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第十五話 答え合わせ(9月1日 火曜日)

「院長を殺したのは、ハーツ。お前だろう?」

 車内が静まりかえった。

 ハーツは答えない。真っ直ぐ正面を見たまま、運転を続けている。
 ザマスはそのまま言葉を続けた。

「院長は、よくお前の店から鉢植えを買っていたからバレなかったんだろうが、院長の頭部を割った鉢植えは、元々あの部屋にあったものではない。
 私が院長室を訪れた時、あの白い陶器の鉢植えはなかったはずだ」

 思い返してみれば、大学院の正面玄関で出会ったハーツは、手ぶらだった。

 もし、院長のメッセージの通りなら、ハーツは院長に会えず、白い陶器の鉢植えが彼の手元にあったはずだ。だが、彼の車の中にも、配達するはずだった観葉植物は見当たらなかった。

「あの白い陶器の鉢植えは、お前があの日、院長の元に届けたものだ。つまり、私が院長室を去った後、お前はあの部屋で院長と会ったな?」
「……」

 しばらく、無言で車の運転をしていたハーツは、やがてふっと笑った。

「よくわかったな」





 8月17日。その日は、暑い日だった。

『今からなら大丈夫だ。非常階段の扉を開けっぱなしにしておくから、そこから入ってきてくれ』
「助かるよ」

 片耳型のイヤフォンをしたハーツは、車を運転しながら観葉植物の配達を心待ちにしている院長にそう伝えた。

 盆が開けたので、お盆休み中に溜まった注文を朝から捌いている途中だ。基本的に配達は配達業者を利用するのだが、車で行ける範囲の近場の配達は、ハーツ自身が行っていた。

 院長との通話が終わると、信号で止まったタイミングでスマートフォンを操作し、ザマスのスマートフォンにダウンロードさせておいた監視アプリを作動させる。

 最近、ザマスはよく外出するようになった。
 そばに自分がついている時なら良いが、どこに行くとも告げないまま、出かける機会が増えたので、ハーツは気が気でない。

 何事もなければよいがと思いつつ、車を出発させてハーツは大学院に向かう。
 そして、彼の嫌な予感は的中した。

『貴様は、必ず殺してやる!』

 スマートフォンと接続した片耳イヤフォンの向こうから、院長の侮蔑とザマスの怒りと嫌悪に満ちた声が聞こえる。

 ザマスは、今にも院長を殺してしまいそうだった。

 ハーツは二人の会話を聞き逃すまいとイヤフォンに集中しながら、大学院の側面に設置された外階段を駆け上がっていた。
 片手に持った、植木鉢が入った紙袋ががさがさと音を立てる。イヤフォンの向こうから、扉を開ける音とザマスの足音が聞こえた。

 ハーツが三階まで駆け上がると、普段は閉まっているはずの外階段の扉は、院長の言葉通りドアストッパーを使って開けっぱなしになっていた。
 ハーツはそのまま、学内に飛び込む。

 外階段の扉から、院長室は近い。
 院長室に面した廊下に辿り着くと、廊下の向こうに消えるザマスの姿が見えた。咄嗟に、追いすがろうとしたが、その前に院長室から院長が姿を現したので、ハーツは思わず足を止めたのだった。

「き、君!」

 ハーツを見た瞬間、院長はぎょっとした顔をする。露骨に狼狽するが、すぐに取り繕ったような気色の悪い笑みを浮かべた。

「あ、ああ、そうか。観葉植物を届けに来てくれたんだね。ありがとう」
「……」

 一瞬だけ。
 ハーツの瞳に苛烈な怒りが見えたが、すぐにそれを消え去って、代わりにいつもの余裕をたたえた笑みが姿を見せた。

「ご注文の品を届けに来た。これはどこに置けばいい?」
「そ、そうだな。こっちに頼むよ」

 平静を振る舞おうとして、逆にみっともない動作をする院長を、貼り付けた笑みのまま、ハーツは眺めていた。院長に促されるまま、ハーツは院長室に入る。

「いや、助かるよ。君の誠実な仕事ぶりには、いつも助けられている」

 動揺を落ち着かせるためか、やけに院長はペラペラ喋った。

「君の仕事に対する誠実さは、きっと神も見ておられることだろう。そうやって、健気に暮らしていれば、きっと困った時、神様が助けてくれるさ」
「神、ねぇ」

 ハーツは嘲笑った。
 ハーツの様子が変わったことに気が付かないまま、院長はハーツに背を向けてしゃがんだ。観葉植物が無数に置かれている棚の下の方を片付けて、置く場所を空けようとしている。

 その頭頂部を眺めながら、ハーツは語りかけた。

「院長、言い忘れていたが……」
「ん? なんだね?」

 院長は、背を向けたまま返事をした。
 ハーツは紙袋に入れたままの植木鉢を振りかざす。

「オレは神を嫌悪している。だが、人間は好きだ。神を信じている君を、オレが救ってやろう」

 その言葉を聞いて、不思議に思った院長が振り返るより早く。
 ハーツが振り下ろした植木鉢が、院長の頭を砕いたのだった。





「あの大学院の正面玄関に防犯カメラがあるのを知っていた。だから、君が正面玄関に辿り着いた時点で、院長のスマートフォンから、オレ宛てにでもメッセージなり着信なりを入れれば、君のアリバイを確保できると思って実行した。
 そうしたら、実際にできた。
 大学院の玄関ホールは音楽が流れているから、君がそこに辿り着いた事を察するのは簡単だったよ」

 しかも、院長のスマートフォンのロックは指紋認証だ。死んだばかりの死体から、指を拝借するのは簡単だった。

「その後、オレは外階段から外に出た。ドアストッパーは念のために外して置いたんだが、それが功を奏したみたいだな。
 警察は、外階段の扉は閉まっていて使えなかったと、結論づけてくれたよ」
「植木鉢にはお前の指紋が残っていたはずだ。どうやって誤魔化した?」
「誤魔化すも何も。調べたら普通にオレの指紋が出てくるはずだ。だが、何も問題ない。オレは以前から、注文された品を届けるために、よく院長とあの部屋で会っていたからな。
 疑われても、いくらでも誤魔化せる」
「なるほど……」

 ハーツから犯行当時の状況を聞いたザマスは、しばらく黙り込んでいた。

 だが、やがて口を開いてハーツに尋ねる。どうしても、ザマスは確かめたかった。

「何故、院長を殺した?」

 ハーツと院長の間に、トラブルはなかった。だが、ハーツは院長を殺した。

 ハーツはちらりとザマスに視線を向けた後、正面を向き直る。

「……恩着せがましい言い方になるが、君を守りたかった」
「私を……?」
「その通りだ。君の叫びを聞いて悟ったよ。君は必ず院長を殺すだろうなと。
 たとえ何年かかろうとも、君は絶対に諦めずにやり遂げるはずだ。
 だが、この国の警察は馬鹿じゃない。君が殺したという僅かな痕跡でも見つけ出したら、たちまち君から自由を奪うだろう。
 だから、オレが殺したんだ。
 いま、ここでオレが殺してしまえば、君は殺さなくてすむからな」
「短絡な。あの状況で殺したら、自分が警察に捕まるとは思わなかったのか?」
「警察を騙し通せる自信はあった。仮にバレても、君を守れるならそれでいいと思っていた」
「……愚かな奴だ」

 ザマスは静かに呟いた。

「それで、どうする?」

 ハーツがそう問うと、その言葉の意味がわからなかったザマスは不思議そうに小首をかしげた。

「どうする、とは?」
「オレを警察に突き出すか?」
「警察に? なぜ?」

 ザマスは心底、意外そうに、

「神の御心に背くあの人間は、死ぬべきゴミだった。ゴミをこの世から消したとして、何を裁く必要がある?」

 ハーツは小さく笑うと、

「院長が死ぬべきだったという点だけは、同意させて貰うよ」

 ザマスは、実に満足した顔で、

「したり顔で神の信仰を口にする人間どもも、言っているではないか。罪を憎んで人を憎まずと。私にお前を恨む理由はない」
「それは、ありがたい」
「そういえば、お前はなぜ、探偵の真似事をしようとしたんだ? 院長を殺したのはお前だったんだろう?」
「他二人を殺した犯人がいるかもしれないと思ったからだ。結果的に、杞憂で終わったがな。
――着いたぞ」

 車が止まる。
 辿り着いたのは、海岸線にある有料駐車場だ。車を降りれば、白い砂浜に打ち寄せる青い海が見えた。

 海岸には強めの風が吹いている。ザマスは、風に揺れる前髪をかき上げながら、感嘆の溜め息を漏らした。

「久しぶりに海を見た」

 ハーツはザマスの隣に並ぶと、

「海岸線を歩こう。平日の昼間だから、人も少ないはずだ」

 まだ、夏の暑さは残っているが、今日から暦上は秋になる。
 ハーツの言うとおり、海岸にはいる人影は、まばらだった。

 最初は、スニーカーのまま打ち寄せる波の際を歩いていたザマスだったが、靴が濡れるのを気にするのが億劫になったので、その場で靴と靴下を脱いで素足になる。ハーツもまた、同様に裸足になると、二人は肩を並べて波打ち際を歩き出した。

 足下をさらう波が冷たくて、くすぐったい。時々、足の裏にあたる硬いものは貝殻か。

 海岸線の景色を楽しんでいたザマスは、やがて静かに言葉を紡いだ。

「院長が『不幸な事故』で死んだおかげで、副院長だった人間が新たに院長の座に着き、ゴワスが空いた副院長の座に着いた。
 そうやって下の者が繰り上がっていった結果、助手の席がひとつ空いて、大学は助手になる人物を募集している。私はそれに申し込もうと思っている」
「大丈夫なのか? 以前、聞いた話では、君の素行が悪いせいで、教授を目指すのは難しいと言っていなかったか?」
「院長が在籍していた時に比べれば、ましになったとはいえ、私に対する当たりは強い。
 だから、私は死んだ院長と社長が癒着していた事実を使おうと思う」
「君が話していた会計データのことか。USBは、復元できたのか?」
「ああ、ソフトを使ったら、一発で復元できた」
「それは良かった」

 素知らぬ顔でハーツ話を合わせていたが、実はハーツはザマスよりも早くUSBの復元に成功していた。

 彼が、ザマスの家に泊まった日。ザマスが、壊れたUSBを使って、何かをしていたことに気が付いたハーツは、夜中にこっそり起き出してそのUSBの中身を探ったのだ。

 ザマスが社長の会社から会計データを盗み出した事実に、いち早く辿り着いていたのだが、この事実をザマスに伝える気は無かった。

――墓場まで持っていく秘密が増えたなと、ハーツは内心、独り言ちた。

 ザマスは、足下の波を眺めながら言葉を続ける。

「新たに院長になった人間は、事なかれ主義だ。
 上手く言いくるめば、助手の座と癒着の事実を取り引きに使えるだろう。使わない手はない」

 それに、不本意ながら、ゴワスもザマスが助手になることを応援してくれている。あれだけ、難儀していた指導教員があっさり決まったのも、ゴワスが四方八方に奔走してくれたからだ。

 根本的なところでは反りが合わない人物だが、ザマスの研究に対するひたむきさを評価してくれたのは、素直に嬉しかった。

「オレも手伝おうか? 君は、なんと言うか、そういう駆け引きは、あまり得意じゃないようだから、上手くいくか心配だ」
「余計なお世話だ。そもそも、普通に申し込んで受かる可能性もあるんだぞ」
「確かに、奇跡が起きれば問題ないが」
「奇跡とはなんだ、奇跡とは」

 ザマスはジト目でハーツをひと睨みした後、言葉を続けた。

「もし、望み通り博士号を取得して、助手になることができたら、私は今の家を出て引っ越そうと思う」
「!?」

 ハーツは驚きのあまり足を止めた。つられてザマスも足を止める。

「あの家から出るつもりなのか!?」
「ああ。いつまでもお前の世話になっていられない。助手になれば、自分ひとりくらいなら養っていけるだろう。
 世話になった分の代金も、返すつもりだ」

 ハーツはザマスの両肩を掴むと、

「ザマス。お金のことなんて、気にしなくていいと言っただろう。いつまでも、あそこに住んでくれていいんだぞ?」

 ザマスは苦笑すると、

「私なりのけじめだ。まあ、ゴワスにも世話になった分の金を返さなければならないから、一括で返すのは難しいだろう。
 おそらく、毎月少しずつという形になると思うが、必ず完済する」

 これは別に、仲違いしたゴワスに当てつけで返すというわけではない。

 元々、自立できるようになったら返そうと、ずっと前から考えていたことである。

「あの家に何か不満でもあるのか? あの家が嫌だったら、別のマンションを借り上げても良いんだぞ?」
「ハーツ」

 駄々をこねる子供を宥めるようにザマスが名前を呼ぶと、ハーツは肩で大きな溜め息をついて、両手を離した。

「……決意は固いようだな」
「ハーツ。お前には感謝している。どうしようもない状況に打ちひしがれていた私に、機会を与えてくれた」
「だが、オレの元からは去るんだな」
「大袈裟だな。仮に引っ越したとしても、あの大学に就職するのだから、住むところは同じ市内の可能性が高いんだぞ?
 たとえ離れたとしても、精々、隣の市になるくらいだ」

 ザマスはそう言うと、再び浜辺を歩き出した。上空を飛ぶウミネコが鳴く。
 ハーツも再び歩き出すと、ザマスの横に並んで、

「ザマス。今の話を聞いた以上、無駄だとは思うが、一応聞いておきたい。
 オレの店で働く気は無いか? 好きな時に手伝って、空いた時間に神学の勉強をしたらいい。給料は保証するぞ?」

 ザマスは静かに首を横に振った。

「どうしようもない愚かな人間が巣くう場所だが、それでもあの大学は、この国で神学を学ぶ場としては優秀な方だ。
 神学研究科の縮小がどういう方向に転ぶかわからないが、私はできる限り、あの大学の神学部を守っていきたいと思う」
「ずっと、あの大学で働くつもりか?」
「そうだな。だが、機会があれば外国にも学びに行きたい。
 著名な論文は国内、国外問わず色々と読んだが、やはり直接訪れてその国の神学を学んでみたいと思う。
 何せ、神の御心は深謀遠慮だ。人間の一生を使っても、計り知れないものだから、いつまでも狭い国内に留まるわけにもいかないしな」
「……あくまで、神学に人生を捧げる気なんだな」
「ああ。神学を通じて、神の偉大さを後世に伝えていかなければならない。
 この世界は、神の正義で成り立つ世界なのだから、これは人間に定められた宿命だ」

 ザマスの声には、揺るぎない決意が込められていた。

「ザマス、君は……」

 ハーツは目を伏せながら、呟いた。大きい波が押し寄せる。



「君は、人間に生まれ変わっても、神がかざす正義に縛られているんだな」



「なんだ? なんて言ったんだ?」

 ザマスは問い返す。波の音でかき消されて、ハーツが何を言っているのか聞こえなかった。
 ハーツはなんでもないと答えると、

「いや、それよりも、あそこのカフェでお茶をしないか? ワッフルが美味しいらしいぞ」

 ハーツが指さした先には、白い壁が特徴的なオープンテラスカフェがあった。

「いいぞ」

 ザマスが了承すると、二人は連れだってその店に向かう。

「ザマス」
「なんだ?」

 ザマスは隣を歩くハーツを見上げた。ハーツもまた、ザマスを見下ろしている。
 先程のザマスのように、ハーツもまた決意を込めた声で、ザマスに告げた。

「いつか、君を自由にしてみせる。オレは、諦めないからな」

 前世から続く思いを込めた言葉。
 だが、ザマスはハーツが口にした奇妙な言葉を聞いて、

「はあ?」

と、素っ頓狂な声を上げたのだった。


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