星詠み【side story】
名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
日向子さんは、基本柔和で清楚な雰囲気を纏う大和撫子のようなお人だが、その心はとても芯が強く、いつの間にか彼女の世界観に引き込まれていく。そんな魅力を兼ね備えた女性だった。俺は今も、癒えない火傷を内に秘め続けている...
あれは俺がまだ齢5つ程の時。
それは突然の出来事で、まだ立つこともままならず畳に手を付きながら部屋中を動き回る年頃だった弟が、炭を入れ替えたばかりの火鉢をひっくり返してしまった。
その灰が降りかかってしまっては大惨事だと、その場に一緒にいた炭治郎は咄嗟に弟の小さな体に覆い被さった。
「お兄ちゃんっ!」
禰豆子の悲鳴が響いたと同時に、額に焼けるような痛みが走る。真下で丸くなっている弟は無事だった。しかし炭治郎はと言うと、飛び散った高温の炭がもろに左額部に触れた為、大火傷を負ってしまった。
「あぁぁァッ...!」
自分は我慢強いと自負していた、だがまだ幼かった炭治郎には堪え難い激痛で、思わず火傷した部位を手で押さえ呻き声をあげた。
不安気に自分を見つめる弟、母親を呼びに縁側をばたばたと駆けていった禰豆子の足音。
現実感のないモヤがかかったような頭で、炭治郎はただただその場にうずくまるしかなかった。
ーやってしまった、痛い..凄く痛くて熱いよ。
誰か早く来て、母ちゃん..母ちゃー
もう1秒と経たないうちに泣き出しそうになったその時、炭治郎っ!と悲愴な声色で駆け寄ってきたのは姉の日向子さんだった。
すぐに状況を把握したらしい彼女は、すぐに弟と炭治郎を倒れた火鉢から引き離し、炭治郎の火傷を見るやいなや顔を歪める。
弟を抱き上げ、炭治郎に向かって歩けそうかと問いかける。こくこくと頷くと、俺は彼女に手を引かれ、やって来たのは庭先の井戸の前だった。
「姉さんっ、い、痛いよぉ..」
「可哀想に...まってて」
ぐすぐすと泣きべそをかく俺を見かねた彼女は、弟をその場に下ろし、首に巻いていた手拭いを取ると井戸水にそれをつけた。
ひたひたに濡れた手拭いを持ち、炭治郎の火傷部位にゆっくりと押し当てる。
「ッ!..」
「火傷したら、父さんはよく井戸水で冷やしてた。きっと母さんが何とかしてくれるから、大丈夫だよ。もう少し頑張れる?」
そう励ましてくれた彼女の表情を俺は今も忘れられない。ひんやりと額に広がる安らぎに、いつの間にか涙は止まっていた。
火仕事をする竈門家では、気を付けていてもやはり事故を起こす事も稀にある。それからすぐに駆け付けてくれた母が慣れた手付きで一通り処置を施してくれた。
「母さんが目を離していた隙に、痛い思いをさせてごめんね炭治郎。日向子もありがとう。額の皮膚は薄いからお医者様に診て貰った方がいいと思うのだけど...よりにもよって父さんが町に出掛けている時だわ。痛むでしょうけど、今日は様子を見て明日山を下りましょう。」
葵枝はすぐにでも炭治郎を町医者に診せたかった。火傷は負った直後よりも、時間が経つにつれ症状が出始める。しかし夫が不在の間に、まだ幼い子供達を置いて山を下りるわけにはいかないし、連れて行くのもこの深い雪山を前に躊躇してしまう。葵枝とて苦渋の決断ではあった。そんな母の表情や匂いを感じ取った炭治郎は、こくりと小さく頷く。
「大丈夫。俺我慢出来るよ」
事故から数刻、炭治郎は火傷部位を定期的に冷やしてもらいながら床に寝かせられていたが、ジンジンとした痛みが徐々に増していき、触っていけないと分かっていながらも好奇心で額に指を触れると水膨れのような水疱が出来ていた。
ー何だこれ..気持ち悪いー
ぷにぷにと指で触っていると、サッと障子が開き日向子が水桶を持って立っているのに気付いた。炭治郎を見るやいなや、彼女は触ったら駄目と大声で叱る。
「火傷の水膨れは触ったら駄目なのよ。ばい菌が入って感染症起こすかもしれないって母さん言ってたもの」
「!..ごめんなさい」
慌てて指を離そうとした時、伸びていた爪で少し水疱を引っ掻いてしまった。ツキンとした痛みと共に組織液が滲み出て来る
「あらら..言わんこっちゃない。」
彼女は困り顔で炭治郎の元へ駆け寄ると、清潔な布で破れた水疱の部位を軽く押さえる。
いくら弟を庇ったとは言え、自分の行いで母や姉の手を焼かせている事に炭治郎は激しく自己嫌悪する。
情け無さに瞳が潤むと、その意図を察したらしい彼女はふっと笑みを溢して炭治郎の頭を撫でた。
「そんな顔しないで?この程度の火傷で済んでまだ良かったのよ。大事に至らなくて良かった。それに炭治郎はお兄ちゃんとして良いことをしたの。下の子庇って偉かったわね。でも、あんまり無茶はしないで?心配な事に変わりはないから」
「...姉さん」
彼女からそんな優しい言葉をかけられ、この時初めて炭治郎は不自然な胸の高鳴りを覚えた。
?....
単純に疑問だった。生まれた時から近くにいた日向子姉さん、こんな風に優しい声を掛けられるのも世話されるの初めての事ではない。
なのに、何でこんなにドキドキが止まらないのか。この時の炭治郎には、この感覚も感情の名も、全く検討が付かなかった。
「炭治郎具合はどう...あら、日向子が見ててくれたのかい?ありがとうね」
次に母が部屋へやって来て、2人の様子を見て微笑ましそうに目を細める。そして彼の火傷部位を見て彼女もまたやってしまったかという顔で小さく息をついた。
「菌が入ると炎症起こしてしまうかもしれないわね。薬草があると一番良いんだけど...」
「あ、じゃあ私採ってくるよ!」
シュバっと勢いよく手を挙げた日向子を葵枝と炭治郎はきょとんとした顔で見つめる。
「助かるけど..大丈夫かい?ユキノシタは沢の近くに生えてると思うけど、今の時期は雪解けも始まってるからね。あんまり崖の近くには..」
「うん、分かってる。危ないところには行かないよ。手頃な場所で探してくる!」
炭治郎が何か言おうと口を開いたが、任せてくれとばかりに胸を軽く叩くと、日向子はさっそく外着を羽織って出て行った。
炭治郎はそんな姉の背中が見えなくなってもその方向をじっと見つめる。
「母さん...日向子姉さんは、優しいね。」
「..そうね。それだけ貴方のことが大切なのよ炭治郎。自分が守らなきゃ、助けなきゃって思うのね、きっと」
母からそう言われて、なんだか心の奥がぽかぽかと暖かくなるような感覚になった。彼女にそれ程大切に思われてるんだと思うと、嬉しかった。
ー日向子姉さん...ー
いつだって甲斐甲斐しく世話をしてくれる。外を歩く時は決まって手を繋いでくれて、一緒になって遊び相手をしてくれて、今だって炭治郎の為だけに迷わず薬草を外へ採取しに行ってくれた。
優しい人だ。彼女の隣に居ると心が安らぐ。匂いを嗅ぐと落ち着き笑顔を見ると胸が、高鳴る...。
この感覚は....一体何なのか?他の弟妹に対しては感じない。不思議な感覚だ。
しばらくして玄関の方が騒がしい事に気付いた炭治郎は、むくりと起き上がりとたとた歩いて向かった。母の叱り声が聞こえ何事かと思うと、しゅんとした様子で正座している姉と、まぁまぁと母を宥める父の姿があった。
「だから危ない場所には行かないようにと言ってあったでしょう?お父さんが運良く通り縋っていなかったらただでは済まなかったのよ?」
「..ごめんなさい母さん」
反省した様子で項垂れる彼女の手には薬草が1束握られていた。でも状況が全く読めなかった為恐る恐る割って入る。理由がなんであれ、自分の為に動いてくれた姉が怒られてるのを見るのは耐えられなかった。
「母さん、姉さんを怒らないで?」
炭治郎に気付いた葵枝は、ハッとして気まずそうな表情を見せた。とにかく無事で良かった、もう無茶はしないでくれと日向子を優しく抱き締める。
「炭治郎、はいこれ。採って来たよ。これできっと額の痛みも引くと思うから。」
「日向子姉さん..ありがとう。」
薬草を掲げる姉。何があったのかはわからなかったが、炭治郎は丁寧に礼を伝えた。するとさっきまで落ち込んでいた表情を変え、彼女は満足そうににこりと笑ったのだった。
それから何事もなかったかのように時間が経過していった竈門家。
姉に採って来てもらった薬草をこした液で、母は手際良く消毒を施してくれた。
母には何となく何故姉を怒ったのか訳を聞きづらかったので、夜こっそり父の部屋を訪ねた。父は既に床についていて、炭治郎に気付くと穏やかな笑みを浮かべる。
「炭治郎。無茶をしたらしいな。火傷の具合はどうだ。大丈夫か?」
「うん、大丈夫。姉さんが採って来てくれた薬草のお陰だよ。」
「そうか、それは良かった。こんな時間にどうしたんだ?もうお前も寝る時間だろう」
「あの、昼間は何で母さんは姉さんを叱ってたの?姉さんは悪くないんだ。日向子姉さんは、俺の為に...」
ぎゅっと小さな拳に力を込めると、やがて父はこう説明してくれた。
結局日向子姉さんは近場で目当ての物が見つけられず、やや急勾配の斜面で探していたらしい。しかし雪で足を滑らせ枝に捕まっていたところを運良く帰り道だった父が助けたのだと言う。
それを聞いた時、申し訳ない気持ちで一杯になった。心底父が居合わせてくれてよかったと思った。でなければ今頃彼女は...
ふるふる肩を震わせ始めた炭治郎を見て、炭十郎は彼の心情を察したように静かな声音で発する。
「お前が気に病む必要はない事だ。そして日向子が気負う事もない。母さんはお前達が心配でああ言ったんだ。確かにあんな無茶はもう二度としてはいけないが、何とか薬草を採って来てやりたいという日向子の思いは、誰にも否定は出来ないよ」
ーお前も日向子も、心優しい良い子に育ってくれたー
父は優しげに目を細めてそう言った。
父の部屋を後にした炭治郎は、何とも言えない複雑な気持ちでとぼとぼ皆が雑魚寝している部屋へと向かった。父はああ言ってくれたけど
ー日向子姉さんに謝らないと..ー
俺のせいで危ない目に遭わせてしまったことに変わりはないから。部屋に入ると既に彼女は下の弟妹達の隣で眠っていた。疲れたのだろう。昼間山に入ってくれたから無理もない。
「父さんの所に行ってたのかい?」
母にそう問いかけられこくりと首を縦に振る。
特に理由も聞かず、炭治郎ももう寝なさいと布団をめくり招き入れられた。
母は子供達全員床に入った事を確認すると、少し父さんの所へ行ってくるわと言い部屋を出て行った。
炭治郎は仰向けから横へ体を傾ける。
すぐ目の前には日向子姉さんの体が規則正しく上下していて寝入っているのがわかった。
彼女は下の子を抱きしめながら寝ていた為、炭治郎に背を向けている状態だった。
「...。」
少し寂しさを感じて、僅かに開いていた隙間を埋めるように彼女の元へと擦り寄る。背中越しに伝わる温かな体温、何より心地の良い香りが直接鼻腔を抜けていく感覚が病みつきになりしばらくこうしていた時。
彼女の朧気な声が不意に炭治郎の耳へ届く。
「...炭治郎、戻ったの?」
「っ!..ごめん。起こしちゃった」
ゆっくりと体制を変えて炭治郎の方へ向き直った日向子は、動揺した様子の彼を見てくすりと笑う。
「いいえ、こちらこそ驚かせてごめんね。どうしたの?今日は随分甘えたさんだね」
どうやら先程の仕草は彼女にバレているらしかった。恥ずかしさに思わず頬を赤くする。
このまま彼女のペースに乗せられると言いたい事が伝えられない。炭治郎は静かに言葉を連ねた。
「父さんから聞いたんだ。姉さん崖の方まで薬草採りにいってくれたって。父さんが居なかったら危なかったって...。ごめんなさい。そもそも俺が火傷なんかしなければ、姉さんは危ない目に遭わずに済ん
言い切る前に日向子は炭治郎の唇に人差し指を押し当てる。
「それは違うわ、無茶をしたのは私のせいだもの。母さんからちゃんと注意されてたのに約束を破ったから。それはとても反省してる。だから炭治郎は悪くないよ。今日のは全部私の意思。貴方の為なら何だってしてあげられるから。火傷はどう?まだ痛い?」
「っ!...」
ふるふると首を横に振りあまり痛まない事を伝えると、彼女は心底嬉しそうに蔓延の笑みを溢した。
「良かった!」
ー...
額の火傷は薄ら痕は残ったものの、年月が経てば傷は塞がり癒えていった。
しかしこの心の奥に負った火傷は違う。
その日を皮切りに、じわりじわりとまるで低温火傷のように
癒えぬままに、時を刻むごとに深い所へと侵食していき、甘い疼きを引き起こす。
ただ、心地の良い痛みだ...
ー日向子姉さんー
貴女はあの時、俺に何だってしてあげられるんだと言ったけど、それは俺も同じだ。
貴女の為ならば、どんな苦労も
どうかこの火傷だけは癒えないで欲しい。
これは俺が
【日向子さんを愛している証なのだから】
ーーーーー