星詠み【side story】
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二人が気付いた時には、あたり一面真っ白な空間が続いている何とも奇妙な現象が起きていた。
見回してみても出口らしき扉は一切見当たらず、炭治郎と日向子はどうしたものかと顔を見合わせる。
「とりあえず、壁や扉が無いか歩いて探ってみよう。鬼の匂いはしないんだ。でも、他の匂いも一切何も感じない。不思議な空間だな..」
「そうだね。可笑しな現象だけど、それしか...ねぇ、炭治郎あれ」
日向子が何かに気付き指差した方向には、さっきまでは無かった木製の机がポツンと一つ置いてあり、近寄ってみると藁半紙のような紙切れが一枚伏せてあった。
炭治郎が率先してそれを拾いあげ紙切れをひっくり返すと、炭で何か文字が書かれていた。
その文を追えば、衝撃的な展開に二人は丸々と目を見開く。そこにはこう書かれていた。
ー「どちらかが相手に一刻間冷たい態度を取り続けないと出られない部屋」ー
「これって..何かのお題?」
「うん..多分。これをこなさないとここから出られないって事か?」
こんな馬鹿げた話があるだろうかと思う。依然として空間の壁は見つからないので、試しに地に向かって炭治郎が滝壺を放つが、びくともしなかった。
他にも考えられる術は全て試したが、正直お手上げ状態だ。
「仕方ないわ。この紙切れのお題を試してみましょう」
覚悟を決めたように日向子はその場に腰を下ろすと、つられて炭治郎もそれに習う。二人とも正座して向かい合った状態で見つめ合う。そわそわしながらも先に口を開いたのは炭治郎であった。
「冷たい態度と言っても、具体的な指示は書かれてないけど、どうしたらいいんだろうか?」
「うーん、そうね。やっぱり無視とか、悪口とか、そういうのかしら?じゃあ炭治郎が私に冷たくしてみてくれる?」
それを聞くやいなや、炭治郎はわかりやすく顔を青ざめさせて、そんな事出来ないとぶんぶん首を横に振った。
「でも、物は試しって言うし。私が貴方にするよりは..」
「そんな心にもない事できない!それに俺嘘がつけないし..」
とほほと項垂れている弟を見て、そういうものかとやや思案すると、じゃあ逆にしようと彼女は提案した。
「さじ加減がよくわからないけど、努力するね」
たった一刻、されど一刻。こうして炭治郎にとって地獄の時間に突入したのだった。
「なぁ、日向子姉さん..」
先程から全く目線が合わない。わかってはいても、炭治郎はついに違和感に耐えきれず彼女の名を呼ぶ。
しかし、とうの彼女はと言うと、話しかけるなと言わんばかりに背を向けていた体を嫌そうに傾けてこう発した。
「何?」
「ぁ...えっと..」
「用がないなら、話しかけないでくれる?」
眉間に皺を寄せながらぼそりとそう低く呟くと、再び彼女は炭治郎に背を向けた。
今まで一度だってされた事がない態度に、炭治郎はずくんと心の中に重苦しい重りがのし掛かったような嫌な気持ちを味わう。
しかし、これも彼女の本意ではないと奮い立たせ、めげずに話しかけ続けた。
「そんな事言わないで、せっかくだし色々話しませんか?二人で話せる機会なんてあまり無いし」
我ながらなかなかいい演技が出来ているのではと思う。お題に沿うのなら、会話の幅を広げて俺はとことん彼女に冷たくされなければならない。
正直、彼女に温度のない冷ややかな目線を流される度に心が抉れるような痛みが走るけど、我儘は言っていられない。
日向子姉さんはもっと辛い筈だから。
「..わかったわ。ところで炭治郎」
「?」
「何でそんなに私に構うの?そっとして置いて欲しい時くらい、私にだってあるのよ。今は、私は貴方と話す事なんてない」
「っ....」
ー私は貴方と話す事なんてないー
これは、さすがにグサリと来た。
動揺のあまり、無意識に彼女の匂いを捉えようとしたが、むぐっと抑えられてしまう。
しかし、その視線はやはり冷ややかなで、余計な事をするなという意味がありありと現れていた。
ーあぁ...まずい
泣きそうだ..ー
いつもの日向子姉さんと、違いすぎる。
あの澄んだ心地よい眼差しは、柔らかい笑みは、今は一切向けられない。
彼女に嫌われないよう、煙たがられないようにと常に最新の注意を払って接して来た炭治郎にとって、この温度差はあまりにも耐え難いものだった。
例え演技なのだとしても...
いや、本当に演技だろうか?
少なからず、日頃思っている事もあるんだろうか?
自分でも彼女に執着が過ぎる所はあると、自覚はしている。もしかしたら、鬱陶しいと思う場面もあったのかもしれない。マイナス思考な考えばかりが頭の中をぐるぐるとめぐる。
(今、何刻経った?まだか....まだ一刻に満たないのか?)
口を開くのが怖い。彼女の言葉を聞くのが..怖い。
会話をしてもいいと許可を貰ったものの、その後、彼女自身からは話す事はないとばっさり切られた。
その嫌々といった表情を向けられた瞬間、すっかり心に深いダメージを負ってしまった炭治郎は、口を開く行為自体に恐怖してしまう。
ー何か言わなきゃ...
ー何か...
そう思うのに、先程からかくかくと体が細かく震えるばかりで、全く言葉を発する事が出来ないでいる。それ程心は弱くない方だと自負していた炭治郎にとって、この怯えようはそれはもう酷いものだった。
きっと何を言っても、この部屋から出られない以上は冷たい態度を取られ続ける。
それがわかってるから、どうしても行動に移せない。
彼女の方を恐る恐る見やる。
背を向けてるので顔は当然見えない。何か言われるわけでもなければ、されてるわけでもないのに、それでもこれだけの絶望感。
言葉を交わさずとも、せめて相手の感情を捉えたいと鼻に意識を集中させる。バレぬよう...慎重に。
「....」
ー感じない、何もー
自分の鼻がおかしくなったのか?と思った。
もしやこの部屋の効果か...それとも、単純に彼女自身が匂いを悟らせまいと意識しているからなのか?
理由はわからないけれど、感情が読み取れる程の匂いは感じない。
そんなわけ..そんなわけないっ..
炭治郎は焦ったように再度、くんと嗅いだがやはり結果は同じだった。
もっと近づけば、わかるだろうか?
どうしても相手の本音が知りたくて、炭治郎は無意識に体を前のめりに傾けた。
「ねぇ...」
至近距離に日向子の顔がある。
理由は単純に、炭治郎が日向子に近付いて行ったのと、ちょうど同じタイミングで彼女が顔を後ろに向けたからだ。そして、彼女が驚いたように目を見開き炭治郎の体をぐいと押し返したのにも、そう時間はかからなかった。
「ちょ、ちょっと炭治郎、こっち近づいて来ないでっ!」
日向子は反射的に彼の体を突き飛ばした。完全に油断していた炭治郎の上体は、いとも簡単にぐらつき後ろに倒れ込む。
ハッとして彼の顔を見た日向子は、激しく動揺した。
「..ぇ....」
見ると、彼はみるみるうちに顔を歪めていき目に涙を溜めていく。
堪えきれず目を閉じた瞬間、彼の両目からぽろりと雫がこぼれ床に落ちる。
カチャ....
微かに音がした方向へ日向子が目を向けると、扉が現れ半開きになったドアが口を開けていた。
ー日向子sideー
あれからお互い無言の時間がしばらく続いた。
ー気まずいなぁ..ー
そっとして置いて欲しい時もあると言った手前、日向子の方から炭治郎に声をかけるのも憚られたので、頑なに口を閉ざした。
しかし、かつてこんな態度を炭治郎に取ったことがない為、罪悪感で胸がいっぱいになる。
相手に冷たくしろというお題は、正直言って日向子にとっても苦痛この上ないものであった。
姉の私が言うのもなんだが、炭治郎は昔からどこに出しても恥ずかしくない自慢の弟で、優しく気の利く子であったから、怒った事など片指数えるくらいのものだった。
私が怒ったり冷たくするような事を、そもそも彼があまりしないから、当然そんな機会は皆無だったと言っていい。
ちらりと炭治郎の方を見ると、数尺先に膝を抱えて座っている姿が見える。その横顔はやや俯き加減で、流れる横髪と耳飾りではっきりと表情がわかるわけではなかったが、落ち込んでいる風には見てとれた。
それを見て、とても心苦しい気持ちになる。
ーごめんね炭治郎..ー
本当はあんな言い方したくなかった。けど、会話をすれば嫌でも冷たくあしらわなければいけないから。
あえて今はなるべく話したくないのだと言う事を伝えたつもりだったが、拒否の意を示した時、彼は傷付いたように日向子を見ていた。
あぁ...早くここから出て、先程の言葉も態度も訂正して謝りたい。
私もこれ以上は、辛いから...。
「ねぇ...」
ーあとどれくらいかな?ー
端的にそれだけを聞こうと思って振り向くと、まさかの至近距離に炭治郎の姿があった。理由は少し考えれば検討がついた。
大方、匂いを嗅いで、私の本音の気持ちを捉えようとしているのだろう。
でも、この部屋を出るまではお題を突き通さなければいけないから、心苦しい、申し訳ないという気持ちを悟られるのも...困る。
そう思い至り、日向子は心を鬼にして炭治郎の体を押し返した。彼はバランスを崩して後方に尻餅をつく。
少々やり過ぎたかと急いで彼の表情を確認した時、胸がざわめいた。
「ぇ...」
なんと彼の目には涙が溢れ出ており、瞬きした瞬間それは落ちた。かちゃりと音がして扉が横に現れる。どうやらお題はクリアしたらしかったが、そんな事よりも...
声も無くはらはらと泣き出した炭治郎を、日向子は慌てて両腕で抱き締めた。いつもよりも少し強めの力を込めれば、微かな体の震えと共に彼が感じていた苦痛がなだれ込んできた。
「ごめんね、さっきのは全部本気じゃないから。話したくないわけじゃないし近寄って欲しくないわけでもないよ。本当はずっと心苦しかったし申し訳ないなと思ってた。ただ、出来るだけ貴方に冷たくしたくなかったから話さなかったし、匂いで感情を悟られたくなかっただけなの。だから、お願い泣かないで?」
誤解なのだと必死になって伝えた。ぽんぽんと優しく背中を叩き猫なで声でそう伝えれば、彼はこくこくと頷き、ようやく情緒不安定な様は落ち着いてきたけれど、日向子の羽織をぎゅっと絞る手の力は衰えなかった。
「なぁ、日向子姉さん」
「うん、なぁに?」
「姉さんに嫌われたら俺..っ、冗談抜きで生きていけない気がする。胸が張り裂けそうに痛かった。辛かった...。もう二度とこんな思いしたくないっ」
炭治郎は泣き腫らした目で縋るように日向子を見つめ、心の内を吐露したのだった。
「でも...こんな風に思う事すら、貴女の重荷になってるのかなぁ..。ごめんな。本当はもっと余裕を持ちたいのに、駄目で。ちょっと冷たい態度を取られただけでこの様だ。情けない」
日向子はそんな炭治郎の心の本音に、黙って耳を傾けていた。何故なら、彼をこんな状態にさせてしまったのには、自分の責任も少なからず有ると思ったからだ。
私が彼に思わせぶりな優しさを過度に与え過ぎてしまったせいだ。何かと側で世話を焼き過ぎてしまったせいだ。
彼にとって私が近くに居ることは、物理的にも精神的にも、当たり前という価値観なのだ。
でも【これ】は炭治郎にとってはあまりよろしくない。
「ごめんなさい..炭治郎」
「何で、姉さんが謝るんだ」
「違う。だって私のせいだから、結果的に貴方を縛り付けてしまったのは、私の...」
言葉を続けようとした時、ガッと両肩を掴まれた。
彼の目を見ると、何てこと言うのだとばかりに哀しそうな色を滲ませていた。
「勘違いしないでくれ俺はっ!...後悔してない。こんなにも貴女に、夢中になった事。もっと縛り付けてよ、いいんだよ俺は。ただ貴女が嫌がるならそれは耐え難いからってだけで..それだけでっ」
炭治郎は顔を火照らせながら必死に訴えた。そんないじらしい姿に、日向子はついクスリと笑みを溢してしまう。彼の髪をさらりと撫で、大丈夫だと囁く。
「嫌だと思った事なんて一度もないよ。貴方は昔から優しくて良い子だった。ちょっとやきもち焼きだけど、でも」
ーそれも可愛らしいじゃない?ー
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