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二十五万カラットの憎悪

こちらに駆けてくる姿を視界に捉えた時、すぐにそれが妹だと気付いた。
あまりに見た目が変わり過ぎて面影なんてゼロに等しかったが、昔 無責任に構って懐かせて、置いて行った存在と同じ奴だと一瞬で分かった。

家を出た俺も散々な人生を歩んだとは思ったが、それ以上に妹は絶望に染まり切った人生をずっと歩み続けていたらしい。
手を離したのは俺だ、泣いて縋る妹を置いて家を出て、コイツの末路を考えなかったのは俺だ。
放棄した責任が、今襲い掛かってくる。

恨みか怒りか、向けられた激情を抱く牙はきっとコイツの心を表したものなのだろう。
だから責任を取らねばならない、兄として。

この化物を超えて、戯言を吐いて泣く妹を今度は一緒に連れて行く。
もうあの家に置いては行かない、だってそうだろう、コイツだけは…初めから俺だけを求めていてくれたのだから。その思いの何と重苦しくて心地良いことか、他者を敬うことも他者から尊重されることもやめた人生だが、コイツは妹で、他者では無かった。自分と同じ、いや、それ以下の出来損ない。兄と妹、同じ遺伝子を持つだけの他人であり、同時に心を許してしまった家族。
唯一最初から最後まで、俺に支配され、俺を求めるためだけにある人生を生きるしか無い命。


目の前に居る俺を視界から外し、諦めた顔で妹は言った。

「私を殺して」

最後の力を振り絞り、主の願いに応えんと立ち上がり鉤爪を振りかざした力無き化物を遠慮無く軽く吹っ飛ばして、コイツが先程から大事に持っていた剣を回収し、それで化物を突き刺せばアッサリと巨体は砕けて終わった。

先程まで愉しく戦っていた相手が随分呆気なく終わった事は気にせず、ペタリと力無く地面に座り込んで涙を流す妹の元まで歩みよる。
目の前の出来事に自我が喪失してしまったかのように、呆けた表情で絶望に浸る顔の前にしゃがみこみ、頬を軽くペチペチと叩いて意識をハッキリさせてやる。

戦慄く口元が、言葉に詰まりながらも声を出す。

「負け、ちゃった……」
「この世に兄に勝てる妹なんざ存在しねぇんだよ」

視線から逃れたいのか、顔を両手で覆おうとした手を掴み行動を阻止すれば、イヤイヤと首を振って抵抗にもならない抵抗をする。

「わ、分かってるもん」
「何がだよ」
「わ、わ、私が……」

「私に、価値が無いことくらい、私が一番良く、分かってるもん……」

グスグスとみっともなく鼻をすすりながら泣き、項垂れるようにして言う言葉に耳を傾けてやる。

「…選ぶ、理由が無いことくらい、分かってたもん」
「あの家に置いてったことか?悪かったって」
「やだ、やだ、嫌い、」
「俺は…お前のことだけは、あの家でわりと気に入ってたんだけどな」

唇を噛みしめながら、涙に濡れた瞳で俺を見上げる困った妹の頭をあの頃のように適当な力加減で雑に撫で回す。
俺達は見事な落ちこぼれ同士だった、片や呪力も術式も無い期待もされない男、片や言葉すらまともに発せない子供、周りの状況を何も理解していなかったコイツは、俺が気紛れに少し構ってやっただけですぐに懐いて喜んだ。
言葉を理解していなかったから、俺がどんな存在か分からない。
侮辱も蔑視も軽蔑も無い瞳で、猫のようにフニャフニャと純真に喜んでくっついてくる腐りかけの命は、あの家で唯一の拠り所だったかもしれない。いや、そんな大層な物じゃ無かったかもしれないが。

それは案外、今も変わらない。
時が経ち、幾多の別れや苦痛を経験しても、コイツが人間を辞めていたとしても、あの頃と変わること無くコイツは俺だけを求めて追い掛けて追い付いて、そして俺の行動全てに喜ぶのだ。
そうなるように仕組んだ、あの腐った命が自分以外に懐く姿を見たくなかった、地獄で唯一キラキラとした瞳で真っ直ぐに見つめてくる何も知らない、無知で愚鈍で馬鹿な目が憎くて好きだった。だからこそ、置いて行ったのだが。

「死ぬのは勿体無ぇだろ」
「……そんなこと全く思ってない癖に」
「出来損ないと化物の兄妹だ、一緒なら地獄でもマシだったろ?」

親指で涙をぬぐってやりながら言えば、俺にしか聞こえない小さな声で「もう置いて行かないで…」と呟いた。
伸ばされた手に答えるように手を取ってもう一度頭を撫でる。すり寄るように近寄って腕の中へと帰って来た妹は随分大きくなった。
それでもまだ小さい、小柄な方だ。
きっともうこれ以上コイツは成長しないのだろう、先程のようなことが無い限り、俺より先に死ぬことも無い。

諦めるのは俺の方だ。

コイツと一緒に生きて、そして死のう。

それがきっと、一番身の丈にあった楽な生き方だ。
コイツも俺も、柄にも無い生き方をしていたのだ、きっと。







てなわけで、結局私の人生全てを賭けて挑んだ目的は達成されなかった。ついでにお兄ちゃんは依頼を失敗した。
私とお兄ちゃんがあれやこれやしている間に夏油くんと理子ちゃんとやらは逃げてしまったらしい。さらに、パワーアップして帰って来たヤバめのテンションの五条くんが、自分を殺そうとした男の腕の中でビショビショに泣いてる私の様子を見て、何を勘違いしたかお兄ちゃんをブッ飛ばして終わった。あれは正直スカッとした。
始まりがなんであれ、五条くんは良い友達だ、ブッ飛ばされて転がっているお兄ちゃんを放って五条くんに飛び付きながら「遅いよ!大好き!!」と叫べば、「うっせぇ!知ってるつーの!!」と返しながら受け止めてくれた、青春だね。

やっぱり最強を自称するだけあって強いんだなあ、私の砕け散ったジャバウォックにもさらなる改良が必要となったわけである、うむ。

あの後大人しく拘束されたお兄ちゃんは、沢山の大人達によって何処かへ連れて行かれそうになったので、私は恥も人権も掻き捨てて地べたに寝っ転がりながらジタバタと両手を振り回して駄々を捏ねた。

「お兄ちゃんを殺したら私も死ぬ!!この世を呪って死んでやる!!」
「これガチだぞ」
「私の生んだ鉱物は世界中にあるんだからね!世界中に散りばめた鉱物が呪いとなって世界を壊すから!!」
「それはやり過ぎだろ」

暴れて丸見えになってしまった下着を覗きこんで見ていた五条くんが「お前結構可愛いパンツ履いてんだな」とか言ったせいで、堪えていた溜め息を重たく吐き出した夜蛾先生がしんどそうな顔をしていた。
最終的に色んな制約を付けられたり、持っていた呪具を回収されたり、何かしらの罰を受けたりなどしたお兄ちゃんは私と共に暫く遠方任務へ飛ばされることとなった。
少なくとも年度が変わるまでは帰って来るなとのお達しだ。
皆と暫く一緒に居られないのは寂しいけど、強く逞しくなって帰って来るよ。だから寂しくなったらこれを私だと思って欲しい……と渡した「ラボ42号」ことナマコ型鉱物生命体を皆に一匹ずつ渡しておいた。灰原くんだけが「ペットにします!」と輝く笑顔で喜んでいたけれど、手渡す時に「私の変わりだと思って大事にしてね」って言ったの忘れた?それとも君にとって私ってペット扱いなの?

それから、一度実家に帰った時にご当主様と改めて話してはじめて知ったのだけれど、私が悠々自適にのびのびと離し飼いにされているのは、呪いや寿命を思ってのことでは無く、単純に誰も私を制御出来ないから放っておこうという結論になっていただけらしい。
あと、甚壱お兄ちゃんは私に冷たいわけでは無く、本当に本気で扱いに困っていただけらしい。
そっかそっかと納得して、仕事の書き物をする甚壱お兄ちゃんの背中にへばりついて「これからは仲良くしてね、約束だよ」と頬を広い背中に擦りつけながら言えば、「ああ」とだけ返してくれた。んも~~!シャイなんだから!

そして直哉くんはあり得ん程にめんどくさくなっていた、果てしなく面倒だったので仕方無いから帰って来たら東京デートをする約束をした。


という事で、私の一世一代の大勝負はあまり人生をガラリと変えることも無く幕を閉じたのだった。

生きることから逃げることも、自由になることも出来なかったけれど、兄が嘘でも「死ぬのは勿体無い」と言ったから生きる他無い。

「色々変えようとしてみたけど、結局変わらなかったなぁ」

照りつける日射しが遠慮無く注ぐ大地を、肩を並べて兄と歩く。
今、私達が居るのは中東アジアの飛び地の一つだ。火星か地球か分からないような景色が続く場所で、私達は高飛びした呪詛師を追ったり戦ったりしながら生きている。

「人生なんてそんなもんだろ」
「まあ、そうだよね」

生苦。しょうく、と読む。
生の苦しみとは、仏教において全ての人が避けることのできない苦悩であると表現されているくらいだ、かの芥川先生の言葉を借りると「人生が楽だというものがいればそれは馬鹿か頭のおかしな人である」ってな話なのだから、やはり生きる事には必ず苦しみが付きまとう。
人間をやめた私ですら、生きる苦しみからは逃れられない。
人間として生きる兄はどれ程苦しい日々を過ごして来たのだろうか。
きっとこの先も私と兄は息苦しさを抱えたまま生きていくのだろう。互いの首を絞めるように。

でもきっと、もう気が触れる程の自棄はしないだろう。やけくそ暴走行動はやり尽くした、私はちょっとだけ大人になったと思う。
震えた携帯を取り出し確認すれば、次の行き先が指定されている。

「お兄ちゃん凄い!次の行き先凄いよ!」

興奮したように声を挙げて言う。
この表情が、所詮内側の殻に染み付いた情報から分析された反応だとしても、私はもうこれがただの情報分析の結果に発せられたものなのか、心を伴う感情なのか判断出来ない。
理屈で生きることは最早出来なくなってしまった、私はあの日…感情に支配されてしまったのだから。

「何処に飛ばされんだよ」
「ドバイだよドバイ!免税の国!」
「治安良いとこで何やれってんだ」
「ドバイと言えば競馬だよ、ドバイワールドカップ!」
「行くしかねえな」

私から携帯を奪った兄はメールの内容にザッと目を通して携帯を畳むと私に突き返す。受けとれば、空いた片手で遠慮無く私の頭を雑にグチャグチャと撫で回して「飛行機、良い席取っとけよ」と言った。

いつか五条くんが言っていたことを思い出す。
女ってのは好きな奴と二人で一緒に出掛けたり何かしたりするのが好きなのだと。
その通りだ、例え内容が呪詛師との追いかけっこでも、私は憎しみを抱く程に求め続けた大好きな兄と一緒に二人でお出掛け出来て幸せだ。
だから望み通り、兄が死ぬまでは生きていてあげよう。

呪われたままでいてあげよう。
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