなのか、でも何故?
私は怒り、絶望したが故に手を伸ばした。でも彼女は一体どうしてここまで荒れている?
その疑問に答えるように、普段見せない感情を剥き出しにしたあの子が、喉を震わし嵐の中で大声をあげた。
「お前等、夏油くんの健康に悪いんだよ!!!一回死んどけ!!!!」
「夏油くんが人殺したらなあ、私が五条くんに絶交されるんだよ!!!」
そんな冗談みたいな理由で起こした呪いによる嵐の中で、何かに首根っこを掴まれる感覚がした。
何だと思って腕を振るうも、それごとだき抱えられ、次いで何処かへ運ばれていく感覚がする。
嵐の中を無理矢理突っ切る。
目を瞑っているのに目が廻る。
最早何が何だか分からない状況の中、最後に聞こえた声がこう言った。
「ナマコの世話ちゃんとしてねー!!」
……果たしてそれは、今言うことなのだろうか。
当然の疑問が浮かんだが、私は何も答えられないまま彼女の元から強制的に遠ざかって行くことしか出来なかった。
それしか出来なかった。
ふと、いつの間にか手の中に何かが握られていることに気付く。
私はそっと目を開いてそれを確認した。
それを確認した瞬間、私は理解する。
ああきっと、彼女は私がするはずだった過ちの変わりに、犠牲になるのだと。
私を「大丈夫」にするために、悟に頼まれあの場に居たのだ。
もし君に二度と朝が来ないのなら、それはきっと、私のせいだ。