◆第拾壱章 吊り合いゆく天秤
貴女のお名前を教えてください
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〜331【期待】〜
炭治郎は無意識に気配を鎮めた足取りで彼女の部屋に向かった。
善逸達がいないと言っても、アオイさん達はいつも通りこの屋敷の中にいるし、厳密に言えば全くの二人きりというわけではない。
頼むから誰ともすれ違いませんようにと祈る思いだった。
ー本当は、日向子さんの足が完治していたら街中に連れ出したい所だったけど..今回は無理だなぁー
少し残念だ。
蝶屋敷の中だとどうしても気付かれる可能性があるから、内密にしている手前最大限注意しないとならない分、外の方が誰にも邪魔されず心置きなく二人の時間を過ごせるだろう。
それに、街中での夜の逢引って何だか、大人びた印象があって魅力的だ。
想像するだけでも心が浮き立ってくるような気がしてくる。
隣を歩く日向子さんの手を握って、何気ない会話や思い出話を語り合う。
というのはほんの建前で、本来の俺の目的は彼女と【二人きりになる】事。
しばらく歩いた所で、頃合いを見て人気のない場所に連れて行くもよし、
あ、あわよくば..茶屋なんかに...
「っ!」
ガンと自ら横の壁に頭を打ちつけた。勿論、己を戒 める意味でだ。一旦深呼吸して気持ちを落ち着かせようと躍起になる。
ー彼女とはつい最近恋仲になったばかりなんだぞ。いくらなんでも調子が良過ぎるぞ炭治郎っ!ー
そんな自制を繰り返し心の中で呟いた。
こんな事では駄目だ。想いに差があり過ぎると男女は上手くいかないというのは、失礼ながら善逸の経験から学習させて貰ってるし、恋仲になった途端がっつくのもとても野蛮な気がして日向子さんにも失礼、男として情けない限りだ。
そう...思うのだけど
いや、もう白状しよう。
本当は、日向子さんともっと【そういう事】がしたい。
今まで散々内側で燻らせてきて、でも好きあった仲ではないからと泣く泣く我慢してきた。常に(名前)さんの足並みに合わせ、様子を伺いながら慎重に図らってきたつもりだ。
だけど許されるなら、すぐにでも彼女の体に触れたい抱きたい..。何もかも忘れるくらい彼女でいっぱいに満たされたいし満たしたいのだ。
今夜だって、俺は確実に期待している。
彼女はどういうつもりで、俺が来るのを待っているのだろう?
まさか、何もされないと思ってるわけではあるまい。
【男が好いた女性に、二人きりで夜に会いたいと誘う】その意味を、彼女自身が理解していて貰わなければ困る。
いつまでも無防備でいてもらっては..困るのだ。
ーーーーー
〜332【不純か否か】〜
一方の日向子はどういった状態かと言うと、炭治郎の心配はどうやら杞憂であるようだった。
炭治郎から今夜会いたいという誘いを受けた時は、正直その意味を深く考えもせずに二つ返事をした。
単純に嬉しかったのだ。しばらく一緒にいれず話も出来なかったから。
いつから鍛錬に参加するつもりなのか問うた時も、明日からという返事を聞いて、怪我も完治し喜ばしい筈なのに、内心は落ち込んでいた。
ーまたしばらく一緒に居られないんだ..ー
多分、彼の方から誘われなければ日向子の方から声を掛けていただろうけど、炭治郎も同じ気持ちでいてくれてるのかと思うと嬉しくなった。そんなわけで、その時は言葉の意味に気付いていなかったのだ。
ただ、その後部屋に戻り冷静になって考え直してみると、その時の炭治郎の様子は明らかにおかしかった。
ほのかに頬を染めて言おうか言うまいか迷った素振りを見せていた。
その躊躇の理由は、恐らくこうだ。
【恋仲の男女が密会】という状況を彼は強く意識していたのだろう。
要するに炭治郎は、日向子と恋人らしい時間を過ごしたくて誘ったわけだ。
恋人らしい時間というのは色々な解釈の余地があるが、未遂も含め今まで彼にされてきた行為の数々を思い返せば、想像に難くない。
「...どうしよう」
日向子は両手で頭を抱えぽつりとそう溢した。
今更ながら焦り始めていた。誘いを快く了承したわけだから、少なからず炭治郎はそのつもりになってるだろうと思う。
勿論、日向子としても彼を好いている自覚はあり、嫌だとか受け付けないとか、そう思ってるわけではないが...心の準備というものもあるし
そもそもここは蝶屋敷で、そんな不純な事をしていい場所ではない。彼もその辺りは心得ている筈、根は私と似ているから..
でもこの逢瀬後はいつまた会えるかわからないし、勿体ない気がしなくもない。
私だって、私だって全くそういう事に興味がないとか、そういうんじゃな....
そこまで思い詰めてハッとした。
これでは、寧ろ私の方が満更ではないかのようだ。彼に求められる事を期待している?
「っ~!!」
思わず枕に思い切り顔を押し付け悶えた。勝手に色々想像を巡らして、炭治郎の思惑も何もわからないのに、何を私は動揺しているのだろう。これが盛大な勘違いだったら、もの凄く恥ずかしいではないかっ..
ーはぁ...とりあえず、湯浴みして来ようー
日向子は自身に呆れ返りながらおもむろに立ち上がった。
ーーーーー
〜333【逢瀬】〜
いつもならのんびりと至福を堪能する湯浴みも、終始落ち着かぬまま風呂桶から上がる事になってしまった。
「何意識してるのよ..私」
頭から手拭いを被りながら、ぼそりそう呟いた。ふと炭治郎の誕生日の夜を思い出す。
そう言えばあの時も、二人きりで色んな話をした。
それは今思えば取るに足らないような話題ばかりだったけど、炭治郎は嬉しそうに横で相槌を打ったり、溢れるような笑みを浮かべたりしていた。
彼は、そんな些細な日向子との時間も、いつだって心から楽しんでくれていた。
ー日向子姉さん...ー
彼が名を呼ぶ時の声音はとても優しかった。
一音一音を決して蔑 ろにはせず、愛おしそうに発してくれるので、とても嬉しかった。
当時と確実に違うのは、彼との関係性。
前は大切な弟として接していたが、今は恋人という関係だ。当然日向子の炭治郎に対する見方も変わったけれど、彼もまた変わった。
いや...正確には炭治郎の場合、(変わった)というより(解放)されたのだ。
呼び方は日向子姉さんから日向子さんに、これは彼曰く【ずっとこうしたかった】と言う。
以前に増して熱っぽい視線を向ける事が多くなった。それは、関係が家族から脱却した事で、遠慮する必要が無くなった事を意味している。
一人の女性として扱う事が許された。
今まで我慢してきた想いを解放出来る機会がやっと訪れたのだ。
そんな状況故に、彼は些か早急な時もあるがある意味仕方ない事なのかもしれない。
これでもきっと炭治郎の事だから...我慢しているんだろうから。
ー恋人になった彼とは..どんな時間や空間を一緒に過ごすことが出来るんだろうー
今までとあんまり変わらないだろうか?
それとも全然違う顔を見せてくれるのか?
不安半分、期待半分という感じだ...
何処かそわそわしながら、ベッドに腰かけ足をぶらぶらしながら待っていると、静かに戸を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
明らかに緊張した面持ちで、炭治郎が顔を出した。そのまま滑るように中へ入ってくると、一歩また一歩と日向子のかけるベッドへと近づいてくる。
「いらっしゃい。隣座って?」
「隣って、ベッドに?いいのか..?」
「うん」
「..じゃあ」
良かった..思ったよりも普通に接せられている。
と思ったのも束の間、気付けば視界は反転し 天井を向いていた。
すぐ目の前には彼の赫い瞳が揺れている。
あぁ、【押し倒された】のだと気付いた。
ーーーーー
〜334【委ねて】〜
手首を掴まれシーツに縫い付けるように上から押さえつけられる。試しに動かそうと少し力をいれてみたもののびくともしない、予想以上に早い展開にさすがの日向子も驚きを隠せなかった。
(え..いきなり?)
思考が廻る前に炭治郎は容赦なく日向子の首元に顔を埋めてきた。彼から発せられる吐息や、肌に触れる赤みがかった癖毛がくすぐったくて、反射的にぞぞっと鳥肌が走る。
「ちょ、炭治郎待って!一旦落ち着いて...」
慌ててそう言えば、彼はゆっくりと顔を上げる。その表情からは全く余裕が感じられず、ただ不満気に眉間に皺を寄せていた。
「日向子さんは、どういうつもりで俺がここに来ることを許可したんだ?」
「どういうつもりって」
「..許してくれないのか?こういう事するの。二人きりで会いたいって言って、ただ語り合うだけだとは思わなかっただろう?しかもベッドにまで平然と誘い込んで、そんなつもりなかったなんて酷いこと..言わないよな?」
炭治郎は縋るような目で必死に訴えていた。
勿論..日向子とて考えが及ばなかった訳でもないし、炭治郎の指す(そんなつもり)が全く無いこともない。
ただ..少し急すぎて驚いてしまっただけだ。
こういう時の炭治郎は、言葉選びを誤ると容易に機嫌を損ねてしまう。
何とか誤解を招かぬよう整理している最中、彼はぽつりぽつりとこう話し始めた。
「...ごめんな。正直、余裕が無いんだ。」
「...」
「自分でもあまりに早急だってわかってるんだ。さっきも、日向子さんの顔を見て匂いを嗅いだ、たったそれだけで頭で考えるより先に体が動いてしまっていた。目も当てられないよ。
でも...思うんだ。時間って有限だから、それも俺達は特に限られた中で生きている。俺は、後悔したく無い。」
「時間..」
「そう。俺は少しでも長く貴女の側に居たい、離れたくない。その1秒1秒の時間が貴重で、とても惜しい。申し訳ないが今日向子さんがこんなに近くにいるのに、触れないでいるよう我慢するなんて無理なんだ。俺の事好きでいてくれてるなら、日向子さん自身が、お嫌でないならどうか..」
ーどうか、俺に委ねてはくれませんか?ー
炭治郎は懇願の意を示した。決して酷いようにしない、なるだけ優しく接するからと、日向子を安心させるように頭を撫でた。
炭治郎は、恐らく何としても日向子が欲しいのだ。そしてこれ以上待てないと焦っている。理性では計れない彼の本能が、体が、そう訴えている。
ーーーーー
〜335【他は何もいらない】〜
「..わかった。鍵、かけてくれる?」
「え?」
「この部屋、鍵内側からかけられるの。」
日向子の言葉を聞いてその意を捉えた炭治郎は、あぁ勿論だと急いでベッドから飛び降り扉の方へ向かった。かちゃりと音が鳴るのを確認し、彼はくるりとこちら側へ振り返る。その音が合図となったように、表情は既に期待と情欲の色に満ちていた。
日向子は緊張した面持ちで炭治郎を見据える。
この空間から下手に脱せない状況を、日向子自ら指示したという事は、【彼の待てを解いた】に等しかった。
ーもう..逃れられないー
ギシリとベッドが二人分の重みで軋む。炭治郎は日向子の背に腕を回して、その小さな体を優しく抱き締めた。
はぁ..と熱い息が吐かれる度に腕の力は強まっていったが、時折我に帰ったようにその力を弛緩させる。それを繰り返す様が、彼が先程言った余裕がないという状況を物語っていた。
「ねぇ、日向子さん」
「ん?」
「今夜だけは..何も深く考えずに一緒の時を過ごそう。」
そう言って炭治郎は一度日向子の体を解放し目線をかち合わせてきた。息を呑んだ。
顔は既に真っ赤に染まり、瞳孔の開いた眼で瞬き一つせず日向子を見つめていた。
何も考えたくない、何物にも邪魔されたくない。ただ本能の赴くままに、互いを求め呑まれるなら呑まれてしまいたいと、そう告げているのがわかる。
そんな彼の様子を間近に見て、日向子もまた胸が疼く。こんなにも好いた人から求められている事が嬉しい。まじまじと彼の顔を見れば見るほど、ふと今までの記憶との相違に戸惑った。
ー炭治郎の大きく輝いた赫灼の眼、高く通った目鼻立ち、凛々しく流れるような眉に、健康的な肌色..ー
あれ..こんなに彼は、美男子だったのか
気付かなかった。そんな眉目秀麗、好青年な炭治郎が私を...
ー(貴女の全てに惹かれます)ー
以前そう言った炭治郎の言葉を不意に思い出し、ぶわりと顔が熱くなった。様子が変わった日向子を見て、彼は僅かに口角を上げる。
「そうだ、もっと..俺の事だけ考えて?今は他は何もいらないから。な?」
炭治郎は彼女の耳元でこれでもかと甘ったるく囁いた。あぁ..彼はとことんその気にさせる気なのだろう。そしてまんまと、その操り糸に絡め取られつつある自分がいる。いつもとは異なる脈動におかしくなってしまいそうだった。
「私も..今は貴方のことだけ考えたい」
日向子はぎゅっと彼の浴衣を絞り寄せた。
ーーーーー
炭治郎は無意識に気配を鎮めた足取りで彼女の部屋に向かった。
善逸達がいないと言っても、アオイさん達はいつも通りこの屋敷の中にいるし、厳密に言えば全くの二人きりというわけではない。
頼むから誰ともすれ違いませんようにと祈る思いだった。
ー本当は、日向子さんの足が完治していたら街中に連れ出したい所だったけど..今回は無理だなぁー
少し残念だ。
蝶屋敷の中だとどうしても気付かれる可能性があるから、内密にしている手前最大限注意しないとならない分、外の方が誰にも邪魔されず心置きなく二人の時間を過ごせるだろう。
それに、街中での夜の逢引って何だか、大人びた印象があって魅力的だ。
想像するだけでも心が浮き立ってくるような気がしてくる。
隣を歩く日向子さんの手を握って、何気ない会話や思い出話を語り合う。
というのはほんの建前で、本来の俺の目的は彼女と【二人きりになる】事。
しばらく歩いた所で、頃合いを見て人気のない場所に連れて行くもよし、
あ、あわよくば..茶屋なんかに...
「っ!」
ガンと自ら横の壁に頭を打ちつけた。勿論、己を
ー彼女とはつい最近恋仲になったばかりなんだぞ。いくらなんでも調子が良過ぎるぞ炭治郎っ!ー
そんな自制を繰り返し心の中で呟いた。
こんな事では駄目だ。想いに差があり過ぎると男女は上手くいかないというのは、失礼ながら善逸の経験から学習させて貰ってるし、恋仲になった途端がっつくのもとても野蛮な気がして日向子さんにも失礼、男として情けない限りだ。
そう...思うのだけど
いや、もう白状しよう。
本当は、日向子さんともっと【そういう事】がしたい。
今まで散々内側で燻らせてきて、でも好きあった仲ではないからと泣く泣く我慢してきた。常に(名前)さんの足並みに合わせ、様子を伺いながら慎重に図らってきたつもりだ。
だけど許されるなら、すぐにでも彼女の体に触れたい抱きたい..。何もかも忘れるくらい彼女でいっぱいに満たされたいし満たしたいのだ。
今夜だって、俺は確実に期待している。
彼女はどういうつもりで、俺が来るのを待っているのだろう?
まさか、何もされないと思ってるわけではあるまい。
【男が好いた女性に、二人きりで夜に会いたいと誘う】その意味を、彼女自身が理解していて貰わなければ困る。
いつまでも無防備でいてもらっては..困るのだ。
ーーーーー
〜332【不純か否か】〜
一方の日向子はどういった状態かと言うと、炭治郎の心配はどうやら杞憂であるようだった。
炭治郎から今夜会いたいという誘いを受けた時は、正直その意味を深く考えもせずに二つ返事をした。
単純に嬉しかったのだ。しばらく一緒にいれず話も出来なかったから。
いつから鍛錬に参加するつもりなのか問うた時も、明日からという返事を聞いて、怪我も完治し喜ばしい筈なのに、内心は落ち込んでいた。
ーまたしばらく一緒に居られないんだ..ー
多分、彼の方から誘われなければ日向子の方から声を掛けていただろうけど、炭治郎も同じ気持ちでいてくれてるのかと思うと嬉しくなった。そんなわけで、その時は言葉の意味に気付いていなかったのだ。
ただ、その後部屋に戻り冷静になって考え直してみると、その時の炭治郎の様子は明らかにおかしかった。
ほのかに頬を染めて言おうか言うまいか迷った素振りを見せていた。
その躊躇の理由は、恐らくこうだ。
【恋仲の男女が密会】という状況を彼は強く意識していたのだろう。
要するに炭治郎は、日向子と恋人らしい時間を過ごしたくて誘ったわけだ。
恋人らしい時間というのは色々な解釈の余地があるが、未遂も含め今まで彼にされてきた行為の数々を思い返せば、想像に難くない。
「...どうしよう」
日向子は両手で頭を抱えぽつりとそう溢した。
今更ながら焦り始めていた。誘いを快く了承したわけだから、少なからず炭治郎はそのつもりになってるだろうと思う。
勿論、日向子としても彼を好いている自覚はあり、嫌だとか受け付けないとか、そう思ってるわけではないが...心の準備というものもあるし
そもそもここは蝶屋敷で、そんな不純な事をしていい場所ではない。彼もその辺りは心得ている筈、根は私と似ているから..
でもこの逢瀬後はいつまた会えるかわからないし、勿体ない気がしなくもない。
私だって、私だって全くそういう事に興味がないとか、そういうんじゃな....
そこまで思い詰めてハッとした。
これでは、寧ろ私の方が満更ではないかのようだ。彼に求められる事を期待している?
「っ~!!」
思わず枕に思い切り顔を押し付け悶えた。勝手に色々想像を巡らして、炭治郎の思惑も何もわからないのに、何を私は動揺しているのだろう。これが盛大な勘違いだったら、もの凄く恥ずかしいではないかっ..
ーはぁ...とりあえず、湯浴みして来ようー
日向子は自身に呆れ返りながらおもむろに立ち上がった。
ーーーーー
〜333【逢瀬】〜
いつもならのんびりと至福を堪能する湯浴みも、終始落ち着かぬまま風呂桶から上がる事になってしまった。
「何意識してるのよ..私」
頭から手拭いを被りながら、ぼそりそう呟いた。ふと炭治郎の誕生日の夜を思い出す。
そう言えばあの時も、二人きりで色んな話をした。
それは今思えば取るに足らないような話題ばかりだったけど、炭治郎は嬉しそうに横で相槌を打ったり、溢れるような笑みを浮かべたりしていた。
彼は、そんな些細な日向子との時間も、いつだって心から楽しんでくれていた。
ー日向子姉さん...ー
彼が名を呼ぶ時の声音はとても優しかった。
一音一音を決して
当時と確実に違うのは、彼との関係性。
前は大切な弟として接していたが、今は恋人という関係だ。当然日向子の炭治郎に対する見方も変わったけれど、彼もまた変わった。
いや...正確には炭治郎の場合、(変わった)というより(解放)されたのだ。
呼び方は日向子姉さんから日向子さんに、これは彼曰く【ずっとこうしたかった】と言う。
以前に増して熱っぽい視線を向ける事が多くなった。それは、関係が家族から脱却した事で、遠慮する必要が無くなった事を意味している。
一人の女性として扱う事が許された。
今まで我慢してきた想いを解放出来る機会がやっと訪れたのだ。
そんな状況故に、彼は些か早急な時もあるがある意味仕方ない事なのかもしれない。
これでもきっと炭治郎の事だから...我慢しているんだろうから。
ー恋人になった彼とは..どんな時間や空間を一緒に過ごすことが出来るんだろうー
今までとあんまり変わらないだろうか?
それとも全然違う顔を見せてくれるのか?
不安半分、期待半分という感じだ...
何処かそわそわしながら、ベッドに腰かけ足をぶらぶらしながら待っていると、静かに戸を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
明らかに緊張した面持ちで、炭治郎が顔を出した。そのまま滑るように中へ入ってくると、一歩また一歩と日向子のかけるベッドへと近づいてくる。
「いらっしゃい。隣座って?」
「隣って、ベッドに?いいのか..?」
「うん」
「..じゃあ」
良かった..思ったよりも普通に接せられている。
と思ったのも束の間、気付けば視界は反転し 天井を向いていた。
すぐ目の前には彼の赫い瞳が揺れている。
あぁ、【押し倒された】のだと気付いた。
ーーーーー
〜334【委ねて】〜
手首を掴まれシーツに縫い付けるように上から押さえつけられる。試しに動かそうと少し力をいれてみたもののびくともしない、予想以上に早い展開にさすがの日向子も驚きを隠せなかった。
(え..いきなり?)
思考が廻る前に炭治郎は容赦なく日向子の首元に顔を埋めてきた。彼から発せられる吐息や、肌に触れる赤みがかった癖毛がくすぐったくて、反射的にぞぞっと鳥肌が走る。
「ちょ、炭治郎待って!一旦落ち着いて...」
慌ててそう言えば、彼はゆっくりと顔を上げる。その表情からは全く余裕が感じられず、ただ不満気に眉間に皺を寄せていた。
「日向子さんは、どういうつもりで俺がここに来ることを許可したんだ?」
「どういうつもりって」
「..許してくれないのか?こういう事するの。二人きりで会いたいって言って、ただ語り合うだけだとは思わなかっただろう?しかもベッドにまで平然と誘い込んで、そんなつもりなかったなんて酷いこと..言わないよな?」
炭治郎は縋るような目で必死に訴えていた。
勿論..日向子とて考えが及ばなかった訳でもないし、炭治郎の指す(そんなつもり)が全く無いこともない。
ただ..少し急すぎて驚いてしまっただけだ。
こういう時の炭治郎は、言葉選びを誤ると容易に機嫌を損ねてしまう。
何とか誤解を招かぬよう整理している最中、彼はぽつりぽつりとこう話し始めた。
「...ごめんな。正直、余裕が無いんだ。」
「...」
「自分でもあまりに早急だってわかってるんだ。さっきも、日向子さんの顔を見て匂いを嗅いだ、たったそれだけで頭で考えるより先に体が動いてしまっていた。目も当てられないよ。
でも...思うんだ。時間って有限だから、それも俺達は特に限られた中で生きている。俺は、後悔したく無い。」
「時間..」
「そう。俺は少しでも長く貴女の側に居たい、離れたくない。その1秒1秒の時間が貴重で、とても惜しい。申し訳ないが今日向子さんがこんなに近くにいるのに、触れないでいるよう我慢するなんて無理なんだ。俺の事好きでいてくれてるなら、日向子さん自身が、お嫌でないならどうか..」
ーどうか、俺に委ねてはくれませんか?ー
炭治郎は懇願の意を示した。決して酷いようにしない、なるだけ優しく接するからと、日向子を安心させるように頭を撫でた。
炭治郎は、恐らく何としても日向子が欲しいのだ。そしてこれ以上待てないと焦っている。理性では計れない彼の本能が、体が、そう訴えている。
ーーーーー
〜335【他は何もいらない】〜
「..わかった。鍵、かけてくれる?」
「え?」
「この部屋、鍵内側からかけられるの。」
日向子の言葉を聞いてその意を捉えた炭治郎は、あぁ勿論だと急いでベッドから飛び降り扉の方へ向かった。かちゃりと音が鳴るのを確認し、彼はくるりとこちら側へ振り返る。その音が合図となったように、表情は既に期待と情欲の色に満ちていた。
日向子は緊張した面持ちで炭治郎を見据える。
この空間から下手に脱せない状況を、日向子自ら指示したという事は、【彼の待てを解いた】に等しかった。
ーもう..逃れられないー
ギシリとベッドが二人分の重みで軋む。炭治郎は日向子の背に腕を回して、その小さな体を優しく抱き締めた。
はぁ..と熱い息が吐かれる度に腕の力は強まっていったが、時折我に帰ったようにその力を弛緩させる。それを繰り返す様が、彼が先程言った余裕がないという状況を物語っていた。
「ねぇ、日向子さん」
「ん?」
「今夜だけは..何も深く考えずに一緒の時を過ごそう。」
そう言って炭治郎は一度日向子の体を解放し目線をかち合わせてきた。息を呑んだ。
顔は既に真っ赤に染まり、瞳孔の開いた眼で瞬き一つせず日向子を見つめていた。
何も考えたくない、何物にも邪魔されたくない。ただ本能の赴くままに、互いを求め呑まれるなら呑まれてしまいたいと、そう告げているのがわかる。
そんな彼の様子を間近に見て、日向子もまた胸が疼く。こんなにも好いた人から求められている事が嬉しい。まじまじと彼の顔を見れば見るほど、ふと今までの記憶との相違に戸惑った。
ー炭治郎の大きく輝いた赫灼の眼、高く通った目鼻立ち、凛々しく流れるような眉に、健康的な肌色..ー
あれ..こんなに彼は、美男子だったのか
気付かなかった。そんな眉目秀麗、好青年な炭治郎が私を...
ー(貴女の全てに惹かれます)ー
以前そう言った炭治郎の言葉を不意に思い出し、ぶわりと顔が熱くなった。様子が変わった日向子を見て、彼は僅かに口角を上げる。
「そうだ、もっと..俺の事だけ考えて?今は他は何もいらないから。な?」
炭治郎は彼女の耳元でこれでもかと甘ったるく囁いた。あぁ..彼はとことんその気にさせる気なのだろう。そしてまんまと、その操り糸に絡め取られつつある自分がいる。いつもとは異なる脈動におかしくなってしまいそうだった。
「私も..今は貴方のことだけ考えたい」
日向子はぎゅっと彼の浴衣を絞り寄せた。
ーーーーー