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第三話 事件の背景(6月26日 金曜日)

 目が覚めると、朝だった。
 ハーツはベッドの上で伸びをすると、目を擦りながら起き上がる。カーテンの引かれた、薄暗いハーツの寝室。ハーツはベッドから降りて窓までいくと、しゃっと勢いよくカーテンを開いた。

 カーテンから差し込む光で、顔を照らされて眩しい。ハーツは眠気の残る頭でベッドまで戻ると、ベッドサイドテーブルの上で充電していたスマートフォンを手に取り、時間を確認した。午前七時ちょうど。

 どうりで、リビングの方から賑やかな声が聞こえてくるわけだ。
 ハーツは欠伸をしながら、近くに置いていたパジャマの上着を手に取り羽織った。昨日というか、今日の深夜二時頃に床についたのだが、結局パジャマの上着は脱いだまま寝てしまった。まあ、この季節に風邪を引く心配はないから問題ないが。
 ハーツはスマートフォンをパジャマのポケットに入れると、ぼさぼさの頭のまま、寝室の扉を開けてリビングへと向かう。

「オレン! 早くしなさいよ!」
「ちょっと待ってよ! まだ顔を洗ってない!」
「スープを作ったから早く飲んで。冷める」

 リビングの扉を開けた途端、奔流と言って良いほどの騒がしさが、なだれ込んでくる。

 リビングでは、カミンとオレンという名の双子の姉弟とラグスが、いつも通り騒いでいた。三人とも同じ校章を胸元に掲げた、ブレザーの制服に身を包んでいる。

「おはよう。朝から元気だな」

 ダイニングテーブルで朝食を取っているカミンとラグスに朝の挨拶をしたあと、そのそばを通り抜けて、オレンがばたばたと駆け込んでいった洗面所へハーツも向かった。

「おはようハーツ! ちょっと待って!」

 洗面所に行くと、オレンがばしゃばしゃと、水飛沫をまき散らしながら顔を洗っている。

「ゆっくりでいいぞ」

 オレンはどたばたと歯を磨き、寝癖の付いた髪に櫛をいれたあと、慌ててダイニングへと戻っていく。その後ろ姿を眺めながら、ハーツは水が飛び散った洗面所で顔を洗った。

「早く食べなさいよ!」
「ちょっと待ってってば!」
「ねえ、体操服は? 昨日、用意してあげたでしょ?」

 先に朝食を食べ終えたラグスは、ハーツの分の朝食を用意しつつ、オレンが用意した荷物を見て不思議そうに声を上げる。

「え!? その辺にない!?」

 咀嚼したパンをミルクで押し流しながら、オレンは言う。

「ない」
「まじで!? 姉さん、ちょっと探して!」
「なんで私が!?」

 ハーツが洗面所でヒゲを剃り、ドライヤーで髪型を整えている間も、リビングの方から聞こえる賑やかな騒ぎが絶えることはない。むしろ、騒々しさが増している。

 毎度のことながら、あの三人の朝のやり取りは、冬の冷たい水よりも、よっぽど眠気覚ましに効くなと、ハーツは心の中で独り言ちた。
 若者らしい活気のある言動を、とても好ましく思っているハーツだが、かといってこの騒動が同階の隣人達の耳に届くと困る。
 瑞々しい若者の生命力を、マンションの壁がしっかり防音してくれることを願いながら、ハーツは歯を磨いたのだった。

 身なりを整えたハーツがリビングへ戻ると、三人は体操服を探しているようだった。

「もうそろそろ学校に行かないと、遅刻するんじゃないのか?」
「そう思うんなら、あんたもオレンの体操着を探して!」
「あったー!」

 ハーツがカミンへ返事をするより早く、ソファの脇に落ちていた体操着を見つけたオレンが大声を上げた。

「ごめん、二人とも! 遅くなった! 学校へ行こう! 遅刻する!」
「誰のせいだと思ってるのよ!」

 怒り顔のカミンが叫びながら、ばたばたと玄関へと向かっていく。
 ラグスも慌てた様子でソファの脇に置いてあった鞄を持つと、ハーツの方を向いて、

「朝食の用意をしてる。食べ終わったら、食器を洗浄機の中に入れておいて」
「車で学校まで送ろうか?」
「大丈夫」

 それだけ言うと、玄関の方へと走って行く。
 三人の声が遠ざかり、玄関の扉がばたんと閉まると、騒々しさも静まった。

 静かになった部屋の中で、やれやれと肩をすくめながら、ハーツはキッチンへ行く。あの三人と暮らしだしてから、平日の朝はいつもこんな感じだ。

 この家も賑やかになったものだと思いながら、キッチンの隅の方にある電動コーヒーミルの元へと赴いた。

 近くの木製の棚を開けて、中からモカブレンドの珈琲豆が入ったキャニスターを取り出すと、ミルに豆を入れてやや細かめに挽いていく。
 このレトロな外観の電動ミルは、豆を均一に挽いてくれる上に、挽き方も細かく決められるので、ハーツは非常に気に入っていた。欠点は、モーター音がややうるさいところか。
 注ぎ口の細いコーヒーポットでお湯を沸かしていると、豆を完全に挽き終わったので、その粉をペーパーフィルターをセットしたドリッパーに入れた。

 今日は、早く起きることができたので、実にまったりと朝を過ごすことができる。
 用事がある時は、今よりももっと早起きをして家を出るので、コーヒー豆を挽いている暇はなかった。

 戸棚の中から取り出した爽やかなターコイズブルーの上にコーヒードリッパーを置き、そこにちょうど良い温度になったコーヒーポットのお湯を注ぐ。すると、レンジの中で膨らむケーキのように、湯を吸った粉が膨らんだ。ふわっと、コーヒーの良い香りがハーツを誘惑する。
 フィルターの縁ギリギリまで膨らんだ粉は、急速に萎む。珈琲豆のうま味を抽出したお湯が、フィルターを通して下のマグカップに注がれていったのだった。

 コーヒーで満たされたマグカップを手に持つと、早速、立ったままコーヒーを口に含む。コクのある苦みが、ハーツの意識を覚醒させた。
 豆から挽くと手間はかかるが、やはりこの美味さを味わうためなら惜しくない。

 ハーツはマグカップを片手にダイニングテーブルまで戻ると、ラグスが用意してくれた朝食と一緒にそれらを食す。
 目玉焼きと焼いたソーセージ、それにキャベツとトマトのサラダとオニオンスープ。
 籠の中に丸い形の白パンがある。
 確かこれは、近場に美味しいパン屋があると耳にしたカミンが買ってきた白パンだ。白パンをひとつ手に取ってかぶりつくと、柔らかい食感とほのかな甘みが舌に広がる。

 ハーツがひとりで食事を味わっていると、視界の隅で黒い何かがのっそり動いた。ハーツが足下を覗き込むと、

「おはよう、カンバー。今から朝食か?」

ハーツの足下に、目つきの悪い大型犬がいた。カンバーと呼ばれた全身真っ黒の犬は、ハーツをじろりと横目で見たあと、のっそりと歩き出す。カンバーはリビングの片隅に設置されている餌場に行くと、用意されていた餌をばくばく食べ始めたのだった。

 何年か前にフューが拾ってきた野良犬だ。
 ハーツが引き取った頃は、愛想がなくても可愛らしい子犬だったのに、今ではすっかり成長して、時にはハーツをも振り回すほどの成犬になっていた。

 ハーツも白パンを食べつつ、パジャマのポケットからスマートフォンを取り出して、ニュースアプリを起動した。

 食事中にスマートフォンを扱うのは行儀が悪いと、ラグスから散々言われているが、誰の目にもつかないこういう時くらいは、自由にさせて欲しい。心の中で言い訳をしつつ、ニュースにざっと目を通していく。
 緩慢な動作で興味深い記事も、つまらない記事も読んでいく。

――さて、今日はどうしようか。

 頭の中で今日の予定を考える。一応、店を経営しているので、お店を開けなければならいのだが、元々道楽で始めた店だから、気が乗らなければ臨時休店にしたりもしている。

 乗り気ではないので、お店は休みにしようか……と、ぼんやり考えながら、少し冷めたコーヒーに口をつけた時、ハーツの手がふと止まった。

 ニュースアプリを終了させて、代わりにメールアプリを起動させたところだ。いくつかの仕事用のメールに混じって、そのメールがあった。

「……」

 そのメールを開き、内容を読む。中身は至って普通の注文メールなのだが――。

「ちょうど良いな……」

 ハーツはぽつりとそう呟くと、朝食を片付けに入る。
 今日の予定が決まった。


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