箱庭聖譚曲
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「ルナ、しばらくぶりじゃないか!怪我の具合はもう良いのかい?」
「おじさん……お久しぶりです、おかげさまでこの通り。奥様とお子さん達は元気ですか?」
「ああ、末の子が歩くようになってね。女房も目が離せないから最近店に出てないが……そうだ。これ持ってってよ」
「あいにく、今日は持ち合わせがなくて……」
「サービスだよ。また来てやってくれ。子供達も喜ぶからね」
「あれ、ルナ?珍しく可愛い格好してるわね。病気して寝込んでたって聞いたけど、大丈夫なのアンタ」
「こんにちは、マギーさん。軽い怪我だから寝込んでませんし、もう治りました」
「そりゃよかった。ちょうどいいからこれもらって。旦那が出先で見つけたんだけどさ、良いものだからアンタにって……あ、お代はいらないから!快気祝いよ」
「お嬢!……げっ、今日男連れ?」
「……言っておくけれど、目上の人よ。それにその呼びかたはやめてって」
「へえ、目上ねぇ……。その目上のヒトに荷物持ちさせてんの。どういう関係?」
「それは……」
「いや。いい、いい。深掘りしねぇって。気に障ったなら謝るし。お詫びついでにこれやるよ。……なぁ親父!お嬢来てっけど!」
「ちょっと、こんなにもらえな……、もう」
インク、洗剤、蜜蝋燭、果物、銀のカトラリー。一件通り過ぎるたびに荷物が増えていく。かろうじてひとつの紙袋にまとめられてはいるが、中身は今にも溢れんばかりだ。晴れの日のお祭り気分を考慮してもずいぶんな量に思える。この調子だと袋の底がどこまで耐えられるか怪しいなと思いながら、エリオットは片手で荷物を抱え直した。もう片手には祭りの雰囲気に似つかわしくない黒い剣を握って。
連れ立って歩いて小一時間。ルナが挨拶回りと称して訪れる店の多くは、レベイユの中央の通りから外れた、下町に近い区画にあった。どちらも繁華街ではあるが、ブティックやレストランが立ち並ぶ中央の通りに対して、こちらは商店や屋台、宿屋が多く道を歩く客層も違う。露店の呼び声、酒に酔った笑い声、笛や太鼓の音。色とりどりの旗が風に揺れ、香辛料と焼いた肉の匂いが入り混じっている。エリオットにとっては新鮮な風景だ。
「ごめんなさい……やっぱり私が持つわ」
「別にこのくらい構わねえが、毎回こうなのか?これ」
「ううん、買い物しておまけをもらうことくらいならあるけど……」
少女は困惑気味に言葉尻を濁す。どうやらさすがにこの量の土産物は初めてらしい。
最初に訪れた店でルナが当然のように受け取ろうとしていたサービスだという品々を、横から奪って持ったのはエリオットだ。特に深い意味は無い行為だった。彼女が鍛えているのは知っているし、決してか弱いと思っているわけではないが、怪我云々がなくても細い腕に持たせるには憚られる重量なので結果的に正解だろう。とは言えそれで荷物を持つのがこちらと見るやここぞとばかりに土産を増やす店の人間達も容赦がない。
普段は荷物を持つ側だからか、両手の指先を手持ち無沙汰そうに組んで、申し訳なさと居た堪れなさと感謝とが入り混じった顔で俯く少女。とことん他人を頼ることに慣れていない。不器用な性分だ。
怪我で久しく贔屓の店に顔を出せていないことを、表情には出さないものの胸の内でずっと気にしていたに違いない。貴族の娘付きの使用人にそんな義務などないだろうに。そんなふうに身分を気にせず当たり前に店に訪れるルナのことを、街の人間は自分の家族のように思っているのだろう。気の置けないやり取りからは付き合いの長さが感じられた。祭りにかこつけた贈り物の数は、淡白な様子に反して律儀で義理堅いルナが今まで彼ら相手に積み上げてきた誠意や思いやりの量に比例しているように思われた。
まあ腕の中の品はどれも、少女への"贈り物"にしては実用性に富みすぎていて色気がないものばかりだが。エリオットは腕の中の紙袋を見下ろした。
日用品の贈り物。理由は明快だ。そのほうが、ルナが喜ぶ。
学校の中ではルナは驚くほど飾り気がない。校則で華美な装飾品は禁止されているが、髪を伸ばしているのに髪留めのひとつどころか化粧をしている様子もなかった。爪は短く切り揃えられ、手のひらは固い。容姿の手入れは身だしなみ程度に留められていて、それは学校の外でも大して変わらないのだろうということは今日会った街の人間たちの反応でよく分かった。
長らくベザリウスの従者をやっていてその程度の金銭の余裕がないとは思えない。主人のほうは社交界での付き合いも多いはずだから、そういったものに縁遠いこともないだろう。それでも彼女は、自分を飾るよりも優先して他のことに時間を割く。髪や爪を磨く手で剣を握り、化粧をする時間で学校中を歩き回って他人の仕事にまで手を貸す。
大貴族の令嬢の側仕えなら着飾ることは決して不用な技術ではないはずだが、単に興味がないとか、アクセサリーの類いが苦手だとか、仕事の邪魔だと思っている可能性もルナなら少なからずあり得る。何にせよ化粧道具やら宝石やらと、仕事道具を目の前にどうぞと並べられたら、迷いもせず後者を受け取る女だということは明白だった。
さて、どうするか……。
薄く化粧がされた横顔を眺める。格好も相俟って良家の淑女のようだ。顔見知りかそうじゃないのかは分からないが、歩いているとルナを目で追う人間もそれなりにいた。
「……なに?」
視線に気づいたルナが居心地悪そうに言う。なんでもないと誤魔化すにはエリオットは彼女を凝視し過ぎていた。
「いや、……今更だけどいいのか?どこもベザリウスの得意先なんだろ」
苦し紛れに話を振れば、彼女は「そんなこと」と前に向き直った。あまりにもあっさりしているからエリオットは自分の心配が見当違いなものだったろうかと考えを巡らせるが、見当違いでも大袈裟でもない。それをナイトレイの人間に教えることは、彼女の、ひいてはその主人たちの不利益にしかならないのに。
「たとえばお金をもらって食べ物に毒を盛るような人達でもないし、それをさせるあなたでもない。……そのくらいは、分かるようになったの」
少女はこともなげに言う。話の内容の物騒さとは程遠い、いつもの声で。
「分かる"ようになった"?」
エリオットが訊いた。ルナはエリオットをちらりと見ると、ゆっくり口を開いた。
「……私は、ナイトレイが嫌いだった」
嫌い。
その言葉は唐突で、意外なほど深くエリオットの胸を貫いた。ルナがここまではっきりと何かを嫌いだと言い切ることは今までなかった。心臓が嫌な音を立てて脈打つ。
「ナイトレイっていう悪い人達がいて、私の大切なものを奪おうとしているんだと思ってた。昔エイダが誘拐されかれた時に、周りの使用人が、口を揃えてそう噂したから。ベザリウス家とナイトレイ家の歴史を知ってからも私の中でそんな先入観はあまり変わらなかったし、他の貴族の人達もみんな怖かった。けど」
彼女がそう考えるに至るまで、どれほどのことがあったのか。エリオットには少なからず分かる。自分が辿ってきた道だからだ。エリオットの命が狙われたことだって、エリオット自身が知る範囲でも一度や二度ではない。
ナイトレイとベザリウス。理由も、経緯も、幼い頃から何度も聞かされてきた。譲れないものがあり、相容れない正義がある。そう教えられてきた。
「違うって、やっと分かるようになったの」
淡々と独白を終えると、ルナは露店の前で足を止めた。子供に押されて、危うく品を落としそうになった商人に、そっと手を貸している。礼を言われてわずかに首を振る仕草。控えめで、けれど柔らかい。
彼女は変わった。
使用人仲間や街の人間からあれだけ慕われているにも関わらず、教室では人形のように黙して動かなかった。貴族がどうの、身分がどうの……口に出すことはなくても、あからさまに線を引いていた。壁は崩さず、こちらが何を言おうと、一歩も踏み込ませない目をしていた。
それが今はどうだ。
あの商人が貴族に連なる家の者だと知っても、同じように手を差し出すのかもしれない。少なくとも、拒む理由にはしないだろう。学校での雰囲気も柔らかくなった。
胸の奥が、妙にざわつく。
ルナは明らかに自らの心の持ち方を変えようとしていた。目を逸らし続けているエリオットを置いて、その世界を広げようとしていた。
変わっていくのは、悪いことじゃない。閉じていたものが開いて、他人と関わるようになる。それはむしろ、望ましいことのはずだ。
なのに。
──なんでだ。
地面崩れて足元が揺らぐ感覚。
自分だけが取り残されているような。
ぼうっとするエリオットの意識を引き戻すように、近くの広場でひときわ賑やかな歓声が上がった。その方向を見やれば、人の輪の中で抱き合う若い男女の姿。女の手の中には青い羽が大切そうに握られている。
喜びの滲む女の表情と、先ほどカフェで見たくすぐったそうなルナの顔が一瞬重なって、拾い上げたメッセージカードが脳裏をよぎる。
そうやって変わっていって、いずれは全部。
——全部、他のやつに向くのか。
胸の奥に沈んでいた言葉が、今さらになって輪郭を持つ。
自分の中で、何かが静かに歪む。
別に、特別扱いされたいわけじゃない。
そうじゃない、はずだ。
ただ前みたいに、少なくとも、自分にだけ向けられていたものがあった気がして。それが離れていくと分かり、柄にもなく惜しいと感じている。
目の前のルナは、祝福の輪を遠いものを見る眼差しで優しく見つめたまま、何も言わない。
それが、たまらなく気に入らなかった。
視線の先で人だかりがほどけていく。笑い声が広がり、人の流れが動き出す。ルナもまた、何事もなかったかのように先程までの調子で歩き出した。
その背を、エリオットは数歩遅れて追う。呼び止める理由も、用件もない。
「……だいぶ遅くなったわね」
不意に吹いた風が下町の通りを吹き抜けた。少女の髪が頬にかかり、視界を遮る。邪魔そうに指で押さえる仕草を、エリオットは数歩後ろから黙って見ていた。
「そろそろ、帰っ……」
おそらく「帰ろう」と口にしかけた彼女の髪がまた風に乱れる。
舌打ちひとつ。エリオットは懐に手を突っ込み、グローブをした指の先で微かな布の感触を確かめた。
「おい」
ぶっきらぼうに声をかけると、ルナは振り返る。
「なに?」
「それ、邪魔だろ」
エリオットは顎で彼女の錆色の髪を示した。彼女は一瞬きょとんとし、それから小さく頷く。
「……少し」
「持ってろ」
短く言って、エリオットは手の中の荷物を剣ごとルナに押し付けた。抗議させる間もなく、空いた手で少女の髪をまとめる。指先に触れる髪は、思ったより柔らかかった。
一瞬、手の動きが止まる。
——何やってる。
自分で自分に吐き捨てるようにして、彼はさっさと懐のそれを取り出した。少女が挨拶回りの店先で話し込んでいる間に、露店でほとんど衝動的に買ったものだ。羽ではない。ただの、細いリボン。
「あの、」
「動くな」
低く言って、ぎこちなく結ぶ。リボンタイと同じ結び方でいいのか勝手は分からないが、それでもほどけないようにだけは気をつけた。
やがて手を離す。
「……ほら」
ルナはそっと後ろで結われた髪に触れた。彼女自身には見えないが、そこには鮮やかな青色のリボンが揺れていた。
「これは……?」
「余り物だ」
間髪入れずに言い捨てる。
視線は合わせない。通りの向こうへと向けたままだ。
ルナはしばらく何も言わず、指先でリボンの端をなぞっていた。
「……ありがとう」
静かな声だった。ルナは抱えた荷物はそのまま、剣だけエリオットに返して言った。
「助かったわ」
「別に」
吐き捨てるように返して歩き出す。隣を歩く少女の結ばれた髪が、もう風に乱れることはない。それを横目に見ながら、エリオットは小さく息を吐いた。
徐々に閉幕に向かうざわめきの中で、青い羽がまたひとつ、誰かの手から誰かの手へと渡る。自分の手の中には漆黒の剣。少女の頭で揺れる青を見て、今日はこの程度が関の山だろうと踵を返しかけた、そのときだった。
ゴォン、ゴォン、と、澄んだ鐘の音が、空気を震わせるように響き渡る。楽器や人の声や、祭りを彩っていた音とは違う、厳かでどこか懐かしい音色に思わず足が止まった。ルナもまた、同じ音に耳を澄ませている。
やがて彼女は、少しだけ躊躇うように視線を彷徨わせてから、意を決したようにエリオットを見上げた。
「あの……」
「なんだ」
「もし、よかったら」
一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから、彼女は続ける。
「少しだけ、寄り道をしてもいい?あの鐘の……教会に」
てっきりまた帰ろうと言われるとばかり思っていたエリオットは、拍子抜けしたように足を止めた。
遠くで鳴り続ける鐘の音が、まるでその提案を後押しするかのように響いていた。
20.晩鐘
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