箱庭聖譚曲
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窓の向こうの空は青く、地上には白い陽光が降り注いでいた。
国の治安維持組織『パンドラ』の本部。
そこは一応は執務室として使われている部屋だった。調度品に混じって不自然にならない程度に置かれた見慣れない装飾の小物や、書架に並ぶ外国語で書かれた本の背表紙が異国情緒を漂わせている。
部屋にはルナと部屋の主の二人だけしかいない。
デスクの前で無表情に佇むルナが身につけているのは、ラトヴィッジの制服ではなくダークカラーのジャケット、ベスト、スラックス、ネクタイと年頃の少女らしからぬ装いだ。髪も後頭部でひとつに括り、格好だけ見れば従僕の少年のそれである。ルナは学校の外では動きやすい服装を好んだし、エイダもそれをとやかく言うことはなかった。
対してデスクの奥、窓辺に腰掛けた部屋の主は感情を映さない双眸で直立不動の少女を睥睨した。ともすれば大人でも怯んでしまいそうになる視線を同じく感情が読みづらい瞳で受け止め、ルナはおもむろに口を開いた。
「……なんですか、あの荷物」
「わざわざそんなことを訊きに来るとはの。人からの厚意も素直に受け取れんのか?」
あるいはあなたからでなければ受け取っていたかもしれないが、とは立場上さすがに口にできなかった。相手は遥か目上、それもこの国で最も老練な為政者の一人である。
部屋の主──ルーファス・バルマ公爵は大仰な仕草で鋼の扇子を広げた。人前に出る際の丸い老紳士ではなく、20代くらいに見える赤毛の若者の姿だ。老紳士は彼が契約したチェインの能力による幻影であり、その契約の影響で身体の老化が止まった青年の外見こそがバルマ公爵の本来の姿なのだと、以前とある女公爵に教えてもらった。
「同封した手紙の通りじゃ。諸々の手配はこちらで済ませよう」
「それも厚意ですか?」
「なんじゃ、不満か?」
公爵の指示はルナにとって命令であり仕事だ。不満など言えるはずもない。どちらにせよルナに断る選択肢は与えられていなかった。それをいつになく渋っているのは、今回の仕事は自分には不向きだと感じているからだ。
「いいえ……ただ、役者不足かと」
「否定はできんがのう。他の人間では色々と角が立つ」
真意はどうあれ……いや、心のうちでは彼もルナにそれが務まるとは思っていないだろう。建前を用意しているのがいかにも彼らしい。
音を立てて鉄扇を閉じ、バルマ公爵は意地悪く目を細めた。
「不足の自覚があるならば、せいぜい上手く演じてみせるのじゃな」
彼を知る人達は口々に彼を悪趣味だと言う。
まったく同意見だ。
「承知しました。……もうひとつ、オズ様の件に関する報告書の閲覧許可が欲しいのですが」
「そんなもの、ベザリウス公爵の名前を出せばよかろう?」
「オスカー様が身内贔屓と揶揄されるのが目に見えていますので」
「貴族の身内贔屓など今に始まったことではないがの……まあ良い。話は通しておいてやる」
用が済んだなら下がれという命に特に抗うこともなくルナは執務室を後にする。部屋を出た先はパンドラの長い長い廊下が広がっていた。
「…………はぁ」
扉を閉め深く息をついたルナに、ひっそりと近づく人影があった。
「おや、誰かと思えば。コンニチハ」
「……お久しぶりです」
「相変わらず無愛想ですねぇ、君」
バルマ公爵の見下すような態度とはまた違う、人を小馬鹿にしたような喋り方。容易に他者を近付けさせない独特な間合い。今は出仕中だからかパンドラの制服姿だが、いつもはもう少し不思議な服装をしている。細身の肩に顔色の悪い人形を乗せて歩いている白髪の奇人、もといザークシーズ=ブレイク。相変わらず得体の知れない風情をしたレインズワース公爵家の従者だった。
彼もバルマ公爵同様、チェインとの契約の影響で20代そこそこの容姿を保っている。その見た目の若さを差し引いても、特別体格に恵まれているように見えない彼がこの国で最も強いと名高い騎士だなどと、果たして市井の人間のどれほどが信じるだろう。
ブレイクは胡散臭い笑みを貼り付けたまま言った。
「足、折れかけたんですって?事故とはいえ授業で怪我するなんて鈍ってる証拠です」
思わず顔を顰めた。そんなこと、彼はいったいどこから聞きつけたのか。耳ざといことだ。
「君はそんなに弱いんでしたっけ?」
「……反省しています」
片方しか見えない紅い眼の言外の圧に耐えかねて顔を逸らす。まるで親に隠し事を叱られる子供のように。
「もう具合は良いんですか?」
「お医者様には問題ないと言われました」
「君のことだからどうせ昨日今日の話で、しかも運動は控えろって注釈付きなのにこうして出てきたんでしょう?」
「……もう痛みもありませんし、運動もしませんので充分です」
「それは何より。杖なんてお揃いにされても嬉しくありませんカラ」
彼の手が杖をくるりと回して足元の絨毯を叩いた。何の変哲もないように見えるが中身は鋼の得物だ。杖を持ち歩いていた間、彼のような形であれば校内でも帯剣が見咎められず便利だとルナも一瞬考えはしたものの、彼の言う通りお揃いという響きはその長所を相殺して余りある欠点だった。
「今日はお嬢様には会っていかないんですかぁ?」
「……先約がありますので、またの機会に」
「エイダ様と?」
「いいえ」
「へえ、珍しいこともあるもんですね。こんな日に」
「……こんな日?」
こんな日、とはこの週末を指しての言葉だろうか。ルナはエントランスホールに向かって歩きながらきょとんとして聞き返した。「君、本当にそういうの疎いですよネ」と呆れた様子のブレイクがなぜかその後をついてくる。
怪訝な顔をしながら、
「……見送りは結構です。仮にも仕事中でしょう」
「仕事ならレイムさんに放り投げ……イエ、任せてきました。あ、飴いります?」
「レイムさんに同情します。早く戻ってください」
「表の馬車までですヨ。積もる話……は別にないですけど、このところ鼠が、ね」
彼は一見ふざけた面持ちを崩さなかったが、その眼には鋭い光が宿っていた。ルナが馬車を待たせていることを知っているということは、もともと外まで付き添うつもりで声をかけてきたのだろう。
じっと眼を見返してみても彼の考えは窺い知れない。だからといって尋ねたところで、飄々と躱されて終わりだ。昔からそういう人だった。
今ルナに出来るのはせいぜい、目の前に差し出された飴を受け取って、馬車に着くまでの間だけ話し相手になることくらいだ。
*
「──あれ?」
「なんだよ」
喧騒の中、リーオがやや間の抜けた声をあげる。その視線を辿った先にいたのは、ここのところすっかり見慣れた少女だった。
「あ?……ルナか?」
「偶然だね」
クラスメイトに対して妙な物言いにも思えたが、実際のところ偶然以外の何でもない。なにしろ、自分達が歩いているのはレベイユの大通りである。しかも普段より人通りが格段に多い。
エリオットは長い外套の下、ナイトレイの剣に手をやりながらすれ違う人を避ける。街並みは色とりどりの花に装飾され、通りは青い羽の衣装を身に纏う人々でいつも以上に賑わっていた。道の中央を同じく仮装した音楽隊や芸人の列が練り歩き、建物の窓や屋上からもそれを楽しもうと見物人が顔を覗かせている。
聞こえてくる音楽。高貴な街に似つかわしくない雑踏。
今日はレベイユの街が一年でもっとも活気づく祭典の日、聖ブリジットデイだった。
先日無事に試験を含めた授業の全課程が終了し、ラトヴィッジ校は長期休暇に入ったばかりだ。生徒の大半は寮で荷造りをしている最中で、早々に家に帰った者は少ない。エリオットも例に漏れず、まだナイトレイの屋敷には戻っていなかった。休暇が長い分、準備にはそれなりに時間がかかった。
そんなさなか、本来なら来るつもりではなかった……正確には来るつもりではなくなった祭りに顔を出すことにしたのは従者の言葉が理由だった。曰く「今日は珍しい本が手に入るかも」だと。
首都一番の大きな祭りとくれば街の人間も行商もこぞって露店や屋台を開く。貴族も市民も財布の紐が緩くなる絶好の稼ぎ時だ。一風変わった物品の売り買いがしやすいためメインストリートの近くでは市も開かれるほどであり、リーオはそういった普段と違う経路で入荷される雑多な商品──主に古書の、掘り出し物を狙っているようだった。
そうして荷造りの気分転換も兼ねてレベイユに足を運んでみれば、目当てのものより先にこの人混みの中からかの少女を見つけたわけだ。
怪我が治り学校の終業と同時に晴れて杖を手放したらしいルナは、学校の制服姿ではなく白いブラウスに青く丈の長いスカートを着て、まるで自身が深窓の令嬢であるかのように通りの端のテラス席に腰掛けていた。店は自分達から離れており服装もいつもと違うが、今更その横顔を間違えるはずがない。いつも通りあの抜けた主人と来ているのだろうとテーブルにふたつ並んだティーカップに予想をつける。彼女の向かいには今は誰の姿もないが、見なくともそんなこと分かりきっていた。
「チッ。行くぞ、リーオ」
「えー、挨拶くらいしたらいいのに」
「休日にあいつが何してようが関係ないだろ」
言葉とは裏腹に、エリオットは苛立っていた。
──来る予定だったなら言えよ!
若干理不尽な叫びは、しかしぶつける場所もない。
彼女は一言も言っていなかったはずだ。いや、本人は言ったつもりではあったのかもしれない。もっと具体的に聞いておくんだった。
"休暇中の予定はあるのか?"
"いくつかエイダの予定が入ってるから、その準備が"
休暇前の会話を思い返す。主人の予定の一環なのか、街の店に挨拶回りをするとも言っていたからそれを兼ねてか。どちらにせよ、わざわざこんな人の往来が多い日を選ぶとは思わなかったが、いかにもこういった催し事が好きそうなエイダ=ベザリウスの提案であれば納得がいった。
隣の従者にも悟られぬよう溜め息をつく。
自分が誘おうと思っていたのだと言ったら、ルナはどんな顔をするだろうか。
今日、この祭りに。
別に祭り自体が目的だったわけではない。買い物でも、それこそ目当ての本を探すでも、何でも良かった。
聞く限りではルナは名門ラトヴィッジ校の学生という身でありながら、教室にいる間を除いたほとんどの時間をそれは本当に彼女がやる必要があるのかと疑問になる仕事に費やしていた。寮の掃除、食事の準備、洗濯。エリオットが得た確証のある情報だけでこれだ。彼女のことだからまだ見えないところで馬の世話や庭仕事にも関わっているに違いない。その仕事量は美談にするにしても些か度が過ぎている。主人の世話も不足なくよくやっていて、体裁がある以上は授業で遅れを取れないプレッシャーもあるだろうに。
だから、祭りは口実だ。働いている時が落ち着くのだと……まるで常に何かの役に立っていなければ自分に価値がないとでも思い込んでいるような彼女を、彼女のための仕事がそこかしこに散らばり過ぎている学校から連れ出す口実。だが、しかし。
"エイダが"。
彼女の最優先をいつだって占領する名前を出されてしまえば、たかがクラスメイトにはそれ以上口を挟む余地など与えられていなかった。
エリオットはルナが望んで主人の傍にいることを出会った時から知っていた。自我が希薄で、大勢の視線の中で自分を殺してしまえる彼女は、ことエイダ=ベザリウスが関わる時だけ一歩も引かない強情さを見せた。
そんな彼女自身が望む場所から彼女を連れ出そうというのだから、思えば馬鹿な話だったのだ。自分達が友人としていられるのは学校内、教育の場というある意味で不可侵な空間で、クラスメイトという肩書きがあるからに過ぎない。
そうだ。あいつはもともとベザリウス家のものだった。
学校の外でまで、自分が彼女を気にかける理由はない。
エリオットは半ば自分に言い聞かせるように古書店街の方角へ足を向けた。
立ち去る寸前、肩越しにルナを見やると、ちょうど彼女の向かいの椅子を引く手があった。ティーカップから顔を上げたルナの錆色の髪が一房、肩から流れ落ちる。
「…………は?」
急に頭から冷水を被った心地になった。
そこに現れたのは当たり前に想像していた人物、つまり彼女の主人ではなかった。
「あれってたしか、同じ学年の」
「…………ローランド=ミュラー」
「そうそう。そんなに親しかったのは初耳だけど」
「あいつ授業で……いや、その後も……」
ルナの正面に腰を落ち着けた青年もラフな外出着姿で、否が応でも目の前の光景がプライベートの一幕であることを伝えてくる。言葉を交わす様子は親しげ……というほどでもないが、そもそもあの少女が主人以外の人間とこんな日に街中にいること自体が充分過ぎるほど普通ではないとエリオットはよく理解していた。
遠目に見える二人はこちらの存在には気付かない。話しているのはだいたいローランドで、ルナは相槌を打つように小さく頷き、口を開くのは時折だった。誰に接する時も変わらない反応だが、無性に胸が落ち着かない。
そう思っていると、不意にローランドが胸ポケットから小さなカードのようなものを取り出しルナに手渡す。素直に受け取ったルナはそれをひょいと裏返し、何が書いてあったのか困ったような苦笑を溢した。優しげに目を細めて、口元がほどけるように緩んで。年相応な少女のその表情に、頭がカッと熱くなる。
「そういえば君達、課外授業が一緒だったっけ……ってちょっと、エリオット?」
一歩進みかけたところでリーオに外套を強く引かれる。「なんだよ!?」顔を顰めて振り返るも、従者は慣れたもので、いつもと変わらない口調で主人を制した。足を踏み出した先が古書店街とは真逆だったからだ。
「ダメだよ」
「何がだ!」
「一緒にいるのがミス・ベザリウスならともかく、邪魔をするのは良くないでしょ。君、関係ないんだから」
まぁ実際にはミス・ベザリウスがいたら君は近付かないわけだけどさ。
それは今まで従者が発してきたどんな皮肉より深くエリオットに突き刺さった。
どうして。
今ルナと一緒にいるのが彼女の主人であれば、気には食わないが、それでもこんな思いはしていない。
手足の先や背筋は驚くほど冷えているのに頭の中は冷静とは程遠かった。エリオットが自制したところで少女の時間は結局自分でもなく、エイダ=ベザリウスですらない誰かに侵されている。しかも今日はブリジットデイだ。まさか彼女も言い伝えられている祭りの成り立ちくらい知っているだろう。
こんなことならオレが先に誘っていたのに。あいつもあいつだ。こんないかにも苦手そうな人混みに、のこのこ出向いて来なくても。あまり考えられない可能性だが、もしや彼女が望んだことだとでもいうのだろうか。腹の底に黒い何かが溜まっていくが、思考を何もかも晒してこの場で喚き立てるのは、エリオットが長いこと背負ってきた矜持が許さなかった。
何も知らない少女は雑踏の先、自分から離れた場所で、小さな紙切れを未だ大事そうに握っていた。
「……そうだな」
押さえつけるような低い声で呟いて、エリオットは今度こそ踵を返し煌びやかな大通りに背を向ける。
仕方ないなぁ、僕の主人(マスター)は。主人に反して呆れ混じりの嘆息を隠すこともなく、リーオは小走りに彼のあとを追いかけた。
18.祝祭
