第三話 事件の背景(6月26日 金曜日)
気づけば、時刻はとっくに昼を回っていた。
ゴジータは、ゴワスと分かれた後、後輩警官を連れて、院長の案内の元、大学院棟のすぐ隣にある運動場に来ていた。
ここの敷地内は大学と大学院が併設されているため、それなりの人数の学生や院生が部活動やサークル活動に従事ししているらしい。
ただ、人数は圧倒的に大学生が多いので、活動は学生が中心になることの方が多いと、院長は道中で語った。
運動場では、大学の学生とおぼしき若者達がサッカーをしている。運動場の端には、その学生達のものとおぼしきバッグやら上着やらがまとめて置かれていた。
誰かが見張っている様子はない。加えて辺りは人の行き交いがあり、運動場を取り囲むようにして生えている芝生の上に座って、学生達のサッカーを観戦している地域住民も多かった。
……結構、人が居るな。
事件に使われた盗難車の持ち主は、こうやって運動場の片隅に置いていた自分のバッグから、車のキーを盗まれたと言っていた。
車が盗まれたのは、轢き逃げ事件があった日と同じ日。
持ち主の男性は、この近くにオフィスがある会社の会社員で、その日はこの大学のオープンキャンパスに、OBとして手伝いに来ていたらしい。
この大学の部活の一つであるサッカー部に未来の新入生を入部させるために、イベントを開催しており、その時も今のように持ち物を運動場の片隅にまとめて置いた後、練習試合をしていたという。
しかも、その時はこの大学出身の社会人チームが対戦相手だったので、部員や社会人、その家族や高校生達など、それこそ老若男女でごった返していたらしい。
轢き逃げ事件があった翌々日、盗難車の持ち主を突き止めた交通捜査課は、早速、事件解決のために、その持ち主の男性から聴取を行った。
持ち主と一緒に別の警官が周辺の捜査を行ったのだが、その時は講義の時間だったからか、人はまばらだったらしい。
その警官は、荷物に誰かが近づけば、すぐに部員の誰かが気づくのではないかと訝しげに言っていたが、なるほど、それなりに人が集まった状態なら、荷物に近づいたとしても、周りの人の記憶に残りづらいだろう。
まして、轢き逃げ事件があった日の学内は、今以上にごった返していたというのだから。
おそらく犯人は、人混みに紛れて荷物の山に近づき、持ち主の鞄から車のキーを盗み取り、そして近くの駐車場から車を盗んで走り去り――そして、轢き逃げ事件を起こした。
盗まれた車があった駐車場は、大学院の裏手にある。
大部分が建物の影になっており、近くの運動場からは見えにくい。そして、院長が言うには、その駐車場には、防犯カメラは設置されていないという。
盗まれた車があった駐車場の捜査も既に行っているし、運動場付近の見分もすんでいる。
現時点で改めて警察が調べることはないのだが、それでも院長を伴って運動場に来たのは、ゴワスの論文を盗んだと噂された教授に会うためだった。
「あちらにいます」
院長が視線で指した先には、二人の男が赤いペンキの剥げたベンチに座っていた。
件の教授は、被害者との間にトラブルがあっただけでなく、被害者の手帳を信じれば、事件が起こった当日も、彼と出会っているはずだ。
是非、当日の話を聞かせて貰おうと電話で教授を呼び出そうとしたのだが、ちょうど不在で、代わりに教授の研究室の電話に出た学生が、運動場でサッカーを見ているはずだと述べたので、この場にやって来たのだ。
ゴジータの眉根に皺が寄る。
ベンチに座った二人の男のうち、片方には見覚えがあったからだ。
背後からでもわかるほどに鍛えられた体と、色つきのサングラスをかけた横顔。
ゴジータ達が近づいてきた事に気づいた男は、ゴジータ達の方を振り返ると、にこやかに挨拶をしてきた。
「やあ、また会ったな」
「あんた……」
ハーツだった。てっきり大学から去って行ったものと思っていたのに、何故かまだ敷地内にいたらしい。
「何してんだ?」
「ただ世間話をしていただけだ。こちらも、うちの店のお得意様だからな」
ハーツがにこやかにそう言うと、隣の男は何故か苦い顔をした。そして、ちらっとゴジータに視線をやると、
「院長、そちらの警官達は?」
怪訝な顔をして院長に質問をする。
「教授、こちらの警察の方々が、貴方から話を聞きたいそうだ」
教授と呼ばれた男性は、年の頃なら五十後半。
白髪が多い髪をぞんざいに短く切った男性で、皺のよったシャツは野暮ったく、それでいて、見下すような三白眼の瞳とへの字に曲がった口は、他人を小馬鹿にした印象を与えた。
「この間、轢き逃げにあった彼のことだ。こちらの警察の方々は、今、彼とトラブルを起こした人たちに話を聞いてまわっている」
院長がそう言うと、教授は顔色が変わった。
「わ、私は関係ありませんよ!」
教授は、露骨に動揺した様子を見せる。
「彼とは確かに、少しだけ口論しましたが、でも決して……!」
「教授!」
なんだか勝手にペラペラ喋り始めた教授に向かって、院長が強めに名を呼ぶと、教授ははっと口を噤んだ。
僅かに降りた沈黙。
「じゃあ、オレはお暇させて頂こうかな。失礼するよ」
ハーツはその沈黙にするりと滑り込むようにして教授に声をかけ、院長に目礼し、その場から飄々と去って行った。
ゴジータはジト目でその背中を見送った後、改めて教授に向き直る。
「で、話がしたいんだが、ここでいいか?」
ゴジータの威圧感に押された教授は、やや怯んだように視線を彷徨わせた後、
「……いえ、部屋でお願いします」
「ですから、私が彼としたのは学術的な討論であって決して口論ではありません。日常生活において彼の話題を出すこともあったし、それを聞いた周りの人が強い口調だったと言うかもしれませんが、それも彼の優秀さを認めているからこそ。大体、百歩譲って私も口が悪かったと反省する面もありますが、彼だって口も態度も悪く、とても目上に対する態度ではなかった。あ、目上と言ってもあくまで一般常識的な範囲という意味で、私は過剰に学生に学生としての立場を押しつけたりしていません。あくまで一般的な意味です」
「……そうかい」
運動場から移動して、本と書類が無数に並んだ教授の研究室に通されたのだが、ソファに向かい合って座った途端、教授はまくし立てると言っていいほどの早口で、一方的にゴジータに向かって喋ったのだった。
いや、喋っていると言うより釈明していると言った方が適切だろう。
小動物のようにそわそわと落ち着きがないにもかかわらず、なんとか自分は怪しくないと信じて貰おうと目はぎらぎらしている。
約十五分間も黙って話を聞いていたゴジータは、うんざりした様子を隠しもせずに相づちをうった。
「あんたが被害者をどう思っているか、よくわかったよ。
それで、一応聞きたいんだが、轢き逃げ事件のあった日は何をしていた?」
「い、いえ特に何も……!」
「被害者の手帳には、6月20日にあんたに会う約束が書かれていたんだが」
「っ!」
しらばっくれようとした教授に、ゴジータは追い打ちをかけた。
言葉を詰まらせて俯いた教授は、やがて観念したように渋々と口を開く。
「……朝の十時頃、この部屋で彼と会いました」
「わざわざ、土曜日にか? オレは大学とか院とかには詳しくないが、土曜日って講義はないんじゃないのか?」
「その日はオープンキャンパスがあって、私も出勤日だったので……早めに顔を合わせる必要があって、私にとっても彼にとっても、その日が都合が良かったんです」
「何を話したんだ?」
「研究論文を指導するためです。私は、彼の指導教員でしたので」
「研究論文って言うと、あれか? よく聞く卒業がかかった奴か?」
どうやらゴジータの言葉は的はずれだったようで、この時、教授の顔に小馬鹿にした笑みが浮かんだ。ゴジータの眉がぴくっと跳ねる。
「確かに、大学生が研究論文というと、卒論をすぐに思い浮かぶものですが、彼が在籍しているのは博士課程ですので。
博士課程に在籍する院生が研究論文を執筆しているのは、卒業ではなく博士号取得のためです。
まあ、博士号を取得しないといつまで経っても課程を修了できないので、卒業論文と同じと言えば同じですが」
教授から侮られたと感じたゴジータは、イラッとした。おそらく、彼の表情を見るにつけて、ゴジータの感想は間違ってはいないだろう。
苛立ちを抑えながらゴジータは口を開くと、
「なるほど。論文指導のために被害者と会ったと。他には何か話していないのか?
例えば、あんたがゴワス教授の論文を盗んだこととか」
「っ!」
ゴジータがその話題を出した途端、教授はさっと顔色を変える。ゴジータは溜飲が下がる思いだった。
「そ、それは……!」
「話したのか? 話してないのか?」
ゴジータは言葉を詰まらせていた教授に、容赦なく重ねて質問する。
教授は話す言葉を選んでいるのか、何度か口を開いては閉じた後、
「話し……ました」
そう言ったその瞬間、教授はがばっと身を乗り出すようにしてゴジータに顔を近づけると、
「ですが! それは誤解です! 同じ神学者同士、考えが似通うなんてよくあることなんです! それになにより、ゴワス教授も誤解だったと言っている! いえ! そもそもゴワス教授は、私に論文を盗まれたとは一言も言っていません! 彼が勝手にそうだと決めつけただけなんで!」
「ふーん」
ゴジータは先程のゴワスの態度を思い出す。一から十まで教授の言うとおり、という訳ではなさそうだが。
「私の立場としては、言いがかりをつけられただけ! いい迷惑です!」
「あんたの言い分はわかった。だから、そうがなり立てるな。
で、結局、被害者とどれくらいここで話したんだ?」
「ええっと……おそらく、一時間程度かと」
ゴジータに面倒くさげに宥められたせいで頭が冷えたのか、先程よりも興奮が収まった様子で教授は答えた。
「それ以後は、彼と会っていません」
「別れる時の被害者の様子は?」
「……私に、だいぶ怒っているようでした」
「まあ、そうだろうな。それで、教授はその後、何をしてたんだ?」
「その後……ですか。大体、この研究室で院生の論文を見たり、自分の研究を進めたりしていました」
「ひとりでか?」
「え、ええ。あと、お昼頃にサッカー部の活動を見に行ったりもしましたが……」
「そういえば、教授。あんたは、大学のサッカー部の顧問だったな」
ゴジータの質問に対して、教授はこっくりと頷いて返答した。
「ここは大学と院が併設されているので。
院に所属する教授の中には、大学に講義しに行く者もいますし、部活やサークル活動に関わる者も居ます。
もっとも、数自体はそんなに多くはいませんが……」
「轢き逃げ事故があった日に、ここの大学のサッカー部のOBが、車を盗まれたことは知っているか?」
「はい。というか、車を盗まれて騒いでいた本人に、警察に連絡しろって言ったのは私ですから」
「車を盗んだ人物とかに心当たりはあるか?」
「いえ、全く心当たりはありません。
というのも、さっき運動場を見た時に分かったと思うのですが、うちのサッカー部は、ああやって貴重品も荷物もまとめて、運動場の片隅に放置して練習するんです。
悪しき伝統で、私自身、以前から盗まれてもしらないぞ、と脅してたけど止めなかったんですよ。
院長にも相談したことがあって、一度、学内全体に貴重品の管理を呼び掛けて貰ったんですが、どうにも改善されずで……」
「轢き逃げに使われた車が、そのサッカー部のOBの車だったってことは知ってるか?」
「知っています。本人から泣きの相談があったので」
轢き逃げ事件の犯人を捜す過程で、一応、車を盗まれた社員のアリバイも調べてある。
一言で言うならアリバイは完璧だった。何せ、その日の午前中は、ほぼサッカー部に関係する誰かしらと行動をしており、轢き逃げ事件があった頃は、運動場で大勢の人に見守られながら試合をしていたのだから。
ふと、ゴジータは教授の隣に座って静かに話を聞いていた院長に顔を向ける。
「そういえば、院長。あんたにも聞こうと思っていたのに忘れていた。あんたは土曜日、何をしてたんだ?」
ゴワスのアリバイも聞いていない。こちらも後で確認する必要があるだろう。
「え? 私ですか?」
突然、話を振られた院長は、驚いた様子で声を上げた。
「ええっと、教授も言ったとおり、その日は大学と大学院の合同オープンキャンパスでしたので、私も出勤してこの敷地内にいました。
詳しいスケジュールは秘書に聞いて貰えれば分かると思うのですが、オープンキャンパスに参加した人たちの前で挨拶をしたり、学内を見回ったりしていたので、一カ所に留まってはいなかったですね」
「その日、被害者にはあったか?」
ゴジータがそう質問すると、院長は首を振って否定した。
「いいえ。どうも私に会いに院長室まで来たようですが、生憎その時、私は部屋から出ていたので会ってません」
ゴジータは、ゴワスと分かれた後、後輩警官を連れて、院長の案内の元、大学院棟のすぐ隣にある運動場に来ていた。
ここの敷地内は大学と大学院が併設されているため、それなりの人数の学生や院生が部活動やサークル活動に従事ししているらしい。
ただ、人数は圧倒的に大学生が多いので、活動は学生が中心になることの方が多いと、院長は道中で語った。
運動場では、大学の学生とおぼしき若者達がサッカーをしている。運動場の端には、その学生達のものとおぼしきバッグやら上着やらがまとめて置かれていた。
誰かが見張っている様子はない。加えて辺りは人の行き交いがあり、運動場を取り囲むようにして生えている芝生の上に座って、学生達のサッカーを観戦している地域住民も多かった。
……結構、人が居るな。
事件に使われた盗難車の持ち主は、こうやって運動場の片隅に置いていた自分のバッグから、車のキーを盗まれたと言っていた。
車が盗まれたのは、轢き逃げ事件があった日と同じ日。
持ち主の男性は、この近くにオフィスがある会社の会社員で、その日はこの大学のオープンキャンパスに、OBとして手伝いに来ていたらしい。
この大学の部活の一つであるサッカー部に未来の新入生を入部させるために、イベントを開催しており、その時も今のように持ち物を運動場の片隅にまとめて置いた後、練習試合をしていたという。
しかも、その時はこの大学出身の社会人チームが対戦相手だったので、部員や社会人、その家族や高校生達など、それこそ老若男女でごった返していたらしい。
轢き逃げ事件があった翌々日、盗難車の持ち主を突き止めた交通捜査課は、早速、事件解決のために、その持ち主の男性から聴取を行った。
持ち主と一緒に別の警官が周辺の捜査を行ったのだが、その時は講義の時間だったからか、人はまばらだったらしい。
その警官は、荷物に誰かが近づけば、すぐに部員の誰かが気づくのではないかと訝しげに言っていたが、なるほど、それなりに人が集まった状態なら、荷物に近づいたとしても、周りの人の記憶に残りづらいだろう。
まして、轢き逃げ事件があった日の学内は、今以上にごった返していたというのだから。
おそらく犯人は、人混みに紛れて荷物の山に近づき、持ち主の鞄から車のキーを盗み取り、そして近くの駐車場から車を盗んで走り去り――そして、轢き逃げ事件を起こした。
盗まれた車があった駐車場は、大学院の裏手にある。
大部分が建物の影になっており、近くの運動場からは見えにくい。そして、院長が言うには、その駐車場には、防犯カメラは設置されていないという。
盗まれた車があった駐車場の捜査も既に行っているし、運動場付近の見分もすんでいる。
現時点で改めて警察が調べることはないのだが、それでも院長を伴って運動場に来たのは、ゴワスの論文を盗んだと噂された教授に会うためだった。
「あちらにいます」
院長が視線で指した先には、二人の男が赤いペンキの剥げたベンチに座っていた。
件の教授は、被害者との間にトラブルがあっただけでなく、被害者の手帳を信じれば、事件が起こった当日も、彼と出会っているはずだ。
是非、当日の話を聞かせて貰おうと電話で教授を呼び出そうとしたのだが、ちょうど不在で、代わりに教授の研究室の電話に出た学生が、運動場でサッカーを見ているはずだと述べたので、この場にやって来たのだ。
ゴジータの眉根に皺が寄る。
ベンチに座った二人の男のうち、片方には見覚えがあったからだ。
背後からでもわかるほどに鍛えられた体と、色つきのサングラスをかけた横顔。
ゴジータ達が近づいてきた事に気づいた男は、ゴジータ達の方を振り返ると、にこやかに挨拶をしてきた。
「やあ、また会ったな」
「あんた……」
ハーツだった。てっきり大学から去って行ったものと思っていたのに、何故かまだ敷地内にいたらしい。
「何してんだ?」
「ただ世間話をしていただけだ。こちらも、うちの店のお得意様だからな」
ハーツがにこやかにそう言うと、隣の男は何故か苦い顔をした。そして、ちらっとゴジータに視線をやると、
「院長、そちらの警官達は?」
怪訝な顔をして院長に質問をする。
「教授、こちらの警察の方々が、貴方から話を聞きたいそうだ」
教授と呼ばれた男性は、年の頃なら五十後半。
白髪が多い髪をぞんざいに短く切った男性で、皺のよったシャツは野暮ったく、それでいて、見下すような三白眼の瞳とへの字に曲がった口は、他人を小馬鹿にした印象を与えた。
「この間、轢き逃げにあった彼のことだ。こちらの警察の方々は、今、彼とトラブルを起こした人たちに話を聞いてまわっている」
院長がそう言うと、教授は顔色が変わった。
「わ、私は関係ありませんよ!」
教授は、露骨に動揺した様子を見せる。
「彼とは確かに、少しだけ口論しましたが、でも決して……!」
「教授!」
なんだか勝手にペラペラ喋り始めた教授に向かって、院長が強めに名を呼ぶと、教授ははっと口を噤んだ。
僅かに降りた沈黙。
「じゃあ、オレはお暇させて頂こうかな。失礼するよ」
ハーツはその沈黙にするりと滑り込むようにして教授に声をかけ、院長に目礼し、その場から飄々と去って行った。
ゴジータはジト目でその背中を見送った後、改めて教授に向き直る。
「で、話がしたいんだが、ここでいいか?」
ゴジータの威圧感に押された教授は、やや怯んだように視線を彷徨わせた後、
「……いえ、部屋でお願いします」
「ですから、私が彼としたのは学術的な討論であって決して口論ではありません。日常生活において彼の話題を出すこともあったし、それを聞いた周りの人が強い口調だったと言うかもしれませんが、それも彼の優秀さを認めているからこそ。大体、百歩譲って私も口が悪かったと反省する面もありますが、彼だって口も態度も悪く、とても目上に対する態度ではなかった。あ、目上と言ってもあくまで一般常識的な範囲という意味で、私は過剰に学生に学生としての立場を押しつけたりしていません。あくまで一般的な意味です」
「……そうかい」
運動場から移動して、本と書類が無数に並んだ教授の研究室に通されたのだが、ソファに向かい合って座った途端、教授はまくし立てると言っていいほどの早口で、一方的にゴジータに向かって喋ったのだった。
いや、喋っていると言うより釈明していると言った方が適切だろう。
小動物のようにそわそわと落ち着きがないにもかかわらず、なんとか自分は怪しくないと信じて貰おうと目はぎらぎらしている。
約十五分間も黙って話を聞いていたゴジータは、うんざりした様子を隠しもせずに相づちをうった。
「あんたが被害者をどう思っているか、よくわかったよ。
それで、一応聞きたいんだが、轢き逃げ事件のあった日は何をしていた?」
「い、いえ特に何も……!」
「被害者の手帳には、6月20日にあんたに会う約束が書かれていたんだが」
「っ!」
しらばっくれようとした教授に、ゴジータは追い打ちをかけた。
言葉を詰まらせて俯いた教授は、やがて観念したように渋々と口を開く。
「……朝の十時頃、この部屋で彼と会いました」
「わざわざ、土曜日にか? オレは大学とか院とかには詳しくないが、土曜日って講義はないんじゃないのか?」
「その日はオープンキャンパスがあって、私も出勤日だったので……早めに顔を合わせる必要があって、私にとっても彼にとっても、その日が都合が良かったんです」
「何を話したんだ?」
「研究論文を指導するためです。私は、彼の指導教員でしたので」
「研究論文って言うと、あれか? よく聞く卒業がかかった奴か?」
どうやらゴジータの言葉は的はずれだったようで、この時、教授の顔に小馬鹿にした笑みが浮かんだ。ゴジータの眉がぴくっと跳ねる。
「確かに、大学生が研究論文というと、卒論をすぐに思い浮かぶものですが、彼が在籍しているのは博士課程ですので。
博士課程に在籍する院生が研究論文を執筆しているのは、卒業ではなく博士号取得のためです。
まあ、博士号を取得しないといつまで経っても課程を修了できないので、卒業論文と同じと言えば同じですが」
教授から侮られたと感じたゴジータは、イラッとした。おそらく、彼の表情を見るにつけて、ゴジータの感想は間違ってはいないだろう。
苛立ちを抑えながらゴジータは口を開くと、
「なるほど。論文指導のために被害者と会ったと。他には何か話していないのか?
例えば、あんたがゴワス教授の論文を盗んだこととか」
「っ!」
ゴジータがその話題を出した途端、教授はさっと顔色を変える。ゴジータは溜飲が下がる思いだった。
「そ、それは……!」
「話したのか? 話してないのか?」
ゴジータは言葉を詰まらせていた教授に、容赦なく重ねて質問する。
教授は話す言葉を選んでいるのか、何度か口を開いては閉じた後、
「話し……ました」
そう言ったその瞬間、教授はがばっと身を乗り出すようにしてゴジータに顔を近づけると、
「ですが! それは誤解です! 同じ神学者同士、考えが似通うなんてよくあることなんです! それになにより、ゴワス教授も誤解だったと言っている! いえ! そもそもゴワス教授は、私に論文を盗まれたとは一言も言っていません! 彼が勝手にそうだと決めつけただけなんで!」
「ふーん」
ゴジータは先程のゴワスの態度を思い出す。一から十まで教授の言うとおり、という訳ではなさそうだが。
「私の立場としては、言いがかりをつけられただけ! いい迷惑です!」
「あんたの言い分はわかった。だから、そうがなり立てるな。
で、結局、被害者とどれくらいここで話したんだ?」
「ええっと……おそらく、一時間程度かと」
ゴジータに面倒くさげに宥められたせいで頭が冷えたのか、先程よりも興奮が収まった様子で教授は答えた。
「それ以後は、彼と会っていません」
「別れる時の被害者の様子は?」
「……私に、だいぶ怒っているようでした」
「まあ、そうだろうな。それで、教授はその後、何をしてたんだ?」
「その後……ですか。大体、この研究室で院生の論文を見たり、自分の研究を進めたりしていました」
「ひとりでか?」
「え、ええ。あと、お昼頃にサッカー部の活動を見に行ったりもしましたが……」
「そういえば、教授。あんたは、大学のサッカー部の顧問だったな」
ゴジータの質問に対して、教授はこっくりと頷いて返答した。
「ここは大学と院が併設されているので。
院に所属する教授の中には、大学に講義しに行く者もいますし、部活やサークル活動に関わる者も居ます。
もっとも、数自体はそんなに多くはいませんが……」
「轢き逃げ事故があった日に、ここの大学のサッカー部のOBが、車を盗まれたことは知っているか?」
「はい。というか、車を盗まれて騒いでいた本人に、警察に連絡しろって言ったのは私ですから」
「車を盗んだ人物とかに心当たりはあるか?」
「いえ、全く心当たりはありません。
というのも、さっき運動場を見た時に分かったと思うのですが、うちのサッカー部は、ああやって貴重品も荷物もまとめて、運動場の片隅に放置して練習するんです。
悪しき伝統で、私自身、以前から盗まれてもしらないぞ、と脅してたけど止めなかったんですよ。
院長にも相談したことがあって、一度、学内全体に貴重品の管理を呼び掛けて貰ったんですが、どうにも改善されずで……」
「轢き逃げに使われた車が、そのサッカー部のOBの車だったってことは知ってるか?」
「知っています。本人から泣きの相談があったので」
轢き逃げ事件の犯人を捜す過程で、一応、車を盗まれた社員のアリバイも調べてある。
一言で言うならアリバイは完璧だった。何せ、その日の午前中は、ほぼサッカー部に関係する誰かしらと行動をしており、轢き逃げ事件があった頃は、運動場で大勢の人に見守られながら試合をしていたのだから。
ふと、ゴジータは教授の隣に座って静かに話を聞いていた院長に顔を向ける。
「そういえば、院長。あんたにも聞こうと思っていたのに忘れていた。あんたは土曜日、何をしてたんだ?」
ゴワスのアリバイも聞いていない。こちらも後で確認する必要があるだろう。
「え? 私ですか?」
突然、話を振られた院長は、驚いた様子で声を上げた。
「ええっと、教授も言ったとおり、その日は大学と大学院の合同オープンキャンパスでしたので、私も出勤してこの敷地内にいました。
詳しいスケジュールは秘書に聞いて貰えれば分かると思うのですが、オープンキャンパスに参加した人たちの前で挨拶をしたり、学内を見回ったりしていたので、一カ所に留まってはいなかったですね」
「その日、被害者にはあったか?」
ゴジータがそう質問すると、院長は首を振って否定した。
「いいえ。どうも私に会いに院長室まで来たようですが、生憎その時、私は部屋から出ていたので会ってません」