箱庭聖譚曲
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昼休憩の時間になると、エイダ=ベザリウスは本当にエリオットたちの教室に現れた。何も疑っていたわけではないが、あれが従者の肩身を狭くしているとは考えないのか。考えないんだろうなとエリオットはその様子をぼうっと眺めていた。彼女はルナの荷物を自分の荷物とともに抱えると、席から立ち上がったルナに付き添っておそらくカフェテリアに向かった。その時見えたルナの横顔はどこか仕方なく諦めたような、しかし幼い子供を見守るような暖かい眼差しをしていた。
それから何があったのか、ルナは中庭のベンチで先ほど彼女に声をかけていたクラスメイトやら上級生やらと談笑していた。とは言っても輪の中心にいる当人だけはよく見せる人形のような無表情だが、かけられる言葉に真面目に頷いたり時折首を傾げたりする様は、少なからず彼女の人間性が垣間見えて、周囲も好ましそうにしているように見える。
「あ、あれかな。侵入者の件が解決したのはきみと彼女のおかげだって噂が流れてるからかも」
「解決も何も、片方はオスカー=ベザリウスの奇行だし、バスカヴィルについての詳細は混乱を避けるために一般生徒には伏せてあるはずだろ」
「それでも人は見えない事実に対して自分が納得できる答えが欲しいんだよ。一般生徒の制服が盗まれたのは本当だし学校もその罪をオスカー様に被せるわけにはいかないからね」
人の口に戸は立てられぬってどこの国の言葉だっけね、と言ったリーオはピアノの演奏室の窓から中庭を見下ろして笑った。
なるほどヒーロー扱いなわけか。騒ぎが大きかっただけに噂もそれに付く尾ひれも大きい。
グランドピアノのすぐ横、窓枠にもたれたエリオットも眼下の光景に腕を組む。視線の先の少女は、いつかの剣の課外授業で相対した男子生徒に恭しく手を取られ立ち上がるところだった。
「……少し寝る」
「もうピアノは終わり?」
エリオットはつい先ほどまでピアノを……かつて自分が作った曲のひとつを弾いていたのだが、襲ってくる睡魔のせいか興が削がれた。
「起きた時に気が向いてたらまた弾く」
「そう。ごゆっくり」
広げた楽譜もそのままに扉続きの控え室に入っていく主人の背中を見送ったリーオは、再び傍の長椅子に座って読みかけの本を開く。椅子の端に目を落とすと、エリオットがまた借りてきた聖騎士物語と、それに挟まれたあの栞。
素直じゃない彼のことだから、まさか自分の目に触れるところで使ってくれるとは思わなかった。彼がこの本を開いた時たまたま手近にあっただけかもしれないが。
「……」
頁の間から見える栞を見つめてどのくらいの時間が経過したのか。しばらくして部屋にコンコン、と控えめなノックの音が響いた。
*
……ピアノの音が聞こえる。
「足の具合はどう?」
「特には……先生の処置が大袈裟なくらいです。何かご用ですか、ミスター・ミュラー」
「いや、こんな機会でもないと君の手を取ることは一生なさそうだと思って。仮にも負けた身ではね」
「……?」
「移動する?エスコートしようか」
「お気持ちだけで結構です」
昼食を済ませたあと委員会の仕事があるエイダと分かれて中庭のベンチにいたルナは、目の前で自分に話しかけてくれる同級生たちの声より、演奏室から聞こえてきたピアノの音色に気を取られていた。
題を知らない、聞いたことのない曲。中庭から見上げたところで階上の演奏室の様子は窺えない。けれど演奏者はすぐに見当がついた。
「……お邪魔します」
「いいよ、別に僕たちの部屋じゃないし」
「……似たようなものでしょう。昼休憩は誰もここに近付かないのよ」
話半ばでクラスメイトたちの輪を抜け演奏室を訪ねてきたルナだが、リーオに案内された先の控え室、ソファに仰向けに寝転んだエリオットは目を閉じたまま反応がない。
「寝てる……?」
「ほんとだ。珍しい」
「珍しいの?」
「うーん、いつもは誰か来ると起きるんだけど」
首を傾げるリーオの隣で、ルナはエリオットをじっと見下ろした。いつもの炯々とした眼光は見られず、代わりにそこにある寝顔は少し憔悴しているように思える。そういえば、寝不足気味だと話していたような。
「ごめんね。急ぎの用だったかな」
「いいえ。事後処理についての報告の手紙がオスカー様の屋敷から直接届いたから、一応二人にもと思って」
「へえ、早かったね」
「まだ方針の擦り合わせまでみたいだけど」
校長と理事、それにベザリウス側の話し合いの結果、隠し通路の取り壊しは行われず、今回見つかった通路への出入り口が使用できないよう厳重に封鎖するに留まるという。間もなく始まる長期休暇中に作業は終わるそうだ。
「この学校は個人の所有物じゃないし、歴史的な史料としても価値もあるから、簡単に壊したりはできないんだろうね」
「隠し通路の実態が不明である以上、作業の規模の見通しが立たないものね。今回は便宜的な対応で終わりみたい」
「時間をかけてゆっくり解決していくつもりなのかもしれないよ。それこそ、今回巻き込まれたエリオットやミス・ベザリウスとかが中心になって」
「2人が……」
「そう」
ルナの脳裏にはエイダの笑顔が思い浮かんだ。彼女はきっと、両家が手を取り合うことができる未来を変わらず信じている。
エリオットにエイダと同じ姿勢を求めるのは酷なことなのだろう。けれど、もしその時が来たら、エリオットはベザリウスを憎む感情は脇に置いて人々が困らないように協力してくれる。今回の一件でそうだったように。
「さて、僕は図書室にでも行ってこようかな。ちょっとエリオットのこと見ててくれる?」
「え?……いえ、私はもう帰……」
「予鈴で起きると思うけど、起きなかったら叩いていいから」
「ちょっ……リーオ!」
よろしく、と一言残し、止める間もなくリーオは扉を出ていってしまった。
途方に暮れたルナはおそるおそるソファに近づいて、片足でその場に座り込んだ。手に持っていた杖も毛足の短い絨毯に静かに横たえる。ひとつ息をつくと、学校指定のソックスの下に隠された包帯の巻かれた足がズキンと疼いた。朝から自分に訪れていた騒々しさに忘れられていた痛みだ。
ルナの足は昨夕の校医の見立てによると、打撲に留まらず脛の骨にまで損傷が及んでいたらしい。この杖は不恰好に歩いて帰ったルナに悲鳴を上げたエイダが急いで他の使用人に用意させたものだった。体重をかけてしまうと治りは遅れるどころか怪我が進行するという。ルナとしてはこの程度の痛みであれば日常生活は問題なかったのだが、完全に足が動かなくなったり、いざという時に使いものにならない事態はさすがに避けなければならない。痛覚と肉体の限界は別物のようだ。
誰かに指摘されなければこの痛みは見て見ぬふりをされていただろう。そう思うと、エリオットが気付いて声をかけてくれたことは僥倖だった。
「……難儀な性分ね」
ルナは気付かなかった。
悪夢で眠れていないことをエリオットはなんでもないように話していたが、思っていたよりずっと深刻だったのだ。おそらく他人にあまり隙を見せることを好まない彼が、こんな昼間に眠気に抗えないほどに。
「……私は……」
さきほどから無意識に呟きの漏れる唇を軽く噛む。
これくらい近くにいれば、きっと自分も彼の微かな変化に気が付けるのに。
そうして目元にうっすらと隈が浮かぶ眉間にシワのよった寝顔を見つめていると、次第にエリオットの息が浅くなり、喉の奥から絞り出すような唸り声が低く響いた。
「うっ……」
ルナは思わず眉を顰めた。夢に見るほど、何が彼をそれほど追い詰めるのか、自分には全く分からない。理由に思い当たるほど彼のことを知っているわけではない。ただ彼のこんな声を聞いていると、自分も胸のあたりが苦しい。
少しでも寝苦しさをどうにかできないかと、ルナは腰を浮かせて彼の制服の襟元を締めるリボンタイにそっと手をかけた。
「ん……」
「あ……ごめんなさい。魘されていたから……きゃっ!?」
不意に伸びてきたエリオットの手に手首を思いきり引かれて、ルナは正面からソファに倒れ込む。ルナの身体が覆い被さるように半分くらいエリオットに乗り上げる形だが、ただでさえ魘されていたのに余計に苦しくないだろうか、などと気遣う余裕は当然なかった。掴まれた力の強さと、仮にも鍛えられている自分が体勢を崩したという自身の気の緩み具合に少女はひどく戸惑った。
慌てて起き上がろうとするも、エリオットの意識は覚醒したわけではないようで、手首は掴まれたままだ。寝不足の彼を起こしてしまうと思うと、拘束された片手を強く振り解くことはできなかった。
すぐに起きる……わよね?
ルナは諦めて身体から力を抜いた。いくら学校の調度品が豪華とはいえソファは人間2人がのびのび横になれる大きさではない。彼の隣に横になって、ソファの空いた部分にかろうじて収めるように四肢を折り曲げる。足の怪我には障らないように。
流石に置き場のない頭と動かせない片手だけが彼の上半身に触れている。制服越しの胸はゆっくり上下していて、先ほどのように魘された様子がないことにほっと息が溢れた。
ルナは見上げるようにしてエリオットの横顔を眺めた。気の強そうな表情と鋭い眼光ばかりが印象に残る彼だが、それらが影を潜めるとひたすら造形の整った顔だ。高い鼻梁や薄い唇はどことなく高貴さを感じるような気がする。あまり他人の美醜に頓着がないものの、彼は一般に美形と評される部類なのだろう。これが彼の厳しい性格、特殊な立場と絶妙に混ざった結果、他の生徒に近寄り難い心象を与えているということだ。
自分が嫌厭されていたのはまったく逆の理由ではあるが、クラスメイトの一部はなぜルナには声をかけてきたのだろう。
「……わからない」
嬉しさがまったく無いわけではなかった。けれどそれよりもルナは普段と違うクラスメイトたちの態度が恐ろしかった。
大勢の他人と話すなんて慣れないことをしていたからか、エリオットの近くはいつにも増して安心感を覚えた。他の生徒だって彼やリーオも級友であることは変わらないのに、何が違うのか。
あれもこれも、よく分からない。
ルナはまとまらない思考を一度落ち着けようと目を閉じた。
廊下を歩く生徒すらいないからか、部屋の中は時が止まったように静かだ。
深い呼吸の音と微かな衣擦れだけが聞こえる空間で、ルナの意識はいつの間にか微睡みに落ちていった。
*
エリオットが起きないとも、ルナが彼を起こさないとも思わなかったが、昼休み終了の予鈴の余韻が消える頃「まあ一応ね」とリーオは新たに借りた重い事典を抱えて準備室までの階段を登っていた。目的の階の廊下に差し掛かると、タイミングよく扉から錆色の髪の少女が出てくるのが見えた。
「あ、ちょうどよかった」
声をかけると、ばっと音が聞こえる勢いでルナが振り返った。その動きや表情はいつもよりどことなく固く、一瞬だけ合ったと思った目線も不自然に明後日の方向を向いている。
え、なに。
「その……ごめんなさいって、伝えておいてもらえる?」
「え?」
そう言って彼女は足の怪我があるにも関わらず小走りにかけて行ってしまった。杖は片手に持たれているだけでまったく役目を果たしていない。それにしても猫のように足音がしない見事な走りだ。そもそも身体能力に自信がないリーオは追いかける気も起きなかった。
どうしたというのだろう。またエリオットと口論でもしたのだろうか。主人も懲りないことだ。
「エリオット、何かあったの?今そこで……」
ノックもなしに準備室の扉を開けると、リーオの主人はソファで上体を起こして頭を抱えていた。
「あったっていうか……いや……オレが悪いだろ、今のは」
普段は自分が悪いことを理解していても素直に謝ろうとしない彼が、だいぶ異常事態だ。片手で口元を覆っているが、見えている頬と耳が尋常じゃないくらい赤い。
リーオは前髪と眼鏡に隠れた両目を瞬かせた。
「…………えー?」
14.午睡
