◆第拾章 未曾有の襲撃
貴女のお名前を教えてください
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〜298【代償】〜
一瞬何を言われたのか、誰が発した声だったのか、わからなかった。
確かに、日向子姉さんの口から俺を呼ぶ声が発せられた。けどそれは、日向子姉さんがいつも俺を呼ぶ(呼び方)ではなかったのだ。
【お兄ちゃん】
そう短く発したのは、きっと隣に座り込んでいる禰豆子。日向子姉さんの体を借り、禰豆子が俺に訴えかけようとしているのだと理解した。
「私は大丈夫。お兄ちゃんには、お兄ちゃんがやるべき事があるでしょう。」
ー行ってー
ドカンと蹴り上げられ、炭治郎の視界は反転した。
その時垣間見えた禰豆子の顔は、一片の悔いさえ見られない程蔓延の笑みが称えられていた。
その表情を見た時、瞬時に彼は悟ったのだ。
彼女は、情けない俺の背中を押してくれたのだと..
禰豆子は自ら(守られる事)より(守る事)を選んだ。
それは、彼女が鬼の本能に抗い、鬼でありながらも人としての誇りと生き方を貫き通したという事。
ー例え自分の体が灰になり、消えてしまうのだとしても...ー
しっかりと地に足をつけた炭治郎は、その禰豆子の覚悟をしかと受け止めた。
止めどなく涙が溢れてくる、視界が霞んでいくけれど、もう炭治郎が後ろを振り向く事はなかった。
全身の神経を研ぎ澄まし、鬼の気配を探る。
距離を、居場所を、その具体的な姿形を、より鮮明に
...もっと、もっとっ
ー見つけた、【心臓の中】だなー
最後の最後まで手を焼かせ、多くの大切な人達の命を奪い傷付けたお前に輪廻転生などありはしない。
(今度こそお終いだ、悪鬼っ)
鬼が里の人間の頭に掴み上げた瞬間、炭治郎の炎の刃が両腕を切り落とす。
赫く鋭い眼光を放ち、最後の斬撃に全てを賭ける。
「命をもって罪を償えっーーー!!!」
大きく振り切った刃は激しい炎を纏い、一寸の狂いなく心臓部分に身を潜めていた本体の頚を斬り上げた。
やがて、バラバラと鬼の体が朝焼けの風に流れゆく。
終わった...
今度こそ、全てが...
炭治郎はふらふらとした足取りで地にへたり込んだ。
里の人がオロオロとする横で、嗚咽を漏らし泣きじゃくった。
勝った。上弦の鬼を倒した。ただその勝利は、炭治郎にとってあまりにも大きな代償を払った上に成り立ったもの。
きっと禰豆子は、日の光にあてられ骨も残らず消えてしまった。また俺は、守ることはおろかその最後を見届ける事すら叶わなかった。横にいた日向子姉さんはどんな気持ちだっただろう。
あぁ....
怖くて、後ろを見る事が出来ない。
ーーーーー
〜299【珠世の手紙】〜
「炭治郎」
背後から柔らかい日向子姉さんの声が聞こえる。
涙でボロボロに濡れた顔のまま、炭治郎はゆっくりと首を捻った。
その目線の先では、禰豆子が茫然とした様子で佇みこちらを見つめていた。そのすぐ横に日向子姉さんがへたり込んでいる。
つい先程まで焼け爛れていた禰豆子の皮膚は、すっかり再生していて、とても綺麗な顔立をしていた。
ーこれは、幻覚なのか..ー
太陽はもう昇りきっている。あり得ない...。
そう思い目元をごしごしと擦るが、やはり目に飛び込んでくる光景は変わらなかった。
「お、お、おはよう」
たどたどしい声。でもそれは確かに、ずっと昔から慣れ親しんでいた愛する妹のものだった。
その瞬間日向子姉さんがわっと泣き出す。
周りの反応を見て、これが現実なのだとわかると、内から狂喜の涙がじんわり込み上げた。
「禰豆子...ッ」
ーーーーー
【炭治郎さん】
十二鬼月、禰豆子さん、そして日向子さんにも血を提供していただき、研究に協力してくださってありがとう。
彼女達の血の変化には私も正直驚いています。この短時間で血の成分が何度も変化している。
以前、日向子さんが瀕死の際、禰豆子さんの血を元に精製した薬剤を投与し、人体の回復が飛躍的に上がった事がありました。更に、日向子さんの血を摂取した後の禰豆子さんの血にも、確かな変化があった。
巫の血の影響なのか、或いは別の何かが影響しているのかはわかりませんが、彼女達はやはり、良い意味で相互作用しているものと思います。
これは完全に私の憶測ですが
ー禰豆子さんは近いうちに、太陽を克服すると思いますー
ーーーーー
いつの日かに貰った珠世さんからの手紙。例え憶測でも、炭治郎にとってはその場で飛び上がる程の吉報がしたためられたものであった。
無論、禰豆子を人間に戻す事が目的だが、それでも日の光が克服出来るというだけでも、彼女にもっと自由を与えてやれる。
近い将来それが現実となればいいと、姉さんと共にどんなにか願った事だろう。
炭治郎は里の人間に肩を担がれながら、ゆっくりと二人の元へ歩みを進める。
恐る恐る、妹の頬へ手を伸ばした。
「禰豆子..良かった。大丈夫か?お前人間に」
戻れたのか?
そう続けようとしたのだが、禰豆子はまるで絡繰人形のように機械的な言葉を述べるばかりで、人間の感情というものは一切感じられなかった。炭治郎は落胆する。
喋ってはいるが、人に戻れたわけではないのだと..
ーーーーー
〜300【芽生える】〜
落胆はしたが、それでも今は構わない。
彼女が塵 となって消えずにいてくれた。
それだけでも炭治郎にとっては
未来に繋がる道標となった
ガシィと勢いよく禰豆子と日向子の体を抱き寄せる。
尚も日向子姉さんは幼子のように人目を憚 らずわんわん泣いていた。炭治郎もつられて大粒の涙を溢す。
そんな二人の背中を、禰豆子はぎゅっと抱きしめ返すと、柔らかい笑みを称えながらこう呟いた。
「よかった、よかったねぇ」
そんな竈門姉兄妹 の元へ、玄弥が真っ先に駆け寄るが、幸せそうに身を寄せ合う彼等を見て思った。
今だけは、家族が水入らずで喜びを噛みしめ合えるように見守ってやろうと..
その直後、突然炭治郎が体制を崩したので、慌てて側にいた日向子が彼の身体を支える。
「竈門少年っ!?し、しっかりするのだ!」
「死んだ?死んだか?」
縁起でもない事を言うなと仲間内でポカポカ体を叩く里人に、日向子は大丈夫ですとやんわり声をかけた。
「気を失ってるだけみたいです。ちゃんと心臓も動いてますし、息もありますから。」
そう言った彼女は、目を細め愛おしそうに炭治郎の頬を撫でた。その光景が、あまりにも絵になっていたので、思わずその場にいた人間は息を飲む。
それは、姉が健気に弟を労っている光景ではあったのだが、見方によっては恋人を愛でている光景のようでもあり、はたまた天使が救済を施しているようでもあった。
「お疲れ様、炭治郎。ありがとう...。」
気を失っていた彼にその言葉が届くことはなかった筈だが、微かに、口元が弧を描いているような気がした。
日向子はそのままじっと炭治郎の顔を見つめる。
寝顔はこんなにまだあどけない少年なのに、刀を奮う姿と、何より日向子を後ろ手に鬼に立ち向かう様はとても凛々しかった。
ー無邪気に笑う顔と、逞しく前を向く顔ー
そんな普段と隔たりのある二つの顔を改めて思い返すと、ホワホワとした暖かな気持ちが内から込み上げてくるような気がした。
何だろう...今まで、感じたことがないような気持ちだわ。
自分自身の変化に戸惑っていたのも束の間で、日向子もまた戦闘による疲労がピークに達していた為、今は難しく考える事はやめた。
はたと横を見ると、禰豆子からにこにことした眼差しを向けられている事に気付く。
「お、姉ちゃん。お兄ちゃんの、事、好き?」
.....
え?
ーーーーー
〜301【蜜のように甘いその意味は】〜
好きかと問われれば、好きだと思うけど
それは..
「っ....」
日向子は瞬時に顔を真っ赤に染め上げ、激しく動揺した。禰豆子はなおもニコニコとした表情を崩さず日向子を見つめてくる。その瞳は何かの展開を期待しているかのように爛爛 と輝いていた。
そんな様子に更に心臓がバクバクと脈打つようだった。
私、私は今...
ーどういう意味の、【好き】を想像しただろうかー
家族愛ではなかった。
友愛でもなかった。
もっと、もっと甘酸っぱくて温かい、それでいて胸がきゅっと萎むような、そんな切ない感覚。今まで経験した事のないような気持ち
「竈門炭治郎は、日向子さんの事を心からお慕いしています」
いつしか炭治郎から向けられた、吸い込まれるような赫い色の瞳と、優しげな表情を思い出した時、日向子の中に、最もしっくりくる感情の名が浮かび上がった。
この感情は例えるのならきっと..
「ッ....禰豆子、炭治郎をお願い」
日向子は堪らず抱きとめていた彼の体を妹に押し付けた。禰豆子は驚きながらも、引き渡された兄を背中にしっかりと背負いこむ。
その直後、うーんと唸り炭治郎が再びゆっくりと覚醒した。
「あぁ...ごめん。俺、気を失って...」
彼はぼんやりとした眼差しを真横にいた日向子へと向けた。それとほぼ同時に、彼女はばっと目線を逸らす。
あまりに不自然な行為、その意味を悟るべく炭治郎は無意識に彼女の匂いを嗅ごうとしたが、それに気付いた日向子がさっと彼の鼻を手の平で覆った。
「!..」
彼女の必死な様子と真っ赤な顔を見た時、ある期待がよぎり、炭治郎はゆっくりと目を見開いていく。
「..日向子...
「みんな!!みんなっ~~~!!!」
ガシッと強く抱き締められる衝撃が上体に走り、見ると蜜璃が嬉し涙を流しながらわんわんと声を上げていた。
「良かったぁぁあぁ、皆生きてるよぉぉぉぉ!勝ったよぉぉぉっ!!」
気付けば炭治郎達の周りにはたくさんの人だかりが出来ていた。鬼に勝った、そして何よりも、仲間は誰一人死なずに皆が生きている。
それがとにかく嬉しくて、皆が歓喜と安堵の涙を流していた。
炭治郎が再び日向子の方へ視線を戻すと、彼女は輪の中で屈託のない笑顔を綻ばせてた。
可愛らしいなぁ..
ただ、さっきのあの表情
どうしても、その【意味】が知りたい
一瞬彼女から感じた蜜のように甘い匂い、気のせいでないなら...
そんな淡い期待がせり上がる。
ーーーーー
〜302【暁風の慰め】〜
「日向子っ!炭治郎!禰豆子!」
無一郎は、とにかく持てる精一杯の力で一目散に彼等の元へ駆け出した。
炭治郎はやり遂げた。その勇姿も目の当たりにしたし、禰豆子が太陽の光を浴びてもなお姿を保っていた光景もしかと焼き付けた。
日向子は遠目から見ても全身血だらけで、思わず顔をしかめる程に痛ましい姿をしていた。
僕が早々にしくじったばかりに、彼等にはえらい無理を強いてしまったけど、彼等は本当によく頑張った。鬼殺隊の誇りだ。
ようやく谷底に降り立ち三人の元へ駆け寄ったが、無一郎は不意に途中で足を止めてしまった。
日向子が愛おしそうに炭治郎を抱き締め重なり合っているその輪郭と、何より、その薄桃色に染まった切なそうな顔を見た時、無一郎は自ずと察してしまう。
「...日向子」
彼女の名前を呟いたその寂しげな声は、誰に拾われる事もなく暁風 に流されていった。
日向子に好意を寄せる無一郎だからこそ、気付いた僅かな違和感だったのかもしれない。
気付けば彼等の周りは、無事を喜び合う人々の群れであふれていて、彼女もすぐに蔓延の笑みを綻ばせていた。
こんな事ではいけないと、ぶんぶんと頭を横に振りその輪の中に無一郎も飛び込むけれど、切ない胸の痛みはやっぱり消える事はなかった。
達成感と幸福感と共に、確かに居座り続ける喪失感。
仕方ないよね..だって
ー好きな子が自分以外の人を意識してたら、そりゃあ悲しいに決まってるー
炭治郎の事はとても尊敬しているし信頼もしている。
実際彼のお陰で、僕は自分自身を取り戻す事が出来たようなものだ。
その感謝を述べると、炭治郎は自分は何もしちゃいないと謙遜する。
例え彼がそう言ったとしても、無一郎にとっては感謝してもしきれないくらい多大な恩義があった。
以前の無一郎なら、単純に真っ黒な嫉妬心に焼かれるばかりで自分の心をコントロール出来ずにいただろう。
しかし今は少し違う。寧ろ炭治郎なら...日向子が目を向けるのも致し方ないのかな、とも思うのだ。
彼女を手に入れたい気持ちと、彼女が選ぶのなら譲るべきかと悩む気持ちで揺れる。
ただ今は、その事実をまるっと受け入れられる程心に余裕があるわけではないらしい。
この胸を締め付けるような痛みとは、しばらく付き合っていかなければいけないということだ。
日向子を想い続ける限り
あぁ、本当は恋ってもっと幸せなものだと勝手に思ってたんだけど、凄く辛いんだなぁ..
ーーーーー
一瞬何を言われたのか、誰が発した声だったのか、わからなかった。
確かに、日向子姉さんの口から俺を呼ぶ声が発せられた。けどそれは、日向子姉さんがいつも俺を呼ぶ(呼び方)ではなかったのだ。
【お兄ちゃん】
そう短く発したのは、きっと隣に座り込んでいる禰豆子。日向子姉さんの体を借り、禰豆子が俺に訴えかけようとしているのだと理解した。
「私は大丈夫。お兄ちゃんには、お兄ちゃんがやるべき事があるでしょう。」
ー行ってー
ドカンと蹴り上げられ、炭治郎の視界は反転した。
その時垣間見えた禰豆子の顔は、一片の悔いさえ見られない程蔓延の笑みが称えられていた。
その表情を見た時、瞬時に彼は悟ったのだ。
彼女は、情けない俺の背中を押してくれたのだと..
禰豆子は自ら(守られる事)より(守る事)を選んだ。
それは、彼女が鬼の本能に抗い、鬼でありながらも人としての誇りと生き方を貫き通したという事。
ー例え自分の体が灰になり、消えてしまうのだとしても...ー
しっかりと地に足をつけた炭治郎は、その禰豆子の覚悟をしかと受け止めた。
止めどなく涙が溢れてくる、視界が霞んでいくけれど、もう炭治郎が後ろを振り向く事はなかった。
全身の神経を研ぎ澄まし、鬼の気配を探る。
距離を、居場所を、その具体的な姿形を、より鮮明に
...もっと、もっとっ
ー見つけた、【心臓の中】だなー
最後の最後まで手を焼かせ、多くの大切な人達の命を奪い傷付けたお前に輪廻転生などありはしない。
(今度こそお終いだ、悪鬼っ)
鬼が里の人間の頭に掴み上げた瞬間、炭治郎の炎の刃が両腕を切り落とす。
赫く鋭い眼光を放ち、最後の斬撃に全てを賭ける。
「命をもって罪を償えっーーー!!!」
大きく振り切った刃は激しい炎を纏い、一寸の狂いなく心臓部分に身を潜めていた本体の頚を斬り上げた。
やがて、バラバラと鬼の体が朝焼けの風に流れゆく。
終わった...
今度こそ、全てが...
炭治郎はふらふらとした足取りで地にへたり込んだ。
里の人がオロオロとする横で、嗚咽を漏らし泣きじゃくった。
勝った。上弦の鬼を倒した。ただその勝利は、炭治郎にとってあまりにも大きな代償を払った上に成り立ったもの。
きっと禰豆子は、日の光にあてられ骨も残らず消えてしまった。また俺は、守ることはおろかその最後を見届ける事すら叶わなかった。横にいた日向子姉さんはどんな気持ちだっただろう。
あぁ....
怖くて、後ろを見る事が出来ない。
ーーーーー
〜299【珠世の手紙】〜
「炭治郎」
背後から柔らかい日向子姉さんの声が聞こえる。
涙でボロボロに濡れた顔のまま、炭治郎はゆっくりと首を捻った。
その目線の先では、禰豆子が茫然とした様子で佇みこちらを見つめていた。そのすぐ横に日向子姉さんがへたり込んでいる。
つい先程まで焼け爛れていた禰豆子の皮膚は、すっかり再生していて、とても綺麗な顔立をしていた。
ーこれは、幻覚なのか..ー
太陽はもう昇りきっている。あり得ない...。
そう思い目元をごしごしと擦るが、やはり目に飛び込んでくる光景は変わらなかった。
「お、お、おはよう」
たどたどしい声。でもそれは確かに、ずっと昔から慣れ親しんでいた愛する妹のものだった。
その瞬間日向子姉さんがわっと泣き出す。
周りの反応を見て、これが現実なのだとわかると、内から狂喜の涙がじんわり込み上げた。
「禰豆子...ッ」
ーーーーー
【炭治郎さん】
十二鬼月、禰豆子さん、そして日向子さんにも血を提供していただき、研究に協力してくださってありがとう。
彼女達の血の変化には私も正直驚いています。この短時間で血の成分が何度も変化している。
以前、日向子さんが瀕死の際、禰豆子さんの血を元に精製した薬剤を投与し、人体の回復が飛躍的に上がった事がありました。更に、日向子さんの血を摂取した後の禰豆子さんの血にも、確かな変化があった。
巫の血の影響なのか、或いは別の何かが影響しているのかはわかりませんが、彼女達はやはり、良い意味で相互作用しているものと思います。
これは完全に私の憶測ですが
ー禰豆子さんは近いうちに、太陽を克服すると思いますー
ーーーーー
いつの日かに貰った珠世さんからの手紙。例え憶測でも、炭治郎にとってはその場で飛び上がる程の吉報がしたためられたものであった。
無論、禰豆子を人間に戻す事が目的だが、それでも日の光が克服出来るというだけでも、彼女にもっと自由を与えてやれる。
近い将来それが現実となればいいと、姉さんと共にどんなにか願った事だろう。
炭治郎は里の人間に肩を担がれながら、ゆっくりと二人の元へ歩みを進める。
恐る恐る、妹の頬へ手を伸ばした。
「禰豆子..良かった。大丈夫か?お前人間に」
戻れたのか?
そう続けようとしたのだが、禰豆子はまるで絡繰人形のように機械的な言葉を述べるばかりで、人間の感情というものは一切感じられなかった。炭治郎は落胆する。
喋ってはいるが、人に戻れたわけではないのだと..
ーーーーー
〜300【芽生える】〜
落胆はしたが、それでも今は構わない。
彼女が
それだけでも炭治郎にとっては
未来に繋がる道標となった
ガシィと勢いよく禰豆子と日向子の体を抱き寄せる。
尚も日向子姉さんは幼子のように人目を
そんな二人の背中を、禰豆子はぎゅっと抱きしめ返すと、柔らかい笑みを称えながらこう呟いた。
「よかった、よかったねぇ」
そんな竈門
今だけは、家族が水入らずで喜びを噛みしめ合えるように見守ってやろうと..
その直後、突然炭治郎が体制を崩したので、慌てて側にいた日向子が彼の身体を支える。
「竈門少年っ!?し、しっかりするのだ!」
「死んだ?死んだか?」
縁起でもない事を言うなと仲間内でポカポカ体を叩く里人に、日向子は大丈夫ですとやんわり声をかけた。
「気を失ってるだけみたいです。ちゃんと心臓も動いてますし、息もありますから。」
そう言った彼女は、目を細め愛おしそうに炭治郎の頬を撫でた。その光景が、あまりにも絵になっていたので、思わずその場にいた人間は息を飲む。
それは、姉が健気に弟を労っている光景ではあったのだが、見方によっては恋人を愛でている光景のようでもあり、はたまた天使が救済を施しているようでもあった。
「お疲れ様、炭治郎。ありがとう...。」
気を失っていた彼にその言葉が届くことはなかった筈だが、微かに、口元が弧を描いているような気がした。
日向子はそのままじっと炭治郎の顔を見つめる。
寝顔はこんなにまだあどけない少年なのに、刀を奮う姿と、何より日向子を後ろ手に鬼に立ち向かう様はとても凛々しかった。
ー無邪気に笑う顔と、逞しく前を向く顔ー
そんな普段と隔たりのある二つの顔を改めて思い返すと、ホワホワとした暖かな気持ちが内から込み上げてくるような気がした。
何だろう...今まで、感じたことがないような気持ちだわ。
自分自身の変化に戸惑っていたのも束の間で、日向子もまた戦闘による疲労がピークに達していた為、今は難しく考える事はやめた。
はたと横を見ると、禰豆子からにこにことした眼差しを向けられている事に気付く。
「お、姉ちゃん。お兄ちゃんの、事、好き?」
.....
え?
ーーーーー
〜301【蜜のように甘いその意味は】〜
好きかと問われれば、好きだと思うけど
それは..
「っ....」
日向子は瞬時に顔を真っ赤に染め上げ、激しく動揺した。禰豆子はなおもニコニコとした表情を崩さず日向子を見つめてくる。その瞳は何かの展開を期待しているかのように
そんな様子に更に心臓がバクバクと脈打つようだった。
私、私は今...
ーどういう意味の、【好き】を想像しただろうかー
家族愛ではなかった。
友愛でもなかった。
もっと、もっと甘酸っぱくて温かい、それでいて胸がきゅっと萎むような、そんな切ない感覚。今まで経験した事のないような気持ち
「竈門炭治郎は、日向子さんの事を心からお慕いしています」
いつしか炭治郎から向けられた、吸い込まれるような赫い色の瞳と、優しげな表情を思い出した時、日向子の中に、最もしっくりくる感情の名が浮かび上がった。
この感情は例えるのならきっと..
「ッ....禰豆子、炭治郎をお願い」
日向子は堪らず抱きとめていた彼の体を妹に押し付けた。禰豆子は驚きながらも、引き渡された兄を背中にしっかりと背負いこむ。
その直後、うーんと唸り炭治郎が再びゆっくりと覚醒した。
「あぁ...ごめん。俺、気を失って...」
彼はぼんやりとした眼差しを真横にいた日向子へと向けた。それとほぼ同時に、彼女はばっと目線を逸らす。
あまりに不自然な行為、その意味を悟るべく炭治郎は無意識に彼女の匂いを嗅ごうとしたが、それに気付いた日向子がさっと彼の鼻を手の平で覆った。
「!..」
彼女の必死な様子と真っ赤な顔を見た時、ある期待がよぎり、炭治郎はゆっくりと目を見開いていく。
「..日向子...
「みんな!!みんなっ~~~!!!」
ガシッと強く抱き締められる衝撃が上体に走り、見ると蜜璃が嬉し涙を流しながらわんわんと声を上げていた。
「良かったぁぁあぁ、皆生きてるよぉぉぉぉ!勝ったよぉぉぉっ!!」
気付けば炭治郎達の周りにはたくさんの人だかりが出来ていた。鬼に勝った、そして何よりも、仲間は誰一人死なずに皆が生きている。
それがとにかく嬉しくて、皆が歓喜と安堵の涙を流していた。
炭治郎が再び日向子の方へ視線を戻すと、彼女は輪の中で屈託のない笑顔を綻ばせてた。
可愛らしいなぁ..
ただ、さっきのあの表情
どうしても、その【意味】が知りたい
一瞬彼女から感じた蜜のように甘い匂い、気のせいでないなら...
そんな淡い期待がせり上がる。
ーーーーー
〜302【暁風の慰め】〜
「日向子っ!炭治郎!禰豆子!」
無一郎は、とにかく持てる精一杯の力で一目散に彼等の元へ駆け出した。
炭治郎はやり遂げた。その勇姿も目の当たりにしたし、禰豆子が太陽の光を浴びてもなお姿を保っていた光景もしかと焼き付けた。
日向子は遠目から見ても全身血だらけで、思わず顔をしかめる程に痛ましい姿をしていた。
僕が早々にしくじったばかりに、彼等にはえらい無理を強いてしまったけど、彼等は本当によく頑張った。鬼殺隊の誇りだ。
ようやく谷底に降り立ち三人の元へ駆け寄ったが、無一郎は不意に途中で足を止めてしまった。
日向子が愛おしそうに炭治郎を抱き締め重なり合っているその輪郭と、何より、その薄桃色に染まった切なそうな顔を見た時、無一郎は自ずと察してしまう。
「...日向子」
彼女の名前を呟いたその寂しげな声は、誰に拾われる事もなく
日向子に好意を寄せる無一郎だからこそ、気付いた僅かな違和感だったのかもしれない。
気付けば彼等の周りは、無事を喜び合う人々の群れであふれていて、彼女もすぐに蔓延の笑みを綻ばせていた。
こんな事ではいけないと、ぶんぶんと頭を横に振りその輪の中に無一郎も飛び込むけれど、切ない胸の痛みはやっぱり消える事はなかった。
達成感と幸福感と共に、確かに居座り続ける喪失感。
仕方ないよね..だって
ー好きな子が自分以外の人を意識してたら、そりゃあ悲しいに決まってるー
炭治郎の事はとても尊敬しているし信頼もしている。
実際彼のお陰で、僕は自分自身を取り戻す事が出来たようなものだ。
その感謝を述べると、炭治郎は自分は何もしちゃいないと謙遜する。
例え彼がそう言ったとしても、無一郎にとっては感謝してもしきれないくらい多大な恩義があった。
以前の無一郎なら、単純に真っ黒な嫉妬心に焼かれるばかりで自分の心をコントロール出来ずにいただろう。
しかし今は少し違う。寧ろ炭治郎なら...日向子が目を向けるのも致し方ないのかな、とも思うのだ。
彼女を手に入れたい気持ちと、彼女が選ぶのなら譲るべきかと悩む気持ちで揺れる。
ただ今は、その事実をまるっと受け入れられる程心に余裕があるわけではないらしい。
この胸を締め付けるような痛みとは、しばらく付き合っていかなければいけないということだ。
日向子を想い続ける限り
あぁ、本当は恋ってもっと幸せなものだと勝手に思ってたんだけど、凄く辛いんだなぁ..
ーーーーー