会長と副会長の幼馴染はご令嬢
ビロードの絨毯を埋め尽くす礼装の男女達が
蝋燭の灯のように揺ら揺ら、所狭しと蠢いている。
人の声から生る雑音が気を遠くさせた。
正直言って、こういった社交場は何度足を運ぼうとも慣れない。
英智はそれを知りながら、俺に毎度招待状を寄越す。
父や兄の顔を立てながら今後もアイドルを名乗りたいのであれば、不慣れであろうとコネクションは必須だと言わんばかりに。
招待状を寄越した当人はというと、天祥院の名に群がる老若男女に天使めいた微笑を浮かべ、言葉に言葉を返し続ける単純作業に追われている。
話の半分も耳に入っていないことだろう。
遠目ではあるが顔色はさほど、まだ、悪くはないと見える。
どうせ限界を迎えれば、俺の元まで口汚い放送倫理ギリギリの悪態を吐きにやってくるとわかっているので、敢えて今は近づくことはしない。
両親の旧い知人や檀家の方々との挨拶を早々に済ませた俺は、愉しげに揺らぐ雑踏を掻き分け、酸素のまだ濃い非常口付近の壁際までようやく辿り着けた。
「はぁ…」
辺りに聞こえない程度に漏れ出た溜息なら、今はどうか許してほしい。
和装より余程きつく締められた襟元に指を差し込み肺に深く空気を入れる。
重く閉ざされた会場の扉であってもその近辺は多少空気が澄んでいるような気が、した。
兎に角吐くよりも今は吸っておきたい。
会場について1時間程、一般人でしかない自分には未だこの場の空気は異様であり、やはり異質に思えて仕方がなかった。
この世とあの世の間のような社交会という現世で英智や朱桜、姫宮は日々呼吸しているのかと思うと尊敬の眼差しを送らずにはいられない。
自身もいつか、歳を重ねるに連れこの場に似つかわしい存在になっていくのだろうか。
到底そうは思えず、俺は瞳を閉じてもう一度薄い溜息を吐く。
ふと、目線だけ動かした折
数メートル離れた同じく非常口付近の壁沿いに、つま先を見つめ俯くもう一人の幼馴染の姿が飛び込んできた。
広い会場を見渡せど、その淡い菫色は視界の端にしか納めることが出来なかったので、凡そ有象無象との交流をこなしきった後なのだろう。
人集りが彼女を逃す筈もない。
遠目にでもわかる。
その表情は未だ淑女らしくと努めているが、まるで曇りきっていた。
虫も殺せないような無垢さを持った彼女は、手始めに人一人殺めそうな目を容易くしてしまう所がある。
それはもぅ、出会った頃から。昔からだ。
人知れず胃がきりりと痛んだ。
あいつは英智よりも俺に似ているところがあると幼少期から自負している。
気づけば一刻も早くあの細い肩の隣へ辿り着いてやりたいと、俺の足は雑踏を掻き分け、彼女の元へ向かっていた。
______ __ _
「はぁ、はぁ……その、大丈夫か?」
「敬人さん?」
俺としたことが。
焦りで急いだから思いの他みっともなく息があがる。
突然現れた俺のあまりの形相に、ほんの僅かばかり目を丸くしながら、彼女はゆっくりと微笑んだ。
なんだ、笑えるじゃないか。
息を整えながら内心胸を撫でおろす。
俺が心配する程、擦り切れ疲弊しきっては未だいなかったようだ。
まぁ、杞憂で済んだならそれでいい。
突然と手持ち無沙汰になってしまった俺は、彼女の隣に肩を並べ軽く壁に寄りかかり息を整える。
お互い視線は合わさず、会場の雑踏を眺めるふりをしながら。
「その、なんだ…変わりないか?」
「はい、変わりないですよ」
見え透いた嘘を俺にまで使ってくれるな。
あまりにも当たり障りのない態度と返答に少々ムッとする。
これが令嬢として生きてきた彼女の矜持なのだと理解はできても、一般人でしかない自分には許容してやる事がなかなかに難しい。
どうせこの会場にいる人間は誰も、
お前の一喜一憂に気付きもしない。
否、英智と俺を除いては。
ちなみにこれは断じて、優越などではない。
平然としてみせた彼女に苛立ったのか、その他大勢に憤っているのかが自分でもよくわからなくなり俺は大人しく考える事をやめる。
「そうか。なら、いいんだが……」
「パーティ会場で息を切らしていた敬人さんの方が些か変でしたよ」
「茶化すな」
「ふふ ハンカチいりますか?」
「すまん、助かる」
「でも、そうですね。私の変なところといえば、この服装でしょうか」
ひらりと。
ドレスの端を持ち上げ後ろへ前へと踊るように確認した彼女は、眉尻をさげ自嘲気味に微笑む。先程の微笑みよりも、ずっと弱々しく。
瞬間、俺の眉間には
深い深い縦皺が刻まれたことだろう。
何を言っているんだこいつは。
そんな訳、あるか。
清純さを凝り固めたかのような普段の三つ編みは今は解かれ、彼女の白い首筋が顕になるよう、髪は高い位置で結われている。
好んで着けはしないアクセサリーは彼女に纏わりつくようにして胸元や手首を彩り、シンプルな濃紺のドレスが彼女の細すぎる足首も覆い隠してくれていた。
未成年らしく、体のラインが晒されるようなデザインではないことが正直言って有難かった。
彼女のことだ、どうせ自分で選んだものではないのだろうが。彼女を思って見立ててくれたであろう使用人に心の中で謝辞を送る。
それでも、いつも折り目正しく着こなされている夢ノ咲学院の制服とはあまりにかけ離れた姿に、胸が騒ついて仕方がない。
こういった社交場で、彼女と顔を合わせることは今日に始まったことではない。
………が、何度回数を重ねてもこの姿は俺を不安にさせてやまない。
似合っていない訳もなく。
褒められて然るべきを賞賛する為、俺は雑念を飲み込み精一杯の賛辞を贈る。
「馬鹿を言え。よく、似合っている」
「ほんとう?」
「ああ」
「変わりありませんか?」
「いい加減にしろ」
「ふふふ」
俺の胸中を知りもせず彼女はふにゃと、子どもの頃のように幼く笑った。
今宵何十回と言われたであろう、他愛もない。
それでいて真実でしかないこんな言葉ひとつで、先程までの憂い顔は、すっかり息を潜めたようだ。
きっとスパークリングのやけに効いた子供騙しのカクテルに嫌気がさしていた………その程度の事なのだろう。
彼女の憂いの正体など、俺などでは到底理解できないのだからこれ以上考える事をやめた。
自然と俺の口角も緩む。
こんなことなら、一人になどせずに会場に着いた時からずっと側に居てやればよかった。
待ち合わせるべきだったろうか。
それなら学院からか。
いや、それとも。
一瞬、部不相応な考えが脳裏を過ぎりはしたが
無視を決めこむことになんとか成功する。
彼女はいつもの調子を取り戻し、瞳を細め歌うように話しはじめる。
「敬人さんもとっても似合ってますよ」
「ふん、世辞はよせ」
「素敵です、本当に」
「………それより、英智にはもう会ったか?朱桜や姫宮も今夜は出席すると聞いていたんだがお前もあいつらといた方がまだ気が紛れるんじゃないか?俺もまだ会場全てを回った訳ではないからな。もし先約がなければこの後…」
「ねぇ、敬人さん」
「うん?どうした」
『いつもそばにいてくれてありがとう』
ぐい、と音が鳴るようにして。
麗しい幼馴染は、突如俺の腕を引き寄せてから精一杯の背伸びをして、子どもの頃のように顔を近づけひそひそと耳打ちしてみせた。
その声のか細さ、柔さ、心地よさに一瞬目眩を起こし、愛おしいとまで思わせてくるのだから、本当に堪まったものではない。
「…おい!わざと耳元で囁くな」
「だってうるさいでしょう?ここは」
「聞こえている!」
「ふふふ」
「 ありがとう敬人さん! 」
今度はビリビリと音が鳴るようにして。
鼓膜が揺らぐのを感じる程の彼女にしては大声で、しかし一般的にはほんの少し大きい程度の声量で俺の片耳は満たされる。
俺の腕にしがみついてきたこいつは先程までの淑女然とした振る舞いとは似ても似つかない、子どものそれで笑ってみせた。
そうだこいつは、何度もいうようだが英智に似てしまったところもある。
今だってそうだ。
いつだってそうでないだけマシではあるが、
まったくもって度し難い。
首に、顔に、耳に。
みるむる血が集まり、熱が籠っていくのが手に取るようにわかる。
眼鏡が曇りやしないか、
周りに見られてはいないか、
明日にでも噂されやしないか、
きりりきりりとまたもや胃が痛み出した頃、
遠くで英智の高らかに吹き出す声が聞こえた。
おしまい
✳︎たのしいパーティを