このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

会長と副会長の幼馴染はご令嬢

0.3 ラベンダーブルーの憂鬱





炎天下。



真白い外塗りの校舎は照り返しがきつい反面、校舎内は薄暗くひんやりとして日陰が大半を占めている。
夏休みも終わるこの夏日に、俺は『幼馴染み兼転校生』を連れて人一人いない静かな校舎内を端から順に練り歩いていた。
学院案内の為だけに登校しているので取り立てて他に予定もなく、俺達の足取りは極めて緩やかなものだった。
未だ見慣れない真新しい制服姿の彼女は、
どの教室を見るにも興味津々といった風で
瞳を爛々と輝かせては俺に微笑みかけてくる。
何がそこまで楽しいのかはわからんが、俺もつい微笑み返してしまうのだからどうしようもない。
校舎の角を曲がる度、「こちらは東側ですか?」「今は3階でした?」と小首を傾げ見上げてくるので、俺は方位磁石にでもなった様な気持ちで時折悪態を吐きながら進行方向を指し示す。
正直案内できている手応えはほぼ、ない。
相変わらずの方向音痴ぶりに、軽い頭痛を覚えるがこれに付き合えるのも俺くらいな物かと思うと、存外悪い気はしなかった。


新学期になればこいつは俺や英智と同じ
Aクラスに在籍する事が決まっている。
クラス決めにまで英智が関与している気がしてならなかったが、本人に問いただせば『日頃の行い』の一点張りで言質は取れなかった。
本来なら今日、英智も立ち会う予定だったんだが連日の暑さで体調を崩し寝込んでいるそうで、始業式には必ず出席するのだとベッドの上でうわ言の様に繰り返しているという。
幸いにもfineの面々には先日一足早く彼女を紹介できたそうなので、今日は俺に任せて大人しく養生していてほしい。


俺はと云うと、実はこうして共に学院を歩いている今も…未だ、クラスメイトになる実感が湧かないでいる。
幼馴染三人揃って同じ学院に通うことなど生涯有り得ないと決め込んでいた為か、どうにも胸に靄がかかって晴れない。
菫はプロデューサーとしての経験こそないが人柄や能力も申し分なく、その点にまず心配はない。学院にもきっとすぐに慣れるだろう。
そこまで解っていて何故こうも感情が波打つのか、自分のことながら全くもって度し難かった。
英智のように新学期を待ちわびる事は今は未だ、出来そうにない。


ふと、俺の歩みが不自然に止まる。
それと同時に彼女が転入してくる前にどうしても、伝えておきたかった事柄を思い出した。
顔を上げると何の巡り合わせか、偶然にも軽音部の部室前に差し掛かっていて…
ふむ。なるほど、このせいか。
懐かしいという感情こそ無いに等しいが、
記憶と行動が結びついた理由に一人納得する。
菫、と名前を呼べば俺に続いて立ち止まったのがわかる。
振り返り見ると涼しい顔をして微笑んではいるが、額に髪が張りつき幼い子どものように汗だくな面持ちで思わず笑ってしまった。
昔と変わらず暑さに弱い彼女を見ていると不思議と心の靄が消える。
しかしこのまま熱中症になられては堪らない。
案内がてら後でガーデンテラスで茶でも飲んで涼むとするか。
制服の胸ポケットに手を差し入れ、ほぼ条件反射でハンカチを彼女の額にあてがってやると、大人しく瞳を閉じ嬉しそうにまた微笑む。
するとお返しと言わんばかりに背伸びをしながら俺の頬に彼女のハンカチを寄せてきた。
自分に使えという気も起こらず甘んじて彼女の手を受け入れていたが、数秒して我に帰る。
危ない。
俺としたことが大いに間違えた。
いくら人通りが無いとはいえ、ここは学院。
こういった行為も今後は慎まなければ、風紀委員の名が泣く。
俺はハンカチを仕舞い、
内心咳払いをしながら本題に話を移す事にした。



「その…この際だ。前もって伝えておくが。実は学院内にはお前の事を知る人物が、俺や英智以外にもう一人いてな」
「桃李さんや弓弦さんではなくて?」
「ああ、ちなみに朱桜でもない」
「司さんでもない…一体どなたでしょうか?」
「朔間さんを、覚えているか?昔俺の家…というか墓地で会っている。一度、紹介した事があっただろう」
「 朔間さん 」
「そうだ。歳上ではあるが留学の関係で今、同学年に朔間零がいる。隣のクラスだが直ぐに会う事になるだろう。まぁ、あの人はほぼ出席してはいないが………どうした、今の今まで忘れていたのか?」
「そんな、いいえ。勿論覚えていますよ」
「ならいいが……」
「我輩も片時も忘れた事はないよ」
「っわ」
「久しぶりじゃのぅ、お嬢ちゃん」
「朔間、さん…?」



何処から湧いた。
という表現しか当てはまらない。
突如として菫の背後から、話の人。
朔間零が現れる。
影から降って湧いたような、あまりに非現実的な登場の仕方とタイミングに未だ俺の心臓はバクバクと脈打っている。
朔間さんに背後から話しかけられた当人はと言うと、小さく声を漏らしたもののあまり動じてはいないようだ。相変わらず鈍いというか、肝が据わっているというか。
しかし菫の様子に、明らかな違和感を感じる。
いつもどおり柔らかに微笑んではいる。
が、まるで。そう、社交場で見かけるあまりに他人行儀なそれで。



「お久しぶりですね、朔間さん」
「十年近くぶりじゃのう、お嬢ちゃん」
「覚えていて下さったのですね、一度しかお会いしていませんのに」
「ああ、勿論覚えておるとも。
 何せ元祖お嬢ちゃんじゃからな」
「改めてご挨拶致しますね。来月からプロデュース科に転入して参ります貫地谷菫です。どうぞ今後ともよろしくお願い致します」
「随分とお堅いご挨拶じゃなぁ。我輩だって、幼馴染みじゃろう?もっと砕けてくれて構わんのに」
「いいえ、朔間さんはお知り合いです」
「相変わらず手厳しいのぅ…それに、相変わらず綺麗な瞳をしておる」
「恐れ入ります」
「ふふ、表情ひとつ変えんのじゃな」



朔間さんは唇が触れ合いそうな程に顔を寄せ、この人がよくする『良くない顔』で愉しそうに笑ってみせた。ゼロ距離であの整いに整った顔を見ても、菫は表情一つ変えずに朔間さんと見つめ合っている。
俺は謎の焦燥感を覚え、咄嗟に彼女の手を少し強く引き寄せた。
反動でトタトタと数歩、俺の後ろ手まで大人しく寄り添ってくれた姿に内心安堵するが、僅かばかり胃が痛んだ。俺は眉間の皺が深まるのを感じながら、朔間さんに問う。



「朔間さん…この暑い中わざわざ登校してまで何をしている?貴方にとっては自殺行為だろうに」
「いや何。わんこがせっせと育てておるトマトがこの夏大収穫だったそうでのぅ。傷んでしまう前にわんこにトマトジュースにさせて皆に振る舞おうと思ったんじゃが…懐かしい声が聞こえたので一人抜け出してきたんじゃよ」
「………度し難い。相変わらず軽音活動は全くしていないようだな」
「ささやかな祭りくらい楽しませておくれ。お近づきの印に一杯振舞おうか?」
「いいえ、私は結構です」
「やっぱり釣れないのぅ。蓮巳君にはトマトジュースより豆乳の方がお口に合うか?」
「い ら ん。余計なものを出してくるな」
「ふふ、そう怒らんでくれ。たのしいたのしい夏休みデートを邪魔して悪かった」
「なっ……誤解を招く言い方はよせ。委員長として新学期が始まる前に転校生の案内をしていただけだ」
「それはそれは、ご苦労な事で。それにしても三年の秋から転校とはのぅ。天祥院くんにも困ったものじゃ。今年も残り僅か…何をここまで性急に、お嬢ちゃんを学院に呼びたがったのか」
「口ではそう言いながらあまり、驚いていないように見えるが?朔間さんはこいつが転校してくる事を事前に知っていたのか」
「こちらにも天祥院と同等かそれ以上のネットワークがあるからのぅ。小耳に挟んだ程度じゃよ。我輩個人としてはお嬢ちゃんと再び相見えて嬉しい限りじゃ」
「あの、よろしいでしょうか朔間さん」
「ん?何かな、お嬢ちゃん」
「転入前に朔間さんにひとつお願い事があります」
「おお、なんでも言ってくれて構わんよ」


孫でも眺めるような、剣呑とした表情で
朔間さんはうんうんと先を促した。
話を切り出した菫はというと、真剣な面持ちで一呼吸。未だ後ろ手で握ったままになっていた細い指にギュッと力が込められるのを感じる。
汗が引いたからなのか、日陰の中にいるからか
彼女の手は随分と冷たかった。


「今後はどうか、私を『お嬢ちゃん』と呼ぶ事をお辞めくださいませんか」
「………ほぅ、確かに。お互い同級生にもなる事じゃしな。それではお嬢ちゃん改め菫くん、と呼ぶとしようかのぅ」
「ええ、是非。そうしていただけたらとても嬉しいです」
「差し支えなければ、理由を聞いても構わんか?」
「大したことでは無いので、お恥ずかしいのですが…子どもの頃、歳のさほど変わらない初対面の男の子にお嬢ちゃん呼ばわりされた事が未だに受け入れられない。ただ、それだけの事なんです」
「ふふ、懐かしいのぅ。あの時感じた敵意はそれじゃったか?それは長年の間失礼した」
「いいえ、謝罪は結構です。私も今初めてお伝えしましたので」
「我輩だって菫くん、もとい新しいプロデューサーとは、是非とも末永くお付き合いしていきたいんじゃよ。どうか、許しておくれ」
「許すもなにも改めてくださるのであれば、今後一介のプロデューサーとアイドルとしてお付き合いする事は多々あると思いますよ」


深い海色をした瞳が細められ、弧を描いてはいるがそれは微笑んでできたものではない。
俺には一度も向けられたことのない、
冷ややかな視線に相手への強い拒絶を感じる。
それでも朔間さんはさも嬉しそうに、
一際悪い顔で笑ってみせる。


「本当に。面白いくらい何も変わっておらんのじゃな、菫君は」
「未熟者ではありますが、今後ともどうぞよろしくお願い致します」
「それはこちらの台詞じゃよ。残り短い学院生活に楽しみが増えた。酷暑の中、菫くんの為学院まで赴いた甲斐があったわぃ」
「そうでしたか…それではまた、新学期に。失礼致します」


深々と頭を下げると菫は俺の手を取り、
すたすたと歩き始めてしまう。
呆気に取られされるがまま着いて行く最中、振り返れば朔間さんはひらひらと陽気に手を振っていた。
相変わらず、度し難すぎる。
なんなんだあの人は。何がトマトジュースだ。
菫に会いに来たとわざとボロまで出して。
食えない人だと改めて思い知る。




廊下の角を曲がると、彼女は失速し両の手を握りしめて深呼吸しながら壁に背をついた。ほんの少し顔を歪め狼狽している様が珍しく、その表情に思わず魅入ってしまう。見下げれば血の気と共に汗もすっかり引いたようで先程まで繋がれていた掌だけが汗で湿り、熱を帯びていた。
彼女は先程とはうって変わって、眉尻の下がった情けない顔で俺を見上げる。



「どうしましょう敬人さん。私、朔間さんにとても…とてもとても失礼で、感じの悪い事を言ってしまいました」
「まぁ、朔間さんのことだ。大して気にはしていないと思うが…しかし、お前がああいった事を言うのは珍しいな」
「だって、敬人さんが…」
「ん?何故そこに俺が出てくる」
「……」
「どうした、言いかけたなら最後まで話せ」
「敬人さんが子どもの頃、朔間さん朔間さんってあんまりにも嬉しそうにお話しされるものだから」
「こ、子どもの頃の話だろう」
「すごい人に会ったんだーって、とっても可愛らしくはしゃいでました」
「記憶違いだ。そんな馬鹿っぽく話した覚えはない」
「一時期、朔間さんのお話ばかりされるので私なんだかとても嫌な気持ちになってしまって」
「だから、あの日紹介したんだろう。お前も会えばきっと印象が変わると思ってだな」
「紹介していただいた時も、朔間さんと敬人さんが楽しそうにお話しされてる間ずーっともやもやしてしまって」
「それは……そうか。気づかなかったが」
「私も今気付いたんですが、あの日からずっと心のどこかで朔間さんに妬いてしまっていたようです」
「………は…」
「だから今日、久しぶりに朔間さんのお名前を聞いてなんだか、胸がざわざわしてしまって…とんだ粗相をしてしまいました。敬人さんと学院内を散策している時はあんなに楽しかったのに…どうしましょう」



『きっと、あの方の仰るとおり。私はてんで未熟者なのです』と、
菫は歯痒そうな顔で爪先を見つめている。
あの人が『変わりない』と形容した事は決して未熟という意味ではなかったろうが、こいつには伝わってはいないようだった。本人には悪いが、普段なかなか取り乱さないだけに目が離せなくなる。
こいつの百面相が面白いのか。
はたまたここまで感情的に素直に妬いてみせる原因が俺にあるから笑みが溢れるのか。
どちらもあるだろうが、
俺は不覚にも口元の緩みを隠せないでいた。



「敬人さん…?」
「いや、なんでもない」
「なんでもない人はそんな顔しません」
「いや、なに。お前も人間だったんだなと、思ってな」
「敬人さんだってそうでしょう?」
「そうだな、俺もお前となんら変わりない」





菫に伝える気は毛頭ないが
帰宅後、英智に今日の出来事を電話で伝えると受話器の向こうで息ができなくなる程笑い転げていた。しばらく引きずった後、あー元気になったーとケラケラ笑うのでこの調子なら新学期には回復しているだろう。
通話が終わると気付けば胸の靄が晴れていた。
早く鬼龍や神崎にあいつを紹介しないといけないとか、新学期もまだまだ暑いだろうかとか、
今はそんな事を考えている。









*おしまい
不器用なヤキモチ話。
新学期から菫さんが自分と英智だけのものじゃなくなる事に内心もやもや妬いていたのでたまたま菫さんが先制妬きもちしたのを垣間見れて死ぬほど嬉しかった敬人さん。
新学期早々、菫さんはきちんと朔間さんに謝りに行くのでずっと嫌われ朔間さんな訳じゃないです。朔間さん本人は全く気にしてないし、なんなら楽しんでる程度。
4/17ページ
スキ