事務所代表の幼馴染みはプロデューサー
『顔に書いてある』という慣用句があるけれど、英智さんの場合は顔には現れない。
いつ誰が見ても代表然としたとても綺麗な表情は崩さずに、ひまだひまだひまだひまだーーーーーと地団駄を踏む子供ばりのオーラを静かに醸し出してくる。
fineの皆さんならすぐにお分かりになるけれど、これに気付ける人はあまりいない。
罠にかかった様なもので、大抵の方は英智さんと話始めてから徐々に気が付いて、頭で理解した頃には既に体の良い暇つぶしにあてがわれてしまう。
私と敬人さんの場合は一眼見ればすぐにわかるのに、それでも自ら喜んで罠にかかってしまうのだから、これはもう救いようがない。
ああでも敬人さんは、そうは思っていないかも。
「すみれ」
「はい、英智さん」
ノートパソコンと睨めっこしながら極力音を立てないよう配慮しながら、休むことなく指を動かしていた最中。呼ばれるまま顔をあげると、麗しい笑顔で暇を訴えてくる英智さんと目が合った。
生地の光沢から刺繍に至る細部までもが美しい純白のタキシードをぞんざいに扱いつつ、ブライダルスーツの撮影だというのに、英智さんはちいさな悪戯っ子のようににこにこ微笑む。
勿論、部外者から見ればまるで皇太子殿下のように優美に玉座…もとい撮影所用の簡易椅子に腰掛けているのだけど、私から見れば退屈を持て余したただの幼稚園児に見えてしまう。
確かに今日の撮影は有名な写真家の方が入って下さっているからか、何せ拘束時間が長い。
その点は私も大いに共感しているので、"もう少しで終わりますからね"となだめるような気持ちで手を止めて英智さんとのお喋りに耳を傾ける。
「僕の好きなところ、1つ言ってみせて?」
「1つでいいんですか?」
「うん、追々増えていってもいいからね」
「ふふ、そうですねぇ…お顔でしょうか」
「へぇ?菫は僕の顔がそんなに好きなんだ?」
「はい、大好きですよ。英智さんのお顔を見るだけで今日も一日頑張ろうって思えます」
「ふーん。そぅなんだ。それは知らなかったなぁ」
「ご存知だとばかり思っていました」
「だとしたら朗報だよ。何せ僕と結婚したら君の大好きな顔が毎朝毎晩一番近い距離で眺められるんだからね」
「結婚していなくても、今は毎日見れますので大丈夫ですよ」
「それでも、僕が寮にいる時や英智くんデーは見れないだろう?」
「そうですね、毎日じゃなかったですね」
「寂しくて泣いてしまったりはしない?こんなに僕の顔が好きなのに」
「寂しいですよ、会えない日は。でも会える日がずっと待ち遠しくなるので大丈夫です」
「模範解答すぎてなんだか僕が泣けてくるなぁ……健気な菫の為に僕のグッズ一式、すべて揃えて貫地谷のお屋敷に送らせようか?」
「そんなことをされたらお家から出られなくなってしまいそうですね」
「出勤できなくなるのは困るよ、君は僕の大事なプロデューサーだからね」
「もし出勤拒否してしまったらごめんなさい」
「出勤すれば本物の僕がいるっていうのに?」
「英智さんが思ってるより、私は出不精なので」
「困ったお姫様だね。それなら毎朝会長自らお迎えに上がらせてもらうよ」
「それは、いけません。トップアイドルとの同伴出勤はなかなかにリスキーなので、これからもちゃんとお勤めに上がらせてもらいます」
「それは残念だ。毎朝君の顔を見てからESに向かえるなんて僕としては夢のようなんだけどな」
「でしたら、私が寮までお迎えにあがりましょうか?」
「あれ、それならいいんだ?」
「はい。星奏寮の辺りなら警備的にも問題ないと思います」
「とても嬉しいお誘いだけどね、忙しい君にマネージャーの真似事はさせられないよ」
「よかった、断ってくださって」
「どうして?」
「私朝はそんなに強くないので、本当は毎朝お迎えに行ける自信がなかったんです」
「えー?惜しい事をしたなぁ…君の誘いに両手をあげて乗ってしまえば、眠たそうな顔をする君を独り占めできたのに」
「はい、なので今ほっとしています」
「そんなに朝が弱いなら僕がモーニングコールをしてあげよう。それくらいならいいだろう?」
「恥ずかしいので遠慮しておきます」
「誰に恥ずかしがる理由があるの?」
「英智さんは、朔間さんと藍良さんと同室でしょう?」
「二人に聞かれたくないんだ?」
「はい。ふつうに恥ずかしいです」
「へぇ。ますます電話したくなってしまうな」
「物好きな英智さんですね」
「そんな物好きの顔が君は大好きなんだろう?」
「はい、大好きです」
「ふふふ もっと聞かせてくれないかな?」
「お望みとあればいくらでも」
「じゃあ、僕の好きなところを2つ……
「お疲れ様です、英智様 菫様」
「弓弦さん、お疲れ様です」
「やぁ、弓弦。君の撮影は相変わらず早いね」
「はい、大変順調でしたよ。早く終わりましたのでしばらく遠目から拝見していたのですが、相変わらずの"馬鹿幼馴染みっぷり"にわたくし痛く感動してしまいました。立場や所属が移り変ろうとも、お二人のやりとりは学院の頃からお変わりないのですね」
「ふふ 馬鹿幼馴染みですって英智さん」
「僕らにとっては割と賛辞だよね」
「はい。大変仲睦まじくて、微笑ましいという意味が込められております」
「まぁ、褒め言葉でよかったです」
「ね。通訳がいなくても僕らに正しく通じていたならよかった」
「一体どんなお話をされていたのですか?」
「どんな話……でしたか?英智さん」
「さぁ?僕もあまり覚えてないな」
「脊髄反射で会話できるのは、やはり幼馴染みだからこそ為せる技という事でしょうか…」
「今日はなんだかたくさん褒められてしまって気分がいいよ」
「それは何よりです。次は英智さんの撮影ですよ」
「うん、それじゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ、英智様」
「いってらっしゃい、英智さん」
にこりとひとつ微笑んだ後は、英智さんはこちらに一瞥くれることもなく真っ直ぐにセットの方へ歩いていかれる。
芯のある綺麗な後ろ姿に少しだけ見惚れてから、私がまたノートPCに視線を移すと先程まで英智さんが座っていた席とはまた別の椅子に弓弦さんが静かに腰掛けた。
「菫様はいつもお忙しそうですね」
「fineの皆さんほどではないですよ」
「ご謙遜を。よければ温かいお茶でもお淹れしましょうか?」
「私がいただいてきますので、弓弦さんはお掛けになっていてください」
「では、スタジオの端にいらっしゃると冷えますので毛布かダウンをお持ちします」
「弓弦さんの方がお疲れでしょう。汗もかかれたと思うので冷えてしまう前にお着替えになられては?」
「……困りましたね。菫様はわたくしにお世話させては下さらないのですか?」
「あ」
「ふふ わたくしから生きがいを奪おうとなさるのは今後はお控えくださいね」
「ごめんなさい、弓弦さん」
「いえいえ、滅相もありません」
「どうぞ弓弦さんのされたいようになさって下さい」
「お言葉に甘えますと英智様のようにとは言いませんが、わたくしも菫様と少々お話がしたいですね」
「お話ですか?はい、お話しましょう。ぜひに」
「わたくしから言いだした手前忍びないのですが…抱えていらっしゃるお仕事はよろしいので?」
「はい。弓弦さんとお話しすることの方がよほど重要で大切なことですから」
「左様でございますか」
「左様です」
ふふふ と顔を見合わせて笑い合う弓弦さんの表情は先程までの撮影と打って変わって年相応な、柔らかさのあるものだった。
弓弦さんは英智さんと敬人さんが去った今の生徒会のお話や、敬人塾でのお話をたくさん聞かせてくれる。
私が興味をもつ話題をわざわざあつらえて下さっているようにも思えたけど、弓弦さん自身が楽しそうなのだからその辺りはどちらでもいい。
低くて穏やかな声がとても心地よくて
相槌を打つことに徹していると、そこへ。
照明に照らされ続けて頬が赤らんだ桃李さんと、
対極にどこまでも涼しげな表情を浮かべた渉さんが合流される。やっとfineが揃ったなぁと、私の心は人知れず温まった。……あ、でも英智さんは今撮影中だった。
「お疲れ様です。渉さん、桃李さん」
「坊っちゃま、日々樹様。お疲れ様でございます」
「お疲れ様〜〜!はぁー疲れたぁ。撮影長すぎだよぉ…もうちょっと有能なカメラマンはいないのぉ?」
「坊っちゃま、関係者の皆様に聞こえてしまいますよ」
「桃李さん、しーっです」
「でも、お姉さまもそう思うよねー?」
「はい、長すぎるなぁとは思いますよ」
「ああ…プロデューサーまでその様に……」
「あの方、国内でもかなり有能なカメラマンなんですけど姫君に掛かれば形無しですねぇ〜?しかしながらとてもよく頑張っていましたよ。姫君とさまざまな結婚式ができて私は充分楽しめましたっ⭐︎」
「ツーショットなだけで、別に日々樹センパイと結婚する写真じゃないから!あと弓弦、こわいからその顔やめろ〜〜!」
「ああ、すみません。わたくしとした事が少々取り乱してしまいました」
「いえいえ⭐︎今のは私の失言でした」
「それよりお姉さま。弓弦となんのお話ししてたのー?こいつと話しててそんなに楽しくなれる?」
「勿論です。学院のお話をたくさん聞かせて頂いてました。とっても楽しかったですよ」
「恐悦至極でございます」
「それって僕の活躍もちゃんと入ってる?」
「勿論。坊っちゃまのお話が大半でございますよ」
「ふーん?ならいいけどさぁ〜…弓弦も、たまには自分の話とかしなよね?」
「はい、善処させていただきます」
弓弦さんが桃李さんのお顔の汗を拭いて差し上げて、私が渉さんに飲み物をお渡ししていると撮影が始まった英智さんとふいに目が合う。
その距離およそ15m程で、この嫌に広い撮影所の中ではかなりの距離が空いていたけれどそれでも自然とかち合ってしまうのだから、幼馴染みとはありとあらゆる点で都合のいい理由になるなとひとり納得する。
英智さんはまた随分とつまらなさそうな瞳でもって私たちを遠目に、とても羨ましそうに眺めてくる。
"早く終わらせたいな、僕も加わりたいな"
という感情が私には見るだけでわかってしまうのだけど、他の皆さんにはどうなのでしょうか。
少なくとも撮影関係者にはバレてはいないみたい。
シャッターが切られるたび、スタッフの大袈裟な歓声があがり、写真の出来栄が手にとる様にわかる。
視線を移せば、長い脚を組みテーブルに腰掛けた渉さんの笑みが深まっていたので渉さんにはすっかりお見通しのご様子。
でも、英智さん。
ここには桃李さんもいらっしゃいますからね。
どうか身内にまで幼い幼い英智さんの頭角を現さないで下さい。後少しの我慢ですよ。
私は構いませんけれど、
それがきっと英智さんのためでしょうから。
この距離で伝わったかはわからないけど、
"がんばれがんばれ"と心の中で念じながら
私が英智さんに軽く手を振ってみせると
fineの皆さんも英智さんに向かって無声のエールを精一杯の身振り手振りで送って下さる。
ああ、英智さんの嬉しそうなこと。
英智さんはふんわり微笑んだ後、凛とした佇まいを取り戻してまた撮影へと意識を集中させたように見える。
雰囲気がまるで違う。
切り替えがお上手なのは流石ですが、
その姿こそが本当に幼い子そのもので……
こんな事しなくても頑張ってと思えば思うほど、私はおかしくてたまらなかった。
「ふふ おかしい」
「ふぇ?突然どうしたの、お姉さま」
「いいえ。ただ、英智さんめんどくさいなぁと思って」
「…その辺りは充分理解された上でお付き合いされているとばかり思っておりましたが?」
「ちょっと弓弦!よくわかんないけど、今英智様に失礼な事言ったでしょー!」
「いいえ、滅相もございません。わたくしからの精一杯の賛辞でございますよ」
「あはは、おかし…」
「おやおやぁ〜?菫さんならばよく分かっておいでですよね?あの面倒臭さこそが英智という人のスパイスであり最大の美点だと⭐︎」
「そうですよね、渉さん」
「Amazing…!なんと愛らしい!あなたをこんなにも笑顔にできる英智に、思わず嫉妬してしまいますねぇ⭐︎」
仕様のないことほどツボに入る所は早く直したい。
笑いすぎて片目だけちょっと泣けてきてしまった。
もう早々に切り上げて皆さんでお茶にしましょう。
私は会社支給のノートPCを閉じ、スマホ片手に
近所に美味しい喫茶店がないか検索することにした。
クランクアップまであと少し。
この雑誌はとてもよく売れるだろうなぁとは思ってはいたけれど案の定、ブライダル誌としては異例の初版完売記録を達成してしまうのですが、それはまだ2ヶ月程先のお話し。
*おしまい
英智さんのギャップがツボなすみれさん