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三万グラムの憧景

灰原くんと入れ違いにやって来たお兄ちゃんは、私のディスクチェアにどっかりと座りながら生欠伸を溢している。
どうやら暇らしい、寝てれば?と声を掛けるも、言葉にもならない音だけが返って来た。

実験器具と手を洗い、肩をグルグル回してから携帯を取り出す。
夏油くんにナマコのアップデートが終わったことを報告してから携帯を閉じて兄を見やれば、ボンヤリとこちらを眺めていた。

どしたの、随分とやる気が無いけど。
いや、やる気いっぱい元気モリモリー!って時の方が少ないんだけどさ、それにしたって萎びたナスのような具合だ。

「どうしたの?飴いる?」
「いらねぇ」
「じゃあ私が食べよっと」
「やっぱいる」

どっちだよ。
まあしかし、私はポップでキュートでスウィートなシスターなので、包み紙から取り出した飴を兄の口に「あーん」と言って差し出す。
ほらお食べ、飴ちゃんよ、と口元へ持って行けば私の手首を掴んだ兄は、そのまま私の指ごと飴を食べた。

「お兄ちゃん指食べてる!指!」

ギョッとして手を引っ込めようとすれば、さらに力を込めて私の手首を掴むため、しゃぶられっぱなしになってしまった。
指先を開いて飴玉を離す、兄の口内の何処かへ消えた飴は舐められること無く喉を通り過ぎて行った。
私の人差し指と親指を舐めていた舌が、離れていく……かと思えば、人差し指の根本にいきなり歯を立てられた。
ガリッと肉が裂ける音がする。
唾液が染みる。
血液では無い体液が溢れるのを予感し、慌てて無理矢理口から指を引っこ抜いた。

噛まれた人差し指を見つめ、綺麗に歯形が付いていることに驚きと言い表せぬ興奮を覚えた。

臓器なんて無いから心臓がドキドキするなんて感覚が分からない、ただ一つ感じることが出来たことは、呼吸の仕方が一瞬だけ分からなくなった。ただそれだけ。
兄を見ず、指を見つめて呟く。

「お兄ちゃん…私の指、美味しかった?」
「そこそこだな」

顔を上げれば、先程よりは愉しげな表情をした兄がこちらを見上げて笑っていた。

「最近忙しそうだな」
「うん、でも楽しいよ」

笑っているが、その瞳は笑ってはいなかった。
冷たい目で私を捕らえる。

私の兄、甚爾は一人の哀しみを知っている人だ。
だが同時に、一人であることの自由を知っている。
息子と私、高専からの監視、今の彼に自由は無い。
獰猛な牙を持ちながらも、檻の中に作られた快適な場所で欠伸をしながら暮らしている。
だって私がそうした、私が……兄が欲しくて欲しくて追い付きたくて堪らなかったから。私は自分の死を持ち出して、兄から自由を奪ったのだ。

彼はそれでも良いと言う。
私と一緒に生きて死ぬと言う。

それは本当に嬉しいことだけれど、涙が出る程喜びに溢れた一言だったけれど、最近果たしてこの結果が正しいのか分からなくなってきた。
兄は自由を求めて家を出た、私も自由を願って兄を殺そうとした。

今の私達は、両者共に望んだ結果を得られていない。

きっとそれは、私のせい。
私が兄から、自由を奪っている。

「忙しいけどね、でもね…私は戦場が好きなんだよ、兄さんもそうでしょ?」
「まあ、なあ」
「戦場には自由があるからね」

命を晒す瞬間、そこには面倒なしがらみも言葉も存在しない。
生を繋ぐために他者を傷付ける、その行為に高揚してしまうのは、かつてこの身に流れていた血のせいだろうか。

だが戦場だけが自由では無い、少なくとも、兄はもっと思うがままに生きていた瞬間があった。
私は尋ねる、「自由が欲しい?」と。

「お前がいるからいらねぇ」
「でも退屈過ぎて私を噛んだじゃん」
「暇だから噛んだわけじゃねえけど」

兄が私に手を伸ばす。
私は求められるがままに両手を差し出した。
手のひらに唇を這わせ、徐々に登っていき、手首を噛む。同じように反対側も。

カミカミ…カミカミ……カミカミ………カミカミ…………

いや、流石に噛みすぎじゃないだろうか。
わ、私の腕が…前腕が…兄さんの歯形だらけに…。

「ちょ、ちょっとちょっと、噛みすぎじゃない?やめ、」

ガブッ

「痛い!普通に痛い!!やめなさい!離して!」

両手を塞がれているため碌な抵抗が出来ない、チクショウ!「お前がいれば、俺は満足だ……(脳内変換済)」とか言われて、や…まあ?それなら?ちょっとくらい噛まれてもいいかな…へへ……って思って、あろうことか両手を差し出してしまった…なんたる愚劣!馬鹿を晒すとはこのこと!
不覚、正に不覚であった。油断をしていた、兄は暇が過ぎて私を噛んだのでは無い……兄は………私を噛むことでストレスを発散しているのだ!
私はガムじゃないよー!!などと騒ぎ、両手を振り回そうとするもビクともせず、なんなら片手でまとめられて、もう片手でスカートをガバッと遠慮無く捲られた。

「エッチ!何するの!!えーんッ!!」

痛いよー!噛むのやめてよー!
私が悪かったよ、仕事を理由に放っておいてごめんなさい!ゆるして!3日も会話しなくてごめんちゃい!!

「イタタタタタタッ!!脚!腿はやめて!」

前腕を噛みまくった兄の口は、今度は脚にターゲットを移した。
やわっこい太腿や膝などを椅子から降りて遠慮無く噛みまくる。

あーん!ごめんってばー!!
戦場に自由を感じるとか言って悪かったって!違うんだよ、お兄ちゃんより戦場が好きとか、戦場の方が優先順位が高いとかってわけじゃなくー!

「痛い痛い痛い!!ごめんってば!なんでー!?」

なんでまだ噛むの!?こんなに謝ってるのに!まだ何か気に食わないことがあるの!?
あ、もしかして…あれか……!!

「直哉くんを押し倒したことが伝わって……ギャー!」

とうとうお兄ちゃんは私を床になぎ倒し、ギラギラした瞳をしながら笑みを浮かべて言葉無く首に噛みついて来た。

イッテーーー!!!本気で痛い!!
ごめんなさい!でも直哉くんとは本当に何もありませんでした!むしろそのあと喧嘩しまっくたせいで泥まみれになったのに、汚れたまま屋敷を闊歩していたせいで私の飼育員こと甚壱お兄ちゃんに引っ捕らえられ、服をひんむかれ風呂に強引に入れられた方が……まさかこの年になって兄に頭を洗われるとは……。あれ…これは甚爾お兄ちゃんではなく、甚壱お兄ちゃんに謝るべきなのでは…?すみません、お手数お掛けして…片腕メキメキに折られてたせいで、頭砂利だらけなのに洗えなかったから……。

「それは女中にやらせろよ」
「女中さん私のこと怖がったんだって、拒否したらしいんだよ」
「もうちょい噛んどくか……」

ガブッ

「身体に分からせようとするのやめてよー!!」
「お前、今度俺より仕事優先したら……」

し、したら……なんですか…?
ゴクリ、生唾的な体液を飲み込み、こちらを見つめる兄を見返す。
緊張の一瞬、兄は一拍後に口を開いた。

「全身歯形だらけにして、下着姿のまま屋上から逆さ吊りにするからな」

ヒエッ………も、猛烈…!!
そ、そんな……天才美少女を歯形まみれにして下着姿のまま屋上から吊るすなんて……!
五条くんがめっちゃ喜んじゃうよ!
や、やだ!絶対腹抱えて笑われる、何なら写真に撮られる!そうなったら一生の恥だ……もう生きては行けない……。

「わ、分かった…反省する!ゆるして!」

もうお兄ちゃんより仕事が楽しいなんて言わないと誓います、3日も放置した挙げ句に後輩とティータイムをしたりしません!

全身歯形まみれにされて解放された私は、兄の小脇に抱えられながら実験室を後にした。

どうやら私を噛みまくったことにより、お兄ちゃんの機嫌は戻ったらしく、気分良さそうに堂々と歩いている。

「お兄ちゃんさあ……」
「あ?何だよ」
「寝てる時もたまに私のこと噛んでるよね」
「……それは知らねえな」

私、お兄ちゃんの歯形が常にどっかしらにあるんだけど。
知ってた?知らなかった?そっかー、今度絶対噛み返してやるからな……と思ったが、私が噛んだら最悪歯が折れそうだなと思いました。
お兄ちゃんは強いからね、私じゃ歯が立たないよ。

ちなみに歯が立たないとは、自分の力ではどうすることも出来ないことを差す言葉だ。

うん、まあ……お兄ちゃんには物理的に歯は立たないけれど、どうすることも出来ないわけじゃないことは、一応言っておきたい。
その気になればお兄ちゃんのことくらいどうにでも出来るんだからね!
何せ私、マッドジーニアスなので!

だから期待していてくれたまえ、私は私の人生を持ってして、最高の実験結果を導き出そう。

近い将来、必ず私は成し遂げる。
腐り切った人の身を捨て、神秘の身へ…だがまだそれでは足りない、私はさらに上へ登り詰める。
目指すべき頂きはただ一つ、万邦無比の頂点へ。

弱い肉体はもういらない、強くて完璧な身体を手に入れる。

そうしたらきっと……私はやっと、劣等感から解放されるはずだから。
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