星詠み【side story】
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父が亡くなって早一月が経った。
下の子供達はひとしきり泣きじゃくって、最近になってようやく現実を受け入れられるようになったようだ。
今まで父を頼り甘えていた分は、大黒柱を受け継いだ竈門家の長男である炭治郎へと注がれる。
「にいちゃん!」
「お兄ちゃーん!」
皆、心のどこかではまだ寂しい気持ちでいっぱいなのだろう。その穴埋めを、長男とは言えまだ幼い炭治郎が一手に引き受ける。
事あるごとに群がる弟妹達を宥めて甘やかす。そんな場面に遭遇した時、いつだって炭治郎は笑顔だった。
父さんが息を引き取った日でさえ、彼がみんなの前まで泣いている姿を一切見ていない。
恐らく、彼なりの覚悟と責任感の表れだ。
自分が一緒になって悲しんでいる場合じゃないと、泣いてる姿を見せたらそれこそ周りを不安にさせてしまうと思っているのだろう。
父さんの形見の耳飾りを受け継ぐ為に、彼が軟骨を空けるのを手伝ったその日、日向子はこう彼に問いかけた。
「炭治郎、貴方は泣かないの?これからは皆貴方を頼りにするだろうけど、悲しい時はちゃんと悲しいと心に素直になってあげないと、いつか爆発しちゃう」
すると、彼は気丈にこう答えたのだった。
「大丈夫。俺がしっかりやらないと、皆不安がるだろう?泣いてなんていられないよ。父さんの代わりを誰かが担わないといけないんだ。でも、ありがとう。姉さんにそう言ってもらえただけで俺は凄く嬉しい」
そう言った炭治郎は、悲しみの色どころかやはり笑顔を見せる。でも、日向子は気付いていた。
彼のそれは、結局は強がっているだけ。本当は皆と同じように悲しくて堪らないのだ。
父の側にいた時間は、きょうだいの中では炭治郎が一番多かった。
共に炭を作り、街へ売りに行き、父も父でやはり長男を一人前に育て上げるべく様々な教育を炭治郎に施していた。
そんな父が急に目の前から逝ってしまったのだ。
心優しい炭治郎が何も思わない筈がなかった。
加えて、これからの生活の不安もあるだろう。責任が重く炭治郎へとのしかかる。
まだ幼い炭治郎一人が背負うにはあまりにも重すぎる。
この小さな背中に今、どれ程の思いを抱え込んでいるのだろうか?
ー日向子はそんな彼を見ていられなかったー
「炭治郎」
「?..っわ!」
彼の体をひしと抱き締める。あぁ..まだ私よりこんなにも小さな体なのに
「それなら、私の前では存分に泣きなさい。
大丈夫...二人だけの秘密にするからね」
溜めに溜め込んだ悲しみを、吐き出させてやるようにぽんぽんと彼の背中を規則正しく叩いていると、徐々に炭治郎の体が小刻みに震え始める。
最初の涙が流れてしまえば、後から後から追う様に大粒の涙が溢れ、やがて炭治郎は火がついたように日向子の腕の中で泣きじゃくった。
「っうわぁぁぁんっ!!うあぁぁぁ..っ!」
よっぽど、我慢していたのだろう。
かつて見た事がない程に、炭治郎は大声を上げてひたすら涙を流し続けた。
そんな様子を見て日向子は悲痛な表情を浮かべる。
まだこんなに幼い弟が、愛する父との永遠の別れを悼む間もないまま突然大家族の稼ぎ頭になって、長男故に皆を引っ張っていかなければいけない役目を負う。ただでさえ炭治郎は我慢強い子だ。
平気なわけがないよね...
ぎゅうぎゅうと日向子の着物を掴んで、ぐりぐりと頭を彼女の肩に擦り付ける。
顔は涙と鼻水とで悲惨な状況。彼の体液は容赦なく日向子の服にも染み込んで、それはもう凄い事になっていたけど、そんな事はどうだっていい。
ー今、この瞬間だけでも...炭治郎の哀しみを受け止められるのならそれでいいー
優しくあやすように彼の背中や頭を撫でていると、ようやく落ち着きを取り戻し、少しずつ嗚咽はおさまってきた。日向子は頃合いだろうと声をかける。
「おさまった?」
「..うん」
その返答に安堵する。体を離してやろうとしたが炭治郎はいやいやと拒否の素振りを見せる。
「ごめんなさい。俺今凄い...凄い顔だから。恥ずかしいよ。日向子姉さんには見られたくない」
「えー...でもほら、拭いてあげないと。ちり紙と手拭い取ってくるから離れて?炭治郎」
「や、やだ..」
頑なに退こうとしない彼に日向子は肩をすくめる。はて、困ったものだ。
「じゃあ目瞑っててあげるから、自分で取ってきなさい?」
そう言えば急いでパタパタと駆けていき、鼻を噛む音が奥から聞こえてきた。うーん、思春期だろうか?
暫くして気まずそうな様子で戻ってきた炭治郎は、目も鼻もまだ赤らんだままだった。
「あの...ありがとう日向子姉さん」
仄かに頬を染めながら、やや俯き加減で礼を述べる炭治郎に日向子はふるふる首をふった。
「いいえ、寧ろ泣いてくれて良かったよ。また辛くなったら私のとこにおいで?約束通り、皆には内緒にしておいてあげる。」
「!...」
その言葉を聞いた炭治郎は、奪われた様に姉を見つめ、ただただ放心し続けた。
ーーーー
日向子姉さんに抱き締められた時、今まで我慢してきたものが一気に溢れ返って、気付けば彼女の腕の中で号泣している自分がいた。そんな俺の背中を姉さんは優しく撫でてくれていた...。
父さんが亡くなった。
正直、信じられない気持ちが先にあった。
ー「炭治郎...正しい呼吸を使えば、どんなに疲れていても体は動くものなんだ」ー
父はよく口癖のようにそう言っていた。父の亡骸を目の当たりにしても、不思議とすぐに息を吹き返すんじゃないかと思った。こんなに肌は冷たくても、白くても、きっとまた優しい微笑みを返してくれる。
だって、神楽を舞っていたあの夜の方が、もっと冷たかったに違いないから。
父の死というのが現実味を帯びたのは、火葬された時だ。
父の入った棺が、徐々に赤い炎に包まれ天高く柱が伸びていく。鮮やかで綺麗な...赤だった。
その光景を目の当たりにした時、あぁ、もう父さんは戻って来ないのだと、頭がようやく理解した。
涙が...両目からこぼれ落ちそうになった時。下の弟妹達の泣き声が響きハッとなった。
見渡すと、母も、姉も、ちょっと強がりなあの竹雄でさえも、大粒の涙を流していた。
その時炭治郎は思ったのだ。
ー父さんが居なくなった今、俺がしっかりやらなければ...とー
父からの教えを最も多く吸収していたのは長男である炭治郎だ。
薪の割り方、火の入れ方、上質な炭に仕上げ人里へ売りに行く。父に叩き込まれた家に代々伝わるヒノカミ神楽も、舞いの手順を完璧に覚えたのは炭治郎ただ一人
家族を守る役目を任された責任感が、彼にはあった。
そういうわけだから、泣いてなどいられなかった。俺が泣けば、皆が不安になるだろう。
無理矢理雫を引っ込めると、炭治郎は笑顔を作った。
「大丈夫だぞ皆。これからは兄ちゃんが守ってやるからな!」
それからは本当に必死な毎日だった。
床に臥せることが多くなっていた父の代わりに、主体で動く事には慣れていた筈なのに、何か一つ上手く行かなかった時には大いに手こずった。
そういう時は、以前は父を頼っていた部分が多かったのだと今更になって気付いた。
加えて下の子供達は、よく炭治郎に引っ付いて回った。
日向子姉さん達も一所懸命に炭治郎を助けてはくれたが、やはり責任の重圧が前とは段違いだ。
そんなだから、少しずつ内に溜め込んでいたらしい負の感情が、大きな化け物となって己を蝕んでいた事に、気付かなかったのだ...
父が亡くなって約一月。形見の耳飾りを継ぐ為に耳に穴を空けたいと日向子姉さんに相談を持ちかけた。
その事に対しては別段否定する事もなく、彼女は部屋の押入れから裁縫箱を取ってきて、針を熱湯で消毒し始めた。
「危ないから、私がやってあげようか?自分でやるとどうしても躊躇してしまうでしょ?」
「うん、お願いします。」
彼女に背を向けるように座り込み、やや緊張した面持ちでその時を待つ。
行くよと声をかけられ、反射的にぎゅっと目を瞑り肩に力を込めた。
やがてちくりとした刺激のあと、ツーンと鈍い痛みがじわじわ広がり、血の匂いが辺りに散らばる。
手際良く耳飾りをつけられ消毒をされた後、もう片方も同様に穴が空けられた。
カラン..
「...」
いつも父の横で聴いていた耳飾りが揺れる音。
久々にこの懐かしい音を聴いたような気がした。そして今、自分の耳元でそれが奏でられている。
「ねぇ..炭治郎、貴方は泣かないの?」
日向子姉さんが唐突にそう言った。何故彼女がそう聞いてきたのか、察しがいかなかった訳ではない。
優しい日向子姉さんの事だから、俺が無理してるんじゃないかと気にしていたのだろう。
けれど、そう聞かれた時の答えを用意していなかったわけでもない。
「大丈夫。俺がしっかりやらないと、皆不安がるだろう?泣いてなんていられないよ。」
ーでも、心配してくれてありがとうなー
愛しい人にそう気遣って貰えたのは素直に嬉しかった。久々に、心の底から幸せだと思える瞬間だった。
日向子姉さんは、皆まで言わなくてもいつだって俺の事を見ててくれてる。それが何より、炭治郎の心を癒してくれた。
その言葉を貰えただけで、十分だと思っていたのに...。
不意に体が温かい体温に包まれた。その温もりが、日向子姉さんのものであると気付くのにそう時間はかからなかった。
「っ!..」
突然の出来事にどきまぎしていると、彼女はこう発した。
「それなら、私の前では存分に泣きなさい。
大丈夫...二人だけの秘密にするからね」
その言葉を投げかけられた時、瞬時に悟った。
【本当は俺は...ずっと泣ける場所を求めていた】
この悲しみや不安、重圧に耐えかねた己の心の弱さを曝け出しても許される場所を、求めていたんだと。
そんな自分の心にようやく気づかされた時、堰を切ったように涙が溢れ返った。
泣き方を忘れていた体が思い出したように、ひたすら炭治郎は、大好きな人の腕の中で泣き続けた。
好意を寄せる女性の前で、こんな赤子のように大声で泣きおまけに顔はぐしゃぐしゃ。男の癖に、情け無いにも程があった。
にも関わらず彼女の手は、優しく何度も炭治郎の背を往復する。陽だまりの中心に包まれている感覚が、いつしか安らぎを生み、まるでゆりかごに揺られているような錯覚を覚える。
「おさまった?」
穏やかな声色で彼女はそう問うた。
不思議と涙は引いていて、ずっしりと重たかった心のわだかまりは綺麗さっぱり無くなっていた。
この一瞬の間に、こんなにも心が軽くなるなんて信じられなかった。
本当に...彼女の力は偉大だ。
こくりと頷きしばらく放心していると、姉さんは密着させていた体を引き離そうとする。そこではたと気づいた。自分の顔が悲惨な状況になっているだろう事に。
ーいや、とてもじゃないけどこんな顔日向子姉さんに見せられないっ...
目は真っ赤だろうし鼻水は垂れてるし、最悪だー
それは単純に、好きな異性に恥を晒したくないという意思の表れだった。
炭治郎が必死に抵抗すると、その意図を汲み取ってくれた彼女は、目を瞑ってるから自分で綺麗にしておいでと言ってくれた。
顔を覆いながら慌てて駆け出し、ちり紙を鼻にあてる。
詰まった鼻であまり匂いが分からないまま、変に思われてない事を祈る気持ちで、再度おずおずと姉の前に顔を出す。
「あの、ありがとう..日向子姉さん」
丁寧に頭を下げ感謝を述べると、彼女は柔かに笑い返してくれた。
「いいえ、寧ろ泣いてくれて良かったよ。約束通り、皆には内緒にしておくから。でもね、いつも頑張ってる炭治郎がたまーに泣いたって、誰も格好悪いなんて思わないわ。どうしても貴方が気にすると言うなら、そういう時は、私の所においで?」
日向子はそう言って口元に人差し指を当て、穏やかに目を細めた。
そんな彼女の仕草を見た瞬間、くらりとした目眩を覚えた。心臓が大きく波打ち、全身に稲妻が走ったような衝撃を受ける。
炭治郎はただ、瞬き一つせず惚けたように彼女の顔を見つめ続けた。
いとも簡単に...底無しの恋獄へと誘われる。
微動だにしない炭治郎の様子を不思議に思ったらしい日向子は小首を傾げた。
「炭治郎?」
「...日向子姉さん」
「うん?」
無意識に彼の口から溢れ出た言葉は、齢十一の少年が発するには、あまりにも重く、狂おしい愛の叫びだった。
ー【俺...もう貴女無しじゃ生きられなくなるよ】ー
ーーーーー
下の子供達はひとしきり泣きじゃくって、最近になってようやく現実を受け入れられるようになったようだ。
今まで父を頼り甘えていた分は、大黒柱を受け継いだ竈門家の長男である炭治郎へと注がれる。
「にいちゃん!」
「お兄ちゃーん!」
皆、心のどこかではまだ寂しい気持ちでいっぱいなのだろう。その穴埋めを、長男とは言えまだ幼い炭治郎が一手に引き受ける。
事あるごとに群がる弟妹達を宥めて甘やかす。そんな場面に遭遇した時、いつだって炭治郎は笑顔だった。
父さんが息を引き取った日でさえ、彼がみんなの前まで泣いている姿を一切見ていない。
恐らく、彼なりの覚悟と責任感の表れだ。
自分が一緒になって悲しんでいる場合じゃないと、泣いてる姿を見せたらそれこそ周りを不安にさせてしまうと思っているのだろう。
父さんの形見の耳飾りを受け継ぐ為に、彼が軟骨を空けるのを手伝ったその日、日向子はこう彼に問いかけた。
「炭治郎、貴方は泣かないの?これからは皆貴方を頼りにするだろうけど、悲しい時はちゃんと悲しいと心に素直になってあげないと、いつか爆発しちゃう」
すると、彼は気丈にこう答えたのだった。
「大丈夫。俺がしっかりやらないと、皆不安がるだろう?泣いてなんていられないよ。父さんの代わりを誰かが担わないといけないんだ。でも、ありがとう。姉さんにそう言ってもらえただけで俺は凄く嬉しい」
そう言った炭治郎は、悲しみの色どころかやはり笑顔を見せる。でも、日向子は気付いていた。
彼のそれは、結局は強がっているだけ。本当は皆と同じように悲しくて堪らないのだ。
父の側にいた時間は、きょうだいの中では炭治郎が一番多かった。
共に炭を作り、街へ売りに行き、父も父でやはり長男を一人前に育て上げるべく様々な教育を炭治郎に施していた。
そんな父が急に目の前から逝ってしまったのだ。
心優しい炭治郎が何も思わない筈がなかった。
加えて、これからの生活の不安もあるだろう。責任が重く炭治郎へとのしかかる。
まだ幼い炭治郎一人が背負うにはあまりにも重すぎる。
この小さな背中に今、どれ程の思いを抱え込んでいるのだろうか?
ー日向子はそんな彼を見ていられなかったー
「炭治郎」
「?..っわ!」
彼の体をひしと抱き締める。あぁ..まだ私よりこんなにも小さな体なのに
「それなら、私の前では存分に泣きなさい。
大丈夫...二人だけの秘密にするからね」
溜めに溜め込んだ悲しみを、吐き出させてやるようにぽんぽんと彼の背中を規則正しく叩いていると、徐々に炭治郎の体が小刻みに震え始める。
最初の涙が流れてしまえば、後から後から追う様に大粒の涙が溢れ、やがて炭治郎は火がついたように日向子の腕の中で泣きじゃくった。
「っうわぁぁぁんっ!!うあぁぁぁ..っ!」
よっぽど、我慢していたのだろう。
かつて見た事がない程に、炭治郎は大声を上げてひたすら涙を流し続けた。
そんな様子を見て日向子は悲痛な表情を浮かべる。
まだこんなに幼い弟が、愛する父との永遠の別れを悼む間もないまま突然大家族の稼ぎ頭になって、長男故に皆を引っ張っていかなければいけない役目を負う。ただでさえ炭治郎は我慢強い子だ。
平気なわけがないよね...
ぎゅうぎゅうと日向子の着物を掴んで、ぐりぐりと頭を彼女の肩に擦り付ける。
顔は涙と鼻水とで悲惨な状況。彼の体液は容赦なく日向子の服にも染み込んで、それはもう凄い事になっていたけど、そんな事はどうだっていい。
ー今、この瞬間だけでも...炭治郎の哀しみを受け止められるのならそれでいいー
優しくあやすように彼の背中や頭を撫でていると、ようやく落ち着きを取り戻し、少しずつ嗚咽はおさまってきた。日向子は頃合いだろうと声をかける。
「おさまった?」
「..うん」
その返答に安堵する。体を離してやろうとしたが炭治郎はいやいやと拒否の素振りを見せる。
「ごめんなさい。俺今凄い...凄い顔だから。恥ずかしいよ。日向子姉さんには見られたくない」
「えー...でもほら、拭いてあげないと。ちり紙と手拭い取ってくるから離れて?炭治郎」
「や、やだ..」
頑なに退こうとしない彼に日向子は肩をすくめる。はて、困ったものだ。
「じゃあ目瞑っててあげるから、自分で取ってきなさい?」
そう言えば急いでパタパタと駆けていき、鼻を噛む音が奥から聞こえてきた。うーん、思春期だろうか?
暫くして気まずそうな様子で戻ってきた炭治郎は、目も鼻もまだ赤らんだままだった。
「あの...ありがとう日向子姉さん」
仄かに頬を染めながら、やや俯き加減で礼を述べる炭治郎に日向子はふるふる首をふった。
「いいえ、寧ろ泣いてくれて良かったよ。また辛くなったら私のとこにおいで?約束通り、皆には内緒にしておいてあげる。」
「!...」
その言葉を聞いた炭治郎は、奪われた様に姉を見つめ、ただただ放心し続けた。
ーーーー
日向子姉さんに抱き締められた時、今まで我慢してきたものが一気に溢れ返って、気付けば彼女の腕の中で号泣している自分がいた。そんな俺の背中を姉さんは優しく撫でてくれていた...。
父さんが亡くなった。
正直、信じられない気持ちが先にあった。
ー「炭治郎...正しい呼吸を使えば、どんなに疲れていても体は動くものなんだ」ー
父はよく口癖のようにそう言っていた。父の亡骸を目の当たりにしても、不思議とすぐに息を吹き返すんじゃないかと思った。こんなに肌は冷たくても、白くても、きっとまた優しい微笑みを返してくれる。
だって、神楽を舞っていたあの夜の方が、もっと冷たかったに違いないから。
父の死というのが現実味を帯びたのは、火葬された時だ。
父の入った棺が、徐々に赤い炎に包まれ天高く柱が伸びていく。鮮やかで綺麗な...赤だった。
その光景を目の当たりにした時、あぁ、もう父さんは戻って来ないのだと、頭がようやく理解した。
涙が...両目からこぼれ落ちそうになった時。下の弟妹達の泣き声が響きハッとなった。
見渡すと、母も、姉も、ちょっと強がりなあの竹雄でさえも、大粒の涙を流していた。
その時炭治郎は思ったのだ。
ー父さんが居なくなった今、俺がしっかりやらなければ...とー
父からの教えを最も多く吸収していたのは長男である炭治郎だ。
薪の割り方、火の入れ方、上質な炭に仕上げ人里へ売りに行く。父に叩き込まれた家に代々伝わるヒノカミ神楽も、舞いの手順を完璧に覚えたのは炭治郎ただ一人
家族を守る役目を任された責任感が、彼にはあった。
そういうわけだから、泣いてなどいられなかった。俺が泣けば、皆が不安になるだろう。
無理矢理雫を引っ込めると、炭治郎は笑顔を作った。
「大丈夫だぞ皆。これからは兄ちゃんが守ってやるからな!」
それからは本当に必死な毎日だった。
床に臥せることが多くなっていた父の代わりに、主体で動く事には慣れていた筈なのに、何か一つ上手く行かなかった時には大いに手こずった。
そういう時は、以前は父を頼っていた部分が多かったのだと今更になって気付いた。
加えて下の子供達は、よく炭治郎に引っ付いて回った。
日向子姉さん達も一所懸命に炭治郎を助けてはくれたが、やはり責任の重圧が前とは段違いだ。
そんなだから、少しずつ内に溜め込んでいたらしい負の感情が、大きな化け物となって己を蝕んでいた事に、気付かなかったのだ...
父が亡くなって約一月。形見の耳飾りを継ぐ為に耳に穴を空けたいと日向子姉さんに相談を持ちかけた。
その事に対しては別段否定する事もなく、彼女は部屋の押入れから裁縫箱を取ってきて、針を熱湯で消毒し始めた。
「危ないから、私がやってあげようか?自分でやるとどうしても躊躇してしまうでしょ?」
「うん、お願いします。」
彼女に背を向けるように座り込み、やや緊張した面持ちでその時を待つ。
行くよと声をかけられ、反射的にぎゅっと目を瞑り肩に力を込めた。
やがてちくりとした刺激のあと、ツーンと鈍い痛みがじわじわ広がり、血の匂いが辺りに散らばる。
手際良く耳飾りをつけられ消毒をされた後、もう片方も同様に穴が空けられた。
カラン..
「...」
いつも父の横で聴いていた耳飾りが揺れる音。
久々にこの懐かしい音を聴いたような気がした。そして今、自分の耳元でそれが奏でられている。
「ねぇ..炭治郎、貴方は泣かないの?」
日向子姉さんが唐突にそう言った。何故彼女がそう聞いてきたのか、察しがいかなかった訳ではない。
優しい日向子姉さんの事だから、俺が無理してるんじゃないかと気にしていたのだろう。
けれど、そう聞かれた時の答えを用意していなかったわけでもない。
「大丈夫。俺がしっかりやらないと、皆不安がるだろう?泣いてなんていられないよ。」
ーでも、心配してくれてありがとうなー
愛しい人にそう気遣って貰えたのは素直に嬉しかった。久々に、心の底から幸せだと思える瞬間だった。
日向子姉さんは、皆まで言わなくてもいつだって俺の事を見ててくれてる。それが何より、炭治郎の心を癒してくれた。
その言葉を貰えただけで、十分だと思っていたのに...。
不意に体が温かい体温に包まれた。その温もりが、日向子姉さんのものであると気付くのにそう時間はかからなかった。
「っ!..」
突然の出来事にどきまぎしていると、彼女はこう発した。
「それなら、私の前では存分に泣きなさい。
大丈夫...二人だけの秘密にするからね」
その言葉を投げかけられた時、瞬時に悟った。
【本当は俺は...ずっと泣ける場所を求めていた】
この悲しみや不安、重圧に耐えかねた己の心の弱さを曝け出しても許される場所を、求めていたんだと。
そんな自分の心にようやく気づかされた時、堰を切ったように涙が溢れ返った。
泣き方を忘れていた体が思い出したように、ひたすら炭治郎は、大好きな人の腕の中で泣き続けた。
好意を寄せる女性の前で、こんな赤子のように大声で泣きおまけに顔はぐしゃぐしゃ。男の癖に、情け無いにも程があった。
にも関わらず彼女の手は、優しく何度も炭治郎の背を往復する。陽だまりの中心に包まれている感覚が、いつしか安らぎを生み、まるでゆりかごに揺られているような錯覚を覚える。
「おさまった?」
穏やかな声色で彼女はそう問うた。
不思議と涙は引いていて、ずっしりと重たかった心のわだかまりは綺麗さっぱり無くなっていた。
この一瞬の間に、こんなにも心が軽くなるなんて信じられなかった。
本当に...彼女の力は偉大だ。
こくりと頷きしばらく放心していると、姉さんは密着させていた体を引き離そうとする。そこではたと気づいた。自分の顔が悲惨な状況になっているだろう事に。
ーいや、とてもじゃないけどこんな顔日向子姉さんに見せられないっ...
目は真っ赤だろうし鼻水は垂れてるし、最悪だー
それは単純に、好きな異性に恥を晒したくないという意思の表れだった。
炭治郎が必死に抵抗すると、その意図を汲み取ってくれた彼女は、目を瞑ってるから自分で綺麗にしておいでと言ってくれた。
顔を覆いながら慌てて駆け出し、ちり紙を鼻にあてる。
詰まった鼻であまり匂いが分からないまま、変に思われてない事を祈る気持ちで、再度おずおずと姉の前に顔を出す。
「あの、ありがとう..日向子姉さん」
丁寧に頭を下げ感謝を述べると、彼女は柔かに笑い返してくれた。
「いいえ、寧ろ泣いてくれて良かったよ。約束通り、皆には内緒にしておくから。でもね、いつも頑張ってる炭治郎がたまーに泣いたって、誰も格好悪いなんて思わないわ。どうしても貴方が気にすると言うなら、そういう時は、私の所においで?」
日向子はそう言って口元に人差し指を当て、穏やかに目を細めた。
そんな彼女の仕草を見た瞬間、くらりとした目眩を覚えた。心臓が大きく波打ち、全身に稲妻が走ったような衝撃を受ける。
炭治郎はただ、瞬き一つせず惚けたように彼女の顔を見つめ続けた。
いとも簡単に...底無しの恋獄へと誘われる。
微動だにしない炭治郎の様子を不思議に思ったらしい日向子は小首を傾げた。
「炭治郎?」
「...日向子姉さん」
「うん?」
無意識に彼の口から溢れ出た言葉は、齢十一の少年が発するには、あまりにも重く、狂おしい愛の叫びだった。
ー【俺...もう貴女無しじゃ生きられなくなるよ】ー
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