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千二百五十カラットの愛慕

高専所属、狂気を孕みし不死身の不思議生命体が数ヶ月振りに海外遠征から帰って来た。七海が飼うナマコを診察しに。

眉根を寄せて真剣な表情をする七海から手渡されたのは、自らが生み出した鉱物生命体シリーズの一作品、ナマコ型鉱物生命体「ラボシリーズ」の42号である。
久方ぶりに手にした我が子を眺め、触診し、出来うる限りの診察を終えて弾き出された言葉は以下の通り。

「寿命だね」
「そう…ですか……」

隠しもせず、非情な現実を突き付けてくる先輩の言葉には流石の七海も表情を固くさせ狼狽えた。
七海にとってこの一つ上のイカれポンチな先輩という存在は、まさに理解不能そのものであり、次元の違う頭脳と人智を超えた肉体に対して畏怖の念すら感じたこともある。
御三家出身、一級術師、持って産まれた強く美しく稀な術式と、破格にして奇異なる頭脳を持つ彼女は「冠前絶後」と言える存在であった。
今までに無く、これからも同じ存在は一人として産まれては来ないであろう才能の隣に居ることは、彼女の性格や容姿を抜きにしても居心地が大変悪く、さらには奇怪千万な言動も災いして中々関わることが億劫な相手であった。
しかし本人からしてみれば、後輩を可愛がっているつもりであるらしく、姿を見掛ければ寄って来て飴を差し入れたりアドバイスをしたりなどもしてくれてはいるのだ、だから決して嫌いという訳では無い、ただ関わり方が十分に理解出来ていないだけで。

突然の海外遠征へと向かうことになった先輩から授かった、彼女の生み出した鉱物生命体を七海は最初「世界で一番いらない」とすら思ったが、生来の責任感の強さや真面目さによって飼育…といってもほぼ放置するだけなのだが、それでも部屋で面倒を見ていれば愛着も徐々に湧くもので、いつしか「クッペ」という名前も付けて可愛がっていた。
中々に知性があるのか、指先で撫でても嫌がらず大人しくしており、本を読んでいれば気付くと肩に乗っていたりと七海は一人、誰にも知られずナマコと仲を深めていた。

そんな可愛いペットとの突然の別れ、早すぎる寿命……七海の頭の中は言葉は理解出来ても感情が追い付かずに居た。
生命には必ず終わりが来る…けれどいくら何でも早すぎないか、私は誰よりも大切に丁寧に育てていたはず。
七海は己の手のひらの上で力を無くしているナマコに視線と肩を落とした。
ぷにぷにヒンヤリボディを指先で撫で慈しみ、別れについて哀しみの念を抱く。

だがしかし、七海が憂いて別れを惜しんでいることなど知らないクレイジー・サイコ・パイセンは一人、ふむふむとカルテへ状態を詳細にまとめてから口を開く。


「ま、私の子だから、私の呪力を込め直せば全く問題無く今後も活動出来るけどね」
「……えっ」
「どんな物にもメンテナンスと充電は必要ってことだよ」
「………」


数秒の沈黙を挟んだ後、七海はわざわざ買ったペットお出掛けよう用ゲージにナマコをそうっと戻してから、沸き上がる憤懣(ふんまん)を飲み込んで、怒りを抑え冷静さを保ちながら物申した。

「それを、先に、言って下さい」
「悪かったよ、ごめんて」

ゲージに入れられた我が子へ向けて微笑みながら、「大事にして貰って良かったねー」と話掛ける相手に七海は溜め息を堪えることしか出来なかった。

「じゃあ、この子は一度預かってメンテナンスしたら返すよ」
「メンテナンスはどれ程で終わりますか」
「明日には終わるよ、他に気になることは?」

珍しくも頼りになった先輩によって、七海はここ最近ずっと心配であった問題の一つが解決したことに胸を撫で下ろす。
そして、気になることと言われて一つ思い出したことを深く考えずに口にした。気が抜けて魔が差した、とも言える。

「不老不死になったと聞いたのですが」

特別難しい感情も無く聞いた言葉に、聞かれた方も軽々と「そだよー」などと返す。
七海がこの「不老不死」の噂を聞いたのは、灰原からだった。
灰原も夏油を通じて聞いたとのことであり、その夏油も家入から聞いたという又聞きの又聞き状態。皆揃って「アイツなら有り得る」と意見は一致しているが、果たして本当のことかは誰も知らずに居た。
きっと、この話題に切り込んだのは自分がはじめてだろうと思い聞いた七海は、呆気なく肯定された言葉に何も返せずに口を閉ざした。
やはり次元が違う存在だ、しかし何故不老不死などになったのか…。気付くと閉ざしたはずの口から疑問が出ていたのか、先輩はナマコを見つめながらとつとつと答え始める。

「お兄ちゃんより先に死ぬ訳には行かなかったからね、それにやりたい実験が幾つかあったし丁度いいかなって」
「……実験ですか」
「心臓の変わりになる物作る実験ね、私の体内で製造中」

……またこの人は、突飛で桁違いなことを。
躊躇いを知らない行動力、空論を実現出来る頭脳と術式、呪術師とは違う…研究者として「特別」を冠する者。
万年狂気、誰が何を言おうが止まらぬ生き方は見る者すら狂わせる。
七海はまたもや言葉を失って相手の顔を見つめることしか出来なくなった。
疑問しか生まれない価値観と発想に取り残される、平然としながらも、しかし自分と相手との間にある見えない壁と埋まることの無い距離を感じて、ああ私は一生この人を完璧に理解して接することは出来ないのだと思い知る。

きっと、この人の全てを理解出来る人間は五条悟ただ一人であろうと何となく分かってしまった。
あの人もまた、孤高で特別だから。

「お兄ちゃんより先に死にたくなかったの」

それに、体内実験がしやすくなったお陰で重宝してる。と、特別なことでは無いように語る口振りは、本当にこの人が例外的な人間である何よりの証拠であった。いや、最早人間と呼ぶことが正しいのかすら七海には分からなかった。

「終わりが無いことに…恐怖は無いのですか」

途方も無い、桁外れな存在を前に働かなくなった頭を無理矢理働かせて絞り出した疑問に、相手はニコリと柔らかく優しい笑みを浮かべて当然のことのように言う。

「私は不死身だけど、壊れることは出来るんだよ」
「………壊れる」
「お兄ちゃんが死んだ時、私も一緒に壊れて終わりにする」

この世でただ一人、彼女の兄だけが持つ特権。

「お兄ちゃんだけは、いつ私を粉々にしたって良いんだよ」

不死身の怪物となり経てなお、終わりを定めて生きている女のことを七海はこの時はじめて単純に「怖い」と思った。
分からないことは怖い、理解出来ない生き方をする生命体を目の前に恐怖が浮かび上がり鳥肌が立つ。
何か、何か言おうと思うが口から出るのは二酸化炭素ばかりで、音の一つも出てこなかった。
もし、灰原だったならば、先輩を単純に尊敬し慕う彼ならば、何と言っただろうか。
七海は己がした軽率な質問に後悔をする、知らなければ良かったと。

知らなければ、ただ密かに思慕したままで居られたのに。
どこかで憧れを抱いていた存在が、自分では到底届くはずの無い頂きに立っていることも、己が立ち入る隙が無い程に人生の全てを捧げる存在が居ることも、何もかも気に食わなかった。
だが、もう知ってしまった、もう知らなかった時には戻れない。

知ってしまったからには、せめてこの事実だけは誰にも知られぬように墓場まで持って行く。


この人は誰かの物にはなってくれない、「私の変わりだと思って大事にしてね」と簡単に差し出した自分の一部を大切にさせてくれることまでしか許してくれないのだ。
小指の先から、心の一欠片まで、全てを兄のために壊れるまで使い潰すと決めて生きる貴方のことを、私はきっと永遠に理解出来ない。

理解出来貴方だから、追い付きたくなった等とは口が裂けても言えないが。
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