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事務所代表の幼馴染みはプロデューサー






どこか。翳りのある女性だと思った。
新星グループの一員として、プロデューサーである彼女と事務所内で初めて挨拶を交わした折の第一印象がそれだった。
白い手を差し伸べ俺に向けてくれた聖母のような微笑みよりも、その瞳の翳りばかりが気がかりで、こちらも上手く微笑み返せていたかどうか。思い返してみても余り自信はない。
それは表情や声、立ち居振る舞いからは読み取れず、ただ深い青の瞳だけが時折憂いを帯びて雨の日のステンドグラスのように朧げに煌めいては目を奪う。
俺は粛々と彼女に惹かれていった。
聖職者とアイドル。
双方の世界で数多の人々と出会い、懺悔や悩みを見聞きしてきたからこそ、彼女の翳りを知り何か少しでも力になりたいと強く願う。
どうか吐露して。打ち明けてほしい。
同年代の女性が抱えるにはきっと、あまりにも深い。彼女の瞳の奥深くに眠るその正体を。



___ __ _




久方ぶりの晴天。
心赴くまま、空中庭園に足を運べば偶然にも彼女は一人、木漏れ日の中ベンチに腰掛けていた。姿を見かけただけで自然と顔が綻ぶ。お忙しい方だというのに、この様な場所で偶然、それも久方ぶりに会えた事を神に感謝せずにはいられなかった。連日続いた豪雨もようやくやみ、きっと神もお喜びなのだろう。葉を透かし煌々と降り注ぐ日差しがこの歓喜を物語っているようだった。俺は嬉々として近づき声をかける。顔を上げ、俺を見つめ返してくれた彼女の瞳に翳りは未だ、見えない。


「おや、菫さん。お疲れ様です」
「巽さん。お疲れ様です」
「休憩中でしたか?」
「休憩を終えてぼんやりしていました」
「いいですな。俺もご一緒しても?」
「ええ、是非。一緒にぼんやりしましょう」


陽だまりのように穏やかな微笑みが、初めて出会った時のように俺を優しく迎えてくれた。
同じくベンチに腰掛け視線を隣に移すと、マヨイさんよりも淡い透明感のある紫が、風が吹くたび柔らかに揺れている。
名は体を表すとはよく言ったもので、花のような人だと思った。
なんて幸福な時間なのでしょうか。
Amen…天に召します神よ、今日という日に感謝いたします。


「今日はここ最近で一番の晴天ですな」
「ええ、本当に」
「神もさぞかしお喜びになっている事でしょう」
「神様は、たとえ雨でも喜ばれるのではないですか?」
「何故そう思われるのですか?」
「神様は人間のように、天候で一喜一憂するようには思えなくて」
「なるほど、恵みの雨とも言いますし一理ありますな。菫さんは俺なんかより余程、信仰深い方なのですね」
「そんな。いいえ、全く」
「だとしても、そんな貴女を神は愛しく思っておいでですよ」
「懐の広い方なのですね、神様は」


ふふふ、といつもの調子で
彼女は困ったような顔で微笑む。
謙遜される最中覗き見た彼女の瞳はやはり何処か、翳りがあった。こんなにも楽しそうに微笑んでいるというのに。どうして。俺は本題を切り出さずにはいられなくなり、少しばかり性急に彼女へ問いかけてしまう。


「菫さんは今、何かお困りなのではありませんか?」
「私…ですか?」
「人に話す事で抱えている心の荷が降ろされる事もありますからな」
「はい」
「俺でよければどんな悩みや困り事でも聞き入れますよ。どうぞ話してみてくれませんか」
「………」
「………」
「………」
「すみません。少し急すぎましたかな」
「いえ、違うんです。ごめんなさい。…少しだけ、お時間を頂いても?」
「ええ、それは勿論。貴女の時間が許す限り、俺はいつまでも待ちますから」
「ありがとうございます」


案の定。
俺の切り出し方があまりに突拍子なかった為か、彼女は想像していたよりもずっと困惑して黙りこんでしまった。
それでも人差し指の甲を唇に当てがって寡黙に、真剣に。
空中庭園より先の何処かずっと遠くを眺めながら彼女は俺の問いかけに応えようと深く思案してくれている。
きっと、口を開くにはそれ程までに時間を要する案件なのだろう。
彼女は今、一体何をご覧になっているのだろう。
付き合いの浅い俺では隣に座っていてもそれが何だか見当もつかない。ほんの少し歯痒くもあり、答えが待ち遠しくて愉しくもある。俺は静かに思案する彼女を眺めていたい気持ちを押し殺して、両手を固く握り彼女と同じ方向を、それこそぼんやりと眺めて待つことに決める。
沈黙がここまで苦でない人も珍しい。
程良い気温と心地よく吹きこむ風が時間を忘れさせた。
俺が目で追っていた雲が形を無くし、全く別の何かになりかけた頃。彼女は悩むモーションを解き、また俺を見つめ向き直ってくれた。


「巽さん」
「はい、菫さん」
「お待たせしてすみません」
「いえいえ。困り事は見つかりましたかな?」
「それが…懸命に探しては見たのですが、考えても考えても特にこれといった悩みが浮かびませんでした」
「………そうでしたか。しかし、それは良い事ですね」
「ご期待に応えられなくて、すみません」
「期待と言いますと?」
「巽さんは悩み事を聞く事自体をご所望だったと思ったのですが…」
「俺が、貴女の悩みを望んでいると?」
「違いましたか?」


瞳を三日月のように細めて彼女は小首を傾げ、笑った。
聖母も万人にこうして微笑みかけたのだろうと確信させるような、有無を言わさぬ微笑みだった。俺は驚き、あらかじめいくつか想定していた回答を頭の中で反芻する。
まずプロデューサーの人員不足も相まってお疲れなのだろうと体調面を心配したし、あんずさんと比べて先輩アイドルとの仕事を任せられる事が多いと聞いたので気苦労も多いのだろうなと懸念していた。
学業との両立や私生活の充実、
対人関係やトラブル誹謗中傷への対応等々…
彼女の立場を想えば、抱えているであろう悩みは無数に想像がつく。そのどれもが当てはまっても不思議でない程にプロデューサーは多忙な方だった。
それなのに。
俺はあまりにもありていな自身の想像を恥じた。
なら一体、何が彼女を翳らせているのだろうか。
右手で左手を、左手で右手を強く握り閉める。
俺は彼女の問いかけを訂正したい一心で、どうにか喉元から声を振り絞った。


「それは誤解です。俺は貴女を苦しめたい訳でも悩ませたい訳でもありません。ただ、貴女の瞳の翳りの理由を知りたいと願っただけで、そのような他意はありませんよ」
「瞳の翳り……ですか?」
「はい。常ではありませんが貴女の瞳は時折乱反射するように輝いては暗く深く翳るのです」
「全く知りませんでした。毎日鏡を覗いていても気付けないものですね」
「…俺の言う事を信じて下さるのですか?」
「はい、信じますよ。私にも見えるものなら見てみたいです。だって私の翳りなのですから」
「そうですね。俺には見えてもその理由まではわかりませんからな」
「翳りとは、悩みのことを指すのでしょうか?」
「断言はできませんが悩みや憂い、心のどこかに引っ掛かりや嘘を抱えた方にはそれが強く現れる傾向がありますな」
「…なんだか、そんなことを言われてしまうと巽さんと目を合わせることが途端に恥ずかしくなってしまいますね」
「それは困りましたな。菫さんの翳りの理由を突き止めて少しでもお力になれればと思っていたのですが…要らぬお世話でしたでしょうか?」
「いいえ。巽さんのお心遣いとても嬉しく思いました。ただ…」
「ただ?」
「見透かさないでくださいね、どうか」
「………」
「私、少しぼんやりしすぎてしまったようです」



"お先に失礼しますね"と、
微笑んだ彼女の笑顔は社交辞令やその場凌ぎの嘘で無く、本心からのものに見えた。
この場を一刻も早く離れてしまいたい事が暗に…いや真摯に伝わってくる。それ程綺麗で自然な笑顔だった。
この表情にさせてしまった原因が他でもない俺自身なのだと省みれば、ベンチから離れようとする彼女を引き止めることは到底出来そうにない。今まさに離れようと空を掻く、細く白い手をこの手で掴み、子どものように駄々をこねて彼女の真意を問い正す真似も出来ただろうに。何を今更と彼女は思うかもしれないけれどどうしても、そこまで厚顔無恥ではいられなかった。

ベンチに一人残された俺の髪を風が揺らす。
認めざるを得ない。
そうだ、俺は少しでも愉しいと思ってしまった。
見透かせるものなら見透かしたかった。
彼女の懺悔を心待ちにしてしまった欲深な自身を一人恥じる。次に彼女と顔を合わせるのは一体いつになることだろう。どうかもう暫くは忙しくあって欲しい。
仮に明日仕事でプロデューサーと同席したとしても、彼女はまた聖母のように変わらず微笑んでくれる事がわかっていても。




___ __ _




ヒールの音がいささか強く廊下に響いている。
ESビルでは誰もが忙しなく働いているので、きっとどなたかお急ぎなのでしょう。通路からの思わぬ飛び出しに注意して歩こうと決めたその瞬間、思わぬ人が曲がり角から顔を覗かせたので俺は故意に脚を止めてしまう。
こちらが立ち止まらなければぶつかりはしなかったかもしれないけれど、見慣れた紫が勢いよく胸の中に収まってくれたので、俺は役得とばかりに優しく彼女を抱き留めた。あまりに華奢な肩に驚き、慌ただしく走っている彼女を初めて見た物珍しさも相まって俺はしばし瞳を瞬かせる。驚いたのは彼女も同じだったようで、俺の腕に掴まり瞳を丸くしながら顔をあげた。



「おっと」
「HiMERUさん」
「大丈夫ですか?プロデューサーさん」
「すみません、私は大丈夫です。HiMERUさんは?」
「HiMERUなら大丈夫なのです。お急ぎですか?」
「いえ。ちょっと、居た堪れなくなって逃げてきてしまって」
「逃げる…というと?何からですか?」
「巽さんです。あの方を撒くのは、なんだか心にくるものがありますね」
「___風早、巽の事ですか?彼と今まで一緒に?」
「はい。空中庭園で偶然お会いして、先ほどまでご一緒していたんです」
「何故でしょうね。HiMERUには貴女と彼の組み合わせが想像できないのです」
「そうでしょう?きっと、そうなんですよね」
「プロデューサーさん?」
「こんな事を突然打ち明けられても、困らせてしまうとは思うのですが…」
「HiMERUでよければお聞きしますよ」
「ありがとうございます。あのですね、私ほんの…ほんの少しだけなんですけど巽さんの事が苦手なんです。巽さんとお話していると全てを暴かれるような心地がして、まだお話の途中だったのに一方的に切り上げてしまったんです。巽さんは何も悪くないのに、失礼な事をしてしまいました」
「……………」
「HiMERUさん?まぁ………ふふふ、どうされたのですか?HiMERUさんなんだかとっても嬉しそう」



"そんなお顔、初めて見ました"と。
腕の中でおかしくてたまらないのだというように微笑む彼女に、俺は一体どんな顔を向けてしまったのだろうか。
『風早巽が苦手』
彼女の口から聞けたその一言だけで容易に本心が溢れてしまう。こんなもの、取り繕えそうにない。
この顔の綻びが、彼女以外に見られなくて本当によかった。
彼女にならいいか。そう思えてしまう程には、俺は既に彼女を信頼してしまっていたから。










*おしまい
汝隣人を愛さず、沈黙を愛せよ





補足:
幼馴染の敬人さんと英智さん以外にパーソナルスペースを攻められると途端に逃げ出したくなってしまう繊細で臆病でガードの固い菫さんのお話。
巽さんの聖性に甘えてなんでも話してしまいそうになる自分が怖いだけなので巽さんの事は嫌いではなくて、苦手。
菫さんは自分では解決できない悩み事があれば、話したいと思える人にきちんと話す人なので今回はその相手が巽さんではなかっただけのこと。
HiMERUさんは自分のことを全く詮索してこない菫さんの事を好ましく思っているので、風早巽に対して全く同じでは無いにしろ近い感情を抱けた事が嬉しくて堪らなくて誰も見た事がないくらい顔が緩んでしまった感じ。
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