箱庭聖譚曲
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
国の上流階級の子女が通う名門の寄宿学校、ラトヴィッジ校。
ここは施設や設備はもちろん、教員や寮監、料理人、庶務をこなす事務員など、環境は彼らが暮らしてきた屋敷に遜色なく整っている。
「おはよう、エイダ。カーテンを開けるわよ?」
「んん……」
しかし子供が長い期間親元を離れて過ごすということで、自らの家や関係のある他家から使用人や護衛を学校に遣わせることも少なくない。
ところが、校内も寄宿舎もあくまで生徒の生活の場であるため、個人に雇用された使用人は敷地内での制限が多い。親にとって最も外聞と勝手が良いのは、使用人を学生として一緒に入学させてしまうことであった。
「起こしてくれてありがとう、ルナ。あら、朝ごはんの前にどこに行ってたの?」
「ランドリーから荷物を。シーツを替えるわ。着替えは手伝う?」
「制服くらい大丈夫よ。寝癖も無いでしょう?」
「ええ、今朝はね」
一般には貴族の身の回りの世話をする付き添いの使用人ーーいわゆる付き人と呼ばれる供の人間が成人もしていない、もしくは成人して間もない彼らに付き従う様子が校内でごく普通に見られるのにはそういった事情があった。
当然そこまでするのは社会的地位が確立された爵位のある家ばかりで、その付き人もまた由緒正しい家の子女が選ばれることが多い。社会勉強の一環で自分より身分が上の人間の世話をするという文化は貴族社会では一般的な風潮だ。
貴族ではない、市民ですらない、身分などないような立場から側近になったルナは例外中の例外である。
「そういえばルナ、私、今日は委員会の集まりがあるから少し遅くなるかもしれないわ」
「分かった。私も、放課後はーー…」
同じ貴族でも、使う方と仕える方に分かれた生徒たち。今や生徒数の1割ほどは"使用人"としての側面を持っている。
そしてラトヴィッジ校は、如才なく彼らに合わせたカリキュラムを用意した。
*
今日も教室では、ルナとレイラは一言も交わさずに各々の席に座っていた。お互いに目もくれず、実は親しいのだというそぶりは一切ない。
「最近ミス・シャーリーが突っ掛からないね」
「言葉遊びは減りそうとかなんとか言ってたぞ」
「あー、なるほど」
リーオの妙に達観した物言いに、エリオットは目を剥いた。
「おまえ、知ってたのか?」
「前にたまたま彼女たちが二人で話してるのを見たことがあったから、個人的に仲が悪くないくらいのことなら。場所は中庭の生垣の陰だったけど」
「……話くらい普通にすればいいだろ」
「シャーリー公爵家は力があるけど敵も多い。きっと事情があるんだよ。それにミス・シャーリーに目を付けられてるように見えるうちは、逆に周りは彼女に変なことしないと思うし」
やり方は違うけど、エリオットの啖呵と同じ意味があるパフォーマンスだよ。
声を抑えたリーオの呟きに、エリオットは窮屈なもんだな、と漏らした。レイラ・シャーリーの事情とやらと、色々なものに縛られがちな環境に身を置く自分とが、どこか重ならないでもない。
「そういえばエリオット、僕、今日は図書室にでもいるから」
始業の予鈴と同時に、リーオは思い出したように言った。
「ああ、放課後か。おまえも取れば良かったのに」
「あの授業?イヤだよ。疲れるもの、どっちも」
*
それは選択制の課外授業だった。
剣と銃。いずれかを選んで演習する、護身・護衛のための武器の使用訓練である。必修ではないが他に本格的な同世代との練習機会もなく、たまの課外授業に従者と呼ばれる立場の生徒たちは大抵の者が必ず参加する。
制服のブレザーとスカートから動きやすいスラックスに着替え、普段は肩に流している錆色の髪を後頭部で括る。
授業が行われる剣技場へ足を運んだルナは、生徒の集団全体を見回した末に一人の男子生徒に目をとめた。
「……エリオット様」
「は?おまえ、なんでここに……」
剣術の課外授業は基本的に男女別になっている。筋力や体格といった身体面での差が明確につきはじめる年齢で異性の組討の演習は難しい。実戦ではそんなことを言ってもいられないが、そこはあくまで学校である。
だが、しかし、今日は片方の教師が急遽休みを取ったらしく、剣技場の一角には性別に関係なくこの課外授業に申し込んだ全ての生徒が集められていた。
クラスがひとつ作れるだろうかという人数の中、ルナを含めても女生徒は両の手の指に満たない数しか集まらない。そもそも主の側に仕える女性使用人は従者ではなく侍女と呼ばれ、護衛はほとんど仕事に入らないためだ。加えて銃火器が開発され普及した現代、資金のある上流社会でわざわざ護身用の武器に剣を選ぶ人間が少なかった。
ルナとエリオットがお互いに剣術訓練の参加者であることを失念していたのはこうした男女別の授業形式や衰退した武器の事情がある。
「……公爵家のご子息が、どうして剣なんて?」
「歴史ある貴族は元を辿れば軍の騎士だ。かつてこの国で武勲を立てて爵位を得ている。剣は教養の一つだろう」
瞬きをしたルナはなるほど、と抑揚のない声で頷いた。
護衛される側であるエリオットがなぜ武器の取り扱いの授業に出席しているのかと思ったら。
集まった生徒を見渡すと確かに貴族の子弟の姿が点々と見られた。四大公爵家をはじめ各家の成り立ちや国政上の役割はそれなりに理解しているつもりだったが、この国の勢力図はサブリエの悲劇以降大きく変わっている。自分はそれ以前の歴史を充分に考慮出来ていなかったらしい。
「そういうおまえはどうして……」
言葉が中途半端に切れた。エリオットの問いを待たず収集の号令がかかる。授業開始の合図だった。
*
「この講義は普段なら私ともうひとりが見ているんだが、今日はあいにく一人だ。全員一斉に打ち合って目の届かないところで怪我されても困るし、男女別で勝ち抜き戦にするか」
どこか気の抜けたような言い草の男は、シャツの上にベストを着て腰に剣を佩くという、剣以外は非常にラフな格好をしている。ラトヴィッジで教鞭を取る以上、男も由緒ある家の騎士であるはずだが、陽気な口調や表情のせいか、ともすれば低学年の男子生徒たちとイタズラの出来で競い合いでも始めそうな雰囲気だ。
男ーーマーカス教師は、しかしエリオットから見れば隙のない立ち姿で辺りを見回した。
勝ち抜き戦、つまりトーナメントとなると、数の少ない女子は7試合ほど。男子だとおよそ30試合になる。1組ずつ消化しては日が暮れそうだ。
「準備が終わり次第、男子の1試合目からだな。男子は一斉に始めてもいいぞ。それで半分が落ちるわけだから……3試合終わったあたりで女子も始めよう」
「結局最初は一斉にやるんじゃねーか」
「ラトヴィッジの淑女が怪我したら事だろうが」
男なら良いなんてことはないし、気にする人間はそもそもこの授業を取らない、という真面目な意見は右から左に流して、マーカスは生徒らに準備運動を促した。
授業では、当然切れる剣を使わない。かといって、偽物の剣を使うわけでもない。演習用に用意されたのは本物の剣で、そのすべてに刃引きが施されている。今回は幅や長さも様々ある中、自分で使用する剣を選ぶようだ。
エリオットは普段の授業で型の練習に使われる統一された規格のものより、私物であるナイトレイの黒い剣に似た、刀身のやや長い剣を手に取った。
「じゃあ、始め」
勢いのない合図で、男子生徒は籤で当たった対戦相手に一斉に斬りかかる。トーナメントの1回戦目だ。
貴族の嗜みとして狩猟や乗馬など身体を駆使する訓練は多々あるが、こと剣においてエリオットは同級生に遅れを取るつもりは一切なかった。実際に試合が始まると、エリオットは相手と数回斬り結ぶようにして剣の感触を確かめ、相手が上段の構えから振りかぶるより速く喉元に切れ味のない刃を突き付けて真っ先に勝ち星を上げた。2試合目も、3試合目も、決着のスピードはさほど変わらなかった。
ここにいる生徒は、基本的な剣術の訓練を一通り受けた者ばかりだ。全くの素人はおそらくいない。誰もが学校ではない場所ーー自らの屋敷や仕え先で騎士に手ほどきを受けてきている。
それでもエリオットは負けない自信がある。エリオットと他の生徒とでは明確な違いがある。
4試合目を勝ち進んだところで、既に負けて脱落した男子生徒たちの間から歓声が上がった。
「嘘だろ」
「あと1勝で全勝だぞ」
剣技場の中、野次馬と化した敗者が一箇所に集まっていた。つい手を止めてそちらを見ると、生徒たちの視線を集めていたのはレイピアのような細い剣を片手に持った錆色の髪の少女だった。対面には別の女子生徒が地面に膝を付いている。
最初に話したあの時に廊下を走っていた様子から相当動けることは分かっていたが、そうか。強いのか、あいつ。
それにしても、勝ち抜き戦で「全勝」だなんて妙な言葉が聞こえる。そもそもトーナメント式は必ず1人は全勝する仕組みだろう。
その時、騒がしい観衆の輪の内側にマーカスが進み出て呆れたように言った。
「おいおい、全員とやれなんて言ってないぞ、オレは」
どういうことだ?
試合をしていたエリオットには話が見えない。
「まあいい、そこまでやったなら最後まで続けろ。面白いし」
一転。マーカスが少年のような顔をすると、ルナと、おそらくまだ彼女と組み合っていない女子生徒が前に出た。
男子生徒はおろか、他の女子生徒まで全員見物にまわっている。今しがたまでエリオットと斬り合っていた生徒も、何事かとその辺の生徒に尋ねた。
「おい、女子の試合、あれはどうなっているんだ?」
まさかとは思いつつ、エリオットはその声に耳を傾ける。
「あいつがろくに剣を使わず勝ってくから、躍起になった他の女子が次々試合を申し込んで、あれが最後のひとりだよ」
「は……」
全勝。
全員と。
野次馬や教師の言葉には得心がいったが、指定された形式を無視して躍起になるやつがあるか。それこそ怪我人を出しかねない。
色々と絶句したエリオットをよそに、剣を構えた女子生徒がルナに突っ込んだ。
キンッ、と金属同士のぶつかる音が響いた。女子生徒の標準的な造りの剣と、ルナの持つ細い剣が鍔迫り合う。そのまま数秒拮抗が続いたかと思うと、お互い大きく後退して距離を取る。
次に仕掛けたのはルナのほうだった。猛スピードで女子生徒に向かって駆ける。ほとんど助走が無いにも関わらず異様な速さだ。迎え打つ女子生徒が素速く剣を横に振ると、ルナはそれを高く宙に舞って躱した。そのまま空中で身体を捻り、微かな音を立てて女子生徒の背後に着地。
「……あの動き」
初めて話をしたあの日、人のいる廊下を野兎のように駆けていた彼女。エリオットの手を取り、けれどそれに頼らず立ち上がった彼女。あの軽やかな動きを可能にする筋力は目を見張るものがある。
背中を取られた女子生徒が咄嗟に後ろに切り返す。しかし見切れないほどの速さはない。ルナは身体を沈めてそれを避けると、その低姿勢のまま片足を軸にもう片足を旋回させ、剣を力いっぱい振り抜いた相手に容赦なく足払いをかけた。
腰、背中を地面に打ち付けた相手の横っ面に、立ち上がったルナが剣の先を突きつける。
勝負ありだ。
「騎士たるもの、武器に頼るべからず。この授業の最初に教えたことだな。ルーンフォーク、おまえ今から男子のほうに混ざれ」
歓声、というより半分どよめきと化した観衆の声は、マーカスの言葉でさらに大きくなる。つくづく特殊な位置に立たざるを得ない少女だ。今回に関して不憫だとはエリオットは思わないが。
「私は構いませんが……誰と?」
「では、まずはオレが。彼女が勝てばオレに代わって残りの勝ち抜き戦に参加すれば良い。どうですか?」
「いいだろう。じゃあ最初はおまえだな、ミュラー」
ローランド=ミュラー。
生真面目そうな顔付きの生徒は、たしか家が代々伯爵家の侍従を務めていたはずだ。勝ち残っている以上は弱いはずもない。進み出たからには好奇心以上に自信もあるだろう。
両者が静かに剣を構える。
どちらも律儀に動かないので、マーカスが「始め」と手を叩いた。
先に斬りかかったのはローランドだった。振り下ろされた剣をルナが下がって避けた。ローランドは手本のような優等な太刀捌きだ。それに、標準より幅のある重い剣を使っている割には速い。
右上から、左上から、または下から。襲いかかる剛剣をルナは紙一重で躱している。切れない剣。逆に言えば、刃がないだけの本物の武器であり、殺傷能力は充分だ。男子生徒が踏み込むたび、次は当たる、と周囲が息を呑むが、その切っ先はまた少女をすり抜ける。
数回して当たらないとみるや、ローランドが剣を引いて構えた。それも一瞬、彼はルナに駆け寄り迷いなく突きを繰り出す。
ルナは今度は避けなかった。
その場から一歩も引かずに剣を構える。
突きが届く寸前、防戦一方だったように見えたルナの細い剣が、2人の間で円を描くようにくるりと回った。
観衆がそれを認識した時には、既にローランドの剣は剣技場の端に音を立てて落ちていた。
「おい……」
「剣を吹っ飛ばした……?」
……巻き上げて、勢いで払ったな。
基本で習う型の一つではある。見て分かった者も多いはずだ。しかし、あの攻防の最中に実践できるかといえば話は別だろう。
紙一重で剣を躱して相手に立て続けに攻めさせ、その隙を突く。攻撃を躱す敏捷性と、目が良くなければできない芸当だ。タイミングを誤れば突きはルナに当たっていた。
しかも偶然か、払った剣は誰も生徒がいない方向に飛ばされている。
「武器に頼るべからず……とはいえ、これは剣の試合ですから、ここまでですね」
ローランドが言葉通り両手を上げる。
いつの間にか全員が剣を下ろしてルナの試合に見入っていた。
エリオットの剣を握る手に思わず力が入る。
「おまえは……」
そしてルナはーー普段教室ではひっそりと静かに息をしているこの少女は、これだけ目立つことを承知の上で男子生徒を相手に勝ち上がっているはずだった。
06.試合