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会長と副会長の幼馴染はご令嬢







瀬名は美しい。
3-Aの教室内においては、群を抜いて美しい造形をしていると僕は言い切れる。そこへもう一人、僕の審美眼に叶う人物が加わったのは新学期が始まった頃だったか。
白い陶器のような肌に、蒼い瞳。
陽に翳せば途端に透けるように淡く見える、柔らかなラベンダーブルーの髪。
アンティークドールを彷彿させる神に愛された見た目に反して、彼女の滑らかな髪は不器用な彼女の手によって施されたせいで歪な形に編み込まれ、結目も何もあったものじゃない。
加えて、あの悪魔を内に飼うおぞましい天祥院と旧知の間柄らしく教室だけではなく放課後や
ユニット活動まで、ほとんどと言っていい程隣にいる。
更に憎らしいのは、天祥院の側で微笑む彼女は
普段とは比べ物にならない程美しさを増すという事。
全く持って、ナンセンスなのだよ。
天祥院の存在のせいで全てが惜しい及第点の彼女は、一周回ってエレガントさのかけらも無くなってしまった。
それでも美しいことに罪は無い。
教室の傍ら眺める分には、彼女はやはり
とても美しかったから。



___ __ _



放課後の手芸部室。
満ち足りた静寂を無粋なノック音が破る。
しかしながら無粋ではあっても無礼では無い格式ある動作に免じて、わざとたっぷり時間をあけてから返事をしてやれば、ゆっくりと扉が開かれ教室で幾度となく眺めた淡い紫が小さく顔を覗かせた。
僕の様子を伺うように、おずおずと近づいてきた点は減点だったが夕陽に照らされ、赤みが増した彼女の髪は黄昏時の空のような繊細な色をしていて相も変わらず美しかった。



「宗さん、こんにちは」
「君か……一体何用だね?僕は見ての通り忙しいのだがそれすら見えてはいないのかな?」
「宗さんがお忙しいのは存じています。次のライブ衣装の製作中でしたよね」
「わかっているなら、席を外してくれないか。君の暇を潰してあげられる程僕は酔狂でもお優しくもないのだよ」
「近くで製作過程を眺めるだけでも、宗さんにとってはお邪魔になりますか?」
「ふん、君の存在ごときで僕の手が鈍るとでも?」
「ありがとうございます」



一体何に謝辞を述べたのか。
図々しい要望に反して、彼女はゆっくりとした所作で僕の真隣のパイプ椅子を引き、音を立てないよう慎重に席へ腰掛けた。
まさか隣に座られるとは思いもしなかったので、咄嗟に拒むことが出来ず物申すタイミングを完全に逃してしまった。
普段と変わらない微笑みを称え、僕の手元を覗き込んでくる姿を横目で視認したけれど……どうやら、本当に暇を持て余しているだけのようだった。
僕に話しかける事もなく、借りてきた猫のように大人しいので邪魔になり様もない。
不思議と居心地が悪くはならないのは彼女の持つ格式ある空気感が僕の感性に障りはしないからだろう。

暫しの静寂が続いた後、
彼女はテーブルの上に愛らしく鎮座していたマドモアゼルと視線を合わせるようにして、こてんとお行儀悪く机に頬をつけ項垂れる。
こんな姿は教室ではまず見たことがない。
彼女は極めて小さな声で内緒話をするようにマドモアゼルに向かって話しかけた。



「こんにちは、マドモアゼルさん」
『こんにちは、菫ちゃん』
「…!」



返事が返ってきたことが嬉しくてたまらないのか、声にならない声を押し殺し瞬きを繰り返す彼女の挙動はまるで幼女のそれだった。
マドモアゼルは、君のような存在でも邪険にする事のない、品位ある麗しの淑女なのだ。
当然だろうと内心で嘲笑う。



『貴女とはゆっくりお話ししてみたかったのよ。よろしくね』
「実は私もなんです。こちらこそ、よろしくお願いします」
「宗くんのこともよろしくね。宗くん、本当は貴女とずっと仲良くなりたいと思っていたのよ♪』
「まぁ…そうだったのですか?」
『本当よ。貴女のことよく目で追っているもの。宗くんお手製のかわいいお洋服をたくさん見繕って着せてみたいんですって』
「ノン!おしゃべりがすぎるのが玉に瑕だねマドモアゼル。君も!今マドモアゼルが言った事は忘れたまえ。いいね?」
「はい、わかりました」
『素直じゃないだけなの。ごめんなさいね』
「いいえ、全然」



まただ。
なんとまぁ気の抜けた表情をする事か。
僕にたしなめられたばかりだというのに彼女はふにゃふにゃと締まりの無い笑顔を浮かべ、またマドモアゼルと楽しそうにおしゃべりを始めてしまう。
教室では物静かで口数の少ない印象を受けていたので、ほんの少し驚くが…まぁ、マドモアゼルもとても楽しそうにしているので良しとしよう。
僕は二人の会話に耳を傾けながら、休む事なく手を動かし続けた。


今日は青葉は図書室、
影片は学内アルバイトで席を外している事。
彼女は生徒会が終わるまでの間、大変に時間を持て余してしまい探検をしていた最中、偶然にも家庭科室に迷い込んでしまった事。
僕や鬼龍、そして小娘のように裁縫が出来る人物に多大に憧れている反面、早くプロデューサーが衣装製作をしなくてもいい時代になるよう
願ってやまない事などを、
彼女達は赤裸々に語り合っている。
よくもまぁ、話が尽きないなといっそ感心してしまうけれど彼女達の会話は終始、喧しく思わない程度のとても淑やかで落ち着いたものだった。
耳心地の良い落ち着いた声が不思議と僕の手を速めてくれた。



「マドモアゼルさんのお召し物はとても素敵ですね。こちらが夢ノ咲学院公式の制服に認定されればいいのに」
『ありがとう♪そうなったら、菫ちゃんともお揃いね』
「本当ですね。あと半年以内に変更されないか、今度英智さんに聞いてみます」



彼女は嬉々としてマドモアゼルの制服を"かわいい"や"すてき"だなどと、陳腐な言葉で褒めちぎっては、瞳を細め微笑んだ。
その言葉が本心から来るものだと
わかってしまうのだから邪険にもできない。
語彙はともかくとして、彼女にも一端の審美眼は備えられているらしい。
マドモアゼル仕様のオートクチュールの制服は僕の作品の中でも、自信作の一つなので悪い気はしなかった。
きっとパニエをふんだんに取り入れた蒼いロングスカートの制服は、彼女にもとてもよく似合うことだろう。
その他大勢にまで着こなせるとは到底思えなかったので、制服としては人を選ぶという点で部不相応なのかもしれないが…それでも彼女の一声があればあの男は容易に動くだろうに。
ああ、胸が悪くなってきた。



「マドモアゼルさんとお話していると、なんだかとっても楽しいです」
『私もよ、菫ちゃん』
「もし貴女が子どもの頃、私のお家にいて下さったならどんなに楽しかったでしょうね…少しだけ、宗さんを羨ましく思います」
『菫ちゃんのお家には、お人形のお友達はいなかったの?』
「小さい頃はたくさんお部屋にいらしたんですが、お母様が亡くなった折に全て処分されてしまったんです。あ…処分と言っても、使用人の皆さんがお知り合いのお子さんに全て譲ったそうですけれど」
『まぁ、どうしてそんな事に?』
「私がお母様を思い出して泣いたのでしょうね。それで父が命じたのだと思います。私のせいでお人形さん達にはとても…とても酷いことをしてしまいました」
『そうね、菫ちゃんと離れ離れになって皆んなとっても寂しかったと思うわ。でもきっと、大丈夫よ。新しいお家で新しいお友達と仲良く暮らしていると思うわ』
「そう……でしょうか?」
『ええ、勿論♪きっとそうよ。私にはわかるわ』
「そうだったらどんなに…嬉しいでしょうね。ありがとう、マドモアゼルさん。貴女はとてもお優しいのですね」
『ありがとう。でも菫ちゃんが優しくしてくれるから、私も同じようにしているだけよ』
「貴女とお話していると、どうしてでしょうね。なんだか涙が……」
『まぁ、泣かないで菫ちゃん』



心優しいマドモアゼルは彼女の涙を拭おうと懸命に頬へ手を伸ばしたけれど、あまりに精巧で繊細な掌では彼女の瞳から流れる滴を掬い切ることは叶わなかった。
僕は針を動かす手を止め、咄嗟に彼女の頬に手を伸ばす。



「…宗さん?」
「勘違いしないでくれたまえ。君の涙を拭う為だけに、マドモアゼルのか弱く愛らしい手を煩わせる訳には行かないからね」
「宗さん、ありがとう」



瞳を細めてまた無遠慮に微笑むものだから、大粒の涙が次々と溢れてしまい僕の指では掬いきれずに数滴…僕の袖元にこぼれ落ちては白いフリルへ染み込み、ブレザーにこぼれ落ちた箇所だけが濃い青へと変わっていく。
涙の色というのは、この制服を濡らした様な濁りのない濃い群青だったのかと初めて知る。
もしもこの作品を作りを終えた後、溜まっている依頼もおざなりにして、涙をモチーフにした製作を始めていたとしたら、全てを彼女のせいにしてしまおうか。
思いがけないインスピレーションを得てしまい、不覚にも心がそわそわと波打つ。
僕は浮き足立つ感情に無視を決め込み、胸ポケットから刺繍の施された白いハンカチーフを
彼女の目の前に少々乱暴に差し出した。



「まったく。君はハンカチの一枚も持ち合わせていないのかね?僕が紳士でなければ、涙が溢れ続け奏汰のようにずぶ濡れになっている所だよ」
「ふふ。私、そんなに泣けませんよ」
『よかった、菫ちゃん笑ってくれたのね♪』
「ごめんなさい、急に恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
「無駄口を叩く暇があるならさっさと泣き止みたまえ、目について仕方ない」
「ありがとうございます」



ほんの少し思案した後、大人しく僕のハンカチを受け取り彼女はまた謝辞を述べた。
きっと制服のポケットに持ち合わせはあっただろうに…僕への小さな気遣いをほんの少しいじらしく感じてしまう。
ハラハラと溢れる涙を塞き止めながら、
彼女はぽつりぽつりと話し始める。
マドモアゼルを教室で遠目に眺めるたび、幼少期に共に遊んだ人形を思い出しては手放してしまった罪悪感に苛まれ続けていたのだと。
彼女は長い睫毛を伏せ教えてくれた。
その言葉のどこを切り取っても、彼女の気持ちに醜い箇所は一つたりとも見つからなかった。
涙を流し終えて澄んだ瞳が、
愛おしそうにマドモアゼルを捉えて離さない。
美しい存在が同じく美しい存在と、相対しているだけで隣の僕の心まで満たされるようだった。



『もぅ私を見て悲しい気持ちになってしまわないでね。これからはたくさんお喋りして、楽しい思い出を作りましょう♪』
「はい、もぅ大丈夫です。ありがとうマドモアゼルさん。今日こちらに伺えて本当によかった…また来てもよろしいですか?」
『勿論!いいわよね、宗くん?』
「君がマドモアゼルと仲良くなるのは勝手だがね。僕と君は与えられた教室が偶然同じだっただけの、それ以上でも以下でも無い関係なのだよ。部外者に出入りされては堪ったものじゃないね」
『宗くん、それをクラスメートと呼ぶのよ。ごめんなさいね菫ちゃん。またいつでも遊びに来て頂戴』
「ありがとうございます。宗さんは駄目とおっしゃるかもしれませんが、また伺いますね。ハンカチも綺麗に洗濯してからお返ししますので」
「………」


君のように不器用で大雑把な人間に果たして満足な洗濯ができるのかと、小言を挟みたくなったが…
彼女が僕のハンカチをあまりにも大事そうに
両手で包み込むものだから。
それが口をついて出る事はなかった。





__翌朝。
彼女は先日渡したハンカチーフを返すべく、
僕の机までまっすぐに歩み寄ってきた。美しく折り畳まれたそれは、折り目正しくアイロン掛けが施されており存外不器用ではなかったのだなと見解を改める。
まさか日中に教室で手渡されるとは思っていなかったので、僕は何とも言えない怪訝な表情を浮かべることしか出来ない。
加えて、遠くから物珍しそうにこちらを眺めてくる天祥院の視線が煩わしくて最悪に居心地が悪い。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女とマドモアゼルは先日よりずっと楽しそうに話に花を咲かせている。
柔らかに微笑む君を正面から見つめることで
今日初めて気付かされたのだけれど。
天祥院の側にいる君が美しいのでなく、
笑う君そのものが何よりも美しいのだと
僕はもう一つ、見解を改めざるを得なかった。
マドモアゼルを見つめるキミの眼差しが、偶に
僕へと移り変わるのがどうにも居た堪れない。
もぅ君を憎らしく思う必要もなさそうだ。
美しい者に罪は無く、
教室で真っ直ぐに眺める分にも、
彼女はやはりとても美しかったから。











*おしまい
お裁縫できる人と出来ればあまりしたくない人。
美しいものに正直な宗さんと、マドモアゼル越しに宗さんを美しいと思ってる菫さん。
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