箱庭聖譚曲
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またあの夢だ、と思った。
炎と血溜まりの中心で立ち尽くす夢。
足元の屍はすべて見知らぬ顔をしている。それなのに、この手には、手にした黒い刀身をした剣には、確かに彼らを切った感触が残っていた。
寒さは感じない。しかし身体の震えが止まらない。
分かっている。これは夢だ。
だから、はやく起きなければ。
瞼を無理矢理押し上げると、昼の白い光が眼を灼いた。
不思議なあたたかさを身体に感じる。さっきまで剣を握っていた手と、胸のあたりに。
先ほどまで建物を焼いていた炎の熱ではない。そんなものではなくて、もっと、今浴びている光を集めて形にしたような離れがたいぬくもりだ。なにか分かりもしないうちに、それを引き寄せる。石鹸と砂糖が混ざったような香りがする。
やがて目が慣れてくると、日差しを反射して亜麻色に輝く茶髪が視界に飛び込んできた。さらに伏せられた同じ色の長い睫毛と、白い肌、白い制服。
ぎょっとして身を引こうとするが、横になっていた狭いソファにそれができる場所はない。当然彼女を突き落とすわけにもいかない。状況に追いつかない頭をさらに混乱させるように、自分が無防備に寝こけている彼女の片手を掴んでいることに気付く。
なんでだ。いや、無意識のうちにやったことの理由なんか知るか。だいたいそのまま隣で寝ているこいつもこいつだ。
そして、どこからか鐘の音が鳴り響き──……
そこでエリオットの目は覚めた。
「…………あー……」
見上げた先の天井は校舎の控え室ではなく寮の自室のものだ。窓の外は既に明るい。
救いようのないことに、頭がやけに冴えていた。
睡眠の質はともかく、夜中に魘されて起きるようなことがなかったからか眠気に襲われることなく一日を過ごせた。ここまで調子が回復したのは久しぶりかもしれない。
授業を終えたエリオットは、このあとは外で剣の稽古でもするかと考えながら校舎の出口へ歩いていた。リーオはまた何冊か本を抱えているから、気が向けば付いてくるだろう。無論付いてきたところで、この従者は自分が剣を振る傍らその抱えた本を読んでいるだけなのだが。
「やっぱり打ち合う相手は欲しいよな」
「ああ、剣の練習?」
「腕が鈍る気がする。っつっても、無理なんだけどな」
エリオットは肩にかけた鞄を軽く背負い直した。いくら要人の子息の集まりと言えど、いや、だからこそこの学校では常時武器の携行が認められているわけではない。特にエリオットの剣のような威圧感のある物はよほどのことがない限り教師から注意を受けてしまう。
エリオットはそれを鞄に隠してなんだかんだ3年間と少し持ち歩いているのだが、さすがに練習相手まで望むのは欲張りだろう。安全に戦う、なんていう一見矛盾した条件を満たせる相手がそうそういるとも思わない。
「ミス・ルーンフォークなら君と互角に戦えそうだと思うんだけど」
「……」
何気ないようで的を射たリーオの提案に、エリオットはばつの悪い顔になった。たしかに剣の授業で自分と五分に渡り合ったルナなら稽古の相手に申し分ないだろうが、誘おうにも彼女とはあれ以来一切話をしていなかった。あれ以来、というのは自分がピアノ控え室で不覚にも寝ぼけた日ではなく、オズ=ベザリウスらと事件に巻き込まれたあの日以来である。
控え室で目を覚ましたエリオットは色々と飲み込めないまま状況の整理に頭をフル回転させた。その気配のせいか遅れて瞼を開いたルナは猫のように飛び起きて引き留める間もなく部屋を出て行ったので、結局その時にはたったの一言すら交わしてはいない。
わざわざ昼休みに訪ねてきた理由だけはその後リーオから聞かされている。ルナの性格上、また改めてエリオットに直接話をしに来るだろうと思っていたのだが。
……来ないな。つーか……
「ていうか、避けられてるよね、君」
「……うるせえ」
仏頂面のエリオットが廊下の角を曲がりかけたその時。
制服の襟元を背後から突然掴まれ、二人は大きく体勢を崩しながら手近な通路の陰に引っ張り込まれた。
「!?」
「わっ」
先日の侵入者の一件はまだ記憶に新しい。また厄介事が起こったのかとエリオットは思わず身構えた。
「ごきげんよう、お二人とも」
が、振り返った先にいたのは予想に反し、最近視界の端に映り込んでくることが増えた鮮やかな赤毛の女子生徒だった。
「……っ、…………仮にも淑女の振る舞いじゃないとは思わないのか?」
「何を言ってるの?あたしを見て淑女の定義を認識し直すことね」
「全世界の辞書を廃品にするような発言をするな!!」
「ちょっと、大きい声出さないでちょうだい。せっかく人目を避けたんだから」
レイラ=シャーリーの一方的な言い分に、エリオットは眉を吊り上げながら燕尾服の襟を正した。かたや転倒を堪えられず床に尻餅をついたリーオは「一瞬我慢したと思ったら」とエリオットを見て呑気に笑っている。
「人目って……おまえ、オレたちとも仲悪いフリしなきゃならないのかよ」
「別に。あなたの場合は目を引くからイヤなだけ」
「ひとりでも充分目立ってるだろうが」
「うるさいわね、悪目立ちする組み合わせでしょ」
「自覚はあるのか」
「あなたは自覚がないのね」
「はぁ!?」
「まあまあ。それで、本題は何かな、ミス・シャーリー」
売り言葉に買い言葉の応酬。お互い自ら引く性格ではない二人の口喧嘩は際限なく続くように思われたが、見かねたリーオの仲裁でレイラはようやく本題を切り出した。
「ルナとお茶したいから呼んできてほしいの」
「……なんでオレが」
「あたしとあの子のこと知ってるし、あの子のこと誘っても不自然じゃないし。今日はもう授業ないでしょう?特別にあなたたちも同席していいから、ほら」
レイラは追い払うように手を振った。エリオットの顔が思わず引き攣る。
「付き合ってられるか!」
上から見下ろされている、というより雑に扱われている。それはいいとして、上級生さえエリオット相手になかなか取らないこの態度の大きさは、新鮮だが同時に心の底から気に食わない。
エリオットはふと疑問に思った。そんな傲岸不遜を絵に描いたような貴族のご令嬢が、他家の使用人を友人と呼び気にかけている。ひょんなきっかけから事実を知ってはいても、事情の方は何が何やらだ。
「おまえ、どうしてそんなにあいつに構うんだ?」
「あら、それはこっちのセリフね」
カツン、とレイラのローファーの底が石の床を叩く音が響いた。切り返されるのは想定外だった。
「あの子に遊びで構っているの?」
「あ?」
「気まぐれで声をかけて、都合の悪い相手と分かったから手を引いたのよね?見ててとても不快よ」
「……違う」
「あなたの弁明なんてあたしにはどうでもいい」
ぴしゃりと問答無用でこちらの言葉を遮る声に、エリオットの額には青筋が浮かぶ。かろうじて怒鳴らないのは、目の前のクラスメイトの発言が一理あることをエリオット自身理解しているからだ。レイラが話しているのは彼女自身の見解などではなく、傍目からはそう見られかねないという事実である。
もはやここで何を言っても言い訳と解釈されるのがオチだ。思わず舌打ちしながら。
「……どこに連れて行けばいいんだよ」
「いつもの場所って言えば、あの子ならきっと分かるわ。よろしくね」
厳しい表情から一転、レイラはにこやかに手を振った。エリオットにはその目は微塵も笑っているように見えなかった。
不機嫌を隠しもしない背中。それを見送るレイラの傍らで立ち上がったリーオは、主人に圧力をかけるような態度のクラスメイトを気にした様子もなく、服の埃を払いながら言う。
「優しいね」
「あなたたちのためじゃないけどね」
「でも一緒にお茶に誘ってくれたんだ?」
「だから、あの子のためだってば」
リーオがエリオットを追うように去った後、レイラはひとり天井を仰いだ。
「……浮かない顔しちゃってさ」
いつでも無表情で反応も淡白ゆえに人形と揶揄される。そんなルナを見て普段との違いに気付ける人間が教室に、いやこの学校にどれだけいるだろう。多少話しかける人間が増えたここ数日だが、その中に直接彼女に様子を伺うようなそぶりを見せる者はいなかった。
エリオット=ナイトレイはどうだろう。
あの侵入者事件以降、怪我をして思うように歩けないルナに手を差し伸べたクラスメイトが抱いている感情は、必ずしも善意だけとは限らない。貴族としてそれは当然のことだった。国の要人を育て上げるこの学校で、良心のみの考えなしで家を衰退させるような行いをする生徒がいたとしたら、それは能無しだ。
ルナは、正面からの悪意に晒されることには慣れている。彼女の育った環境の一部は、今まで明確に彼女を差別し続けた。それが良いことか悪いことかは置いておいて、そのおかげで結果的にルナは他人に対するある種の諦念と耐性を得られたはずだ。
一方で彼女は上流階級のコミュニケーション特有の駆け引きが得意ではない。そういう教育を受けた人間でもない。けれどベザリウス家の使用人としてエイダのすぐ傍に仕える限り、遅かれ早かれ彼女は仮面を被った感情たちに触れることになる。そして傷付けられながら、この貴族社会がどのような場所かを学んでいくだろう。
その時、レイラはルナを意図的に傷付けなくてはならない立場にはいたくなかった。
「あの子のためっていうのも、違うか。……近づいて欲しくないのは本当なんだけどな」
牽制のつもりだった。本気の糾弾でもあった。
しかしエリオットはレイラの言葉を「そのつもりがないならこれ以上ルナに関わるな」というふうには受け取らなかった。
"気まぐれで声をかけて、都合の悪い相手と分かったから手を引いたのよね?"
客観的事実を突き付けられたエリオットは、放課後の廊下を戻りながら過去の自分の言動を反芻していた。
ルナとエリオット、それにリーオは少し前であればお互い珍しく"普通に会話する"クラスメイトだった。それがある日を境に……他のクラスメイトたちからすればルナがエリオットに自らの身元を宣言したあの日から、ほとんど言葉を交わさなくなった。間違いなく原因は自分にある。
そして認めたくはないが恐らく、たぶん、避けられるほどにまでルナの中で状況は深刻化している。
眉間にシワを寄せたまま教室に着いたはいいものの、入れ違いになったのか既に室内に彼女の姿はなく、エリオットは手近な女生徒を呼び止めた。
「ミス・ルーンフォークですか?さあ……エイダ様のお迎えといっても、6学年の授業はまだ終わる時間ではありませんし……」
「あら、彼女なら教員室ですわ。先生に確認したいことがあるとかで」
通りかかった別のクラスメイトが教えてくれる。この生徒はたしか、思うように歩けないルナを時折気にかけていた覚えがある。
「ミスター・ナイトレイは、彼女に何かご用ですか?」
「まあ……そうだな」
相手の声音に含みがあったからか、対するエリオットの答えはどこか乾いた物言いになった。
自分とベザリウス家に仕える側近の少女。ある意味でレイラといるよりも悪目立ちする組み合わせだ。そういう見方をするもの好きも少なくないのだろう。
しかしエリオットにとって周囲の目は正直問題ではなかった。もともと外聞を気にするような性格ではない。
問題があるとすれば……
*
「以上が次の試験の対象になる単元です。他に聞きたいことはありますか?」
「いえ、ありがとうございます。お手数をおかけしました」
ルナは教師に礼儀正しく一礼して教員室の扉を出た。ついて来ようかというクラスメイトの気遣いを断ったため片手にまとめて持っていた鞄と杖を両手に持ち直す。
慣れたとはいえ移動中常に杖で片手が塞がれるのが煩わしいことに変わりなかった。なくても多少痛むだけで歩けはするのだが、先日演奏室から走って教室に戻った姿を校医や生徒に目撃されており、噂が回り回ってエイダに叱られたので我慢するほかない。少なくとも包帯が取れるまでは人目のあるところでは走れないだろう。
「…………」
廊下を歩き出しながら、ルナはため息をついた。
逃げてしまった。
否、逃げている。現在進行形で。
なんとなく、エリオットと顔が合わせづらい。原因は自分にある。エリオットにつられて控え室でうたた寝をしてしまったあの日、目を覚まして咄嗟に部屋を飛び出してしまったのが良くなかった。あれ以来話しかけるどころか目も合わせていない自覚がある。
不可抗力だ。あの状況で、ルナにはどうしようもなかった。そんな言い訳が浮かんでは宙に消えていくが、ただでさえエリオットはベザリウス家の件で自分を嫌厭しているのに、拍車をかけるような真似をしてしまった後悔は拭えなかった。
自分がエリオットを避けている理由をルナはずっと考えていた。ぐちゃぐちゃに絡まってしまった紐を、端から解くように。
あまり他人に見られて良い気分がしないであろう姿を見てしまったことへの罪悪感。上級生たちがしていた「エリオットとよく一緒に過ごしているらしい」という不利益な噂。自分のような立場の人間が話しかけることで彼を貶めているような申し訳なさ。
どれも間違ってはいない。けれどそれが自分の中で決定打になるかと聞かれれば、違うように思う。
胸のあたりが痛い。
明確に答えと呼べるものがあるのかも分からない問いを考えすぎているのだろうか。授業中にも時折思考が逸れてしまって、学年末の試験の話を聞き逃していたことについさっき思い至ったのだ。
「……どうしよう」
足が重い気がする。
歩くことをこんなにも億劫だと思ったのは、覚えている限りひとりで過ごしていた幼少の頃以来だった。
15.懊悩
