離れたくないのは僕の方
「あー…やっぱり降って来たな」
「ほんと!?まだ大丈夫だと思ったのに……」
「……だからさっき送ってくって言ったのに」
「だって、まだ早いし……」
大丈夫かなと窓の外を見れば
案の定降り出していた雨。
伝えれば、君はぶすっと拗ねる。
帰りたくないとは言わないまでも
全く帰る気も見せずテーブルに突っ伏して
落胆してるらしい君に思う。
確かに。
帰るにはまだ早い。
つまり、それほど遅くはない訳だけど。
「じゃあ、泊まってく?」
「えっ、いいのっ!?」
できるだけサラッと口にした提案に
即座に返ってきた大きなリアクション、
思わず笑ってしまった。
「いいんじゃない」
「ホントにホント!?」
「うん、明日は早く出なくてもいいし。君さえ良ければどうぞ」
嬉しそうに僕の片腕を掴んで揺する君は
まるで友達との外泊を許された子どもみたいだ。
僕んちに泊まるって事に一瞬の躊躇いもないんだな。
「あー、でも着替えとかどうしよ…」
「…なら今からそこの店で買って来る?」
すぐそこにある店は小さいけど、大抵の物は揃う。
この時間ならまだ余裕で開いている。
「……いいの?」
「何が?」
「う、ううん!行く、買いに行く!歯ブラシも買おう!……お菓子も、買っちゃおうかな……」
いいの?と尋ねてきた君の戸惑いに
気付かないフリをした。
雨だから泊まって行くかと言う流れだったのに
その為に雨の中わざわざ買い出しに行こうだなんて
確かに矛盾がある、かな。
後からお菓子だとか付け加えたのは
もしかしたら照れだったりするのかな。
そう考えると、何かに安堵して
うっかり喜んでしまえる自分がいる。
「ちょっと待ってて、トイレ行ってくるから」
「はいはい」
財布をポケットに捩じ込んで玄関に向かう途中
うちには傘が一本しかなかった事に気付く。
これはまたどうにも仕方ないけど
まさか相合傘までする事になろうとは。
参ったなと思う気持ちの殆どは
単なる照れだけど。
後ろから君の気配がして
「ねぇ、傘…」と言いかけた言葉を咄嗟に飲み込む。
がっくりと項垂れて
さっきとは別人みたいな暗いオーラ。
「どうした?」
「なっちゃった……」
「ん?なっちゃった?」
「生理が来ちゃった」
「ああ……」
君の発した言葉自体はすぐに理解できた。
けれど、今の君の状況と
君の態度に隠れた意味を理解するのに
ほんの少しばかり時間を要した。
「もしかしてずっと体調悪かった?」
「ううん全然、いきなりで……あ!どこも汚したりしてないからね?」
「そんな事はいいけど……」
「でもね、……でも、一応ナプキンは持ってたけど……今日は泊まるのはさすがにムリ、かも」
「ああ…そうだよね、わかった。じゃあ、家まで送ってくよ」
君が迷っているのは感じ取れた。
だけど、今日は大人しく帰った方がいい。
頭を切り替えるのが得意で良かった、
頭の隅でそんな事が過ぎる。
「ぅわ、」
突如受けた衝撃。
正面から胸に、ぐっと衝突してきたのは
君の頭か。
「……ぅぅぅ」
やんわりと、だけど無言で頭を押し当ててくる君に
しばし思考が停止した。
頭では理解していても
僕も気持ちが追い付いてなかったんだと悟る。
「……どこか痛むの?」
「……ううん」
「……寒くない?」
「平気……ん〜もう、そうじゃなくて……まだ帰りたくないの」
「仕方ないよ、無理はよくない。明日に響いたら困るでしょ」
「ぅぅぅ…わかってるんだよ、でもね」
そんなにガッカリされると恋人冥利には尽きる。
しかも、そんな風に強請られたら揺らぐ。
僕だって君の前じゃ、ごく普通の一人の男なんだよ。
「家まで送ってくから」
「……だって」
「ん?」
「だって初めてなんだよ?こんなの」
「……大丈夫、機会なんてこれから幾らでもあるよ」
正直、これは自分に言い聞かせてるに等しい。
て言うか、これから幾らでもって
どさくさに紛れて飛んでもない事を口走ったな。
しかも大丈夫って、何がだよ。
「ヤマトの家にお泊まりとか、そう言うの……今まで想像できなかったよ」
「そうかな……」
最近じゃそんな事を考えるのも当たり前で
だから、今日を逃したって今さら消えやしない。
むしろ、今日を逃した事で
この先は留まれなくなるかもしれないってのに
君って人は全く……
……この先、一体
いつまでそんな悠長な事を言ってられるのかな……
「……また誘ってくれる?」
「もちろん。誘っていいなら幾らでも誘うよ」
「……ん?幾らでも?は節操無さすぎじゃない?」
「仕方ないでしょ、……僕だって結構ガッカリしてるんだから」
今さら隠す気なんてなかった。
ぱっと顔を上げてツッコミを入れて来る君に
正直に告げると、わかり易く顔が赤くなる。
自分だってそれなりに攻めてた癖に
いざとなったらそんな顔するんだからな。
「そっか……それなら、それなら約束だよ?きっと、また言ってね」
「……約束するよ」
恥じらいと期待に満ちた君の目が
僕を試すようにじっと見詰めてくる。
それが嬉しいはずなのにあまりに真っ直ぐで
僕にはほんの少しだけ、苦しかった。
とは言え、もちろん目を逸らす訳にはいかなくて
込み上げてくる切なさを誤魔化すように
君の小さな鼻を摘んで笑ってみせた。
こんな気持ち、こんな会話、
なんて柔らかい時間なんだろうと思う。
君となら僕は、
どこまでも甘い人間になれてしまうのかもしれない。
そして今、君と離れたくないのはきっと僕の方だ。
本当は帰したくない、
なんて、そんな事はさすがに言えやしないけど。
靴を履きながら改めて理性を正すと
一本しかない傘を握り締めて
僕は、君より先に玄関のドアを押し開けた。
◇
続く予定ですが予定は未定( ˊᵕˋ ;)
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