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第九話 不穏という名の罅(7月28日 火曜日)

 ザマスは、こつこつとダイニングテーブルの表面を指で叩きながら、頬杖をついてノートパソコンの画面を眺めていた。

 ノートパソコンには、何やら作業中の画面が表示されているが、画面中央に表示されたバーは、先程から70%を超えたところで進まない。

 しばらくじっと見ていると、やがてバーが進み出し、そして作業が終了する。

 そして、結果は――。

「ちっ!」

 ザマスは舌打ちをすると、衝動的に机をだんっと叩いた。

 画面に出てきたのは、指定されたUSBからはデータを参照できなかったという警告画面。

 何度やっても結果は同じだった。

「くそ!」

 思わず悪態をつく。
 ザマスは苛々とした様子で、ノートパソコンを睨み付けていたが、ノートパソコンは素知らぬ顔で同じ画面を表示し続けている。

 苛立ちを抑えるかのように、ザマスは何度か深呼吸をすると、

「別の手段を考える必要があるか……」

 苦々しげにそう呟くと、最小化していたインターネットブラウザを立ち上げる。

 そこには、殺人事件や殺人未遂事件を中心に収集したサイトが表示されていた。

 個人のサイトのようだが、そのサイトには事件ごとに犯行の手口、犯人像、そして事件に対する警察の捜査方法が予測を交えて事細かに記載されていた。

 しばらく、無心でそれを読んでいたところで、玄関のチャイムが鳴った。

 ザマスは、はっと顔を上げると、ブラウザを閉じて玄関の方へと向かっていく。

「やあ、ザマス。頼まれたものを買ってきた」
「ああ。ご苦労」

 玄関扉を開けると、エコバッグを肩にかけたハーツが立っていた。

 ザマスは彼を迎え入れると、手を差し出し、荷物を受け取ろうとしたが、ハーツは首を横に振る。

「まだ、体は完治していないんだから、無理をするな」

 荷物を持つぐらいなら問題ないのだが、ハーツが頑なに荷物を渡さないので、ザマスは諦めて差し出した手を引っ込め――ようとしたところで、ハーツがその手を握った。

「!」
「ほら、手を貸してやるから部屋に戻るぞ。夕飯をご馳走してくれるんだろう?」
「て、手助けなどいらん! 手を放せ!」

 驚いたザマスが手を振り払うと、何の抵抗もなくハーツの手は離れた。

 ハーツは面白そうに笑いながら、

「失礼。過保護だったか?」
「……そういうのは女性にしてやれ!」

 ザマスはそう言い捨てると、ハーツを置いてひとりリビングに戻ってしまう。ハーツは笑いながら後をついて行った。

 ザマスはリビングの扉を開けると、はっとダイニングテーブルの方に顔を向けた。パソコンにUSBをつけっぱなしにしている。

 すぐにダイニングテーブルまで近づくと、ノートパソコンの側面から、外装にひびが入った白いUSBを抜いた。

 ザマスはノートパソコンをパタンと閉じると、ノートパソコンとUSBを近くにある収納棚の引き出しに仕舞ったのだった。

「ザマス、どうかしたか?」
「いや、なんでもない。研究論文を書いていただけだ」
「そうか……」

 ザマスはキッチンの方へ赴くと、手早く夕飯の準備をし始める。

 最近の夕食は、近くのスーパーでお弁当を買うか、出前を取るか、もしくはハーツの奢りで彼と一緒に外食をするかだった。

 しかし、現在は松葉杖を使用しなくても家事も外出もできるようになり、体の動きもスムーズになった。そこで、ザマスはリハビリと気晴らしを兼ねて、家で料理をすることにしたのだ。

「美味しそうだな」

 既に夕飯の支度はできている。
 ハーツが買ってきたのは、お酒とそのおつまみだ。白ワインのボトルがはみ出したエコバッグを、キッチンカウンターに置いたハーツは、鍋の中の料理を覗き込みながら、すぐに食べたそうな顔をする。

 一緒に外に食べに行かないかと、ハーツが誘ってきたので、今日は家で料理しようと思うと伝えたところ、ハーツが『ザマスの手料理を食べてみたい』と言い始めたのだ。

 ハーツから生活費を貰っている身なので、了承したザマスはハーツの分も用意した。

 ザマスは、IHクッキングヒーターのボタンを押して、少し冷えた鍋を再加熱しながら、

「スープが温まったら、すぐに食べられる。それまで待っていろ」
「お酒はどこに仕舞ったらいい?」
「全部、冷蔵庫に仕舞っていい。乾燥パセリだけ渡せ」
「了解」

 お玉で鍋をぐるぐるかき混ぜているザマスの横で、ハーツが買ってきたお酒やつまみを次々と冷蔵庫に仕舞っていく。

 お皿を並べて、飲み物を出して。十五分後には、ダイニングテーブルの上に、夕食が並べられたのだった。

「手慣れたもんだな」
「家事は子供の頃からやっているからな」

 ザマスは胸を張って答える。
 大学教授として仕事で忙しいゴワスを支えるため、子供の頃からザマスは家事を担当していた。

 サーモンとトマトの冷製パスタにコーンスープにアボガドと海老のサラダ。

 ハーツが夕飯を食べに来るとわかったので、少々見栄を張って、普段の料理では作らないものを作ってみたのだが、どれもこれもいい塩梅に仕上がったとザマスは自画自賛する。

 ハーツが買ってきたお酒のうち、エコバッグからはみ出ていた白ワインは、店で冷蔵されていたのでまだ冷えている。

 スープが温まるまでの短い間に、冷蔵庫で保冷したおかげで、ワイングラスに注ぐ頃には、ちょうどよい冷たさになっていた。

 ハーツは、ワインオープナーを使って易々とコルクをあける。ぽんっと小気味がいい音がした。
 とくとくと、音を立てて白ワインがそれぞれのグラスに注がれる。

 ザマスは食事を始めようと手を浮かしたところで、ハーツが手に持ったワイングラスを差し出してきたので、仕方がないなと思いながら、ザマスもグラスを持ち、ちんっと透明な音を立ててグラスを合わせたのだった。

「これは、一体、何の乾杯なんだ?」
「もちろん、君が無事に大学院からこの家に戻ってきたことを祝うための乾杯だ」
「大袈裟すぎる」
「それだけ、オレが君を心配していたということだ」

 お互いに軽口を叩きながら、それぞれ夕食を取り始める。

「美味い!」

 コーンスープをひとくち飲んだハーツは、途端に目を輝かせた。トウモロコシをゆでるところから作ったスープは、濃厚でトウモロコシのうま味を存分に引き出していた。

 ザマスも、いい味に仕上がったと、再び自賛しながらスープを食す。

 美味い美味いと、ハーツは飽きもせずに褒めながら食事を取る。

 そんな彼を眺めながら食事をしていたザマスは、ふと気になったことを尋ねた。

「そういえば、お前は家事はしないのか?」

 ハーツは首を横に振る。

「しないな」
「子供と一緒に暮らしているのだろう? ご飯を作ってやったりしないのか?」
「オレは料理が苦手だ。家事はそれを見かねた子供達が、自主的にやってくれている。
 たまに手伝ったりはするが、それよりハウスキーパーを頼んだり、外食したりするほうが多いな」
「贅沢な奴だ」

 呆れた口調でザマスは呟いた後、パスタのトマトを口に放り込む。トマトの酸味と甘みがバジルソースによく合う。

「子供がいるわりに、遅くまで遊び歩いているのは褒められんな」
「子供といっても、もう高校生だ。自分達のことは、自分達で決められる」
「甘やかしているようにしか聞こえんぞ」
「不必要に常識や規則で縛る必要はない。人は皆、自由に生きるべきだ。そう思わないか、ザマス?」

 その言葉にザマスはぴくっと眉をひそめた。ザマスのフォークを持つ手が止まる。

 ザマスは静かに両手をテーブルの上におくと、ハーツの顔を見てきっぱり拒絶した。

「私はそうは思わない。人間など、統制を取らなければ、すぐに野蛮な動物に逆戻りだ」

有無を言わせぬ拒絶を感じて、ハーツは少々驚いた顔をした。

「これは、手厳しい。神の御心に従うキリスト教徒だから、なおのことそう思うのか?」
「キリスト教徒だとか、そうじゃないとかは関係ない。世の中を見てたらわかるだろう」

 そう言って、ザマスはちらっとテレビの方に視線を向ける。

 環境音として適当につけていたテレビでは、胸くそが悪くなるような犯罪のニュースが流れていた。

 ニュースの内容に眉をひそめたハーツは、テーブルの上にあったリモコンで、テレビを消すと、

「まあ、程度が低い人間がいるのはわかるが……」
「何千年経っても、人間は野蛮なままだ。それどころか、信仰心を忘れ、自分達の力を過信している。愚かな人間を統制する存在が必要だ」

 ザマスは、自身の持論をずばずばと口にしながら、食事を再開する。

 だが逆に、ハーツは食事の手を止めて、ザマスの顔を真っ直ぐに見据えていた。

「――その人間を統制する存在というのが、神だと?」
「ああ」

 一瞬。
 ハーツの瞳に剣呑な光が走った。だが、フォークでパスタを巻き取ることに忙しいザマスは気が付いていない。

 ハーツは冷たい白ワインを飲みながら、剣呑な光を消すと、普段と変わらぬ口調で、

「神学を研究していたから、そう思うんだろうな。ザマスは、神を信じるようになったのは、いつからだ?」

 口の中に丸めたパスタを放り込もうとしていたザマスは、その手をぴたっと止めると、じろっとハーツを睨み上げて、

「神はいる。信じる信じないの話ではない」

 力強い口調で、ザマスが反論した。

 ハーツは不快そうに眉をはねさせたが、それも一瞬のことだった。

「すまなかった。訂正しよう。ザマスがキリスト教に入信したのは、いつからだ?」

 ハーツがすぐに一歩引くと、それでザマスも気が済んだのか、彼も少しだけ瞳の鋭さと語気を緩めた。

「生まれた時からだ。死んだ両親がプロテスタント教徒で、生まれてすぐに洗礼を受けた」

 そう言って、フォークに巻いたまま宙に浮いていたパスタを口に放り込む。

「へえ。それで、そのまま神学を研究する道に進んだのか。神学というのは、オレには馴染みが薄いんだが、何の研究をしているんだ? イエス・キリストか?」
「ふん。人間の胎から生まれた分際で、神の子を名乗る者の言葉に付き従う愚かさなど、私にはない」
「これはこれは」

 随分、過激な発言が飛び出てきた。

 ハーツはちらりと、ザマスの手元のワイングラスを盗み見る。ハーツの記憶が確かならば、ザマスは既に白ワインを二杯飲んでいる。

 周囲から『ザル』と評されるハーツにしてみれば、大した酒量ではないが、ザマスを酔わせるには十分な量なのかもしれない。よくよく見たら、目元が少し潤んでいる。

「私が研究しているのは『神』だ。正確に言えば、『神の御心』だな。神が何を考え、人間に何を望んでいるのかを明らかにするのを目的にしている」
「無学な人間の戯れ言だと思って聞いて欲しいんだが、その神の御心とやらはどうやって研究するんだ?
 まさか、神自身に聞くわけにもいかないだろう」

 ザマスはぐいっと白ワインを飲むと、

「聖書を読んだことはあるか?」
「一応。ただ……」
「ただ?」

 ザマスが、言葉を濁したハーツに続きを言うように促すと、

「怒らないで聞いてくれよ? 聖書を読んだことがあるが、正直、昔の人間が、昔の価値観のままに書き散らかした物語だ、というのが本音だな」
「ふん、はっきり言うな。だがまあ、一理ある」

 ハーツの予想に反して、ザマスは怒らなかった。饒舌になったザマスは語る。

「昔と違い、聖書の一節が重要視される場面は格段に減った。
 それは、言葉を飾らずに言ってしまえば、神の奇跡が眉唾物になり、聖書の持つ価値観が今の価値観にそぐわなくなったからだ。神の御心を知らず、神の教えを知らないまま、成功した幸せな人生を送る人間がいるこの世の中で、聖書の持つ意味は軽くなっている。
 聖霊に満たされて書かれた言葉――すなわち、神の言葉が現代にとってどういう意味を持つのか。
 それは、神の威信を伝えるためには避けて通れない課題であり、かつキリスト教神学において重要な研究事項だ。
 実際に神学の中には組織神学と呼ばれる、現代の価値観と聖書を橋渡しするための研究もあるくらいだからな」

 酒が入っているからか、それとも自身の研究分野だからか。興奮気味のザマスは実に多弁だった。

「そもそも、聖書に書かれている神の言葉は、聖人と呼ばれる人間を通しての言葉だ。その聖人達の解釈が、そもそも間違っている可能性がある。
 私は、そういった人間のバイアスを退けた本当の神の考えが知りたいのだ」

 ザマスが話しやすいように、時々、相づちをいれながら話を聞いていたハーツは、ザマスの言葉を聞いて熟考した後、口を開いた。

「君は、その本当の神の考えとやらを知って、どうするんだ?」
「神の御心のままに生きる。それが人間の定めだ」
「……」

 ハーツはワイングラスに視線を落とした後、やがて口元だけでふっと笑う。

「ならば、君からしたら、『神』を侮辱する人間は、到底許すことができない存在なんだろうな」
「当たり前だ。神を侮蔑する者、神を利用して功名心を満たす者、全て等しく死ぬべきだ」

 真っ直ぐな瞳でそう言い切ったザマスを、ハーツはただ無言で眺めていたのだった。



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