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第五話 目覚めた被害者(7月10日 金曜日)

「いや、だからさ、いきなり『オレの使っていない家に来ないか?』って言い出したら、冗談だと思うじゃん?」

 風呂から上がったばかりのフューは、タオルでわしわしと頭を拭きながら、スマートフォンで会話をしていた。

 家に帰り、コンビニで買った夕飯を食べて、シャワーを浴び終えたタイミングで、ハーツから電話がかかってきたのである。

「君達がいきなり、主治医の先生に『退院したい。家はこちらで用意する』とか言い出すから、その主治医から『あの男の人は何者?』って問い詰められて参ったよ」

 部屋着にしている大きいサイズの黒のTシャツにリネンのハーフパンツ姿のフューは、どさっとソファに座る。
 洗濯をサボっているせいで、あちこちに服が脱ぎ散らかされていた。

『僕の友人です。信頼できる人ですって、言ってくれたら良かったじゃないか』
「君の言動が怪しすぎて、そんなこと言う気にもなれなかったよ。悪い奴じゃありませんって伝えただけでも、感謝して」
『それで、なんで退院に関して揉めてるんだ? ザマスを退院させる方向でまとまっていたんだろう?』
「キーパーソンであるゴワスの意思を無視して、ザマスのフォローアップを君に任せていいのか、こっちでは判断しかねるからだよ」

 退院できるとはいえ、怪我が完治していないザマスは、退院後、誰かの手助けが必要になる。

 いくらゴワスの代わりにハーツがザマスの手助けをするとは言っても、彼の事実上の親であり、入院してからずっと、医師から病状の説明を受けて治療方針を決定していたゴワスの意向を無視していいものか。

 突然、受け持ちの患者であるザマスから、『今すぐ退院する。ゴワスには知らせるな』と言われた主治医は、非常に驚いて混乱していた。

「それにしても、あのザマスって人も、よく君の申し出を受けたね。怪しいとは思わなかったのかな?」
『オレが信頼できる人間に見えたんだろう』
「……へー」

 口元を引きつらせながら、フューは気のない返事をする。

 その言葉を自信満々に口にするハーツにも呆れるが、実際、彼は持ち前の高いコミュニケーション能力を使って、周りの人間の信頼を得るのを得意としている。

 普段のハーツの言動を胡散臭く思っているフューからすれば、なんであんな怪しい男が信頼されているのか、未だに理解できないでいた。

 理解できないと言いつつ、フューがハーツとつるみだしてかなり長い時間が過ぎている。完全に腐れ縁だ。

 と、その時、耳元で空気が動く気配がしたと思ったら、右肩にずしっとした重みがかかる。フューはそちらを振り向くと、

「ご飯はもう食べたのかい? 今、ハーツと会話しているから、ちょっと待ってて」
『誰かそばにいるのか?』
「ドギドギが僕の肩に止まっただけだよ」

 名前を呼ばれたからか、ドギドギと呼ばれたフクロウは、フューの肩の上でひと声鳴いた。

 フューが飼っているペットのフクロウである。
 基本的にゲージの中で過ごしているのだが、今は散歩の気分らしく、先程までリビングの中を自由に飛び回っていた。

フューはフクロウのくちばし付近を撫でながら、

「念のために言っておくけど、ザマスが君の家に行くって決めたのは、君に惹かれたからじゃなくて、それ以外に選択肢が無いからって感じだったよ」
『わかっている。そこまで自惚れてはいない』
「なら結構。だったら、上手く彼に取り入って、事件のことを聞き出してよ。
 彼、僕が聞いても大して答えてくれなかったし。おかげで、事件の調査は全然進んでないしさ」

 ハーツもフューも、事件の調査は続けている。
 だが、どうにも有力な情報が見つからなかっため、調査は先に進まず足踏みしている状況だった。

 そして、それはどうやら警察も同じらしい。
 この間、フューはゴジータとばったりでくわしたので、それとなく事件のことを聞いてみたのだが、はっきりとは答えなかったものの、捜査が芳しくないことを匂わせていた。

 一時期は、全国ニュースにも出ていた轢き逃げ事件だが、今ではすっかり世間から忘れられている。

『ザマスへの聴取は考えておく。それより、ザマスの主治医の反応はどうだ? 退院に同意してくれそうか?』
「うーん、それは……」

 フューは言葉を濁す。

 病院としては難しい立場だ。
 ゴワスの意向は無視できないし、かといってザマスは、ゴワスのもとではなくハーツの所に行くと言っている。
 これが、子供ならともかく、彼は成人してはっきりと自分の意思を表示しているのだ。

 原則的なことを言えば、病院は家族よりも、患者の意思を尊重すべきなのだが――。

「微妙」
『……そうか。彼、看護師さんに怒られてへこんでいたから、良い知らせを聞かせて元気づけてやりたかったんだが……』
「……ああ、あの看護師さんは怖いからね」

 病棟に戻った直後のザマスに雷を落としたのが、その日のザマスの担当看護師だった。
 その病棟では最年長の看護師で、中年太りしたおばちゃん看護師なのだが……怒ると非常に怖い。ドスのきいた声で怒鳴り上げるさまは、口から火を噴く怪獣のようだった。

 同じ病棟の看護師は勿論のこと、手抜きした指示を出したり、処方を忘れたりする医師にも容赦なく怒鳴り上げるので、影ではその病棟の真の支配者とまで言われて恐れられている。

 大声で喧嘩をして同室者に迷惑をかけ、勝手に病室を抜け出して、病棟中を混乱させたにもかかわらず、反省の色を見せないザマスを、そのおばちゃん看護師は、地割れを起こしそうなほどドスのきいた声で怒鳴ったのだ。

 怒られたザマスも、あまりの迫力に押されたのか、とうとう『すまなかった。軽率だった』と反省の弁を述べたのである。

 フューは、生意気な態度だったザマスが項垂れて反省する様を見て、小気味良いと思ったものの、よりにもよって、あのおばちゃん看護師に怒られた点には同情した。

「まあ、流石に明日になれば、元気を出すんじゃないの?」
『そうだといいがな。明日、またザマスの元に行ってみる』
「お見舞いに行くのはいいけど……明日も、主治医に何か言うつもり?」
『会ったらもう一度、ザマスの意思を尊重するように頼んでみるつもりだが、何か問題でもあるのか?』
「……あの先生に、あんまり変なこと言わないでよ」
『何故だ? 穏やかで優しそうな先生だったが』

 集中治療室から一般病棟に上がる時、ザマスの主治医は救急科の男性医師から、整形外科の女性医師に変わった。

 整形外科の中でもトップに近い位置にいるベテランの医師で、誰に対しても優しいため、患者だけで無く研修医からも評判がいい。

 そんなおっとりおしとやかな女性医師なのだが、フューにとっては大きな爆弾を抱えている人でもある。

「……あの人、僕の母さんと同じ大学の医学部出身で、しかも母さんと同期なんだよ」

 フューにとって最悪なことに、今も連絡を取り合っているらしい。

「だから、あんまり変なことをすると、母さんにバレる……」

 ぴんぽーん。

 その時、部屋のチャイムがなった。

 ハーツに少し待つように告げた後、ドギドギを肩に乗せたまま、インターフォンの所に行く。小さなディスプレイに映っていた、マンションの正面玄関に佇む人物を見た瞬間、

「げ」

 思わず呻き声が漏れた。

 カメラには、フューの母親であるトワの姿が映っていたのだった。





「相変わらず部屋が汚いわね。ちゃんと掃除しなさい」
「うるさいなー」

 フューはグラスに入った麦茶を、ソファに座ったトワに手渡しながらぼやく。ドギドギはゲージに戻したので、ここにはいない。

 フューはトワの隣に座りながら、

「で? 何しにきたんだよ、こんな時間に」

 時刻は既に夜の十時半を回っている。
 非難がましい眼でフューに睨まれても、涼しげな顔で麦茶を飲んでいた彼女は、

「聞いたわよ」
「……何を?」
「あの、貴方が最近、取り入っている交通外傷の患者のこと」
「う」

……やっぱり、トワに連絡が行ったらしい。

「貴方の交友関係に口を挟むつもりは無いけれど、流石に病院を困らせるのは頂けないわね」
「一応、患者本人の意思でもあるからね」
「貴方が焚き付けたって聞いたけど?」

 フューは慌てて否定する。

「違うよ! 言い出しっぺはハーツで、僕は何も言ってないよ!」
「本当かしら? まあ、別にそれはどうでもいいけど」
「どうでもいいなら、何をしに来たわけ?」

 トワはグラスを膝の上に載せると、すっと真っ正面からフューの目を見据えた。

「警告しに来たのよ。あの患者に関わるつもりなら、背後に注意しなさいってね」
「どういう意味?」

 フューも真面目な表情になる。

「そのままの意味よ。忘れてるようだけど、あの患者は殺されかけてるのよ?」
「念のために、言っておくけど、あの轢き逃げ事故が故意か偶然かは、警察も決めかねてる状態だよ」
「馬鹿ね。たまたま大学院の駐車場から車が盗まれて、たまたまその車で院生が轢かれて、たまたま盗難車が乗り捨てられた場所が、走って大学院か会社に戻ることができる位置だったなんて、考えられるわけ無いでしょう。
 あの患者を轢き殺すために、大学院の駐車場から車を盗んで轢き殺そうとした後、何食わぬ顔で舞い戻ったと考える方が自然よ」
「……まあ、わかってるけどさ」

 わかっているからこそ、ハーツとフューはこの事件に首を突っ込んでいるのだ。なのにわかっていないと頭ごなしに言われると面白くない。

 トワに事件のことを話さなければよかったと後悔しつつ、フューは先を促した。

「それで、何が言いたいんだよ」
「その人、また殺されるかもしれないわよ」
「……」

 トワがさらりと指摘すると、フューは思わず口を噤んだ。

「殺しかけた人間が生きてるのよ?
 また犯人が殺しに来てもおかしくないわ。貴方、そうなった時にどうするの?」
「どうするって……。どうもしないよ。僕は関係ないんだから」

 トワは大きく溜め息をつくと、

「そう簡単に行くわけ無いでしょう。考えてもみなさい。仮に、患者が退院してあなたの友人と一緒に暮らしている時に、殺されでもしたらどうなると思う?       
 何故、病院は家族が納得していないにもかかわらず、家族以外の男のもとに退院させたのかって批判が来るわよ」
「それは……」

 フューは言葉に詰まる。確かに、あり得そうではある。

「でもさ、仮に家族が病院を訴えたとしても、それで病院が有罪になるとは考えにくいよ。患者が望んでいたことだし」
「有罪になるかどうかじゃないの。マスコミが騒ぐかどうかが問題なの。問題が起きて、その処理に追われるだけでも、病院側にとっては絶大な負担になる。
 それに、こういう話題はマスコミは大好物だから、患者の家族が納得してなかったってわかったら、すぐに食いつくわよ。もしそうなったら、貴方の医局での立場も危なくなるんじゃないの?」
「それは……まあ、そういうことも有るかもしれないけど」

 フューは口をへの字に曲げる。こういう所に思考が及ぶ辺り、亀の甲より年の功とは言ったものだ。

「じゃあ、あの二人には、諦めるように言えばいいってこと?」

 拗ねたように口を尖らせるフューに対して、トワは平然と、

「それも一つの手ね。お友達の善意を無駄にしたくないのなら、貴方があの患者のキーパーソンの、ゴワスって言ったかしら? その人を説得すれば良いのよ」
「ええ!? 僕がぁ!?」
「別に貴方じゃ無くてもいいけど。ようは、家族があの患者を、貴方のお友達のもとに退院させることに納得していれば良いのよ。家族の同意があったのであれば、最悪の事態が起こっても批判を躱せるわ」
「確かに」

 一理ある。フューは思わず腕を組んで考え込んだ。

 ゴワスをどうやって説得するか考える必要はあるが、それはハーツにして貰えばいいだろう。

 ぶっちゃけた話、フューからしてみれば、ザマスがゴワスのもとに退院しようが、ハーツのもとに退院しようが、どうでもいいのだから。

 あとで、電話して教えてやろうと心の中で思いつつ、フューはトワに向き直った。

「ご忠告どうも。その意見、参考にしてみるよ」
「それは良かった」
「で、言いたいことはそれだけ? ならもう帰ってよ。僕、今日は疲れたから寝たいし」
「私、今日ここに泊まるわ」
「はあああ!?」

 突然の宣言を聞いたフューは、思わず大声を出した。

「なんで!? 家に帰りなよ! 車で帰れば一時間もしないでしょ!」
「さっき医師同士の集まりがあってお酒を飲んだから、車には乗れないのよ」
「じゃあタクシーで帰れば良いじゃん! お金なら持ってるでしょ!?」
「タクシーは嫌」
「ああー! もう! ああ言えばこう言う! じゃあ、父さんに迎えに来て貰えば!?」
「今はあいつの顔を見たくないの」
「また喧嘩したの!?」
「うるさいわね。どうせ、明日は土曜日だし、ちょっとくらい良いじゃないの。もう夜も遅いし、私も早く横になりたいのよ」
「良くないよ! 少しは僕の都合も考えてよ!」

――結局。フューの説得も虚しく、トワはフューの家に泊まっていくことになる。

 トワは、フューに警告しに来たなどと言っていたが、それは建前でしかなく、本当は父と喧嘩して家に帰りたくないから、自分の家に来たのだとフューが気づいたのは、翌朝のことだった。


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