事務所代表の幼馴染みはプロデューサー
0.1 メリットデメリット
髪を切る事にした。
朝はあまり強い方ではない事。
人手のまるで足りていないプロデューサー業が困窮を極める事。加えて、私があまり器用な人間では無い事が重なっての事でした。
早朝。梳きバサミを洗面台に置いてとりあえず肩あたりまで切ろうかなと、鏡に向かって意気込んでいると、お母様がいらした頃からのお手伝いさんとばったり鉢合わせてしまって…。
結果。私はいま大人しくそのお手伝いさんに髪を切って貰っています。
誰かに髪を触られるのはどうにもくすぐったいので、一度はお断りしたのですが逆に断固として丸め込まれてしまいました。
あんずさんに髪を結っていただいた時はなんとも思わなかったのに、不思議です。
特に要望もないので「短くして下さい」とだけ告げて、うとうとしている間にどのくらい時間が経ったのか…
顔を上げると、幼少期と大差ない髪型になっている自分がそこにいて思わず自嘲してしまいました。違いなんて本当に背丈や顔の大きさくらいしかなくて。
『成長してないぞ』と鏡の中の自分に嗜められたような気もしましたが、この長さの方が身支度がしやすそうでずっといいです。
頭が軽すぎてつい首を動かしすぎてしまうけど、毎朝髪を結ばなくて良くなるのはとてもいい。何事も時短できるに越したことはないのですから。
軽くなった頭を左右に振り、身支度を済ませて玄関へと向かう最中。
すれ違う屋敷中の使用人から、
とてもよくお似合いですよ
お嬢様が幼かった頃を思い出しますね
成人式まで待たれてもよかったのでは?
やはり美容院に行かれた方が……
などなどと。
口々に感想が降ってきました。
皆さん普段はとても無口であまり私語を良しとされていないのもあってか、なんだかおかしくて思わず笑ってしまったくらい。
お褒めに預かり光栄です。
自家用車に乗り込み、まだどこか眠い頭を少しづつ覚醒させながら、車内で今日のスケジュールに目を通しているとほんの少し首元が薄ら寒くて心許なく感じました。
これから冬になるのに切りすぎたかもしれない。
ああそうだ、早く冬服を出してしまわないと…
昨年英智さんに頂いたマフラーは、今年こそ活躍できるでしょうか。真っ白ふわふわでブランド物の風格が嫌に浮いてしまって、昨年の学院生活中私にはまったく使いこなせなかったけれど。
____ __ _
車から降りESビルに向かって歩いていると
突然突風が吹いたので咄嗟に髪を抑えましたが短くなったおかげか大して乱れはしなくって。ああ、ショートヘアの便利なこと。
そのまま私を追い抜いて、急ブレーキをかけてくるり振り向いた風の正体は、ぴょこぴょこと栗毛の跳ねあがったRa*bitsの光さんでした。
光さんは大きな瞳をぱちぱちと数回瞬かせた後、また突風を巻き起こしながら私の元まで
わざわざ戻って来てくださって…今日もとってもお元気そう。
「菫ね〜ちゃん!おっはよーございますっ!あれれ?短くなってる…髪切ったんだぜ?」
「光さん、おはようございます。はい、今朝切って貰いました」
「ふーん!すっごく可愛いんだぜ!なんだか創ちゃんみたい」
「ありがとうございます。創さんに似ているなら大成功ですね」
「うーんと、創ちゃんに髪型が似たから可愛い訳じゃないんだぜ?」
「なるほど?」
「ん〜〜俺じゃ上手に伝えられないんだぜぇ。ねぇねぇ、もしかしてだけど今日最初に会ったのって俺?」
「はい、そうですよ」
「やったーーーー!一番ノリなんだぜ〜!」
「ふふ 光さん前見て下さいね」
ジグザグと器用に歩く光さんは、私を見ているとなんだかドキドキするのだと気恥ずかしそうに、それでも真っ直ぐに褒めて下さいました。
光さんの笑顔は、太陽のようでとても眩しい。
歩くのが遅い私に合わせて速く駆け出したいところを何度も気をつけてくれたり、女性の髪型の変化に一番に気がつけるなんて、光さんは本当に紳士で素敵です。
なずなさんに今度教えてさしあげよう。
なんて思っていたら
『俺が一番ノリだったことと、ね〜ちゃんが髪を切ったこと。みんなに自慢したいから、写真撮ってもい〜い?』と。学院の頃のように可愛らしくお願いされてしまいました。
私の写真を撮って一体何になるのでしょう?と
一瞬考えてしまいましたが、ESビルに入る前なら多少公私混同してもいいかと思い直して、私はすぐに頷きました。こんな平日の朝からカメラマンも張り込みはしないでしょう。
わーい!と嬉しそうに飛び跳ねていた光さんと
肩を寄せ合ってみて初めて気付いたのですが、
私たち身長差がこんなにあったんですね。
敬人さんと英智さんも会う度身長が伸びていって、中学生くらいの頃は本当に驚きましたが、
光さんもいつか皆さんのように大きくなってしまうんでしょうか。
見てみたいような、今のままがいいような…
頬を寄せ合ってにこにこ笑う光さんを見つめているうちに、パシャリと小気味良いシャッター音が。
「はい、チーズ⭐︎」
「これでいいんですか?」
「うん、バッチリなんだぜ!みんなに自慢しちゃお〜っと⭐︎」
「ホールハンズ以外はいけませんからね」
「わかってるってば!に〜ちゃんからも友ちゃんからも散々言われてるんだぜ!」
「言われすぎたら嫌になっちゃいますよね。すみません」
「えぇ〜?全っ然!菫ね〜ちゃんの言い方はいつも優しいから怒られててもなんだか嬉しくなっちゃうんだぜ」
「よかった。私も光さんとお話ししているといつも嬉しくなりますよ」
「えへへ、嬉しいからすぐ送信!っと」
エントランスを抜けそのまま二人してエレベーター乗り込む間も『みんなの驚く顔が目に浮かぶんだぜ〜』と光さんはずっとはしゃいでいらっしゃいました。
ですが、私が今朝は20階に先約があってリズリンの事務所がある12階では一緒に降りない事を告げると、途端にくしゃくしゃと口を尖らせつまらなさそうな顔に変わってしまって…。
どうやら私と一緒に出社してみたかったようで申し訳なく思っている間に、光さんは『また後でね〜!』とすぐに元気を取り戻して手を振り振り。扉が閉まるまでずっと見送って下さいました。
眩いばかりの光さんの元気が損なわれなくてよかったけど、私ではまだまだ光さんのご機嫌を推し量ることはできないみたいです。
____ __ _
20階。
すれ違うスタプロの事務員の方々にご挨拶する度、口々に私の髪型への感想が飛んできました。自分の話をされるのはどうにも気恥ずかしいので、適当にありがとうございますを要約してバリエーション多めに返しながら、英智さんのいらっしゃる会議室…もとい"fineの城"を目指します。光さんのようにはいきませんが、今日一番の早足だったと思います。
聖徳太子になったような気持ちで会議室にたどり着きノックの後、ゆっくりと扉を開けると
ソファに座る英智さんとすぐに目が合いました。
なぜだかもう既に疲れてしまっていたから、英智さんのお顔を見たらとても安心してしまいました。大きなため息をひとつ吐いたら、自然と笑みが溢れます。
室内に英智さんしかいなくて本当によかった…なんて、これも公私混同でしょうか。
「英智さん、おはようございます」
「やぁ、菫。おはよう」
「以前お話ししていた資料をお持ちしました。急ぎませんので時間のある時にお目通し下さい。あんずさんにも同じ物をメールでお送りしてるので、打ち合わせは不備なく進むと思います」
「ありがとう菫。そんな事より、ほら」
「はい?」
資料を手渡すと英智さんは私の空いた手を引き
ぽんぽん、と。ご自身の隣を撫でるようにして、私にソファへ座るよう指し示しました。
軽く頷いて腰かけると、英智さんはキラキラ瞬く星のような好奇心に染まった瞳をして、私の髪に指を差し込んでは耳辺りから毛先にかけて…撫でつけたり梳いたりと。
ゆっくり、ゆっくり。何かを確かめるようにして何度も手を往復させます。
あまりに入念な指の動きと地肌から伝わる指の冷たさにばかり気がとられて、私はしばらく英智さんを見つめる事しかできませんでした。
「少し会わない間にここまで可愛くなれるなんて、アイドルに欠かせない才能だよ。僕にも秘訣を教えてくれないかな」
「髪型の…ことですか?今朝、使用人の方に切ってもらったんです」
「そう。その人は女性なのかな?」
「はい、一番長くお勤めして下さっている方で…それが何か?」
「ううん。見知らぬ美容師に菫の髪を触らせるよりはずっといいと思ってね。気にしないで」
「そうなんです、美容師さんみたいに切るのがとってもお上手で」
「ふふ なんだか君と初めて会った日を思い出すよ」
「はい、私も今朝鏡を見てそう思いました」
「長さは今の僕と同じくらいかな?」
「そうですね、お揃いです」
「よく似合っているよ」
「ありがとうございます、英智さん」
「うん、耳が見えているのがとっても可愛い」
可愛い、可愛いと独り言のように呟きながら英智さんは私の耳の輪郭をよしよしと指だけでなぞっていきます。
耐えれはするけど本当にくすぐったいので公衆の面前の場合は、どうかやめて頂きたい。
ここが会議室で本当によかった。
私の肩が震えるたび、なぜか英智さんの微笑みがにこにこにこと、右肩あがりに増していって…
ああ、なんて楽しそうな英智さん。
これはたぶんきっと退屈されている。
絶対そう。私にはわかる。
「ごめんね、くすぐったいかな?」
「ほんの…少し、ですが」
「こんなに耳が弱いなんて知らなかったな。弱点を晒してしまって大丈夫?この後またリズリンの事務所に戻るんだろう?心配だよ"プロデューサー"」
「こんな事英智さんくらいしかされませんので、安心してください」
「僕の特権なの?ああ、よかった。それなら安心だ」
綺麗な三日月のように英智さんの瞳が細められる。
正直、私の耳から指が離れる瞬間までもがくすぐったかったから、やはり英智さんはくすぐりの刑の才能がお有りのようです。
腕時計を確認すると、次の予定までまだもう少し余裕があったので、離れてしまう前に少しでも熱が移れと願って。英智さんの両手を祈る様にぎゅっと握り締めました。
先程まで好き放題していた手を塞がれてしまったからなのか、今度は英智さんが大人しくなってしまったけど、表情が和らぎ手が温かくなっていくのがわかって少しだけ、安心しました。
今日もどうか、無理をされませんように。
「そろそろお暇しますね」
「ご苦労様。今日も菫に幸あれ、だね」
「はい、英智さんも」
「僕は朝から君に会えたから幸せだよ。たぶん午前中の間は保つかな」
「では午後にまた顔を出します」
「どうせ仕事でだろう?まぁ、それでもいいけどね」
とってもいいものが見れたし。と
英智さんは嬉しそうに肩を窄めて笑った。
今更ではあるけれど、このビルの20階に来ればいつでも英智さんの笑顔があることがとっても嬉しい。
私もいいものが見れたなぁと思いながら、小さな頃のように手をひらひらと振って会議室を後にしました。
____ __ _
20階の次は、12階へ。
上の階よりずっと見慣れたホームともいえるリズリンの事務所では、先程よりも手厚くしつこく…また口々に髪型について声をかけられ呼び止められてしまいました。
失恋でもしたのかとか、
好きな人ができたのかとか、
男の好みに合わせたのかとか。
老舗事務所ならコンプライアンスをもう少しきちんとして下さいとは罪のない事務員さん達にはとても言えず、とびきりの作り笑顔でしかお返事ができませんでした。
辟易としている所だけはバレたくなかったので、スタプロとは逆に今度は出来るだけ落ち着いた様子を装い、穏やかに歩いてミーティングルームへ向かいます。
今日は事務所代表と代表補佐と一緒に、今後の方針とスケジュール確認のミーティングがあるので遅れるわけには行かないのだけど。
少し焦りながら扉を開くと、
まぁるい目をして口を小さく開いた敬人さんと、何がそんなにおかしいのか…敬人さんを横目に声を殺して笑う朔間さんが既に定位置についていらっしゃいました。
私が最後…お待たせしてしまって申し訳ないなと思いつつも、敬人さんのお顔を見るとどうしてもほっとして顔が緩んでしまう私がいます。
敬人さんはずっとぽかんとしたままでしたが。
「敬人さん、朔間さんおはようございます。一番遅くなってしまってすみません。今日はよろしくお願いします」
「おはよう、菫くん。何、まだ時間まで10分以上あるから急がなくてもかまわんよ」
「菫、お前その髪……」
「蓮巳くん、挨拶を忘れておるよ。先程まで天満くんから送られてきた写真を穴が空きそうなくらい眺めていたばかりじゃろ」
「あ、あぁ、おはよう"プロデューサー" 髪を切ったんだな」
「はい。今朝切って頂きました」
「よぉく似合っておるよ。うんうん、かわいいかわいい」
「ありがとうございます。ですがもぅ本当に私の髪型の話はしなくていいので、打ち合わせを始めてもよろしいでしょうか」
「蓮巳くんの感想くらい聞いてあげる時間はあるじゃろう?」
「お気遣い頂かなくて大丈夫です」
いい加減面倒くさくなってきて、朔間さんの言葉を受け流しながら席に着きます。
こんな口を聞いてもこの人はそれを怒ったりは決してしないので、『代表補佐になんて口を聞くのだ』と私は心の中だけで自分自身を叱っておきました。
定刻までまだ10分あるうちにお茶を煎れて、資料だけ先に配って読み進めていただこうと思っていたら、敬人さんにふいに名前を呼ばれました。
「菫」
「はい」
「耳が心なしか赤いが、どうした?」
「ひ……」
「あ」
びっ…………………くりした、
してしまいました。
資料をめくる事に集中しているうちに敬人さんの長くて綺麗な指が私の耳をかすめるだなんて、私には到底予測できませんでした。
慌てて口元を抑えたけれど、
そんなのは誤魔化しにすらならなくて。
英智さんに触られていた時は、まだ我慢ができていたのに…と恥ずかしいやら何やらで私はまた心の中で自分を叱りつけます。
「す、すみません。なんだか変な声が出てしまいました」
「いや……、俺の方こそ急に触って悪かった」
「私の耳がくすぐったがりなのが悪いんです。お気になさらないで下さいね」
お恥ずかしい限りです。
本当にすみません、敬人さん。
私に釣られてびっくりしてしまったのか、
敬人さんは伸ばしたままになっていた手を引っ込めて、なんとも言えない顔で私を見つめてくるので私はあはは…と情けない顔で謝罪する他ありませんでした。
敬人さんの隣の朔間さんは、「あ」と一言漏らした後腕を組んでくつくつと。喉の奥で笑いを堪えている様子で……何もそんなに笑わなくても。
「おいおい、幼馴染み達。我輩を忘れないでおくれ。特に蓮巳くんはよくない、よくないのぅ。そういう無自覚俺のものだアピールは…」
「うるさいぞ朔間。今のは不可抗力であり歴とした事故だ」
「あんなに気安く触っておいてよく言うのぅ…二人きりならまだしも。我輩、何を見せつけられているのか気が気でなかったんじゃが?面白かったけど」
「お見苦しいところをお見せしてすみませんでした」
「どうやら耳が弱点らしい菫くんには、我輩が護身用にゴテゴテ厳つめのイヤーカフでも作らせてプレゼントしようかのぅ?知人にそういうの得意な人がいるんじゃよ〜」
「私がイヤーカフ…ですか?全然似合わないと思いますよ」
「ギャップがあるから良いんじゃよ。色は……そうじゃな、シルバーがいいか。それを両耳に着けておけば蓮巳くんも安心じゃろぅ?」
「UNDEADの皆さんとお仕事する時だけなら、いいかもしれませんね」
「菫くん意外と乗り気じゃの〜」
「朔間に乗せられてプロデューサーとしてのイメージを捨てるのはやめろ」
「ふふ、やっぱり似合いませんよね」
UNDEAD付きのプロデューサーらしくはなるかなと思ったけど、身の丈に合わなさすぎるのはわかっていたので笑ってしまいました。
そもそもアクセサリーはあまりつける主義ではないし、着けたら着けたで英智さんは面白がって触ろうとしてくるのが容易に想像できてしまいました。
英智さんは存外、赤ん坊のような人だから。
「そうだ菫くん、まだ時間はあるかのぅ?」
「はい、まだご自由になさって結構ですよ。資料だけ置いておきますので」
「ありがとう。あぁ、そうじゃったそうじゃった」
すっかり忘れておった〜なんて。
朔間さんは何か大事なことを思い出した様な身振り手振りをして、すぐ戻ると言い残しのらりくらりとミーティングルームを後にされます。
その間に、もう一度資料を机に並べようと立ち上がると敬人さんもそれを手伝って下さいました。
「ありがとうございます、敬人さん」
「言いそびれたが、よく似合っている」
「へぇ?」
「貴様の髪型の話だ」
「あぁ、ありがとうございます」
「今までで一番短くなったんじゃないか?」
「そうですね、ずっとなんとなくで伸ばしていたので」
「その、なんだ。髪に触れてもいいか?」
「はい、どうぞ耳以外でお願いしますね」
「何度も言う様だがさっきのは不可抗力だからな」
「何も言ってませんよ」
敬人さんはバツの悪そうな顔をした後、
随分と慎重に手を伸ばして私の頭をとても優しい力加減で何度も撫でて下さいました。
瞼が自然と降りてしまうくらい心地が良くて、敬人さんの指は細いのにとても温かい。
公私混同がどうだとかが、一瞬どうでもよくなってしまう程に。
髪を切るとこんないいことがあるんだなぁと
噛み締めながら大人しく目を閉じていたら、
バァンと。
無理くり脚で蹴り開けたような音を立ててミーティングルームの扉が開き、二枚看板らしい綺麗なお顔で朔間さんがすぐ様戻って来られました。もう用事は終わられたのでしょうか。
「人がいなければいいとも、我輩は言っておらんぞ蓮巳くん」
「…、さっさと席に着け朔間。時間が惜しい」
「いやいや、そんな急にキリッとされても。どう思う菫くん?」
「敬人さんはいつもキリッとされてますよ」
「相変わらず贔屓がすごいのぅ」
「はじめるぞ "プロデューサー"」
「はい、それではお願いします」
*おしまい
この後、午前中に天満くんが撮った写真がホールハンズで拡散されて昼休憩になると他事務所からもみんな会いに来てくれる。
あんずさんは走ってくる。
英智さんの方が、敬人さんより先に
菫さんと出会っている設定なので
一番髪の短かった頃を知っているのは
実は英智さんというお話
(また別話で幼少期捏造書きます)
髪を切る事にした。
朝はあまり強い方ではない事。
人手のまるで足りていないプロデューサー業が困窮を極める事。加えて、私があまり器用な人間では無い事が重なっての事でした。
早朝。梳きバサミを洗面台に置いてとりあえず肩あたりまで切ろうかなと、鏡に向かって意気込んでいると、お母様がいらした頃からのお手伝いさんとばったり鉢合わせてしまって…。
結果。私はいま大人しくそのお手伝いさんに髪を切って貰っています。
誰かに髪を触られるのはどうにもくすぐったいので、一度はお断りしたのですが逆に断固として丸め込まれてしまいました。
あんずさんに髪を結っていただいた時はなんとも思わなかったのに、不思議です。
特に要望もないので「短くして下さい」とだけ告げて、うとうとしている間にどのくらい時間が経ったのか…
顔を上げると、幼少期と大差ない髪型になっている自分がそこにいて思わず自嘲してしまいました。違いなんて本当に背丈や顔の大きさくらいしかなくて。
『成長してないぞ』と鏡の中の自分に嗜められたような気もしましたが、この長さの方が身支度がしやすそうでずっといいです。
頭が軽すぎてつい首を動かしすぎてしまうけど、毎朝髪を結ばなくて良くなるのはとてもいい。何事も時短できるに越したことはないのですから。
軽くなった頭を左右に振り、身支度を済ませて玄関へと向かう最中。
すれ違う屋敷中の使用人から、
とてもよくお似合いですよ
お嬢様が幼かった頃を思い出しますね
成人式まで待たれてもよかったのでは?
やはり美容院に行かれた方が……
などなどと。
口々に感想が降ってきました。
皆さん普段はとても無口であまり私語を良しとされていないのもあってか、なんだかおかしくて思わず笑ってしまったくらい。
お褒めに預かり光栄です。
自家用車に乗り込み、まだどこか眠い頭を少しづつ覚醒させながら、車内で今日のスケジュールに目を通しているとほんの少し首元が薄ら寒くて心許なく感じました。
これから冬になるのに切りすぎたかもしれない。
ああそうだ、早く冬服を出してしまわないと…
昨年英智さんに頂いたマフラーは、今年こそ活躍できるでしょうか。真っ白ふわふわでブランド物の風格が嫌に浮いてしまって、昨年の学院生活中私にはまったく使いこなせなかったけれど。
____ __ _
車から降りESビルに向かって歩いていると
突然突風が吹いたので咄嗟に髪を抑えましたが短くなったおかげか大して乱れはしなくって。ああ、ショートヘアの便利なこと。
そのまま私を追い抜いて、急ブレーキをかけてくるり振り向いた風の正体は、ぴょこぴょこと栗毛の跳ねあがったRa*bitsの光さんでした。
光さんは大きな瞳をぱちぱちと数回瞬かせた後、また突風を巻き起こしながら私の元まで
わざわざ戻って来てくださって…今日もとってもお元気そう。
「菫ね〜ちゃん!おっはよーございますっ!あれれ?短くなってる…髪切ったんだぜ?」
「光さん、おはようございます。はい、今朝切って貰いました」
「ふーん!すっごく可愛いんだぜ!なんだか創ちゃんみたい」
「ありがとうございます。創さんに似ているなら大成功ですね」
「うーんと、創ちゃんに髪型が似たから可愛い訳じゃないんだぜ?」
「なるほど?」
「ん〜〜俺じゃ上手に伝えられないんだぜぇ。ねぇねぇ、もしかしてだけど今日最初に会ったのって俺?」
「はい、そうですよ」
「やったーーーー!一番ノリなんだぜ〜!」
「ふふ 光さん前見て下さいね」
ジグザグと器用に歩く光さんは、私を見ているとなんだかドキドキするのだと気恥ずかしそうに、それでも真っ直ぐに褒めて下さいました。
光さんの笑顔は、太陽のようでとても眩しい。
歩くのが遅い私に合わせて速く駆け出したいところを何度も気をつけてくれたり、女性の髪型の変化に一番に気がつけるなんて、光さんは本当に紳士で素敵です。
なずなさんに今度教えてさしあげよう。
なんて思っていたら
『俺が一番ノリだったことと、ね〜ちゃんが髪を切ったこと。みんなに自慢したいから、写真撮ってもい〜い?』と。学院の頃のように可愛らしくお願いされてしまいました。
私の写真を撮って一体何になるのでしょう?と
一瞬考えてしまいましたが、ESビルに入る前なら多少公私混同してもいいかと思い直して、私はすぐに頷きました。こんな平日の朝からカメラマンも張り込みはしないでしょう。
わーい!と嬉しそうに飛び跳ねていた光さんと
肩を寄せ合ってみて初めて気付いたのですが、
私たち身長差がこんなにあったんですね。
敬人さんと英智さんも会う度身長が伸びていって、中学生くらいの頃は本当に驚きましたが、
光さんもいつか皆さんのように大きくなってしまうんでしょうか。
見てみたいような、今のままがいいような…
頬を寄せ合ってにこにこ笑う光さんを見つめているうちに、パシャリと小気味良いシャッター音が。
「はい、チーズ⭐︎」
「これでいいんですか?」
「うん、バッチリなんだぜ!みんなに自慢しちゃお〜っと⭐︎」
「ホールハンズ以外はいけませんからね」
「わかってるってば!に〜ちゃんからも友ちゃんからも散々言われてるんだぜ!」
「言われすぎたら嫌になっちゃいますよね。すみません」
「えぇ〜?全っ然!菫ね〜ちゃんの言い方はいつも優しいから怒られててもなんだか嬉しくなっちゃうんだぜ」
「よかった。私も光さんとお話ししているといつも嬉しくなりますよ」
「えへへ、嬉しいからすぐ送信!っと」
エントランスを抜けそのまま二人してエレベーター乗り込む間も『みんなの驚く顔が目に浮かぶんだぜ〜』と光さんはずっとはしゃいでいらっしゃいました。
ですが、私が今朝は20階に先約があってリズリンの事務所がある12階では一緒に降りない事を告げると、途端にくしゃくしゃと口を尖らせつまらなさそうな顔に変わってしまって…。
どうやら私と一緒に出社してみたかったようで申し訳なく思っている間に、光さんは『また後でね〜!』とすぐに元気を取り戻して手を振り振り。扉が閉まるまでずっと見送って下さいました。
眩いばかりの光さんの元気が損なわれなくてよかったけど、私ではまだまだ光さんのご機嫌を推し量ることはできないみたいです。
____ __ _
20階。
すれ違うスタプロの事務員の方々にご挨拶する度、口々に私の髪型への感想が飛んできました。自分の話をされるのはどうにも気恥ずかしいので、適当にありがとうございますを要約してバリエーション多めに返しながら、英智さんのいらっしゃる会議室…もとい"fineの城"を目指します。光さんのようにはいきませんが、今日一番の早足だったと思います。
聖徳太子になったような気持ちで会議室にたどり着きノックの後、ゆっくりと扉を開けると
ソファに座る英智さんとすぐに目が合いました。
なぜだかもう既に疲れてしまっていたから、英智さんのお顔を見たらとても安心してしまいました。大きなため息をひとつ吐いたら、自然と笑みが溢れます。
室内に英智さんしかいなくて本当によかった…なんて、これも公私混同でしょうか。
「英智さん、おはようございます」
「やぁ、菫。おはよう」
「以前お話ししていた資料をお持ちしました。急ぎませんので時間のある時にお目通し下さい。あんずさんにも同じ物をメールでお送りしてるので、打ち合わせは不備なく進むと思います」
「ありがとう菫。そんな事より、ほら」
「はい?」
資料を手渡すと英智さんは私の空いた手を引き
ぽんぽん、と。ご自身の隣を撫でるようにして、私にソファへ座るよう指し示しました。
軽く頷いて腰かけると、英智さんはキラキラ瞬く星のような好奇心に染まった瞳をして、私の髪に指を差し込んでは耳辺りから毛先にかけて…撫でつけたり梳いたりと。
ゆっくり、ゆっくり。何かを確かめるようにして何度も手を往復させます。
あまりに入念な指の動きと地肌から伝わる指の冷たさにばかり気がとられて、私はしばらく英智さんを見つめる事しかできませんでした。
「少し会わない間にここまで可愛くなれるなんて、アイドルに欠かせない才能だよ。僕にも秘訣を教えてくれないかな」
「髪型の…ことですか?今朝、使用人の方に切ってもらったんです」
「そう。その人は女性なのかな?」
「はい、一番長くお勤めして下さっている方で…それが何か?」
「ううん。見知らぬ美容師に菫の髪を触らせるよりはずっといいと思ってね。気にしないで」
「そうなんです、美容師さんみたいに切るのがとってもお上手で」
「ふふ なんだか君と初めて会った日を思い出すよ」
「はい、私も今朝鏡を見てそう思いました」
「長さは今の僕と同じくらいかな?」
「そうですね、お揃いです」
「よく似合っているよ」
「ありがとうございます、英智さん」
「うん、耳が見えているのがとっても可愛い」
可愛い、可愛いと独り言のように呟きながら英智さんは私の耳の輪郭をよしよしと指だけでなぞっていきます。
耐えれはするけど本当にくすぐったいので公衆の面前の場合は、どうかやめて頂きたい。
ここが会議室で本当によかった。
私の肩が震えるたび、なぜか英智さんの微笑みがにこにこにこと、右肩あがりに増していって…
ああ、なんて楽しそうな英智さん。
これはたぶんきっと退屈されている。
絶対そう。私にはわかる。
「ごめんね、くすぐったいかな?」
「ほんの…少し、ですが」
「こんなに耳が弱いなんて知らなかったな。弱点を晒してしまって大丈夫?この後またリズリンの事務所に戻るんだろう?心配だよ"プロデューサー"」
「こんな事英智さんくらいしかされませんので、安心してください」
「僕の特権なの?ああ、よかった。それなら安心だ」
綺麗な三日月のように英智さんの瞳が細められる。
正直、私の耳から指が離れる瞬間までもがくすぐったかったから、やはり英智さんはくすぐりの刑の才能がお有りのようです。
腕時計を確認すると、次の予定までまだもう少し余裕があったので、離れてしまう前に少しでも熱が移れと願って。英智さんの両手を祈る様にぎゅっと握り締めました。
先程まで好き放題していた手を塞がれてしまったからなのか、今度は英智さんが大人しくなってしまったけど、表情が和らぎ手が温かくなっていくのがわかって少しだけ、安心しました。
今日もどうか、無理をされませんように。
「そろそろお暇しますね」
「ご苦労様。今日も菫に幸あれ、だね」
「はい、英智さんも」
「僕は朝から君に会えたから幸せだよ。たぶん午前中の間は保つかな」
「では午後にまた顔を出します」
「どうせ仕事でだろう?まぁ、それでもいいけどね」
とってもいいものが見れたし。と
英智さんは嬉しそうに肩を窄めて笑った。
今更ではあるけれど、このビルの20階に来ればいつでも英智さんの笑顔があることがとっても嬉しい。
私もいいものが見れたなぁと思いながら、小さな頃のように手をひらひらと振って会議室を後にしました。
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20階の次は、12階へ。
上の階よりずっと見慣れたホームともいえるリズリンの事務所では、先程よりも手厚くしつこく…また口々に髪型について声をかけられ呼び止められてしまいました。
失恋でもしたのかとか、
好きな人ができたのかとか、
男の好みに合わせたのかとか。
老舗事務所ならコンプライアンスをもう少しきちんとして下さいとは罪のない事務員さん達にはとても言えず、とびきりの作り笑顔でしかお返事ができませんでした。
辟易としている所だけはバレたくなかったので、スタプロとは逆に今度は出来るだけ落ち着いた様子を装い、穏やかに歩いてミーティングルームへ向かいます。
今日は事務所代表と代表補佐と一緒に、今後の方針とスケジュール確認のミーティングがあるので遅れるわけには行かないのだけど。
少し焦りながら扉を開くと、
まぁるい目をして口を小さく開いた敬人さんと、何がそんなにおかしいのか…敬人さんを横目に声を殺して笑う朔間さんが既に定位置についていらっしゃいました。
私が最後…お待たせしてしまって申し訳ないなと思いつつも、敬人さんのお顔を見るとどうしてもほっとして顔が緩んでしまう私がいます。
敬人さんはずっとぽかんとしたままでしたが。
「敬人さん、朔間さんおはようございます。一番遅くなってしまってすみません。今日はよろしくお願いします」
「おはよう、菫くん。何、まだ時間まで10分以上あるから急がなくてもかまわんよ」
「菫、お前その髪……」
「蓮巳くん、挨拶を忘れておるよ。先程まで天満くんから送られてきた写真を穴が空きそうなくらい眺めていたばかりじゃろ」
「あ、あぁ、おはよう"プロデューサー" 髪を切ったんだな」
「はい。今朝切って頂きました」
「よぉく似合っておるよ。うんうん、かわいいかわいい」
「ありがとうございます。ですがもぅ本当に私の髪型の話はしなくていいので、打ち合わせを始めてもよろしいでしょうか」
「蓮巳くんの感想くらい聞いてあげる時間はあるじゃろう?」
「お気遣い頂かなくて大丈夫です」
いい加減面倒くさくなってきて、朔間さんの言葉を受け流しながら席に着きます。
こんな口を聞いてもこの人はそれを怒ったりは決してしないので、『代表補佐になんて口を聞くのだ』と私は心の中だけで自分自身を叱っておきました。
定刻までまだ10分あるうちにお茶を煎れて、資料だけ先に配って読み進めていただこうと思っていたら、敬人さんにふいに名前を呼ばれました。
「菫」
「はい」
「耳が心なしか赤いが、どうした?」
「ひ……」
「あ」
びっ…………………くりした、
してしまいました。
資料をめくる事に集中しているうちに敬人さんの長くて綺麗な指が私の耳をかすめるだなんて、私には到底予測できませんでした。
慌てて口元を抑えたけれど、
そんなのは誤魔化しにすらならなくて。
英智さんに触られていた時は、まだ我慢ができていたのに…と恥ずかしいやら何やらで私はまた心の中で自分を叱りつけます。
「す、すみません。なんだか変な声が出てしまいました」
「いや……、俺の方こそ急に触って悪かった」
「私の耳がくすぐったがりなのが悪いんです。お気になさらないで下さいね」
お恥ずかしい限りです。
本当にすみません、敬人さん。
私に釣られてびっくりしてしまったのか、
敬人さんは伸ばしたままになっていた手を引っ込めて、なんとも言えない顔で私を見つめてくるので私はあはは…と情けない顔で謝罪する他ありませんでした。
敬人さんの隣の朔間さんは、「あ」と一言漏らした後腕を組んでくつくつと。喉の奥で笑いを堪えている様子で……何もそんなに笑わなくても。
「おいおい、幼馴染み達。我輩を忘れないでおくれ。特に蓮巳くんはよくない、よくないのぅ。そういう無自覚俺のものだアピールは…」
「うるさいぞ朔間。今のは不可抗力であり歴とした事故だ」
「あんなに気安く触っておいてよく言うのぅ…二人きりならまだしも。我輩、何を見せつけられているのか気が気でなかったんじゃが?面白かったけど」
「お見苦しいところをお見せしてすみませんでした」
「どうやら耳が弱点らしい菫くんには、我輩が護身用にゴテゴテ厳つめのイヤーカフでも作らせてプレゼントしようかのぅ?知人にそういうの得意な人がいるんじゃよ〜」
「私がイヤーカフ…ですか?全然似合わないと思いますよ」
「ギャップがあるから良いんじゃよ。色は……そうじゃな、シルバーがいいか。それを両耳に着けておけば蓮巳くんも安心じゃろぅ?」
「UNDEADの皆さんとお仕事する時だけなら、いいかもしれませんね」
「菫くん意外と乗り気じゃの〜」
「朔間に乗せられてプロデューサーとしてのイメージを捨てるのはやめろ」
「ふふ、やっぱり似合いませんよね」
UNDEAD付きのプロデューサーらしくはなるかなと思ったけど、身の丈に合わなさすぎるのはわかっていたので笑ってしまいました。
そもそもアクセサリーはあまりつける主義ではないし、着けたら着けたで英智さんは面白がって触ろうとしてくるのが容易に想像できてしまいました。
英智さんは存外、赤ん坊のような人だから。
「そうだ菫くん、まだ時間はあるかのぅ?」
「はい、まだご自由になさって結構ですよ。資料だけ置いておきますので」
「ありがとう。あぁ、そうじゃったそうじゃった」
すっかり忘れておった〜なんて。
朔間さんは何か大事なことを思い出した様な身振り手振りをして、すぐ戻ると言い残しのらりくらりとミーティングルームを後にされます。
その間に、もう一度資料を机に並べようと立ち上がると敬人さんもそれを手伝って下さいました。
「ありがとうございます、敬人さん」
「言いそびれたが、よく似合っている」
「へぇ?」
「貴様の髪型の話だ」
「あぁ、ありがとうございます」
「今までで一番短くなったんじゃないか?」
「そうですね、ずっとなんとなくで伸ばしていたので」
「その、なんだ。髪に触れてもいいか?」
「はい、どうぞ耳以外でお願いしますね」
「何度も言う様だがさっきのは不可抗力だからな」
「何も言ってませんよ」
敬人さんはバツの悪そうな顔をした後、
随分と慎重に手を伸ばして私の頭をとても優しい力加減で何度も撫でて下さいました。
瞼が自然と降りてしまうくらい心地が良くて、敬人さんの指は細いのにとても温かい。
公私混同がどうだとかが、一瞬どうでもよくなってしまう程に。
髪を切るとこんないいことがあるんだなぁと
噛み締めながら大人しく目を閉じていたら、
バァンと。
無理くり脚で蹴り開けたような音を立ててミーティングルームの扉が開き、二枚看板らしい綺麗なお顔で朔間さんがすぐ様戻って来られました。もう用事は終わられたのでしょうか。
「人がいなければいいとも、我輩は言っておらんぞ蓮巳くん」
「…、さっさと席に着け朔間。時間が惜しい」
「いやいや、そんな急にキリッとされても。どう思う菫くん?」
「敬人さんはいつもキリッとされてますよ」
「相変わらず贔屓がすごいのぅ」
「はじめるぞ "プロデューサー"」
「はい、それではお願いします」
*おしまい
この後、午前中に天満くんが撮った写真がホールハンズで拡散されて昼休憩になると他事務所からもみんな会いに来てくれる。
あんずさんは走ってくる。
英智さんの方が、敬人さんより先に
菫さんと出会っている設定なので
一番髪の短かった頃を知っているのは
実は英智さんというお話
(また別話で幼少期捏造書きます)
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