星詠み【side story】
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七夕の夜から一夜が明けたが、炭治郎は普段通りの様子を見せていた。昨夜、少し気まずい空気を感じ取った日向子であったが、どうやら炭治郎はあまり気にしていないのか。或いは、気にしないように取り繕っているだけなのか..
炭治郎は私の前ではコロコロと表情を変える。暗い色の瞳でただただ見つめられる時、耳まで真っ赤にして狼狽る時、蔓延の笑みを向ける時、私は彼のように匂いはわからないけど、これだけは何となくわかる。
ー彼から今も尚、恋愛対象に見られているのだろうと言う事をー
はっきりと好意を口にされた事はないけど、私が彼の事を家族という位置付けで囲い込むと、炭治郎はあまり良い顔をしない。
心を鬼にしてあえて私はそうしてるのだが、彼は納得がいかない素振りを見せるのだ。
目が、必死に何かを訴えてくる。私はその視線を向けられた時、面と向かって見つめ返す事が出来ない。
もう...無理なのだろうか。
彼の中では、二度とそれは変えられないものなのだろうか。
【私は貴方をどうしてあげたらいいのかな、どう、接したらいいのかな、ねぇ..炭治郎】
肩を落として廊下を歩いていると、前方から善逸がぶんぶんと袖を振りながら呼ぶ声が聞こえてきた。
「日向子さぁーーん!!」
「善逸君!」
彼は日向子の姿を見るやいなや、炭治郎達の気配が近くにない事を確認し、これでもかと全身からハートを飛ばしこちらに駆けてくる。
今暇なら一緒にお茶でもどうかと、もじもじしながら誘ってくるので、日向子としても特に断る理由もなく快諾するとひゃっほーいとその場で飛び跳ねて喜んでいた。
中庭の縁側に腰掛けて二人でお茶啜っていると、最初は口が止まらなかった善逸がふと口を閉ざし首を傾げてきた。
「日向子さん、何か悩んでます?」
「え?..」
「あ、いえ..何となく、そんな音がしたから」
あぁそうか。彼は耳が良いから人の感情とかを敏感に察知してしまうのだ。
悩み..確かにそう言われてみれば、私は悩んでいるのかもしれない。
「炭治郎の事ですか?」
そう発した善逸は、先程までのだらしない笑顔を引っ込めて真剣な眼差しを向けてきた。
日向子がこくりと頷き昨夜の出来事を話すと、善逸は目を見開きうーんと唸り始める。あまりにも間が空いたので恐る恐る彼の名前を呼びかけると、ようやく意を決したように口を開いた。
「仮に、炭治郎が日向子さんの事を好いているとして、やっぱり炭治郎の事を家族以上に見る事は出来ないんですか?」
「...うん」
「それは、見ちゃいけないって日向子さん自身が決め付けている、とかじゃなくてですか」
え?と返すと、善逸は僅かに哀れんだような表情をして見せた。あぁーーと呻りながら髪の毛をかき乱した後、日向子に向かってバッと頭を下げたものだから、同様のあまり一瞬言葉を失う。
「ちょっ善逸君、どうし」
「日向子さんすみません。もしもそうなら、その考え改め直してくれませんか?俺からのお願いです。じゃないと炭治郎のやつ...」
善逸はぐっと口をつぐんで、とうとうそこから先の言葉を続ける事は無かった。
でも、大体彼が言いたいことはわかる。彼も恐らく、炭治郎の想いに気付いていて、大方どうにかしてやりたいと思っているのだろう。
「私ね、彼の気持ちには何となく気付いてるよ」
「え!そうだったんですか?だったら」
「だからなの」
それなら話が早いと更なる提案を口にしようとした善逸を制するように日向子は言葉を被せる。
「....私は鬼狩りでいつ死ぬかもわからない身だし、それに、禰豆子を人間に戻して鬼舞辻を討つまでは色恋沙汰はしないつもり。そんな私に今、彼が望む事は何もしてあげられないと思うから。」
包み隠さずそう打ち明けると、善逸は黙って日向子の言う事に耳を傾けていたが、やがてポツリとこう呟く。
「やっぱり..改めてください」
その瞳からは後世だからとでも言うような必死さを感じた。
「日向子さんはもっと素直になっていいと思います。色恋沙汰、したっていいじゃないですか。いつ死ぬかもわからない身なら尚更ですよ。炭治郎を考えての事ならそんなのかえって逆効果だ。
人が人を想う気持ちは、そんな簡単に割り切れたり諦められるようなものじゃないです。俺としては、炭治郎の事を思うのなら、せめて隙くらいは与えてやって欲しいんです。」
すくりと立ち上がって善逸は再度日向子に頭を下げる。さすがの彼女も面食らって彼を凝視した。
日向子は決して人の思いに鈍感なわけではないが、彼女自身人に恋をした事がないので、こういう類にはいっとう疎かった。
今の善逸の言葉を、一つ一つ頭の中で噛み砕いていく。
「....わかった、善処します。けど」
「けど?」
「具体的にどうしたらいいのか。」
彼の言う隙とは、恐らく私が炭治郎の事を家族としてしか扱っていないから、その壁を無くしてあげて欲しいという事なのだろう。
でも、いくら私が竈門家に引き取られた身とは言え、炭治郎の事は生まれた時から側で見ているのだ。
誰に何と言われても、弟である事に変わりないのは事実で...
日向子が困り果てたように項垂れていると、妙案を思い付いたように善逸が手を叩いた。
「炭治郎の誕生日って名目使って、あいつの希望を聞いてあげたらどうですか?何か欲しい物とか、して欲しい事位は。そうすれば自然だし、勿論限度はあると思いますけど、日向子さんさえ受け入れ体制なら、素直に炭治郎も甘えられると思いますよ。」
「誕生日..そうか。」
都会では個人の誕生日を祝う風潮が浸透しつつあるらしいが、私達のような田舎の山暮らしをしてきた人間にはまだそういう習慣がなかった。
なので、これを機にといっては何だが、単純に彼が生まれた日をお祝いしてあげたいという気持ちが湧き上がった。
「そうだね、ありがとう善逸君。さっそく炭治郎に聞いてみようかな。」
彼に丁寧に礼を言って腰をあげると、待ってと言ってまだ何かを言いたげにしていた。
そして、いきなりこんな爆弾発言をしたのだ。
「あいつの事だから、素直に要望言わなかったら、抱き締めたり口吸いとかしてあげたらめちゃくちゃ喜びますよ。」
「っ、そんな破廉恥な事は出来ないわ!」
つい顔を真っ赤にして返し、日向子は逃げるようにその場を去って来た。
なんて事言うのだ。いや、確かに彼は歳上である私なんかよりも断然大人びているけれど。
平気な顔であんな事言うだなんて。
私が...疎いだけなのか。真面目に考えすぎるだけなのかな。
そんな事を悶々と考えて歩いていると、こういう時に限って頭を悩ませる元に出くわしてしまうのだ。
「日向子姉さん!」
いち早くこちらに気づいたらしい炭治郎は笑顔を綻ばせてこちらに歩み寄ってくる。そして、6尺程先まで近づいて来た時、彼は不意に顔を引きつらせた。
「...善逸と一緒に居たのか?」
ほんの数秒前の出来事なので、恐らく彼の匂いが残っていたのだろう。彼の鼻の良さには毎回驚かせられるが、日向子は正直に頷いた。すると、顔を僅かに曇らせてそうかと発する。
少し穏やかでは無さそうな感じがしたので、日向子は慌てて尋ねた。
「ねぇ炭治郎。もう少しで誕生日でしょう?何か欲しい物とか、して欲しい事とかある?」
そう問えば、彼は驚いたように目を丸くした。
「...誕生日って、そういう日なのか」
最近は少しずつそういう風潮になって来てるらしい事を伝えると、炭治郎は真剣な面持ちで何かを考え始めた。
「欲しい物は特にないかな。女性から物を貰うのはちょっと申し訳ない。でも..」
頬を僅かに染めてしばらく視線を泳がせていたが、やがてブンブンと首を横に振りきり、彼は大丈夫だと言い切った。
日向子はと言うと、何故か拍子抜けしたような気持ちになってしまう。
「本当にいいの?」
「...うん。気持ちだけありがたく受け取っておくよ。」
節目がちにそう言う炭治郎は、やはりどこか様子がおかしかった。
やはり遠慮しているのだろうか。それとも本当にして欲しい事なんてないのか?
身勝手だけど、少しそれが寂しいと感じてしまった..
ーーーー
数日後、14日の夜
とうとう彼に何もしてあげられぬまま太陽が沈んでしまった。日向子は湯殿を借りている最中で、頭の中は炭治郎の事でいっぱいだ。
読めない..本当に彼の事が。
昔から確かにあまりおねだりするような子ではなかったけど、どうしてもあの一瞬言い淀んでいた空気が気がかりでならない。
ー抱き締めたり口吸いとかしてあげたら..ー
「っ!」
思わずざぶんと頭まで湯に浸かる。善逸はああ言っていたが、さすがに女の日向子からそんな事提案出来る筈もない。と言うかそれ以前に恥ずかしすぎて死ねる。痴女だ。絶対蔑んだ冷たい眼差しを向けられるに決まっている。
結局何も定まらぬまま湯殿を後にして、ひんやりと冷たい廊下をてくてく歩いていた時だった。
ぱしりと後ろから手を引かれて、驚いて振り返ると炭治郎が何やら切羽詰まった表情で見つめていた。
「炭治郎...わっ」
言葉を連ねる間も無く彼は黙って日向子の手を引き、やがて人気のない部屋に半ば強引に入りこまされる。
「ねぇ炭治郎、どうしたの」
「..ごめん。やっぱりみすみすこんな美味しい機会、逃せないと思ったら勝手に体が動いてしまった。」
くるりと振り返った彼は、耳まで真っ赤に染め上げて日向子に一歩近付く。
「何かして欲しい事はあるかって話は、まだ有効か?」
彼の様子からただならぬ気配は感じていたが、日向子は勿論だよと返す。ホッとしたように息をつくと、意を決したようにこう述べた。
「もうこんな時間になってしまったが、姉さんが寝付くまででいい。俺に、日向子姉さんを独り占めさせて」
そのお願いは何とも可愛らしくて、今まで長男として色んな物を我慢し耐えて来た、彼らしいおねだりでもあった。
日向子が快よく首を縦に振ると、炭治郎はぱあっと蔓延の笑みを溢した。
それから、たわいも無い話をしたり、思い出話をしたり、身の回りのお世話になった人達の話をしたりと、久々に炭治郎と二人きりの語らいを楽しんでいた。
話している最中の彼は、それはそれは嬉しそうで年相応の無邪気な様が可愛らしいなぁと頬杖をつきながら眺めていた時。
不意に炭治郎がこう口にした。
「なぁ、日向子姉さん。もう少しそっちに寄ってもいいか?」
「え」
「して欲しい事を叶えてくれるなら、俺がしたい事も、叶えてくれるよな?」
このくらいならいいだろう?と優しい声色で言われてしまえば、断る事など出来ない。
あからさまに気を良くした炭治郎は、肩と肩が触れ合いそうなくらいに体をくっつけて来た。
温もりを直に感じてしまい、さすがの日向子もほんの少し意識をやってしまう。
ふと隣に目をやると、じっとこちらを至近距離から見つめる炭治郎の赫い瞳とかち合った。不覚にもどきりと心臓が跳ねる。
彼にしては珍しく饒舌だった舌もなりを潜め、今は無音の空間が二人を包み込んでいる。
先に口を開いたのは炭治郎の方だった。
「数日前にして欲しい事はないって答えたけど、本当は、すぐに色々と思い浮かんだんだ。でも、そのどれも..お願いするにはあまりにもみだりがわしいかなって」
「..例えば?」
「聞くのか?後悔するぞ。こんな事考えてるのかって軽蔑するかも」
あははとから笑いしながらそういうけれど、その瞳の奥は、逃れ難い何かでギラついていた。
咄嗟に日向子は目を逸らす。しかし炭治郎はそれを許さぬように頬に手を添えて戻した。
「日向子姉さん。独り占めさせてって意味は、全部を俺に向けて欲しいって意味だから。目逸らしたり顔背けたりするのも駄目だ。」
「もう、寝る」
「まだ早い」
「..今日の炭治郎、意地悪だわ」
いよいよ耐えかねたとは言え、涙目でそう訴えたのがいけなかった。彼は目を見開きひゅっと息を呑んだ。
「っ!」
気付けば炭治郎の腕の中にすっぽりとおさまっていた。ジタバタ暴れてみるもガッチリと囲われた腕からは逃れられない。そして、彼はとんでもない事を囁いた。
「さっきの顔、凄く可愛らしかった。」
そう言って炭治郎はゆっくりと日向子の手の平を己の胸元へと持っていく。
伝わってくれと言わんばかりにぐっと押し込まれる。彼の心音は否が応にも手の平に伝わってきた。それはドキドキと早鐘のように脈打っており、余裕なさげな表情と比例しているように思えた。
炭治郎は困ったように眉をハの字にしてこう語る。
「日向子姉さんの側に居ると、可愛らしい顔を見るといつもこうなる。もう随分と前からだ。」
「っ...」
「善逸に吹き込まれたんだろう?俺が日向子姉さんにどうして欲しいのか。どう思われたがっているのか。それ、まぁ合ってるよ。俺は、貴女に抱き締めて欲しいと思うし口吸いだってして欲しいと思ってる。し、したいとも思ってる。」
そう言った炭治郎の顔は、あどけない弟のそれではなく、日向子の知らない男の人の顔だった。
炭治郎の鼓動が移ったかのように、日向子の心臓も激しく脈打った。
そんな状況に陥っている事は、鼻の効く炭治郎にはバレてしまっているようで、やはり上機嫌に口元は弧を描いていた。
「俺がすると怖がらせてしまうから。日向子姉さんからのが欲しい。我儘だってわかってる、恋仲じゃないから口じゃなくていい。だから..」
ー貴女の温もりが欲しいです、どうかお願いしますー
切なそうに瞳を揺らしてそう懇願する彼に、とうとう日向子は根負けした。
ゆっくりと炭治郎の肩を戻す。
必然とお互いの顔がよく見える位置で、これでもかと顔を赤くしながら彼は唇をきゅっと結んで日向子の動作を見守っていた。
こめかみの方へと腕を伸ばすと、不意に手が耳元に触れて炭治郎はぴくりと反応する。耳飾りがからりと揺れた。
「炭治郎、目瞑って」
「っはい」
緊張したように、でも言われるがまま目もぎゅっと閉じて待てをしている炭治郎が、何だかとても可愛らしく思えた。
日向子は僅かに上体を伸ばすと、炭治郎の額にそっと優しく口付けをする。
数秒にも満たない一瞬の触れ合いだったが、炭治郎は恍惚とした眼差しで日向子を見つめていた。
「炭治郎は..きっとこんなんじゃ満足いかないと思うけど、今はこれで許してね。」
「日向子姉さん..」
「この前の七夕の夜は、突き放すような言い方をしてしまってごめんなさい。私は貴方の側に居るわ。だから大丈夫、安心して」
そうにこりの微笑んでやると、炭治郎は感極まったように再び日向子の体を無我夢中で抱き締める。
この温もりが、今の彼を少しでも癒してあげられるの
なら包み込んであげたい。
日向子はいつの間にかそう思うようになっていた。
ーーーーー
炭治郎は私の前ではコロコロと表情を変える。暗い色の瞳でただただ見つめられる時、耳まで真っ赤にして狼狽る時、蔓延の笑みを向ける時、私は彼のように匂いはわからないけど、これだけは何となくわかる。
ー彼から今も尚、恋愛対象に見られているのだろうと言う事をー
はっきりと好意を口にされた事はないけど、私が彼の事を家族という位置付けで囲い込むと、炭治郎はあまり良い顔をしない。
心を鬼にしてあえて私はそうしてるのだが、彼は納得がいかない素振りを見せるのだ。
目が、必死に何かを訴えてくる。私はその視線を向けられた時、面と向かって見つめ返す事が出来ない。
もう...無理なのだろうか。
彼の中では、二度とそれは変えられないものなのだろうか。
【私は貴方をどうしてあげたらいいのかな、どう、接したらいいのかな、ねぇ..炭治郎】
肩を落として廊下を歩いていると、前方から善逸がぶんぶんと袖を振りながら呼ぶ声が聞こえてきた。
「日向子さぁーーん!!」
「善逸君!」
彼は日向子の姿を見るやいなや、炭治郎達の気配が近くにない事を確認し、これでもかと全身からハートを飛ばしこちらに駆けてくる。
今暇なら一緒にお茶でもどうかと、もじもじしながら誘ってくるので、日向子としても特に断る理由もなく快諾するとひゃっほーいとその場で飛び跳ねて喜んでいた。
中庭の縁側に腰掛けて二人でお茶啜っていると、最初は口が止まらなかった善逸がふと口を閉ざし首を傾げてきた。
「日向子さん、何か悩んでます?」
「え?..」
「あ、いえ..何となく、そんな音がしたから」
あぁそうか。彼は耳が良いから人の感情とかを敏感に察知してしまうのだ。
悩み..確かにそう言われてみれば、私は悩んでいるのかもしれない。
「炭治郎の事ですか?」
そう発した善逸は、先程までのだらしない笑顔を引っ込めて真剣な眼差しを向けてきた。
日向子がこくりと頷き昨夜の出来事を話すと、善逸は目を見開きうーんと唸り始める。あまりにも間が空いたので恐る恐る彼の名前を呼びかけると、ようやく意を決したように口を開いた。
「仮に、炭治郎が日向子さんの事を好いているとして、やっぱり炭治郎の事を家族以上に見る事は出来ないんですか?」
「...うん」
「それは、見ちゃいけないって日向子さん自身が決め付けている、とかじゃなくてですか」
え?と返すと、善逸は僅かに哀れんだような表情をして見せた。あぁーーと呻りながら髪の毛をかき乱した後、日向子に向かってバッと頭を下げたものだから、同様のあまり一瞬言葉を失う。
「ちょっ善逸君、どうし」
「日向子さんすみません。もしもそうなら、その考え改め直してくれませんか?俺からのお願いです。じゃないと炭治郎のやつ...」
善逸はぐっと口をつぐんで、とうとうそこから先の言葉を続ける事は無かった。
でも、大体彼が言いたいことはわかる。彼も恐らく、炭治郎の想いに気付いていて、大方どうにかしてやりたいと思っているのだろう。
「私ね、彼の気持ちには何となく気付いてるよ」
「え!そうだったんですか?だったら」
「だからなの」
それなら話が早いと更なる提案を口にしようとした善逸を制するように日向子は言葉を被せる。
「....私は鬼狩りでいつ死ぬかもわからない身だし、それに、禰豆子を人間に戻して鬼舞辻を討つまでは色恋沙汰はしないつもり。そんな私に今、彼が望む事は何もしてあげられないと思うから。」
包み隠さずそう打ち明けると、善逸は黙って日向子の言う事に耳を傾けていたが、やがてポツリとこう呟く。
「やっぱり..改めてください」
その瞳からは後世だからとでも言うような必死さを感じた。
「日向子さんはもっと素直になっていいと思います。色恋沙汰、したっていいじゃないですか。いつ死ぬかもわからない身なら尚更ですよ。炭治郎を考えての事ならそんなのかえって逆効果だ。
人が人を想う気持ちは、そんな簡単に割り切れたり諦められるようなものじゃないです。俺としては、炭治郎の事を思うのなら、せめて隙くらいは与えてやって欲しいんです。」
すくりと立ち上がって善逸は再度日向子に頭を下げる。さすがの彼女も面食らって彼を凝視した。
日向子は決して人の思いに鈍感なわけではないが、彼女自身人に恋をした事がないので、こういう類にはいっとう疎かった。
今の善逸の言葉を、一つ一つ頭の中で噛み砕いていく。
「....わかった、善処します。けど」
「けど?」
「具体的にどうしたらいいのか。」
彼の言う隙とは、恐らく私が炭治郎の事を家族としてしか扱っていないから、その壁を無くしてあげて欲しいという事なのだろう。
でも、いくら私が竈門家に引き取られた身とは言え、炭治郎の事は生まれた時から側で見ているのだ。
誰に何と言われても、弟である事に変わりないのは事実で...
日向子が困り果てたように項垂れていると、妙案を思い付いたように善逸が手を叩いた。
「炭治郎の誕生日って名目使って、あいつの希望を聞いてあげたらどうですか?何か欲しい物とか、して欲しい事位は。そうすれば自然だし、勿論限度はあると思いますけど、日向子さんさえ受け入れ体制なら、素直に炭治郎も甘えられると思いますよ。」
「誕生日..そうか。」
都会では個人の誕生日を祝う風潮が浸透しつつあるらしいが、私達のような田舎の山暮らしをしてきた人間にはまだそういう習慣がなかった。
なので、これを機にといっては何だが、単純に彼が生まれた日をお祝いしてあげたいという気持ちが湧き上がった。
「そうだね、ありがとう善逸君。さっそく炭治郎に聞いてみようかな。」
彼に丁寧に礼を言って腰をあげると、待ってと言ってまだ何かを言いたげにしていた。
そして、いきなりこんな爆弾発言をしたのだ。
「あいつの事だから、素直に要望言わなかったら、抱き締めたり口吸いとかしてあげたらめちゃくちゃ喜びますよ。」
「っ、そんな破廉恥な事は出来ないわ!」
つい顔を真っ赤にして返し、日向子は逃げるようにその場を去って来た。
なんて事言うのだ。いや、確かに彼は歳上である私なんかよりも断然大人びているけれど。
平気な顔であんな事言うだなんて。
私が...疎いだけなのか。真面目に考えすぎるだけなのかな。
そんな事を悶々と考えて歩いていると、こういう時に限って頭を悩ませる元に出くわしてしまうのだ。
「日向子姉さん!」
いち早くこちらに気づいたらしい炭治郎は笑顔を綻ばせてこちらに歩み寄ってくる。そして、6尺程先まで近づいて来た時、彼は不意に顔を引きつらせた。
「...善逸と一緒に居たのか?」
ほんの数秒前の出来事なので、恐らく彼の匂いが残っていたのだろう。彼の鼻の良さには毎回驚かせられるが、日向子は正直に頷いた。すると、顔を僅かに曇らせてそうかと発する。
少し穏やかでは無さそうな感じがしたので、日向子は慌てて尋ねた。
「ねぇ炭治郎。もう少しで誕生日でしょう?何か欲しい物とか、して欲しい事とかある?」
そう問えば、彼は驚いたように目を丸くした。
「...誕生日って、そういう日なのか」
最近は少しずつそういう風潮になって来てるらしい事を伝えると、炭治郎は真剣な面持ちで何かを考え始めた。
「欲しい物は特にないかな。女性から物を貰うのはちょっと申し訳ない。でも..」
頬を僅かに染めてしばらく視線を泳がせていたが、やがてブンブンと首を横に振りきり、彼は大丈夫だと言い切った。
日向子はと言うと、何故か拍子抜けしたような気持ちになってしまう。
「本当にいいの?」
「...うん。気持ちだけありがたく受け取っておくよ。」
節目がちにそう言う炭治郎は、やはりどこか様子がおかしかった。
やはり遠慮しているのだろうか。それとも本当にして欲しい事なんてないのか?
身勝手だけど、少しそれが寂しいと感じてしまった..
ーーーー
数日後、14日の夜
とうとう彼に何もしてあげられぬまま太陽が沈んでしまった。日向子は湯殿を借りている最中で、頭の中は炭治郎の事でいっぱいだ。
読めない..本当に彼の事が。
昔から確かにあまりおねだりするような子ではなかったけど、どうしてもあの一瞬言い淀んでいた空気が気がかりでならない。
ー抱き締めたり口吸いとかしてあげたら..ー
「っ!」
思わずざぶんと頭まで湯に浸かる。善逸はああ言っていたが、さすがに女の日向子からそんな事提案出来る筈もない。と言うかそれ以前に恥ずかしすぎて死ねる。痴女だ。絶対蔑んだ冷たい眼差しを向けられるに決まっている。
結局何も定まらぬまま湯殿を後にして、ひんやりと冷たい廊下をてくてく歩いていた時だった。
ぱしりと後ろから手を引かれて、驚いて振り返ると炭治郎が何やら切羽詰まった表情で見つめていた。
「炭治郎...わっ」
言葉を連ねる間も無く彼は黙って日向子の手を引き、やがて人気のない部屋に半ば強引に入りこまされる。
「ねぇ炭治郎、どうしたの」
「..ごめん。やっぱりみすみすこんな美味しい機会、逃せないと思ったら勝手に体が動いてしまった。」
くるりと振り返った彼は、耳まで真っ赤に染め上げて日向子に一歩近付く。
「何かして欲しい事はあるかって話は、まだ有効か?」
彼の様子からただならぬ気配は感じていたが、日向子は勿論だよと返す。ホッとしたように息をつくと、意を決したようにこう述べた。
「もうこんな時間になってしまったが、姉さんが寝付くまででいい。俺に、日向子姉さんを独り占めさせて」
そのお願いは何とも可愛らしくて、今まで長男として色んな物を我慢し耐えて来た、彼らしいおねだりでもあった。
日向子が快よく首を縦に振ると、炭治郎はぱあっと蔓延の笑みを溢した。
それから、たわいも無い話をしたり、思い出話をしたり、身の回りのお世話になった人達の話をしたりと、久々に炭治郎と二人きりの語らいを楽しんでいた。
話している最中の彼は、それはそれは嬉しそうで年相応の無邪気な様が可愛らしいなぁと頬杖をつきながら眺めていた時。
不意に炭治郎がこう口にした。
「なぁ、日向子姉さん。もう少しそっちに寄ってもいいか?」
「え」
「して欲しい事を叶えてくれるなら、俺がしたい事も、叶えてくれるよな?」
このくらいならいいだろう?と優しい声色で言われてしまえば、断る事など出来ない。
あからさまに気を良くした炭治郎は、肩と肩が触れ合いそうなくらいに体をくっつけて来た。
温もりを直に感じてしまい、さすがの日向子もほんの少し意識をやってしまう。
ふと隣に目をやると、じっとこちらを至近距離から見つめる炭治郎の赫い瞳とかち合った。不覚にもどきりと心臓が跳ねる。
彼にしては珍しく饒舌だった舌もなりを潜め、今は無音の空間が二人を包み込んでいる。
先に口を開いたのは炭治郎の方だった。
「数日前にして欲しい事はないって答えたけど、本当は、すぐに色々と思い浮かんだんだ。でも、そのどれも..お願いするにはあまりにもみだりがわしいかなって」
「..例えば?」
「聞くのか?後悔するぞ。こんな事考えてるのかって軽蔑するかも」
あははとから笑いしながらそういうけれど、その瞳の奥は、逃れ難い何かでギラついていた。
咄嗟に日向子は目を逸らす。しかし炭治郎はそれを許さぬように頬に手を添えて戻した。
「日向子姉さん。独り占めさせてって意味は、全部を俺に向けて欲しいって意味だから。目逸らしたり顔背けたりするのも駄目だ。」
「もう、寝る」
「まだ早い」
「..今日の炭治郎、意地悪だわ」
いよいよ耐えかねたとは言え、涙目でそう訴えたのがいけなかった。彼は目を見開きひゅっと息を呑んだ。
「っ!」
気付けば炭治郎の腕の中にすっぽりとおさまっていた。ジタバタ暴れてみるもガッチリと囲われた腕からは逃れられない。そして、彼はとんでもない事を囁いた。
「さっきの顔、凄く可愛らしかった。」
そう言って炭治郎はゆっくりと日向子の手の平を己の胸元へと持っていく。
伝わってくれと言わんばかりにぐっと押し込まれる。彼の心音は否が応にも手の平に伝わってきた。それはドキドキと早鐘のように脈打っており、余裕なさげな表情と比例しているように思えた。
炭治郎は困ったように眉をハの字にしてこう語る。
「日向子姉さんの側に居ると、可愛らしい顔を見るといつもこうなる。もう随分と前からだ。」
「っ...」
「善逸に吹き込まれたんだろう?俺が日向子姉さんにどうして欲しいのか。どう思われたがっているのか。それ、まぁ合ってるよ。俺は、貴女に抱き締めて欲しいと思うし口吸いだってして欲しいと思ってる。し、したいとも思ってる。」
そう言った炭治郎の顔は、あどけない弟のそれではなく、日向子の知らない男の人の顔だった。
炭治郎の鼓動が移ったかのように、日向子の心臓も激しく脈打った。
そんな状況に陥っている事は、鼻の効く炭治郎にはバレてしまっているようで、やはり上機嫌に口元は弧を描いていた。
「俺がすると怖がらせてしまうから。日向子姉さんからのが欲しい。我儘だってわかってる、恋仲じゃないから口じゃなくていい。だから..」
ー貴女の温もりが欲しいです、どうかお願いしますー
切なそうに瞳を揺らしてそう懇願する彼に、とうとう日向子は根負けした。
ゆっくりと炭治郎の肩を戻す。
必然とお互いの顔がよく見える位置で、これでもかと顔を赤くしながら彼は唇をきゅっと結んで日向子の動作を見守っていた。
こめかみの方へと腕を伸ばすと、不意に手が耳元に触れて炭治郎はぴくりと反応する。耳飾りがからりと揺れた。
「炭治郎、目瞑って」
「っはい」
緊張したように、でも言われるがまま目もぎゅっと閉じて待てをしている炭治郎が、何だかとても可愛らしく思えた。
日向子は僅かに上体を伸ばすと、炭治郎の額にそっと優しく口付けをする。
数秒にも満たない一瞬の触れ合いだったが、炭治郎は恍惚とした眼差しで日向子を見つめていた。
「炭治郎は..きっとこんなんじゃ満足いかないと思うけど、今はこれで許してね。」
「日向子姉さん..」
「この前の七夕の夜は、突き放すような言い方をしてしまってごめんなさい。私は貴方の側に居るわ。だから大丈夫、安心して」
そうにこりの微笑んでやると、炭治郎は感極まったように再び日向子の体を無我夢中で抱き締める。
この温もりが、今の彼を少しでも癒してあげられるの
なら包み込んであげたい。
日向子はいつの間にかそう思うようになっていた。
ーーーーー