箱庭聖譚曲
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毎日他愛のない会話を交わす数少ない友人も、同じ教室で授業を受けるだけのその他大勢の生徒も、彼女にとっては等しく"クラスメイト"なのだろう。
自分やリーオ、口では何と言っていても気の置けない仲に見える赤毛の少女さえも、彼女の中ではその枠から逸脱することはないのかもしれない。
エリオットはリーオを奥の通りの古書店に置いて、ひとり祭りに賑わう道をあてもなく見て回っていた。普段であれば文字を追いながら会話など造作もない従者なのだが、一度のめり込むと長いうえ、邪魔をしようものなら角金の装丁の本が顔を目掛けて飛んで来かねない。面倒くさいヤツ。
「何やってんだ、オレは……」
吐き出した溜め息は雑踏の喧騒に掻き消えていく。漂う湿っぽさについ、顔を合わせれば怒鳴りつけている義兄のひとりを思い出し、己を叱咤するつもりが余計に気分が沈んだ。柄にもないことだった。
同じラトヴィッジの生徒という立場である以上は、あの少女にも分け隔てない環境を望んでいたはずだ。背景が他の人間と異なることを差し引いても、何ら後ろ指をさされる行いなどしていない彼女の不当な扱われ方に苛立ちを感じてクラスメイトたちを怒鳴りつけたのだ。
しかしエリオットは今の状況を手放しで喜ぶことが出来ない。矛盾は承知の上だが、ともかく素直に「良かった」なんて思ってやれなかった。
眉根を寄せたまま目を伏せると、先ほど見た光景が瞼の裏にこびりついている。
自分が可愛がっていた猫が他の人間に擦り寄っているような感覚は、正直言ってかなり面白くない。少し前から兆候はあったのだが……というよりエリオット自身がきっかけの一端ではあるのだが、実際に彼女が周囲に絆されはじめると話が変わった。
侵入者騒動があった日以降、直接彼女に話しかける生徒もいれば、遠巻きにその姿を見ようとする生徒もいた。各々の意図まではエリオットには図りかねるが、かつての好奇や侮蔑の視線はすっかり数を減らしたように感じられた。裏が有るにせよ無いにせよ、彼女に近づく人間は概ね友好的だったのである。
対するルナは、しばらく戸惑い反応に困っていたようだが、結局それを受け入れた。ルナもクラスメイトたちが純粋に仲良しこよしを望んでいるわけではないことくらい、察しがつくはずだった。それでも彼女は休憩時間にかけられる声に顔を上げ、廊下をひとりで歩かなくなった。そして、ついに休日を"誰か"と共に過ごしている。
歯痒いのは、たとえルナがどうしていたところでエリオットには口を出す権利が毛ほども無いということだった。
自業自得な面が大きいのは否定はしない。クラスメイトたちの手のひら返しを他人事のように語っている場合ではないのである。本来なら自分は今頃彼女に避けられていても文句は言えないはずだった。目の前で彼女の主人に強い言葉を浴びせたし、その兄だという少年の手を乱暴に振り払いもした。
それでもエリオットに対する態度が変わらないのは、ルナが他人を区別していないからだ、とエリオットは思う。それは性善とも博愛とも違う。結局のところ、彼女にとって主人以外は等しく有象無象の人間でしかないということだ。見咎めるほど、忌避するほど、きっとルナの中でエリオットの存在は大きくない。野良だと思っていたあの猫の飼い主は、とっくのとうに別にいた。
それも面白くないなんて。彼女の大切なものにあんな仕打ちをしておいて、勝手な話だ。
昼の日差しに当てられたのかぐるぐると渦巻く思考を払うように、エリオットは強くかぶりを振った。
「…………くそっ、」
*
天使の来訪を歓迎するように、恋するその背中を後押しするように、今日の街は華やかに飾り立てられていた。街灯には花が括られ、店の扉には月桂樹のリースがかけられており、通りを歩くと頭上にはあちらのベランダからこちらのベランダまで色とりどりのガーランドが交差する。
ルナは往来の賑わいを他人事のように思いながらローランドと連れ立って歩いていた。
「……良かったんですか?迎えと一緒に戻らなくて」
「こんな日に貴重な時間を取らせた上に、女性を送りもせず帰すのは気が引けるからね。君達はまだ帰省はしてないだろ?寮まででいいかな」
「……お気遣いなく」
前から来る通行人を避けると、青いスカートの裾が揺れる。着慣れないこの服は普段のお仕着せのまま約束の場所に現れたルナの格好があんまりだと言われ着替えさせられたものだった。押し込まれたブティックの店員についでとばかりに薄く化粧もされた。外出の際の身嗜み。ドレスコード。礼儀のひとつと理解していてもどうしても我慢できず、色のついたリップだけは店を出てすぐ落とした。
さすがに会計は自分でと申し出たものの、大した額でもない、今日の報酬の前払いだと押し切られ最終的に折れざるを得なかった。首都レベイユの真ん中で売られる服一式が大した額でないわけもない。そもそもルナは今日のことに関して報酬などもらう気がなかった。受け入れたのはそうしなければ話が進まなかったからで、気が引けるというのはこちらの台詞である。たとえ相手にそのつもりがなくても借りを作ったようで落ち着かない。
「ブリジットデイ、どうだった?」
「楽しかったです。このカードも、ありがとうございます」
「良かった。君は分かりづらいから」
「そうですか?」
聞き返すもののたしかに喉から出た声は平坦で、さほど気持ちが乗っているようには聞こえなかった。かといって無理矢理に表情を作ったり声を弾ませたところで、薄っぺらいそれは不純物として本来伝えたい感情を濁らせていただろう。
自分のこういう部分は世間一般ではあまり好ましく思われないのかもしれない。ふとルナは思った。エイダやオスカーは口に出さないが、たとえば今朝がた顔を合わせた剣術の師には「無愛想」だの「愛嬌がない」だのと毎度のように指摘される。そう言われてもどうすれば良いかなんて分からなかったしその必要も感じなかったが、教室でのクラスメイト達のあの態度は決してルナの身分や立場だけに向けられたものではなかったのだ、なんて、今更だ。
後悔か、反省か。考え込んで落ち込む肩に、不意に横から伸ばされた指先を、ルナは反射的に避けた。ローランドが驚いたように手を引っ込める。
「ああ、ごめん。花びらが付いているから。どこかの装飾かな」
「……すみません」
「謝らなくていい。そういうところも気に入って声をかけたんだ。警戒心はあるに越したことはないし、裏表がなくて信用できる」
「……授業の時も思いましたけど、変わった考えですね」
「そうかな。でもおかげで今日が叶ったんだから、悪くないだろう?」
やっぱり奇特だ。のらりくらりとした掴みどころのない様がやり込められているようで苦手に感じる。そんな感情も"分かりづらさ"故に相手に通じていないのだとしたら捨てたものでもないのかもしれないが。
「正直なことを言うと、君がこちらの申し出をああも簡単に了承してくれるとは思わなかったよ。君にとってのメリットが少なすぎて」
そう言ってローランドが隣を歩くルナを横目で窺った。
「どういう心境の変化?」
「……それは、」
変化。そうだ。少し前の自分なら、こんなことは断っていたに違いなかった。他人のために主人の傍を離れるなんてことは絶対にしなかっただろう。
ルナは答えかけた唇を引き結んだ。
足元に目線を落として数秒考え込み、再び口を開こうと顔を上げて。
「どうかした?」
道を行き交う人の波が途切れ一瞬だけ視界が開けた先、通りの向こうを見てぴたりと足を止める。
「……すみません、ここまでで結構です」
「は、」
寮までの帰路であるなら本来曲がるべき道。それを無視して、まっすぐに地面を蹴る。ローランドが何か言うよりも速く、ルナは瞬きの間に錆色の尻尾をなびかせて駆け去って行った。
その振り向こうともしない後ろ姿を眺め、通りにひとり取り残されたローランドは肩をすくめた。
「……前言撤回。君は存外、分かりやすいのかもしれないな」
人の多い道をルナは走った。この程度の距離で息は上がらないが、スカートが足にまとわりついて、いつものスラックスや丈の短い制服に比べるとだいぶ走りにくい。
そういえば彼と正面からぶつかったあの時も自分はこんなふうに走っていた。そう遠くない思い出が蘇って既視感がじわりと頭に滲んだ。
人と人の間を器用にすり抜けて、目の前の黒い外套に手を伸ばす。
「──なっ!?」
「……やっぱり」
「は?……ルナ?」
外套の背を思い切り掴まれたエリオットは驚いたようで、青い目をギョッと見開いた。
見慣れた制服とは違う、黒い色調の装いと白い手袋。外套の裾からは黒い鞘が覗いている。ブリジットデイで街を訪れていたのだろうか。学校の外で彼に会うのは初めてだ。
「おまえ……走ってきたのか?」
「……その、見慣れない服装だったし、歩くのが速いから……見失うと思って、つい」
じっと見下ろされ、慌てて服のシワを払う。呼吸が乱れはしなくても物理的なものはどうしようもないが、身嗜みは彼に挨拶できるそれではなかったかもしれない。この格好で走るのも、街中で気にする人間は少なくとも、おそらく彼からしてみれば行儀が悪く思われたのだろう。少し棘のある空気を纏ったエリオットを恐る恐る見上げる。
「あの、ごめんなさい。声かけないほうがよかった?」
「べつに、そんなこと思ってねぇよ」
「よかった……エリオット様はどうしてレベイユに?」
「リーオのやつが露店の古書を物色してるから、適当に時間を潰してるところだ」
「そう」
レベイユのはずれにある古書店街は、サブリエの悲劇の被害を免れた蔵書たちを首都移転の際に受け入れたことやその後街の発展とともに学校が多く創立されたことで、そもそもが国随一の規模である。それでもやはり今日のように様々な街や国の行商人が出入りするとなると珍しいものや思いもよらない出会いがあるのだろう。ルナも本は好きだが、かたやこちらはラトヴィッジ校の図書室でお腹いっぱいだ。
「……おまえは」
「私?」
「俺の間違いでなきゃ挨拶回りだって聞いた覚えがあるが?」
ああ、たしかに教室でのいつものとりとめのない会話の中で、エリオットにそんなことを話した記憶がある。
「……色々あって、今日は行けなかったの」
予定は未定とは言え一度口にしたことを実行しないのは座りが悪いが、さすがにルナもこの人混みの中をあちこち歩く気になれず挨拶回りはまた後日にと考えていた。なにせ今日がブリジットデイだということを失念していたので。師と仰ぐ道化男が自分を鼻で笑う様が目に浮かぶようだった。
嘘をつかれたように感じたのか、気分を害したらしいエリオットが「色々あって、な」とどことなく含みのある言い方でルナの言葉を繰り返す。
「このあとの予定は?」
「……誰の?」
「おまえ以外誰がいるんだよ」
「ええと……帰る……?」
「わざわざ人の足を止めておいてか?」
「…………それは」
既に夕食の支度の段取りまで考え出していたルナだが、突然背後から裾を引っ張られた彼からすればもっともな言い分だ。深く考えもせず動いた足。外套を掴んだ手。あの行動に特に意図はなかった、などと言い訳をして許してもらえるだろうか。
言葉を詰まらせたルナに、エリオットは「……冗談だ。じゃあな」とどこか投げやりに言ってまた通りを歩き出した。それまでの咎めるような態度を騒々しい空気にうやむやにするように。その諦念の混じった声はルナの中におぼろげな不安を生んだ。透き通った水にインクを一滴落としたように、放っておけば解けて消えてしまいそうなそれを、けれどなかったことにしてはならないと直感的に感じ取る。彼は今自分に何を期待して、何を諦めたのだろう。
そういえば、とふと思い出す。挨拶回りの話をした時も週末の予定を聞かれた気がする。何か予定はあるのかと。あの時は何も疑問に思わず素直に答えたけれど、もしかして何か言わんとするところがあったのだろうか。遠ざかろうとする背を前に、ルナは咄嗟に頭を絞った。
「もしかして……暇つぶしの相手を探してる?」
「は?」
「いくらあなたでも街でひとりは危ないものね。リーオが戻るくらいまでなら……」
いつもと違うエリオットの様子。では何が違うのかと考えればそれは明白だ。隣にリーオがいない。彼にとってきっと大きな要素だろう。
リーオが趣味に没頭している間、手持ち無沙汰で話し相手が欲しかったに違いない。思い付いてしまえばそうとしか思えなかった。気心の知れた仲だから、きっとエリオットはリーオが古書店街で吟味を始めてしまえば長引くことが予め分かっていたのだと。それに剣の腕は充分だけれど、人の多いこの往来を歩くのに護衛が無いのも気掛かりだったろう。貴族の子息の安全を自身だけで担保できるほど、首都といえど治安が良い街ではない。
答え合わせをするようにそう言ったルナを呆れた目で振り返り、エリオットは大仰に溜め息をついた。
「……誰にでもやんのか、それ」
話が見えず首を傾げるルナの前で彼はおもむろに身を屈め、白いグローブが汚れるのを厭わず足元から手のひら大の紙片を拾い上げた。見覚えのあるルナの口から「あ、」と間の抜けた声が漏れる。隅に透かしの入ったメッセージカードは、カフェでローランドから手渡されたものだった。
「"楽しかった、またよろしく"か。お友達が増えて良かったじゃねぇか」
「あ、ありがとう……?」
落としたのは服を払った時だろうか。街の花飾りが舞う程度には風も吹いているし、気をつけなければ。エリオットの言い草に引っ掛かるものを感じるも、落としたものが返ってきた安堵が大きくて胸を撫で下ろした。
礼を言って差し出されたカードを受け取ったルナの顔に、エリオットの手がゆっくりと伸びてきた。思わず息を呑んで動きをじっと目で追う。グローブをした指先が、風に煽られ頬にかかった錆色の髪をそっと耳の横に退けた。
「……あんまりなんでも素直に頷くなよ」
彼の手を辿って視線を声の先へ移すと、彼らしくない、仄暗い光を宿した眼がこちらを見下ろしていた。
「どういうこと?」
「……痛い目みるぞって言ってんだよ」
「痛っ」
指先が勢いよくルナの額を弾いた。痛い。嘘だ。軽い衝撃に目を瞑ったものの、流石に本気ではない上にグローブ越しの威力などたかが知れている。
何か良くないことを言っただろうか。痛い目とは?
困惑しながらそろりと瞼を持ち上げると先ほどの雰囲気はどこへやら、エリオットはいつも通りの彼に戻っていた。
「で?リーオが戻ってくるまで相手してくれるって?」
「え……ええ」
「じゃあ決まりだ。つってもオレは当てがないからな。おまえの用事に付き合ってやる」
ルナは思わず目を瞬かせた。用事らしい用事なんてひとつしか伝えていない。
「……いいの?結構な数のお店を回るけど」
「別にまだ日が暮れるような時間でもねぇし、いいだろ」
「でもリーオを待たせるんじゃない?」
「オレが待たされてんだよ!心配しなくてもほっときゃ朝まで本の中にいる」
「……書店が閉まるまでに迎えに行かないと」
少し拗ねたような言葉は本気ではないだろうけれど、夜がふけても本から顔を上げようとしないリーオはありありと想像ができてしまい、逆の意味で心配になる。
もうすっかり慣れてしまった、どちらが主人か分からない関係性の不思議さを改めて味わいつつ、ルナはエリオットの横に並んだ。カードをスカートのポケットに滑り込ませ、先ほど触れられた髪を耳に掛け直す。知らず知らずのうちに僅かな熱を持った頬。それを冷ますにはちょうど良い距離だと思った。
19.過渡
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