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会長と副会長の幼馴染はご令嬢






「お姉さまは、泣いちゃったり
 怒ったりすることってあるの?」


それは姫宮のありふれた、
なんと言うことのない質問で始まる。
生徒会室で、各々業務に励んでいた最中の
ふいの質問だった。
俺も会話の詳細まで聞いていなかったが確か、
姫宮が伏見に注意され泣きじゃくっていた折に
菫が仲裁に入り、話の矛先が向いたんだったか。
いつもの調子で微笑みながら、
彼女は優しい声で返事する。


「たくさんありますよ」
「うそー!僕一度も見たことないよ」
「桃李さんはとても良い子なので、私が怒ったり泣く必要がありませんから」
「そぉだよね?えへへ。ほら弓弦、僕いい子だってー!」
「菫様、あまり坊ちゃまを甘やかさないで下さいまし」
「ごめんなさい、でも本当ですよ」


この『本当ですよ』は、
泣いたり怒ったりする。と姫宮がいい子。
双方に掛かっている。
この辺りの表現を濁すのがこいつは異様に上手い。
無意識だろうがこれ以上自身に興味が向くのを回避したがっているのは明白だった。
体調不良で欠席している英智を除いたこの生徒会室の面々では、俺以外気付きもしないだろうが。
他の誰が知らなくても、俺は知っている。
こいつの泣き顔は一瞬一秒たりとも忘れたことがない。
それ程に印象的で痛烈な出会いだった。
初めて出逢ったその日から、
こいつは泣いていたのだから。



___ __ _



少し、昔話をする。
今から十年以上前になるか。

白く縦に長い入道雲が寺を囲むようにそびえ、空が嫌に青い真夏日の事だった。
その日は朝から寺に数え切れないほどの喪服姿の参列者が押し寄せ、ひしめき合っていた。
俺は父の仕事の邪魔にはなるまいと、随分遠くからその団体を眺め、一人いつものように遊んでいた。

真新しい墓石の前で読経が始まる。
何度見ても見慣れない、異様な光景だった。
集まった人数から察するに、余程の名家か
人望の厚い人だったのだろう。
暑い中遠巻きに眺めていると、
ふと一人の女の子に目が止まる。
喪服姿の同い年くらいの女の子が
墓の前で祈るように、すがるように。
熱心に手を合わせている姿をみて、
俺は一目でわかってしまった。
この子の一番近しい人が亡くなったのだと。
読経が終わり大人たちが手を合わせるのをやめ、彼女に話しかけても尚。
ひたすらに手を合わせている姿が脳裏に焼き付いてしまい、俺は堪らず目を逸らす。

ふと見渡せば、
女の子の親戚なのであろう、同年代の子どもたちが寺の敷地内を声を上げて駆け回っていて、
それがどうにも喧しく。暑さも相まってたいへん不快だった事を覚えている。
葬儀の場では見慣れた光景だったが
俺は何より、人が死んだ時にこんなにも
無邪気に他人事になれるこいつらが
どうにも腹立たしかったのだ。
当時まだ8歳にも満たない子供だった俺だが、
家が寺というだけで随分と死生観が伴っており
こいつらと自分は違うのだという、
謎の自意識が出来上がり始めていた。
確かにそれもあっただろうが、ただ純粋に。
何故か、俺は苛立っていた。
見知らぬ子供たちから、一緒に遊ぼうと何度か声をかけられたが俺は無視を決め込み、当時熱心に読んでいた図鑑に没頭していた。



数刻後。
父の仕事が終わり大勢いた近親者や子供たちも列を成して帰っていき、ようやく実家本来の静けさを取り戻して俺は小さくため息をつく。
正直、清々した。
菓子でも食べて本の続きを読もうと、一人境内を歩いていると先程の女の子と、その父親と思しき男性が父と話している所に偶然出くわす。
男性は父に挨拶した後、女の子には見向きもしないで踵を返し一人立ち去ってしまった。
………父親では、なかったんだろうか?と俺は首を傾げる。
男性の姿が見えなくなると、父は俺には滅多に見せない優しい表情でその子の頭を何度か撫でた。
かがんで、よしよしと髪を撫でつけていると女の子は突然、ぽろぽろと堰を切ったように泣き出してしまった。先程墓の前ですら泣いていなかったのに。
俺は驚き、慌てて駆けつける。
何ができると思った訳でもない。
あの時あの子供たちにしたように無視することもきっとできたろうに、俺はそれをしなかった。


「大丈夫?」
「……?」


突然、話しかけたものだから
女の子は"だぁれ?"と言った顔で涙を流しながら俺をぼんやり眺めてきた。
言葉が続かずおろおろしていると、
"丁度いいところに"と、父が嬉しそうに笑って
もう片方の手で俺の頭を撫でた。
聞けば父はまだ別件の仕事があり手が離せないそうで、『しばらく貫地谷のお嬢さんと一緒に遊んであげてくれないか?』と珍しく頼みごとをされてしまう。
俺は二つ返事で了承した。
先程の男性はやはりこの子の父親だったそうで、大変忙しい人らしくすぐ様仕事に戻ってしまったそうだ。夜に迎えの人が来るまでの間、この子を寺で預かることになったらしい。
そして、先程の墓はこの子の母親のものだということも合わせて聞かされた。
そうか、母親が亡くなったのか…と
俺は妙に納得した。
おおよその予想はついていたから。
そして内心、大きく狼狽えてもいた。
自分から声をかけておいて何を…と思うかもしれんが他人と。それも初対面の女の子と一体何をして遊べばいいのかと。
当時の俺はさぞかし苦い顔をしていたことだろう。それでも、嫌だった訳では決してない。
単に、この子を笑顔にできる自信がなかったのだ。何せ友だちが少なかったからな。



忙しい父を見送った後、
沈黙がどうにも気まずくて、俺は兎に角庭先まで女の子の手を引き連れて行くことにした。
面と向かって話しかける勇気がなくて
その間も終始無言ではあったが、今思えば手を握る事にはなんの躊躇いもなかった事を不思議に思う。そこはまぁ、子どもだからか。
俺は縁側に到着すると、画用紙に筆記用具。
図鑑や絵本、漫画やお絵かき帖などなど。
ありとあらゆるお気に入りの本を運んでは、彼女に紹介し続けた。
まったくもって度し難いが、子どもながらに
黙ったら負けだと思っていたような気がする。
女の子はまだ赤い目をしていたが、コクコクと頷き返しては黙って俺の長い話を聞き続けてくれた。
聞き上手と言ってしまえば聞こえはいいが、今思えば主張のない、手のかからない部類の子どもだったんだろうこいつは。
俺が矢継ぎ早に本の内容を語り明かし、麦茶を飲んで一息つく頃には辺りは朱に染まりだし、既に緊張はしなくなっていた。
俺はすっかり聞きそびれていた女の子の名前をようやく尋ねる。


「名前、なんていうんだ?」
「すみれ」
「すみれか。どんな字を書く?」
「えっと…」
「植物の菫か。はじめて書く漢字だ」
「あなたは?」
「俺は、はすみけいとだ」
「けーとくん」
「まだ習っていない字だけど…こう書く」
「敬人くん」


草冠がいっしょ。なのだと、
俺が書いた字を指差して菫はぽつり呟いた。
正確には、敬の部首は草冠ではなく攴部なのだが間違いを正すことは敢えてせずに俺は黙って頷いてみせる。
目が合うと、控えめに小さく笑ってくれた。
よかった。笑うのかこの子も。
辺りが夕焼けで朱に染まる時間になっても
俺と菫はふたりで本を読んでいた。
気に入りの図鑑も二人並んで読み終え、
天体の図鑑に手を伸ばした頃。


「すみれは流れ星を見たことはあるか?」
「流れ星?」
「星が燃え尽き尾を引いて、地球まで落ちてくるんだ」
「ううん、見たことない」
「俺もまだない。流星群が近づいたら、たくさん一度に見れるんだけどな」
「見てみたいね」
「流れ星を見たら、願い事をするんだぞ」
「どうして?」
「流れきるまでに願いを言い終えれたら、その願いが叶うんだ」
「ほんと…?」
「俺もまだ見たことがないから、わからないけど。すみれは何をお願いする?」


早く大人になれますようにとか。
英智が元気になりますようにとか。
そんな事を考えていたんだ、その頃の俺は。
だが、菫は違っていた。
難しい顔をした後、言っていいものか言い淀みながらそれでも俺には告げてくれた。その勇気を想像するだけで、俺は今でも胸が苦しくなる。


「お母さまに会いたい。もう一回だけでいいから、会いたい」
「本当に?」
「え…?」
「本当に、一回だけでいいのか」


俺は聞かずにはいられなかった。
菫が無理をしているのだと、今日。
もしかしたら今までずっと。
ひたすらにこの子が無理をしてきたのだと、
その瞬間に全部わかってしまったから。
どこまでも健気で純粋な願い事を見過ごせなかった俺の問いかけに、深い海のような色をした瞳が再び波打つ。


「…ううん、本当はずっと一緒にいたい。すみれとずっと一緒にいてほしい。いてほしかった」


ぼろぼろと大粒の涙が、彼女の丸い頬を伝って
縁側の木目に惜しみなく注がれていく。
不謹慎だったかもしれないが、
それを綺麗だと思ったのを覚えている。
こんなにもしとどに頬を濡らしているというのに、彼女は声を上げないのだ。
随分と静かに、息を殺して泣くのだなと。
俺はまた驚き、目が離せなかった。
それがどうにも切なくて哀しくて愛おしくて。
子どもながらにこの女の子を守りたいと強く願ってしまう程、その光景は鮮烈だった。
 

「敬人くん、ごめんなさい。うそついちゃった」
「うそ?」
「もう一回だけでいいって、うそ」
「そういうのはうそにならないから、大丈夫だ」
「ほんと?」
「本当だ」


父の様に優しく撫でてやりたかったが、慰める事に必死すぎて俺は菫の髪がぼさぼさになるまで撫で続けた。
話していて賢いやつだと思いかけていたのに、馬鹿みたいな事を聞く奴だなと思ったのを覚えている。
こいつの不器用でいて素っ頓狂な事を言う性質は、十年経っても未だ度し難いままだ。


「しょうがないから、約束してやる。お前が一人にならないように俺がそばにいるから」
「敬人くんが?」
「なんだ、俺じゃ不満なのか?」
「ううん。うれしい」
「ほら。あんまり泣くと、目がはれてまた赤くなる」
「敬人くん」
「どうした?」
「ありがとう」
「うん」


その後、文字通り俺の側から一歩も離れなくなった菫は迎えが来るまでの数時間、ひよこのように俺に着いて回った。
本を読むときも、絵を描く時も。
トイレに行くときまで着いてきたから流石に困ったが。
兄がからかい半分に笑うのを怒り、
母が娘も欲しかったのだと菫を撫でくりまわしている間だって、実の母親のことを思い出してまた泣いてしまいやしないかと俺は気が気でなかった。
貫地谷の使用人が迎えにくる頃には、菫も俺も遊び疲れて寝てしまっていて目を覚ますと既に菫は帰宅した後だった。別れの挨拶ができなかった事を翌朝随分悔やんだものだったが、昼になると菫の家から電話があった。
母から受話器を受け取り耳に当てると、昨日俺ばかりが喋りすぎて少ししか聴けなかった菫の優しい声がした。
涙声ではない、ちいさな声に安心する。

菫は受話器越しに沢山のことを教えてくれた。
英智と菫が実は同じ学校に通う同級生だという事。必然的に俺とも同い年だった事もここで知った。
寺と菫の住む家はそこまで遠くない事。
一人ででも遊びに来れる事などを、
後から後から知ることになる。
後日英智も交えて会う約束を交わした。
思えばその日から俺と、英智、菫の所謂『幼馴染み』と呼べる関係が始まったんだったか。


___ __ _



幼少期の思い出からふと我に帰る。
その間、約1分程だったろうか。
俺の手は休む事なく動き続けていた。
書類整理の練度があがっていて自嘲する。
ふいに菫と目が合うと、困ったような顔で
首を小さく横に振って意思表示をしてくる。
おおよそ、何か察したか。
幼少期の思い出をこの場で話してほしくはないのだろう。伏見や姫宮の前で情けない思い出話はどうかしてくれるなという、無言の圧を感じたが………誰が言うか。
あんなものは俺だけが知っていればいい。
誰に話してやるつもりもない。
初対面が泣き顔だったとして、
きっかけが葬儀だったとはいえ、
あの日の出会いは俺の中でなかなか色褪せてはくれない。大切な思い出といって遜色ない程に、鮮明だった。
そんな俺の思いはてんで伝わっていないであろう狼狽える彼女に、俺はわざと意地悪く笑って見せる。
困った顔がかわいいだなどと、
小学生の頃には全く思わなかったんだが。







*おしまい
流れ星に願わなくても望みを叶えてくれた男の子の話
bgm...阿吽のビーツ
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