会長と副会長の幼馴染はご令嬢

0.9 これ以上なんてないのに




今朝、私は夢を見た。



あまりにもすてきな夢で
本気で起きたくなんてなくて
学院に転入してからはじめて、
遅刻してしまってもいいと心から思った。
目を閉じなくても、思い出せる。

大好きな敬人さんがくしゃくしゃの笑顔で、
私に笑いかけてくれる。
夢の中だからかなんて言ってるのか、
私には全く聴こえなかったけれど、
得意げで、饒舌で、子どもみたいで。
聴こえなくたって
これが幸せなのだとわかった。
お説教されてたっていい。
こんなに柔らかに微笑んでくれるなら。
ひどく機嫌がいい敬人さんが
わたしの話に耳を傾け、
優しい目で頷き、そしてまた笑う。
その繰り返しが、心地よすぎて。
ああ、私はなんて言っているんだろう?
こんなにきれいな敬人さんに
恥じない私でいられてるのかな。
きらきらと笑う敬人さんに
バレないよう、そっと苦しんだ。
どうかずっと笑っていてください。
神様の足元にへばりついて
寄りすがるような気持ちで夢の中
つよく祈ったらすぐに目が醒めてしまった。
神様はたぶんいない。


___ __ _



朝の匂いが薄い。
今が現実かどうか不安でゆっくりと深呼吸する。
眩くカーテンが真っ白すぎてよく見えない。
シーツは冷たいのにそれを撫でる私の肌はじんわりと熱くて、自分の体温を少し疎ましく思った。ほぅと一息、長く吐きつくす。
どうしてしまったんだろう。
なんだか胸がざわざわしてしまって、今どうしても英智さんの煎れた紅茶が飲みたかった。
季節の変わり目で体調を崩されてから、しばらくはお休みだってわかってはいるのに。
なのに今じゃないとどうしても嫌だった。
少し泣きそうになって、ベッドサイドテーブルに置かれた水を無理くり飲み込む。
もぅ支度をしないと。
未だおぼつかない頭に嫌気がさす。
あの人達のプロデューサーでしょう。
きちんとしなさい、私。



学院に向かうまでの車中も、何度も夢を反芻してしまって振り払う事に必死だった。
教室に入れば一番はじめに敬人さんと目が合うことはわかっていたから、なんでもない風を装って夢じゃない本物の敬人さんといつもと同じように朝の挨拶をした。
瞳はとても優しいのに、表情は今日も凛々しい。
夢の敬人さんがどうしても頭によぎる。
いやだな。もっと、笑っててほしい。
どうしたら、あんな風にずっと
笑っていてくれるんだろう。
アイドルの皆さんはいつも、
沢山の笑顔をくれるのに。
プロデューサーの私では
誰かに笑顔を届けることができない。
悔しいのか、情けないのか。
気持ちが滅入ってしまってもうダメだった。



「菫。おい、菫。どうした」
「あ、はい。ごめんなさい?」
「……まだ寝ぼけているのか。昨日は何時に寝た?言ってみろ」
「確か、22時には寝ていたと思います」
「ふむ…睡眠時間に問題はないようだな」
「とてもぐっすりでしたよ」
「体調が悪い訳ではないんだな?」
「はい。まだ寝ぼけているだけみたいです」
「珍しい事もあるんだな。寝起きの悪いタイプでもないだろうに」
「夜更かししてしまったからですかね」
「貴様……」
「あ」
「俺に嘘をつくとはいい度胸だな」
「失言です。どうか忘れてくださいね」
「一体何を隠している?英智なら来週には登校できると連絡があったから、そこまで心配する必要はないぞ」
「そうなんですね、よかった…教えて下さってありがとう、敬人さん」
「おい、まだ話は……」

「ちょっと〜…あんたさぁ、毎日蓮巳に睡眠時間とか報告させられてる訳?束縛とか監視とかやめなよねぇ」

「瀬名さん、おはようございます」
「瀬名か、おはよう。そんな訳のわからん報告義務は設けていないぞ」
「はい、おはよ〜。あんた達が幼馴染みなのは知ってるけどさぁ。プライバシーとかないの?気持ち悪いからやめなよねー」
「誤解だと言っている。おい瀬名、話を聞け」


瀬名さんはそう言ったが最後、席に着いてイヤホンをしてしまった。
敬人さんは少しむっとしたような、悔しいような顔をした後、また私に向きなおるる。
その顔はなんだか心配そう。
私はますます困ってしまう。
そんな顔が見たい訳じゃないのに。


「…とにかく。あまりぼーっとし過ぎるなよ。授業が始まるまでには戻しておけ」
「はい、そうしますね」



___ __ _


それから放課後までの記憶はあまりないけれど、なんとかこうにか普通にできていたとは思う。
今日一日、夢を思い出すことは多かったけれど敬人さんに注意される事もなかったから。
なんだかほっとしてしまって私は両手で顔を覆い終業のチャイム音に紛れてため息をつく。
幸いなことに、今日はレッスンも部活動もない。よかった。今日は早く帰ってしまって、甘いものでも食べよう。お風呂にもすぐ入って夕食もそこそこに寝てしまえばいい。
いつもより早く眠れば、敬人さんに寝不足を心配されることもないだろうから。


「菫」


バラバラと人が疎らに減っていく教室の中で、ふと敬人さんの凛とした綺麗な声に呼び止められる。
本当に、よく通る声ですこと。
振り返ればまた難しい顔が待っていた。
眉間のしわが深いのでやっぱり素敵なことではないみたい。


「今日は一体どうした」
「何がですか?」
「俺相手に隠し事ができるとでも?」


なんと言い返していいものか。
無難な返事が数個頭によぎるものの、この琥珀色の瞳に見つめられては言葉がうまく出てこない。あたりを見渡すともう既に教室には誰もいなくなっていた。それはそうだ、みなさんも手早く帰りたいに決まっている。
あ、最後のひとり。瀬名さん。瀬名さんだ。
ドアから出る寸前の瀬名さんと、
むすっとしたお顔の敬人さん越しに目が合う。
どんな言葉でもいいので午前中のようにどうか助け舟を出してはくれませんか。
その間3秒ほど。
アイコンタクトだけでじっと訴えてはみたけれど、瀬名さんは『じゃーねー』と口だけ動かしてすたすた帰っていってしまった。
そうですよね、
こんな如何にも怒ってますみたいな人の仲裁に入るほどみなさん暇ではない。
正義の味方、守沢さんだっていの一番に教室を出て行かれたしきっとそれが正義なんだろう。
つくづく神様はいないと思い知らされる。



「…おい、どこを見ている。説教前に余所見とはいい度胸だな」
「私、これから説教されてしまうんですか」
「されたくないなら、正直に全て話せ」


困った。とても怒っている。
お優しい敬人さん。
敬人さんにそんな顔をさせたい訳でも隠し事をしたかった訳でもなかったので私は今朝の夢の話を、正直に全て話す事に決める。
腹を括る、なんて言い回しがまさに似つかわしい。自分が見た夢の話を人に語るのは、なんだか異様にくすぐったい行為だから。



「私、敬人さんには笑っていてほしいんです」
「この状況で俺が笑えるとでも?」
「敬人さんがたくさん笑ってくれる事が私の夢なんですけど、今朝そのような夢を見てしまって」
「?……、話が見えんぞ」
「えっと、実はですね」



話を聴いてくれる間の敬人さんの表情は
はじめはとても険しかったけれど
驚いたり、困ったり、
目を伏せてみたり、見つめてくれたり。
くるくる変わる、子どもの頃のような
どれもとても好きなものだった。
心なしか耳が赤く見える。
敬人さんに言われた通りに、私が全てを話し終えると敬人さんは眉間を抑えてわかりやすいくらい首を折って項垂れてしまった。


「………つまり、なんだ。貴様は今朝見た夢の余韻に引っ張られて一日中、俺の事を考えては惚けていたと?」


うん、と首だけで小さく頷くと敬人さんは一呼吸おいた後、肺にあった空気全てを使って大きな大きなため息をついた。
わざとしているのがよくわかる。
遠慮のないものぐさな態度は、
英智さんやわたしにしかしない。
『俺も、正直にありのまま話すが』と、
しばし推し黙った後敬人さんは前置きして、
また真っ直ぐな目で私に向き直った。
綺麗な声、綺麗な瞳。
夢にみた敬人さんよりなんだかずっと綺麗に見えて、私はやはりすこし惚けてしまう。
ちゃんとしてなくて、ごめんなさい敬人さん。



「これは偶然だが、俺も今日一日貴様のことを考えていた。俺の場合は、朝会ってからだがな」
「それは…どうして?」
「どうしてもこうしてもあるか、朝から様子がおかしかっただろう。何かあったと思うに決まっている」
「心配してくださってたんですか」
「ああ、そうだ。それも一日中な」



どうだ参ったかとでも続けそうなくらい
やけくそ気味な敬人さんのお顔は赤い。
聞けば、朝のやり取りの後も何度かまた声をかけようとしては気を遣って放課後まで様子を見計らってくれたのだとか。
しかも理由が英智さんに過干渉すぎだって
つい最近、たしなめられたせいだと言う。
………そんなこと、初めて知った。
英智さんは今日、体調不良でお休みなのに。
今日一日、敬人さんの頭の中には、私と英智さん。
幼馴染両方がずっと居ただなんて。
かわいそうやら、かわいらしいやらで
私は思わず笑ってしまった。
おそろいですね。本当に愛おしい人。


「ふふふ」
「ふん、そのまま笑っていろ。普段へらへらしている分、今日は朝から心臓に悪かった。勝手に俺を夢に呼んでおいて、勝手に悩まれてもどうしていいか対応に困る」
「ごめんなさいね、敬人さん」
「………まぁ、貴様のいうことにも一理あるからな。笑顔はアイドルの基本。笑顔が足りないというならプロデューサーの意見として受け止め、善処しよう」
「ええ、是非。そうしてください。敬人さんの笑った顔が私は一番大好きなので」
「度し難い…なぜいつもそう、貴様と同じことを俺が思わないと決めつけてかかるんだ」
「? 言い方がわかりにくすぎます。もう少し噛み砕いてくれませんか」
「ふふ、少しは考えろ」



敬人さんは目を細めて意地悪く笑った。
眉間の皺はもうなくなっている。
眼鏡のレンズ越しに見る柔らかい眼差しが胸を締め付けて仕方がなかった。
ああ、この笑顔も好きだなぁ。
今日は敬人さんのいろんな表情が伺えて
なんて素敵な日なのでしょうか。
不思議と今朝の夢はもう思い出せそうになかった。



___ __ _




翌日の朝。
瀬名さんは私の前の席から後ろ向きに振り返り、イヤホンを外しながらそれはもう気怠そうに尋ねられた。



「それで?」
「はい」
「興味ないけど、昨日大丈夫だったの?」
「ああ、はい。敬人さんと仲直りしました」
「あっそ。人目は気にしてる様子だったから別にいいけど、放課後だからってあんまり付き合ってるの公けにしない方がいいんじゃないの?学院とはいえ、ここも芸能界なんだしさー」
「付き合ってる………ですか?」
「はぁ?」
「敬人さんは、恋人ではなくて子どもの頃からの大切なお友だちですよ」
「何それ。まじであんた、ちょーウザい」


瀬名さんは普段のきれいなお顔からはとても信じられないような顔をされ、それきり前に向き直ってしまった。
ほんのちょっと驚いて固まっていたら、
おはようと後ろから敬人さんの声。
振り返ると、それはもぅぎこちない笑顔を浮かべていて。
思わず笑ってしまったら、
つられて一緒に笑ってくれた。
なんだ。
もっと笑って、なんて。
なんて贅沢だったんでしょう。
これ以上なんてないのに。



 






おしまい
*惚けてしまって呆けてしまう
夢見が良すぎて一日中夢に引っ張られる話
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