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第三話 事件の背景(6月26日 金曜日)

 授業終了のチャイムが鳴る。
 途端にそれまでの張り詰めていた空気は緩み、俄に雑談が多くなる。それまで授業をしていた数学の教師は、週明けに小テストをするから復習するようにと伝え、教室を出て行った。

 ラグスは、自分の席で大きくのびをしたあと、教師が部屋からいなくなったのを確認して、机の脇にかけていた通学用鞄からスマートフォンを取り出した。

 周りの生徒が持つスマートフォンに比べて値段が一段も二段も高い、欠けた果実がトレードマークのフラグシップモデルだ。初めて学校に持ってきた時は、物珍しさからクラスメイトの人だかりができて困ったのを、未だに覚えている。

 スマートフォンの画面を見ると、メッセージが一通来ていることがわかった。
 差出人がハーツであることを認識した瞬間、ラグスの目が輝く。期待に胸を膨らませながらラグスはメッセージを読むが、読み終わった途端、口をへの字に曲げた。

――今日は、飲みに行くから夕飯はいらない。君の手作り料理を食べられなくて残念だ。

「残念だと思うなら、飲みのお誘いは断れば良いのに……」

 口を尖らせたラグスは、拗ねたようにそう呟いたのだった。





 近くのコンビニで遅めの昼飯を買って車の中で食べた後、ゴジータと後輩警官は大学近くにある会社に来ていた。

 三階建ての自社ビルをオフィスにしている中小企業の社長、それが今回の聴取の相手だった。
 周りのコンクリートで固められたビルとは違い、リフォームを請け負う会社なだけあって、レンガを使った外観はとてもお洒落だ。

「車を盗まれた社員ではなく、私に話を聞きたい……ですか」

 五十代後半の、スーツを着た男は、向かいのソファに座りながら怪訝そうにそう言った。

 脂ぎった顔に、でっぷりと太った腹。いかにも、社長といわんばかりの風貌だった。
 場所は、センスの良い調度品が並べられた社長室。クッションがよく効いた黒い革張りのソファに、床に敷き詰められた臙脂色の絨毯。調度品も含めて色調の一体感を感じさせるその部屋に、ゴジータと後輩警官は通されていた。

「車の盗難の件は、おたくの社員から散々、話を聞いたからな。
 今は、先週の土曜日に起こった轢き逃げ事件を調べている。被害者は、近くの大学院の院生だ。
 あんたの知り合いだろう? この間の金曜日の夕方、被害者と会ったはずだ。間違いないか?」

 この会社は、轢き逃げの被害者の手帳に書かれていた人物が社長を務めていると同時に、盗難車の持ち主が社員として勤めている会社でもあった。

「……なんでそんなことを聞く必要が?」
「間違いないか?」

 ゴジータが重ねて聞くと、社長は鬱陶しそうな表情を隠しもせずに、

「間違いありません。先方から会いたいと連絡があったので。忙しかったですが、時間を作って会いました」
「何の話をしたんだ?」
「なあ、刑事さん」

 社長はどっしりとソファの背もたれにもたれながら、上から睨め付けるようにゴジータを見据えた。

「こっちに質問をする前に、私の質問に答えて頂けませんかねぇ。なんでそんなことを聞く必要があるんですか? 
 轢き逃げ事件があったのは土曜日でしょ?」
「聞かれたくないのか?」
「別に聴取に協力したくないって、言っている訳ではないんですよ。
 ただ、こちらも人間なんでね。なんでそんなことを聞かれるのか、知りたいのは当たり前。
 それなのに、こちらの質問を無視して、オレの質問にだけ答えろと言われたら、協力する気も失せるんですよ」

 警察相手に全く物怖じしない社長と、ゴジータの険しい視線が真っ向からぶつかり合う。

 二人の間に見えない火花が散るのが見えた気がして、隣の後輩警官が見るからに慌てていた。
 狼狽えた様子を見せると、この手の輩は調子に乗る。ゴジータは後輩警官を視線で制すると、

「それは悪かったな。
 怨恨が理由で轢き逃げにあった可能性も出てきたから、被害者の周辺を今、調べているんだ。
 被害者が持っていた手帳に、あんたの名前が書いてあった。だから、話を聞きに来たんだよ。何か重要なことでも知ってるんじゃないかと思ってね」
「生憎、私は何も知りません」
「でも被害者と金曜日に会ったんだろ? 何を話したんだ?」
「大したことではありません」
「内容を聞かせろ」
「彼は、近くの大学院の神学部が規模縮小をしようとしているから、それを阻止するために寄付を募っていると言っていました。
 生憎、うちもそんな余裕があるわけではないので、お断りしたのですが」
「寄付?」

 ゴジータは眉根を寄せた。

「なんであんたに?」
「一応、私もクリスチャンでね。
 ずっとあの大学と院を支援しているんです。まあ、神学部の縮小を止めるほどではありませんが。
 あと、先程、刑事さんは被害者と私が顔見知りと仰っていましたが、私が彼と出会ったのはその日で二回目です。顔見知りと言うほどではありません」
「へぇ。それで、寄付を断った時の相手の反応は?」
「あっさり引き下がりましたよ。その後、帰りました。
 三十分くらいじゃないですか? 彼と話したのは。疑うのなら防犯カメラを見せてあげましょうか? 
 入り口に設置しているので、彼が出入りした時刻がわかりますよ」
「なら、あとで見させて貰おうか。だがその前に……」
「なんですか。まだ聞きたいことがあるんですか?」
「土曜日は何をしていた?」
「くどいようですが、刑事さん」

 社長はこれ見よがしに腕を組むと、

「何故、私にその質問を? 
 まるで、私が轢き逃げの犯人だと疑っているみたいに聞こえるんですが」
「被害者が直前に会った人間全員に聞いている。全員、素直に答えてくれたぞ?」
「……」

 ゴジータが挑発じみた口調でそう言うと、社長の視線が鋭くなる。
 少しの間、ゴジータを睨み付けるように見据えていた社長だが、やがて口を開いた。

「その日は、午前中だけここで仕事をした後、家に帰りました」
「具体的には何をしていたんだ?」
「何も。残っていた仕事を片付けて、後は家でごろごろしていただけです。
 先に言っておきますが、私は独身なんで、家に帰ってからの行動を証明できる人はいません」
「それはどうも。手間が省けた」

 その後もいくつか質問をしたゴジータは、聞きたいことを一通り聞いたところで、話を一旦切り上げた。

「監視カメラを見せてくれ」

 社長に連れられて、防犯カメラに記録された映像を見に行った。
 通されたのは、テーブルとパイプ椅子が並び、そのテーブルの上に防犯カメラの映像を映し出すモニターが三つだけある部屋だった。
 常駐している誰かもいない。
 社長が、マウスを操作して、映像を再生させる。

「ほら、これです」

 画像を再生すると、確かにスーツを着た人々に混じって、被害者に似た背丈の人物がこのビルを出入りしていた。ゴジータはその時刻をメモしながら、

「他には?」
「ありません。防犯カメラ自体は、他にもありますが、彼が映っていたのはこれだけです」

 ゴジータはちらりと、他のモニターを眺めながら、

「本当だろうな?」
「これ以上、カメラの記録を見たいのなら、令状を持って来てください。 他のカメラは金庫がある部屋とか重要な部屋を映しているので、必要がなければお見せするつもりはありません」
「そうか。それは悪かった」

 内心、ゴジータは舌打ちをする。
 これだけきっぱり拒絶されたら、令状を持ってこない限り、監視カメラは見せて貰えないし、強引に事を進めればトラブルになって、こちらの立場が悪くなる。
 こういう時、法律に縛られた警察は立場が弱い。

 しがらみも何もなく殴り合いが出来る毎日があれば、とたまに空想してしまう。

 そんなことを考えながら、何度か被害者がこのビルを出入りする動画を繰り返してみていたところ、ゴジータはふと気が付いた。

 被害者は、このビルから出る時、一瞬、監視カメラの方に視線を向けたのだ。
 監視カメラに気が付いてそちらを見る人間はいくらでもいるのだから、そこまで深く考えるようなことではない。
 ただ、ゴジータはなんとなく、被害者が防犯カメラの位置を確認しているような気がしてならなかった。

 その時、書類を手に持った社員とおぼしき人物が、社長と呼び掛けながら部屋に入ってきた。
 その社員は、社長がゴジータ達と一緒であることに気が付いていなかったようで、制服姿の警官を見た瞬間、酷く狼狽した様子をみせた。
 社長は煩わしそうに、

「今は取り込み中だ。
……何? 防犯システムの見積もりが届いた? 後にしてくれ」

 社員は平謝りしながら、部屋から出て行く。

「新しい防犯システムを導入するのか?」
「ええ、まあ。最近は、何かと物騒なので」
「へえ」

 ゴジータは興味深そうに呟くと、ちらりと鍵が開いたままの窓硝子を眺めながら、

「どういうシステムを導入するつもりか知らないが、防犯システムを入れるんだったら、窓硝子に開閉センサーをつけることを勧める。
 二階だから、三階だからと言って油断してたら、壁を登ってきた泥棒にそこから侵入されたって、よく聞く話だからな」
「ご忠告どうも」

 ここが引き際だと考えたゴジータは、そこで聴取を切り上げた。
 聴取にかかった時間も短く、実りのある話は少なかったが、まあ、社長と被害者の繋がりの薄さを考えたらこんなものか。

 ゴジータは形式的に社長に礼を言うと、後輩警官を連れ立ってビルの正面玄関へと向かった。見送りのつもりか、それとも監視のつもりなのか、ビルの出口へと向かうゴジータ達のあとから、社長もついてくる。

 ちらりと、ゴジータは正面玄関を撮影する位置にある監視カメラを横目で確認しつつ、透明な両開きの自動ドアを出る。
 そして、きょろきょろと辺りを見回した。一歩遅れてついてきていた後輩警官が、何を探しているのかと不思議そうに尋ねてくる。
 ゴジータは手をひらひらふりながら、

「いや、またあいつがいるかと思って、辺りを見回しただけだ」

 後輩警官は一瞬ぽかんと不思議そうな顔をしたが、やがて、まるでこちらの考えを読んで先回りしているかの如く、行く先々で出会ったハーツのことだと察した。

 その会話を横で聞いていた社長は、何のことか分からずに怪訝そうに眉を顰めている。

「なんでもない。邪魔したな」

 ゴジータ達はそう言うと、パトカーに乗り込んだ。運転は後輩警官だ。助手席に乗り込んだゴジータは、シートベルトを締めながら、

「やっぱあの会社、防犯システムを入れるつもりなら、窓の開閉センサーをつけるべきだな。
 ほら、あのビルの側面。あれくらいの出っ張りや突起物があれば、オレなら簡単に三階まで登れる」

 ゴジータはそう言うものの、後輩警官の目には、とても普通の人間が登れるようなビルの壁には見えない。相変わらず、化け物じみた先輩だと思いつつ、後輩警官はパトカーを発進させたのだった。

 パトカーが道路を流れる車の列に合流し、道の向こうに消えるまで見送っていた社長は、やれやれと肩で息をついた。

 その途端、社長の背広のポケットに仕舞っていたスマートフォンから、電話の着信音が流れてきた。
 社長はスマートフォンを取り出し、相手を確認する。電話をかけてきた人物が知り合いだとわかった社長は、通話ボタンを押した。

 何年か前に、起業家同士が集まるパーティーで出会った人物だ。自分と比べてかなり若いが、話が快活で面白く、気が合ったので、それからもちょくちょく顔を合わせて飲んでいた。

「やあ、ハーツ君。何かあったのか?       
……え、今日、一緒に飲めないかって? 構わんよ。ちょうどこっちも鬱憤が溜まっていた所だ。店はいつもの所でいいか?」
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