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会長と副会長の幼馴染はご令嬢






「英智さん」



重たい目蓋を開けると、
やさしい色が視界いっぱいに広がる。
僕の青白い手には、僕とはまた違った白い手が添えられてじんわり熱を孕んでいた。
このぬくもりは僕のものじゃない。
ゆっくりと視線を動かし、
やっと君を上手にとらえられたなら、
君はしずかに微笑んでくれた。
正解に辿り着けたような、
救われた気持ちになる笑顔だった。


「やぁ、菫だ」
「お加減いかがですか」
「今この瞬間にやっとよくなったよ」
「それは何よりです」


冗談交じりにそう伝えたけど、
体は死ぬ程重いし具合は最悪だった。
君には絶対悟られたくないのだけれど
既に察しているのか、
それ以上何も言わないでいてくれる。
病室のサイドテーブルには
君の髪と同じ色の花が生けられていた。
それがこの真っ白い病床に嫌に映えて、
『この子は本来、ここに居るはずじゃないのにね』と一人花瓶に話しかけてしまいそうになったけど、今は彼女と話していたい。


「君がお見舞いに来てくれると、いつも子どもの頃の事を思い出してしまうな」 
「いつ頃の事ですか?」
「ほら、ピアノの発表会の」
「英智さん、そのお話好きですよね」
「だって、最高だったから」


そう。ちょうど、十年くらい前。
菫はその頃ピアノの割と大きなコンクールを控えていて、一時期あまり遊べなかった。
僕と敬人で観覧に行くと約束した時は、
とても喜んでくれたよね。
だけどコンクールの当日。
僕は今日みたいに運悪く、
体調を崩してしまってすぐさま病院送り。
本当に悔しかったなぁ…
自分と菫が世界で一番かわいそうに思えて
病室でそっと神様を呪ったのを覚えている。
時計の針は無情にもどんどん進んで、
菫の演奏時間が終わる頃には
僕は成功を祈る事もやめて、
ふてくされてベッドに潜り込んでいた。

そうしていつの間にか眠ってしまった頃。
病室のドアが控えめにノックされ
看護師が入ってきたかと思ったら
その足元から、小さな君が駆け込んできた。
僕は慌てて体を起こして、
なんとか君を受け止めたけど
勢いでベッドがずれてしまって。
いつも同じ顔しかしない看護師に、君が大声で叱られていたのがやけに面白かった。
コンクールの為着せられたのであろう
淡い色のチュールドレスは天使みたいなのに
汗だくで肌に張り付いた髪が
なんともみっともなくて。
赤くなった頬も息を切らせる姿も、
本当に綺麗だった。
「英智くん、だいじょうぶ?」
それは僕のセリフだったけど、
大丈夫だよと返事したような気がする。


後から敬人に聞いたんだけど。
自分の番が来る前に僕の不調を
どこかの大人から聞いてしまった菫は、
なんでもない様子で演奏を完璧にこなした後、
表彰式もすっぽかして足早に病院まで走っていってしまったのだと言う。
「鬼気迫る勢いだった」とか、
敬人が真顔で言うものだから、
僕は盛大に吹き出した。
今でも思い出すと口元が緩む。


「………そんなに可笑しいですかね」
「そんな女の子、菫くらいだからね」
「子どもの頃から、病室に駆けつけるのが得意なだけです」
「そういえば昔から、結構重度な方向音痴だったよね。今はもう迷わない?この病院は無駄に広いのに」
「もう大丈夫ですよ。毎回、英智さんのお付きの方か、看護師さんに連れてきてもらってますので」
「ふふ それ、大丈夫じゃないよね」


なんだ、今でも全然スムーズに来れてないじゃないか。
得意げに話す様が面白くて、
声に出して笑ってしまう。
病院の受付で僕の身を案じて、
懸命に病室まで連れて行くよう
頼み込む姿を想像したら可笑しくて、
あいくるしくて。
君も今や敏腕プロデューサーだもんね、
交渉術には長けてるんだろうな。
それも人徳の為せる業か。


「菫はすごいね。心から尊敬するよ」
「ありがとう…ございます?」
「そのままの意味だよ」


照れて花のように微笑む君を、
心から好きだと思った。
それに比べて、僕の体ときたら。
僕の腕にもう少しちゃんと力が入れば、
君をこのまま寝台まで引き上げて
朝までずっと抱きしめてあげれるのに。
君はあと数分もすれば、
この病室を出て
帰路に着かなければならない。
僕の視線が時計に移った事がわかったのか、彼女は笑顔でこう続ける。


「毎日きます、英智さん。
 学院じゃなくても、いつでも会えますよ」
「それでも君は、シンデレラじゃないか。時計の針がどのあたりにくるまで、僕と一緒にいてくれるんだい?」
「うーん、0時まではむずかしいですね」
「とんだシンデレラだね。失格だよ」
「めちゃくちゃ言わないで下さい」


困らせるつもりはないけど、
困らせてやろうという気持ちもある。
君の前ではいつだって格好よく
ありたいのだけど、
それと同じくらい甘えが滲み出てしまう。
子ども返りしてしまった僕を
たしなめる様にして、
彼女は瞳を閉じ、
僕の頬にそっと口付けた。
リップ音もしないような、かるくて
柔らかい触れるだけの。
突然の事に、瞬きしかできない。


「………」

「おやすみなさい、英智さん。
 明日また会うまで、どうか元気で」
「これは………はじめてしてくれた?」
「いいえ。英智さんが眠っていらっしゃる時は帰り際にいつもしていましたよ」
「初耳だなぁ」
「お休みになられてましたから」


"内緒にしてたんです"と
彼女はいつも通り、ふわり微笑む。
思い返せば一体今まで何度、何回。
君は僕を見舞ってくれただろう。
僕の知らない君がこの病室にいたなんて。
ますます病床の自分が憎らしく思えて、
僕は彼女の腕にそっと手を伸ばす。
抱きあげる力はなくても、
引き寄せることはできるから。
今度は僕の方から、君の唇に口付けた。


「………」
「病人に手を出すなんて、ずるいね」
「英智さん」
「ふふ、今までのお返しだよ」
「あの、」
「明日も絶対起きているから、
 感想はまた明日聞かせてくれるかい?
 もぅ時間みたいだからね」


小さな口を開けて惚けていた彼女は
こくり、と首だけで返事した後、
僕に言われるがまま
鞄と学院のブレザーを手に
可哀想なくらいふらふらと立ち上がる。
ベッドから手だけ振り見送れば、
律儀にお辞儀をしてから病室を後にした。



ぱたり。
途端に病室は静かになる。
それでも僕の心は誰に向けるでもない
優越感で満ち満ちていた。
依然体調は最悪だけど、
そんな事はこの際いい。
明日が楽しみすぎて、
早々に目を閉じたけど
彼女の赤くなったあいらしい顔が浮かぶだけだった。
僕は子どもの頃のように笑う。
ベッドサイドの花の色を綺麗だと思った。










*おしまい
花が心で花瓶がからだ
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