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事務所代表の幼馴染みはプロデューサー






その日の夜はなんと言ったらいいのか、
そう。とてもとても楽しかったのです。

ここの所、紅月の皆さんに単独でのお仕事が続いていて三人揃ってのスケジュールがなかなか入れられない状態でした。特に敬人さんはドラマやコメンテーターなど、コンスタントに活躍できてしまう方なのでお一人の仕事が続きがちだったように思います。嬉しい悲鳴といえばそれまでですが、どこか寂しそうな皆さんを見るのはプロデューサーとしても決して本意ではなく………やっとの思いで合わせられた紅月揃ってのお仕事は皆さん本当に楽しそうで、収録後もお話が尽きないご様子でしたので、そのまま打ち上げに行こうという運びになりました。
幸いなことに紅郎さんと颯馬さんは翌日オフで、私と敬人さんも午後からのスケジュールだった事も手伝って、お酒の進みはとても早かったように思います。
敬人さんはいつにも増して饒舌で、
紅郎さんは笑顔が絶えず、
颯馬さんもお酒が美味しいと喜んでくださり。
本当に楽しくて。
楽しすぎる夜だったんですけれど。



「我はこのような姿の蓮巳殿をお見かけした事がないのだが、菫殿は慣れっこなのだろうか?」
「いいえ、私も初めてです」
「冬に旦那と二人で飲みに行った時は、ここまで潰れちゃいなかったけどな」
「お二人と久しぶりに逢えて、今夜は特別楽しかったんだと思いますよ。心を許した方にしか見せない一面だと思います」
「なるほど。ならばこれは喜んで良い事なのであるな!」
「はい。紅月の皆さんあっての、この敬人さんです」


"この敬人さん"というのは、
今まさに私の脇腹に腕を回して、背中にべったり張り付いて離れないコアラのような敬人さんを指します。
二十歳になったばかりの颯馬さんにお酒のなんたるかを饒舌に語り尽くしていた先程までの姿はすっかり形を潜め、だんだんと口数が少なくなったと思えば、私にもたれ掛かって一歩も離れなくなってしまわれました。横目で表情を窺うと、耳の先まで真っ赤でほんの少し心配になります。"大丈夫ですか?"と敬人さんにだけ聞こえるように囁いたら、腰に回された腕の力加減だけで返事をされてしまいました。先日クイズ番組で拝見した聡明な敬人さんはどちらへ?あんなに達者なお口があるでしょうに。
さっきからずっとこんな感じで、だんまりなのです。
でも具合が悪い訳ではなさそうなので、少しホッとしました。私の左肩に寄せられた敬人さんの耳や頬や首筋が異様に熱く、首元にかかる吐息がたいへんくすぐったいので思わず身動ぎしてしまいそうになるのですが、腰に回された手がこれでもかというくらいにぎゅっと結ばれているので早々離れられそうにありません。困った敬人さんです。


「重くねぇか貫地谷。邪魔ならその辺に寝転がしておいてもいいんだぜ」
「ちょっと動きづらいだけなので大丈夫ですよ」
「菫殿の為にも変わって差し上げたいのだが、蓮巳殿の気持ち良さそうなお顔を見ると我ではとても引き離せそうにない」
「お気遣いありがとうございます。最近ずっとお忙しかったですものね」


お二人とお話ししながらおざなりにではありますが、私とは全く違うサラサラの髪に指を通していたら敬人さんの眉間の皺がだんだんとなくなっていくのに気付きました。手を往復させるたび、柔らかな表情になっていくので私の頬も自然と緩みます。敬人さんは知らないでしょう。指通りの良い綺麗な髪質が昔からとても羨ましくて、憧れてすらいたのです。こんな風に触れるのはいつぶりでしょうか。
学生の頃の方がまだもう少し距離が近かったように思います。もちろん、今の状態ほどではありませんが。


「ここまで気が緩んで酔っ払う旦那も珍しいから、つい眺めちまうな」
「そうですよね。なんだか私も嬉しいです」
「我もとても嬉しい!今宵は大発見の連続である。新しい蓮巳殿の一面と相まみえる事もできたし、皆で愉しむお酒がこんなにも美味しいとは知らなかった!」
「颯馬さんのお口にあって何よりです」
「神崎はどれか気に入った銘柄はあったのか?」
「うむ!蓮巳殿に勧めていただいたこちらが特に美味であった。鬼龍殿と菫殿もぜひ試されるといい」
「一口だけ頂いてもよろしいですか?」
「勿論である!あ、蓮巳殿?起きられたのであるか?」
「敬人さん?」


私が颯馬さんのグラスを受け取ろうとしたら、敬人さんの綺麗な手が横からゆっくり伸びてきて寸でのところでひょいと、奪われてしまいました。どうするんだろう?と三人で眺めていたのも束の間、何を思われたのかお一人でごくごくと全部飲んでしまいました。
惚れ惚れするような飲み姿だったのですが、コン、と空のグラスをテーブルに置くと何事もなかったようにまた私の左肩に顔を埋めてお休みになるのがなんだかひどく可笑しくて。颯馬さんが勧めてくださったお酒がなくなってしまったのに、笑顔を抑えられなくてすみません。


「また寝ちまったな」
「蓮巳殿はずっと喉が乾いていたのであろうか?」
「そうかもしれません。颯馬さんに先程と同じものと、あと敬人さんにはお茶をいただきましょうか。冷たい方がいいですかね」
「あくまで俺の推測だけどよ。旦那のことだから、神崎の飲みかけを貫地谷に飲んで欲しくなかったんじゃねぇか?」
「きっとそうに違いない!たいへん失礼した。蓮巳殿も嫌がるはずである。菫殿には違うグラスでお渡ししよう」
「それはお行儀が悪いからですか?」
「まぁ、そんな感じだな」


再び大人しくなられた敬人さんでしたが、
またお酒が回ってしまったのでしょうか。
私が紅郎さんと颯馬さんとお話しする度、私にだけ聞こえるような声で何度も耳元で名前を呼ばれてしまいます。すみれ、すみれと繰り返す低く掠れた声は、甘えていたり怒っていたり。機嫌が良かったり悪かったり。
今夜だけで一年分の菫を聞かされたような心地でした。呼ばれる度"ここにいますよ"とか"わたしですよ"と片手間に髪を撫でてなだめては、敬人さんが満足げに目を閉じてまた項垂れかかってきての繰り返し。くるくると変わる敬人さんの声色やご機嫌は何度も言いますが本当に小さい子そのもので、まるで子ども帰りしてしまったよう。
実は子どもは少し苦手なんですが、こんなに大きくて可愛い子ならずっと相手をしていたいなーなんて。心の中だけでひっそり思っていたらふと頬杖をついて優しく微笑む紅郎さんと目が合いました。


「紅郎さん、楽しそうですね」
「ああ、楽しんでるぜ。今夜集まれたのも貫地谷がスケジュールわせてくれたおかげだ。今更だけどありがとよ」
「いいえ、私の方こそ長らく離れ離れにしてしまって申し訳ありませんでした。今後はもっと紅月揃っての出演が増やせるよう努めます」
「蓮巳に似て真面目だなあんたも。へべれけな姿を見てもあんまり動じてないしよ」
「そう見えますか?」
「出逢ってもぅ数年経つが、俺は未だに蓮巳ほど貫地谷が何を考えてるのかわかってやれねぇからなぁ」
「今後はなんでも聞いてください。包み隠さずお話ししますので」
「そうか?答えたくなけりゃそれでいいんだけどよ。蓮巳のこと、貫地谷はどう思ってるんだ?」
「敬人さんには怒られてしまうかもしれませんが、今日は"可愛いらしいなぁ"と思っていますよ」
「可愛いねぇ。他には?」
「うーん…"個室を抑えておいて本当によかったなぁ"とか」
「それは、違いねぇな」
「こんなに可愛い敬人さん、ファンの方々にはとてもお見せできませんから」
「それがなんでかは、わかってんのか?」
「うちの看板アイドルのイメージを守るためでしょうか?」
「はは、なんで疑問形なんだよ」
「ふふ なんだか面接みたいですね」


紅郎さんにくつくつと、
さも可笑しそうに笑われてしまいました。
屈託のないカラッとした笑顔がとても素敵で。
ワシワシと無遠慮に私の頭をかき乱すように撫でる手は、荒々しく見えるけれど指先ひとつとっても全てが優しい。紅郎さんも今とっても楽しいのだと、触れた先から伝わってきて私まで満たされるようでした。
そうすると、突然。 
敬人さんが紅郎さんの手をぎゅっと掴んで離さなくなってしまって、思わず紅郎さん颯馬さんと顔を見合わせます。
距離が近すぎてよく見えませんが、睨んでいるというか不貞腐れているように見えました。
可愛らしいと言ってしまったから?
話にいれてもらえなかったから?
今ずーっと、敬人さんのお話をしていたんですよ。



「鬼龍。言っておくがこいつは俺のおさななじみだぞ」
「まだ幼馴染みなんだろ?俺にとっても学院来の同級生だし大事なプロデューサーなんだがな」
「いい度胸だ。俺が、いったい何年……何年前からこいつを想ってきたか、今夜は特別に朝まで語ってやろう。"ねんきのちがいの違い"を思い知らせてやる」
「そいつは長そうだ。俺なんかより、貫地谷に聞かせてやった方がいいんじゃねぇか?」
「私ですか?はい、なんでしょう」
「おお、流石の菫殿!"するーすきる"はご健在のようだ」
「残念だけどよ、全然伝わってねぇみたいだぜ」
「…とにかくだ!髪の一束たりとも誰にも渡さんからな、覚悟しておけ」
「断髪式かなにかのお話しですか?」
「確かに時代劇を彷彿させる愛の重たさであるな…」
「はは、随分しゃべれるようになってきたじゃねぇかよ旦那」
「何がおかしい。俺はおおまじめだぞ」
「あーそうかぃ。嫌だったんだよな。もう貫地谷に触ったりしねーからよ、よしよし」
「ふん、わかればいい…っておぃ鬼龍、だからといって俺を撫でるな。やめろ」


なんともご機嫌な紅郎さんに、
ぐしゃぐしゃと髪を乱される敬人さんは実に末っ子らしくて、終始可愛らしかったです。
隣で颯馬さんが"我も我も"と、羨ましそうな目で見ているのに気付いて紅郎さんのご機嫌具合に拍車がかかり、結局全員の頭を撫でくり回すこととなりました。
敬人さんは腑に落ちなかったのか、お二人を撫で返してやろうと這いずりだして、どったんばったん大騒ぎ。
楽しそうで、本当に何よりですね。
私としては皆さんの笑い声が個室から店内に明るく響き渡っていくのが微笑ましさ半分、お店への申し訳なさ半分といった心地でした。どうか、こちらのお店に紅月ファンがいらっしゃいませんように。



ひとしきり暴れた敬人さんは大運動会に満足したのか、息を荒らげながら私の元まで戻って来られました。もぅ起き上がる気力もないようで、私の膝に頭を乗せて息も絶え絶えなご様子。颯馬さんと紅郎さんに視線を移すと、アイコンタクトだけで敬人さんを任されてしまいました。合点承知です。
こうして安心して体重を預けてくださる事はとても喜ばしいのですが、敬人さんが寝返りをうつ弾みでいつ眼鏡が壊れてしまわないか。
そこだけが気がかりでなりません。
普段とても大事にされてますものね。
勝手に外したら怒られるでしょうか…
膝元を覗き込めば、うとうと微睡む敬人さん。
もう眠ってしまってもいいのにと思いながら、とんとんと軽い力で肩を叩きます。


「敬人さん。お休みになるなら眼鏡を外さないと危ないですよ。大事なものでしょう?」
「……言っておくが、俺はまだ寝ていない。それに、外せばお前の顔が見えなくなるだろう」
「今だってほぼ目が開いてないじゃないですか。そんなの一緒です」
「…まぁ、確かに一理あるな。フレームとレンズがある分お前との距離が遠く感じて仕方ない」
「今は誰よりも近くにいるので、安心してくださいね」
「口づけたいと思っても邪魔になる。ここまで眼鏡を憎らしく思う日が来るとは思わなかった」
「いつもとてもよくお似合いですから、そんなことで邪険にしないで下さいね。よければ私が外しましょうか?」
「………頼む」
「失礼しますね」


眼鏡の縁に指をかけ、できるだけそっと外せば熱っぽい表情の敬人さんと、至近距離で目が合いました。こんなにも近くで見つめられることもなかなかありません。小さな頃から変わらず綺麗な、小麦色の瞳に心の底から魅入っていたらまったく同じような事を敬人さんに告白されてしまいました。


「いつ見ても綺麗だな、お前の瞳は。海や夜空を詰め込んだような色をしていて、目が離せなくなる」
「ふふ、今日の敬人さん英智さんみたい」
「…何故そこで英智がでてくる」
「ごめんなさい。でも私も今、敬人さんに同じことを思っていたんですよ」
「そうか……なら、俺たちは両想いだな」
「はい、両想いです」
「俺を愛しているのは、瞳だけなのか?」
「いいえ、敬人さんの髪も肌も声もすべて。全部がとてもお綺麗ですよ」
「ふん、今の台詞そっくりそのままお前に返してやる」
「もぅ言ってはくださらないのですね」
「言葉にすればまた英智のようだと茶化されるからな」
「それは…、残念な事をしてしまいました」
「ふん。俺の告白をきちんと聞き届けないからだ」
「むくれないで敬人さん。もう英智さんのお話はしませんから」
「言っておくが、英智以外も駄目だからな」
「はい。敬人さんの事しか見ませんし、話しません」
「なら、良い。俺もお前を離したくない」
「菫はどこにも行きませんよ」
「頼むからそうしてくれ」
「しかし、すっかりお二人の世界であるな…」
「旦那も正気に戻った時、ちゃんと覚えてられたらいいけどな」
「こういった甘い台詞の数々は酒に溺れていない時に改めてお伝えするべきだと我は思うのだが…」
「はは、神崎に言われてるぜ。酒の勢いで口説いてたら世話ねぇわな………って、おぃ旦那?」
「敬人さん?あれ…」
「眠って、しまわれたようだ。実は我も先ほどから少し眠たくなってきたのである…」
「二次会も無理そうだし今夜はここらでお開きにするか。貫地谷もお疲れさん」
「はい、颯馬さんも紅郎さんもお疲れ様でした」
「ふわぁ…お疲れ様である…」
「あともう少しが、上手くいかねぇんだよなぁ」
「?」
「いや、蓮巳の話だよ」


何かもの言いたげな紅郎さんにぽんぽんと頭を撫でられてしまいましたが、敬人さんはすっかりお休みになっているので特に抗議の声はあがりません。
私は先程より重たくなった敬人さんを撫でながら、うちの運転手と北斗さんの携帯に電話をかけさせて頂きました。
颯馬さん以外の後輩の方達に、こういう姿はあまり見せたくないと思うので北斗さんにだけでもお部屋にお連れするまでご協力いただけないかのご相談です。
敬人塾の古諺にも関わりますしね。
北斗さんはいつものクールなお声で二つ返事で了承して下さり貫地谷の運転手も、ものの10分程度で到着しました。


車内に乗り込んだ瞬間、敬人さんは言わずもがな颯馬さんまでぐっすりで。紅郎さんは気を遣って下さったのか、助手席に座られました。寮までの道中、特に会話がなくても穏やかな空気が流れているのもやはり紅月というユニットの成せるものだと思います。
今日この場に朔間さんや英智さんがいたら、敬人さんは翌日すっかり傷ついてしまわれたかも。そもそも、ここまで酔うこともないから大丈夫でしょうか?

こんなにも安らかでたのしい宴なら、月に一度は定期的に催さないといけませんね。今度は紅月水入らずで楽しんで頂いた方がいいのかも。私がいない方が敬人さんもお二人に甘えられるでしょうし、お話しもたくさんできると思います。翌日三人揃ってオフの日を作れたら、きっともっとゆっくりしていただけますよね。スケジュールを今から調整すれば、なんとかなりそう。うん、そうしよう。
流れ行く夜景を眺めながら車内でぼんやりそんなことを考えていたら、敬人さんがこてんとまたもたれ掛かって来られました。耳馴染みのいい低く掠れた声で、また名前を呼ばれるのでくすぐったいのは我慢してそっと耳を傾けます。


「敬人さん、お目覚めですか?」
「今、ろくでもない事を考えていただろう」
「そんなつもりは…」
「お前もこの場の一員なんだ。不参加は許さんからな」
「パワハラですよ、敬人さん」
「度し難い。俺たちは対等で平等だ。アイドルやプロデューサーという肩書があろうがなかろうが、今までもこれからもそうだろう」
「ありがとうございます」
「……ちゃんと伝わったんだろうな」
「充分すぎるくらい、伝わっていますよ」
「そうか、ならそれでいい」


言いたいことは全部言い終えたのか、敬人さんはまた満足そうなお顔で眠ってしまいました。先程より密着されてしまった上に、颯馬さんも私にもたれ掛かってこられて、助手席の紅郎さんも既にお休みになられたご様子でした。
運転席に視線を動かすと、私の身を案じる心配性な運転手とミラー越しに目が合いましたが、ちょっと今は微笑み返すことくらいしかできそうにありません。
寮まで後ニ十分程ではありますが、
私もだんだんと眠たくなってまいりました。
急ぎませんのでどうかこのまま極力、
安全運転でお願いしますね。
そして、皆さんどうかぐっすりお休み下さい。

この日の夜は、そう。
とても、とてもとても楽しかったので。










*おしまい
紅月でお酒を嗜むお話。
翌日、左肩だけ肩こりになる菫さんと、ところどころ記憶喪失な敬人さんでお仕事。
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